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呪いの歴史は人類の歴史。紀元前から中世にかけて行われたとされる10の呪い

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(著) (編集)

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 人類が誕生してすぐに発生したしたと言われている、超自然的、神秘的な力を利用して行われる呪い。数千年もの昔から、人々は敵対する者の不幸を願い、神や悪魔に頼ってきた。

 時代が進むにつれ儀式や祈りはますます洗練され、やがて専門的な職業まで現れる。ここでは紀元前から中世にかけて、発掘された遺跡から探る人々の呪いに関する10のストーリーを見ていくことにしよう。

10. ペラの呪板(紀元前350年前後)

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 1986年、古代マケドニアの首都ペラの発掘調査で呪いの平板が出土。紀元前375~350年の間に作成されたもので、これを記したダギナという人物は、彼女が愛するディオニュソフォンが別の女と結婚しようとしたために、自分と恋が成就するよう神頼みしている。

 書かれている言葉は、古代マケドニアの宮廷で使用されていた威厳あるものとはかけ離れており、言語学者はダギナが身分の低い者だったのではないかと推測する。それを裏付けるように、彼女の言葉にはギリシャ、ドリス地方から派生したマケドニア人の訛りがある。

 “結びのタブレット(binding tablet)”とも呼ばれるこれは、手軽に神に祈願できるやり方だ。これまで1,600点もの呪いの平板が発見されているが、ペラの平板は最古のものである。

9. カジミェシェ王の呪い(15世紀)

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 1973年、カジミェシェ4世の墓が開かれてから数日後、12名の研究者のうち4名が死亡した。それから数年で数名がガンなどの重い病に倒れる。結局、ポーランドの王の亡骸に関与した者のうち、15名までが命を落とした。

 1427年に誕生したカジミェシェ王はチュートン騎士団を破り、ポメラニアを奪還すると、ヨーロッパに傑出した王朝を築き上げた人物である。

 1492年に死去すると、悪天候により遺体は急激に腐敗。埋葬業者はあわてて棺に樹脂の封を施し、図らずも病原菌の爆弾が出来上がった。

 その”呪い”の正体はアスペルギルス・フラブスというカビである。棺が開けられたとき、このカビが手当たり次第に襲い掛かったというわけだ。数名の犠牲者を出したツタンカーメンの呪いもこれが原因であった。

8. ジャック・ド・モレーの呪い(14世紀)

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 13世紀頃、テンプル騎士団はヨーロッパ最強の組織であった。十字軍で富を蓄え、これを元手に初期の銀行業のようなものを営んでいた。噂によると、彼らはソロモン王の失われた財宝を発見したらしい。ジャック・ド・モレーが最後の総長の座に就いたのは、中東への遠征後、1292年のことだ。

 フランス王フィリップ4世は騎士団から借金をし始める。しかし、彼に返済するつもりなど毛頭もなく、1307年、教皇クレメンス5世と共謀し、モレーに濡れ衣を着せた。モレーは拷問を受け、7年間幽閉された後、1314年火刑に処された。

 死の間際、モレーは、フィリップとクレメンスが1年以内に死に、フィリップの家系が途絶えるという呪詛の言葉を吐いた。間も無くクレメンスは病に倒れ、フィリップも脳梗塞で死んだ。1328年までにはフィリップの息子と孫も全員亡くなっている。

7. 聖アンナの井戸の呪い(16世紀)

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 2016年、リバプール近郊で呪われていると噂される古い井戸が発見された。

 かつて中世イングランドでは聖アンナ崇拝が広まったことがある。彼女は聖母マリアの母親であり、癒しの井戸と関連があるとされる。アンナが沐浴をした井戸は、皮膚病や眼病に効くとされ、数世紀に渡り修道院の僧によって管理されていた。

 16世紀、この井戸を巡って騒動が起こる。修道院の司祭と近所の地主が所有権を主要したのである。地主のダーシーは司祭は今後井戸を使えなくなるだろうと予言。その2日後、イングランド王ヘンリー8世の配下の者によって修道院と井戸は接収された。

 司祭はダーシーを呪い、亡くなったという。それから3か月後、ダーシーの息子が奇病によって命を落とし、ダーシー自身も経済難に陥った。そして1年と1日後、井戸の底で頭が潰れたダーシーの遺体が発見された。

6. 商売敵への呪い(紀元前5世紀)

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 2003年、古代アテネ人の女性の荼毘に付された遺体と5枚の呪いの平板が発掘された。紀元前5世紀頃のもので、呪いは酒場の主人に向けられていた。

 このことから商売上の対立が背景にあると考えられている。ギリシャの伝統では呪いの平板は地中に埋められなければならない。したがって彼女自身が呪いを書いた人物である可能性もあるが、別の人物がこの機会を利用したとも考えられる。

 その文句は洗練されており、これを生業とする者が作者であることを伺わせる。あまりないことだが、作者は女性や少女を守護するとされたアルテミスに請願している。

 5枚のうち4枚に呪いが記され、いずれもそれぞれ別の酒場の主人を標的とする。1枚は白紙のままだった。また平板のすべてに釘が打たれているが、これはその効果を強化するためのものと考えられている。

5. 破壊されたアッシリアの石碑(紀元前800年頃)

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 1897年、古代都市ドゥルカトリンムの発掘調査で、アッシリアの呪いを受けた玄武岩の石碑が発見された。紀元前800年頃のこの石碑は今、二つに分かたれている。上部は大英博物館が所蔵するが、下部はオークションにかけられた。一つに合わせれば、高さ2メートルになり、アダド・ニラリ3世の姿とそれを囲む聖なるシンボルが刻まれる。

 くさび形文字は、神がアダド・ニラリ、寺院、アッシリアの人々を見守り、その敵を討ち亡ぼすよう祈願している。また石碑をどかそうとする者に対しても災いがあるよう祈る。

 アッシリア人はプロパガンダを巧みに利用したことで知られ、こうした石碑は一般的なものだったという。外国の使節を脅かし、王家の権威を見せつけるために使われたようだ。

4. キリストが呪った街?(4世紀)

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 ルカによる福音書とマタイによる福音書によると、コラジンはキリストが呪ったとされる三つの都市のうちの一つだ。文書によると、キリストはガリラヤの町を何度も訪問し、その住民は彼の奇跡も体験しているのだが、結局キリストを受け入れることはなかった。

 19世紀後半、コラジンで古代のシナゴーグが発掘される。シナゴーグは黒玄武岩で建設されたもので、石を削って作ったモーゼの座も設えられていた。さらに髪の毛が蛇であるゴルゴンの彫像もあった。ユダヤの伝承によると、反キリストはこの街から誕生するそうだ。

 歴史家のエウセビオスによると、コラジンは330年には地震で完全に崩壊してしまったそうだ。彼自身は呪いが原因であると考えていたが、キリストが生きていた時代にコラジンが存在したという証拠はまったく見つかっていない。

3. 妖精の怒り(9世紀頃~)

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 アイルランドの伝説には、ウォーターフォード(アイルランド)の”フェアリーフォート”に工場を作ったアメリカの製薬会社に災いが降りるという呪いが伝えられている。

 800年頃、フェアリーフォートというのは鉄器時代の環状の土塁、すなわちリングフォートのことであった。中は農場で、周囲を囲む土手が動物や部外者の侵入を阻んだ。だが、数世紀が経過するうちに、アイルランド人はここを妖精などの神秘的な存在が住む場所と考えるようになる。

 この呪いを無視したのが、ウェストファーマシューティカルサービス社であった。同社はリングフォートに工場を建設。地元民がそこで働くことを拒んだため、従業員は遠方から採用された。

 なお同社はリングフォートの考古学的価値については理解しており、工場建設に先立って担当局と一緒に発掘調査を行っている。だが、これだけで十分かどうかは分からない。アイルランドの伝承に詳しい者は、問題は工場が破滅するか”どうか”ではなく、それが”いつ”かであるという。

2. クロイソスの財宝と遍歴(6世紀~)

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 1965年、トルコ西部の村人が墓の中から財宝を発見した。363点もの金銀細工は、6世紀のリディア王にちなみ”クロイソスの財宝”と名付けられた。

 やがて災いが訪れ、財宝の呪いであると囁かれるようになった。財宝に手を出したある墓泥棒の3人の子供は悲惨な死を遂げた。また別の墓泥棒は体が麻痺してしまった。さらに別の者は醜い離婚騒動を起こし、その息子が自殺。最後の者は気が狂い、黄金の隠し場所を知っていると人々に触れ回った。

 この財宝をニューヨークのメトロポリタン美術館が購入した。展示された財宝は、”ギリシャ”と表示され由来が隠された。1987年、あと3日で美術館が正式に所有権を取得するというタイミングで、トルコ政府がその奪還を図る。6年間の法廷闘争を経た末に、美術館側は財宝が盗品であったことを知っていたと認め、トルコに返還された。

1. 石棺の呪い(紀元前1000年頃)

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 1923年、フェニキア人の都市ビブロスの発掘調査中にアヒラム王の呪われた石棺が発見された。雨により丘が崩壊し、王墓が露わとなったのだ。石灰岩の石棺は紀元前1000年頃のもので、アヒラム王の存在を示す唯一の証拠である。

 石棺に刻まれた文字は長年学者の興味を引いてきた。ここから製作者がアヒラム王の息子、イットーバール(Ittobaal)であることが判明。さらに盗掘から守る呪いをかける文面もあった。生憎、呪いは効かず、考古学者によって発見される以前にすでに王墓は盗掘を受けていた。

 文字は、完成されたフェニキアアルファベットの最古の例だと考えられている。ビブロスはエジプト文化や宗教の影響を強く受けているが、アヒラム王の石棺はフェニキア独自の様式であった。服装、髭、髪型は、エジプトよりも北部シリアに起源があることを示す。

via:10 Mysterious Ancient Curses/ written hiroching / edited by parumo

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この記事へのコメント 22件

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  1. 1.の古代マケドニアの遺蹟は、平板じゃなくて、革か原始的な紙じゃないの?

    • 評価
  2. 本当に呪いが実在したなら、大英博物館やルーブル美術館なんか、半径100キロ圏内立ち入り禁止になりますからね・・・

    • +5
  3. 呪いなんか、ガンバたちに退治してもらおうじゃないか。

    • +5
  4. 日本だと呪いより祟り?の方が信じられてるんかなー

    • +3
    1. ※4 ※18
      「祟り」も英語だと「Curse」だ。

      というか、墓あばき系は、定訳に従って「○○の呪い」とするのが通常だけど、不特定の触れた者全般への障りって、むしろ「祟り」の概念の方だと思う。神聖な場所への踏み入り系も。
      他にも、謂れのない罪で処刑されたり滅ぼされたりした者が勝者の権力側を恨んで~的な、死者の怨念で相手方がバタバタ死んでいったとされる話も、「祟り」に属すると思う。

      純粋に「呪い」(何者かが相手の不幸を神などに祈願する術式を行う)に分類できるのって、この記事の中だと石板・石碑系のまじない文くらいでは?

      • 評価
  5. 10種類もなくていいんで本当に効く奴をお願いします

    • 評価
  6. やっぱ古代の遺物は心踊る
    自分もその時代に生きてたら、未来人にどんな感じに見られるかなぁって考えながら埋めたいなぁ
    萌え絵を描いて驚かせたい

    • +1
  7. 結果がわからない呪いも幾つかあるね、
    1や6の女性の願いは叶ったのだろうか?

    • +4
  8. 今じゃこういう祟りだの呪いだのって発想自体がなくなったよね。
    現代人のメンタリティは進歩したのか、退化したのか。

    • +1
    1. ※10
      丑の刻参り、知らない?
      現在でも大きな御神木がある神社とかに
      ガンガン五寸釘と写真その他が
      打ち込まれてたりする。

      • 評価
  9. もう、こういう類の記事は必要ないな
    呪いなんてないのだから

    • -4
  10. 「呪い」みたいな思考方法と実践を否定しているコメント多いけど、似たような発想や行動様式は現代日本にだって幾らでも満ち溢れているんだが・・・。そりゃ、呪術的儀礼を実践する人はごく一部だろうけど、記事の10番と神社の絵馬はどう違うの?3番と7番みたいな、神聖な土地や場所っていくらでも語られてない?事故物件なんかを嫌がる人は多いだろうけど、事故に原因して将来あるかもしれない災厄を恐れてない?

    • 評価
  11. 妖精「つまり・・・・我々がその気になればリングフォートの工場の破滅は10年20年後ということも可能だろう・・・・・・・・・・ということ・・・・!」

    • +3
  12. 強い念とか感情がその場所・空間に記録されるということがあるかもしれない。それを読み取る能力のある人間が霊能者かも。

    • -4
  13. 奈良・平安の呪いが取り上げられてないからやり直し

    • +2
  14. 日本の場合は「呪い」より「祟り」っていうほうがしっくりくるね
    将門公とか、道真公とか

    • +12
  15. 以前聞いた話だけれど、太平洋戦争中に軍部に頼まれてアメリカに呪詛を仕掛けた高僧だか、行者だかがいたらしい。
    そしてそれからほどなくしてルーズベルト大統領がなくなったんだそうな。
    もっともアメリカという国の政治体制において、大統領なんていくらでも替えが効くために、戦争の趨勢には全く関係がなかったとか。

    • -1

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