
時代が進むにつれ儀式や祈りはますます洗練され、やがて専門的な職業まで現れる。ここでは紀元前から中世にかけて、発掘された遺跡から探る人々の呪いに関する10のストーリーを見ていくことにしよう。
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10. ペラの呪板(紀元前350年前後)

書かれている言葉は、古代マケドニアの宮廷で使用されていた威厳あるものとはかけ離れており、言語学者はダギナが身分の低い者だったのではないかと推測する。それを裏付けるように、彼女の言葉にはギリシャ、ドリス地方から派生したマケドニア人の訛りがある。
“結びのタブレット(binding tablet)”とも呼ばれるこれは、手軽に神に祈願できるやり方だ。これまで1,600点もの呪いの平板が発見されているが、ペラの平板は最古のものである。
9. カジミェシェ王の呪い(15世紀)

1427年に誕生したカジミェシェ王はチュートン騎士団を破り、ポメラニアを奪還すると、ヨーロッパに傑出した王朝を築き上げた人物である。
1492年に死去すると、悪天候により遺体は急激に腐敗。埋葬業者はあわてて棺に樹脂の封を施し、図らずも病原菌の爆弾が出来上がった。
その”呪い”の正体はアスペルギルス・フラブスというカビである。棺が開けられたとき、このカビが手当たり次第に襲い掛かったというわけだ。数名の犠牲者を出したツタンカーメンの呪いもこれが原因であった。
8. ジャック・ド・モレーの呪い(14世紀)

フランス王フィリップ4世は騎士団から借金をし始める。しかし、彼に返済するつもりなど毛頭もなく、1307年、教皇クレメンス5世と共謀し、モレーに濡れ衣を着せた。モレーは拷問を受け、7年間幽閉された後、1314年火刑に処された。
死の間際、モレーは、フィリップとクレメンスが1年以内に死に、フィリップの家系が途絶えるという呪詛の言葉を吐いた。間も無くクレメンスは病に倒れ、フィリップも脳梗塞で死んだ。1328年までにはフィリップの息子と孫も全員亡くなっている。
7. 聖アンナの井戸の呪い(16世紀)

かつて中世イングランドでは聖アンナ崇拝が広まったことがある。彼女は聖母マリアの母親であり、癒しの井戸と関連があるとされる。アンナが沐浴をした井戸は、皮膚病や眼病に効くとされ、数世紀に渡り修道院の僧によって管理されていた。
16世紀、この井戸を巡って騒動が起こる。修道院の司祭と近所の地主が所有権を主要したのである。地主のダーシーは司祭は今後井戸を使えなくなるだろうと予言。その2日後、イングランド王ヘンリー8世の配下の者によって修道院と井戸は接収された。
司祭はダーシーを呪い、亡くなったという。それから3か月後、ダーシーの息子が奇病によって命を落とし、ダーシー自身も経済難に陥った。そして1年と1日後、井戸の底で頭が潰れたダーシーの遺体が発見された。
6. 商売敵への呪い(紀元前5世紀)

このことから商売上の対立が背景にあると考えられている。ギリシャの伝統では呪いの平板は地中に埋められなければならない。したがって彼女自身が呪いを書いた人物である可能性もあるが、別の人物がこの機会を利用したとも考えられる。
その文句は洗練されており、これを生業とする者が作者であることを伺わせる。あまりないことだが、作者は女性や少女を守護するとされたアルテミスに請願している。
5枚のうち4枚に呪いが記され、いずれもそれぞれ別の酒場の主人を標的とする。1枚は白紙のままだった。また平板のすべてに釘が打たれているが、これはその効果を強化するためのものと考えられている。
5. 破壊されたアッシリアの石碑(紀元前800年頃)

くさび形文字は、神がアダド・ニラリ、寺院、アッシリアの人々を見守り、その敵を討ち亡ぼすよう祈願している。また石碑をどかそうとする者に対しても災いがあるよう祈る。
アッシリア人はプロパガンダを巧みに利用したことで知られ、こうした石碑は一般的なものだったという。外国の使節を脅かし、王家の権威を見せつけるために使われたようだ。
4. キリストが呪った街?(4世紀)

19世紀後半、コラジンで古代のシナゴーグが発掘される。シナゴーグは黒玄武岩で建設されたもので、石を削って作ったモーゼの座も設えられていた。さらに髪の毛が蛇であるゴルゴンの彫像もあった。ユダヤの伝承によると、反キリストはこの街から誕生するそうだ。
歴史家のエウセビオスによると、コラジンは330年には地震で完全に崩壊してしまったそうだ。彼自身は呪いが原因であると考えていたが、キリストが生きていた時代にコラジンが存在したという証拠はまったく見つかっていない。
3. 妖精の怒り(9世紀頃〜)

800年頃、フェアリーフォートというのは鉄器時代の環状の土塁、すなわちリングフォートのことであった。中は農場で、周囲を囲む土手が動物や部外者の侵入を阻んだ。だが、数世紀が経過するうちに、アイルランド人はここを妖精などの神秘的な存在が住む場所と考えるようになる。
この呪いを無視したのが、ウェストファーマシューティカルサービス社であった。同社はリングフォートに工場を建設。地元民がそこで働くことを拒んだため、従業員は遠方から採用された。
なお同社はリングフォートの考古学的価値については理解しており、工場建設に先立って担当局と一緒に発掘調査を行っている。だが、これだけで十分かどうかは分からない。アイルランドの伝承に詳しい者は、問題は工場が破滅するか”どうか”ではなく、それが”いつ”かであるという。
2. クロイソスの財宝と遍歴(6世紀〜)

やがて災いが訪れ、財宝の呪いであると囁かれるようになった。財宝に手を出したある墓泥棒の3人の子供は悲惨な死を遂げた。また別の墓泥棒は体が麻痺してしまった。さらに別の者は醜い離婚騒動を起こし、その息子が自殺。最後の者は気が狂い、黄金の隠し場所を知っていると人々に触れ回った。
この財宝をニューヨークのメトロポリタン美術館が購入した。展示された財宝は、”ギリシャ”と表示され由来が隠された。1987年、あと3日で美術館が正式に所有権を取得するというタイミングで、トルコ政府がその奪還を図る。6年間の法廷闘争を経た末に、美術館側は財宝が盗品であったことを知っていたと認め、トルコに返還された。
1. 石棺の呪い(紀元前1000年頃)

石棺に刻まれた文字は長年学者の興味を引いてきた。ここから製作者がアヒラム王の息子、イットーバール(Ittobaal)であることが判明。さらに盗掘から守る呪いをかける文面もあった。生憎、呪いは効かず、考古学者によって発見される以前にすでに王墓は盗掘を受けていた。
文字は、完成されたフェニキアアルファベットの最古の例だと考えられている。ビブロスはエジプト文化や宗教の影響を強く受けているが、アヒラム王の石棺はフェニキア独自の様式であった。服装、髭、髪型は、エジプトよりも北部シリアに起源があることを示す。
via:10 Mysterious Ancient Curses/ translated hiroching / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
1.の古代マケドニアの遺蹟は、平板じゃなくて、革か原始的な紙じゃないの?
2. 匿名処理班
本当に呪いが実在したなら、大英博物館やルーブル美術館なんか、半径100キロ圏内立ち入り禁止になりますからね・・・
3. 匿名処理班
呪いなんか、ガンバたちに退治してもらおうじゃないか。
4. 匿名処理班
日本だと呪いより祟り?の方が信じられてるんかなー
5. 匿名処理班
ビビデバビデブー
6. 匿名処理班
10種類もなくていいんで本当に効く奴をお願いします
7. 匿名処理班
やっぱ古代の遺物は心踊る
自分もその時代に生きてたら、未来人にどんな感じに見られるかなぁって考えながら埋めたいなぁ
萌え絵を描いて驚かせたい
8. 匿名処理班
結果がわからない呪いも幾つかあるね、
1や6の女性の願いは叶ったのだろうか?
9. 匿名処理班
※4
平将門とか菅原道真とかね。
10. 匿名処理班
今じゃこういう祟りだの呪いだのって発想自体がなくなったよね。
現代人のメンタリティは進歩したのか、退化したのか。
11. 匿名処理班
菱沼君の鈍いにかかっちゃうぞ
12. 匿名処理班
もう、こういう類の記事は必要ないな
呪いなんてないのだから
13. 匿名処理班
※10
丑の刻参り、知らない?
現在でも大きな御神木がある神社とかに
ガンガン五寸釘と写真その他が
打ち込まれてたりする。
14. 匿名処理班
「呪い」みたいな思考方法と実践を否定しているコメント多いけど、似たような発想や行動様式は現代日本にだって幾らでも満ち溢れているんだが・・・。そりゃ、呪術的儀礼を実践する人はごく一部だろうけど、記事の10番と神社の絵馬はどう違うの?3番と7番みたいな、神聖な土地や場所っていくらでも語られてない?事故物件なんかを嫌がる人は多いだろうけど、事故に原因して将来あるかもしれない災厄を恐れてない?
15. 匿名処理班
妖精「つまり・・・・我々がその気になればリングフォートの工場の破滅は10年20年後ということも可能だろう・・・・・・・・・・ということ・・・・!」
16. 匿名処理班
強い念とか感情がその場所・空間に記録されるということがあるかもしれない。それを読み取る能力のある人間が霊能者かも。
17. 匿名処理班
奈良・平安の呪いが取り上げられてないからやり直し
18. 匿名処理班
日本の場合は「呪い」より「祟り」っていうほうがしっくりくるね
将門公とか、道真公とか
19. 匿名処理班
最後はディオの話かと思った
20. 匿名処理班
以前聞いた話だけれど、太平洋戦争中に軍部に頼まれてアメリカに呪詛を仕掛けた高僧だか、行者だかがいたらしい。
そしてそれからほどなくしてルーズベルト大統領がなくなったんだそうな。
もっともアメリカという国の政治体制において、大統領なんていくらでも替えが効くために、戦争の趨勢には全く関係がなかったとか。
21. 匿名処理班
※24
ルーズベルトはヤルタ会談にちゃんと出てるよ。てか、ヤルタ会談が色々決定打
22. 匿名処理班
※4 ※18
「祟り」も英語だと「Curse」だ。
というか、墓あばき系は、定訳に従って「○○の呪い」とするのが通常だけど、不特定の触れた者全般への障りって、むしろ「祟り」の概念の方だと思う。神聖な場所への踏み入り系も。
他にも、謂れのない罪で処刑されたり滅ぼされたりした者が勝者の権力側を恨んで〜的な、死者の怨念で相手方がバタバタ死んでいったとされる話も、「祟り」に属すると思う。
純粋に「呪い」(何者かが相手の不幸を神などに祈願する術式を行う)に分類できるのって、この記事の中だと石板・石碑系のまじない文くらいでは?
23. 匿名処理班
パルモの呪いの力って何馬力なの?