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沖縄がアメリカに統治されていた時代の人々の暮らしがわかる写真(1953年 – 1954年)

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(著)

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 沖縄は、日本が敗戦直後の1945年(昭和20年)から1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還までの27年間、アメリカ合衆国に統治されていたのはご存知の通りかと思う。

 これらの写真は朝鮮戦争(1950年6月25日 – 1953年7月27日)で米空軍中尉を務めた後、沖縄に渡り人々の日常を撮影し続けたアメリカ人カメラマンが撮影した、1953年9月~1954年8月にかけての沖縄の日常の風景だそうだ。

1.ボート乗り場

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2.蝶々を追いかけていた少年

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3.商店が並ぶ通り

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4.学校の引っ越し(名護)

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5.那覇市の子供たち

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6.砂杭で遊ぶ子供たち

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7.市場

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8.純潔保存の会の「道徳&避妊」宣伝カー

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9.那覇市の近代的な建物

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10.那覇市のお店

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11.那覇市の新百貨店

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12.那覇市の新店舗

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13.Okino villageとある

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14.中城城の城壁

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15.那覇市でオレンジを売る行商人

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16.久米島から沖縄本土に豚を運ぶ船

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17.嘉手納のB29

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18.嘉手納のショップ

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19.那覇市の螺旋階段

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20.沖縄のストリート

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21.那覇市の繁華街

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22.中城湾

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23.浜辺で遊ぶ子供たち

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24.久米島での取り壊し作業

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25.頭に乗せて荷物を運ぶ女性

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26.那覇市

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27.旧石川市(2005年4月1日に具志川市、中頭郡勝連町、同郡与那城町と合併し、うるま市となった)の若き女性

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28.干物

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via:32 Wonderful Color Snapshots Documented Everyday Life of Okinawa, Japan in the 1950s
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この記事へのコメント 87件

コメントを書く

  1. 俺がガキの頃見た昭和の日本とは違った雰囲気があるな。

    • +9
  2. これを見ると第二次世界大戦時アジアではなく沖縄をもっと開発するべきだったのではと思ってしまう

    • +11
  3. 昔おじいちゃんから聞いた沖縄の日常が、カラー写真で見られるとは思わなかった。
    カラパイアさんに感謝!

    • 評価
  4. 米軍キャンプのあった本牧かと間違えてしまった
    沖縄とは違い現在何も残ってないけどね

    • 評価
  5. 24.久米島での取り壊し作業
    何を壊しているんだろう。最初はただの船と思ったが、画面右側にブリッジがある。強襲揚陸艦の残骸でしょうか?

    • +23
  6. 急にアメリカになるってどんな気持ちだったんだろうな

    • +1
  7. 本土復帰運動とかやりださなきゃ基地問題で中国の息のかかったアホ共につけいられることもなかったのに

    • -7
    1.  沖縄に冷たい言葉を投げかける人は、
      本土と沖縄の戦後が同じ経過をたどったと思っているんだろうなぁと思う今日この頃。
      >※9
      24.の写真は沖縄ではLSTと呼ばれている米軍の揚陸艦。
      沖縄戦で海岸線に突き刺したまま使い捨てにされていた物を、
      朝鮮戦争やベトナム戦争の頃に解体して屑鉄として再利用していた。
      沈没船解体中の爆薬爆発事故とか危険もあったよ。
      >※43.
      この写真は本土で闇市が活躍していた終戦直後ではなく、
      本土ではもはや戦後ではないと言われ始める経済成長前夜の1950年代。
      闇市が華やかな頃の沖縄県民は捕虜収容キャンプ生活で、
      それこそ本土の歴史に見慣れた人は想像もできない不思議な記録画像がいくらでもある。

      • +6
  8. 正確にはアメリカ「軍」の統治だったような……

    • +1
  9. 17.嘉手納のB29の写真は今と違って周りに建物無くて随分すっきりしてるなぁ

    • 評価
  10. 最近日本になったわけじゃなく300年くらい前から日本よ沖縄は

    • +12
    1. ※13
      中国が核武装した時点でもう日本は沖縄を守る能力を失ったのに
      みんなでこの事実から目を背けたし背けてるよね

      • +4
  11. 大国の都合に振り回される不遇の地政学的立地。
    日本が厳重に護るべきだったのに、防波堤あつかい。
    そして今は某国が切り取ろうと虎視眈々。
    沖縄に本当の平和が訪れる日はいつになるんだろうね。

    • +2
  12. 11の写真、時代はまわるとは言うけれど、いまのリウボウデパートより洒落てるなと思ってしまった…。

    • +6
    1. ※16
      民家が並んでたけど全部つぶされたんだよ

      • +9
  13. 島であり時代が古いことやアメリカに統治されていたから
    別の国の見たいに見えて面白い

    • +5
  14. 沖縄って、もっと「日本」とか「アメリカ」とか「中国」とかを天秤にかけて、したたかに振舞っていいと思う。

    • +2
  15. こんな自然の美しい所、人の生活を壊してまで戦争をするなんてとても愚かだ

    • +55
  16. 同じ時代の日本本土の平均的な地区より、少し進んで居るように視える。
    アメリカは戦争中、沖縄に酷い事をしたが、戦後は沖縄を発展させたのも事実、アメリカ憎しで全てを否定したら皆敵に成っちまうよ。

    • -3
  17. わぁ…私の母が生まれたくらいの頃の沖縄。
    この頃はまだ沖縄に行くのにパスポートが必要で、B円という本土とは違う通過が使用されていたらしいですよ。
    家や道の舗装はボロボロだけど、みんなの顔が明るくていいね。

    • +3
  18. 城跡なんかはともかく、
    現存している建物も写っているのだろうか?

    • +20
  19. そういえば返還された時に子供だった人の話で、
    一セントでも飴玉が買えたのに
    一円だと何も買えなかったのがカルチャーショックだった
    っていう話を聞いた。
    今の世代の人はわかんないのかもしれないけれど、
    意外とそういう体験は大きかったりするかもしんない。

    • -15
    1. ※25
      別に沖縄県民はアメリカ憎しと思ってるわけではないのよ

      • +1
    2. ※25
      城等の歴史的遺跡を粉砕されたり、民家が立ち並ぶ土地を接収して基地にされたり
      戦後も子供とか女性が被害にあいつづける代わりに発展させたから感謝しろっていうのも厚顔無恥じゃないかな。
      戦前は鉄道も走ってたのにそれも破壊されたしな。

      • +4
  20. パスポートがないと行けなかったんだよね。

    • +17
  21. 戦後の日本と比べたら意外と住みやすかったのかも?

    • -8
  22. 昔の沖縄てこんなんだったんだ!村の方になるとアフリカの家みたいなんがある!

    • 評価
    1. ※28
      螺旋階段の建物、国際通りのこれ//nandemoari2nd.blog95.fc2.com/blog-entry-6714.html
      らしい
      まだあるんだね

      • 評価
  23. これが婆ちゃんが中学生の頃に見ていた風景なのか〜
    統治時代は米兵が捨てた缶詰を拾って食べて、アメリカ人(米兵)の目が青色なのを山羊の目していたと言ってるよ、当時はとても不思議だったみたい

    • +1
    1. ※29
      沖縄という色眼鏡で見るから異国的に見えるだけ
      昭和20年代の日本ならこんなもんだ
      b29以外は沖縄の特色が出てる写真は全くない

      • +8
      1. ※34
        ヤギの目…?どういうニュアンスなんだろう
        それにしても服装のデザインはは何十年かでリバイバルするけど
        髪型はしないんだね

        • 評価
        1. ※72
          ヤギの目は青いんだよ。占領してきたアメリカ軍人の目が青くて、ヤギのようだったので当時の沖縄県民はどぅまんぎた。(びっくりした)

          • +3
  24. うちのオトンはこの頃に生まれたんよねー…沿岸ではなく、北部のやんばるだけど。
    返還後に上京してもう還暦過ぎてるわけで、少し思うところがある写真たちでした。

    • +19
  25. 当年45だけど、復帰前後に産まれた俺は何も覚えていないが、年の離れた兄や姉は復帰前の生活をまだ覚えているらしく、時折懐かしがるな
    物心つく頃まで机の引き出しから1セント硬貨が出てきたわ
    那覇にあった東京スタイル、店主が知り合いだった。その人はは二代目だったけど、潰してしまったんだよなあ25年くらい前に。記事に写真が載ってて懐かしく、嬉しくなりました
    管理人さんupありがとう

    • +9
  26. 私の母は昭和27年生まれで、高校の修学旅行で本土に行った時はパスポートが必要だった。
    本土で汽車に初めて乗って、心底驚いたって。
    なんか40年以上前の写真、て感じしないのもあるね。9、10、12とか、こんな感じの建物もまだ、中部には所々残ってるよ。

    • +3
  27. 戦後の本土の闇市やバラック街と比べりゃ余程まともな街に見えてしまう不思議

    • +19
  28. 豊かに見えても義務教育や思想レベルは低いまま
    本土復帰しなきゃアメリカ的自由と自己責任の下、経済格差がより広がった地域になったろうよ
    あと結局隣国に付け入られるのは変わらないよ、あっちが進んでくるんだから、台湾やフィリピン見ればわかるだろ

    • +2
  29. 同じ頃の奄美大島は未開の地ってぐらい寂れてる

    • +10
  30. 18の椅子に座る女性の後ろ姿が現代っぽい。

    • -1
  31. アメリカ領だった頃は、日本に行ってドルを円に変えると金持ち気分になれたって母さんが言ってたな。
    MPにもよく遊んで貰ったしドラマも面白かったので今でもアメリカは好きらしい。

    • +11
  32. 戦後10年余では本土はバラックがまだまだ立ち並び闇市で人々が辛うじて命を繋いでた絶望の時代
    朝鮮戦争の特需が無ければ沖縄より緩かな退廃と復興への長ーい道を歩んでた筈だ
    歴史の分岐点なんか解らんもんさ

    • +6
  33. コメント承認制のおかげもあるんだろうけど
    こういう他だと荒れがちなテーマでも
    コメント欄を安心して見られるのはいいよね

    • +15
  34. 本土にも(東京近郊にも)米軍キャンプがいくつかあって
    その周りでは、こちらと似たような街並みだったようです。
    そんな写真を見たことがあります。
    沖縄ははっきりと占領されていましたが、
    実質、日本全土が統治されてたんじゃないか?という気がします。

    • +2
    1. ※50
      奄美や伊豆もアメリカから復帰したこと、全然知らなかったよ。復帰が沖縄よりかなり早かったこともあるけど、語られないね。

      • 評価
  35. 19はまだ現存してます。
    国際通り中程、平和通り入口です。
    (グーグルマップでも見られます)
    学生時代毎日のように通っていたゲームセンターでしたが2013年に閉店、今は焼肉屋になっています。
    20年前頃までは国際通りはデパートや雑貨店、公設市場などそれこそ盆暮れ清明祭の時に買い出しに行く地元民の『都会』でしたが今は端から端まで土産屋ばかりです。
    最近はすっかり通らなくなった所ですが、昔を思い出して泣けました。
    記事ありがとうございます。

    • +1
  36. 戦後から復帰までを写した写真見てると
    当時のバスとか建物はすごく趣きがあって好き
    都市化したくなるのもわかるけど、沖縄に近代建築物を見に来てないしな
    京都のように沖縄らしさが残る街並みは保って欲しい

    • 評価
  37. 今40代だけど子供の頃はギリでセントやドルが使えたな
    あと狂ったようにタコス屋があった、違法カジノは普通に大通りにいっぱいあって子供でも普通に出入りしていた
    南風原の方はモヒカンが暴れまわってる世紀末かと思うぐらいのスラムっぷりで旭琉会(沖縄のヤクザ)とビーバップなんか目じゃないガチの不良が毎日血を流してた

    • 評価
  38. この時代の沖縄だったら、奥野修司さんの『ナツコ』というノンフィクションが超おすすめ。
    戦後、乳飲み子を抱えて未亡人になってしまった金城ナツコという若い女性が、少女時代からの商才と度胸で、たったひとりアメリカ軍や、台湾や香港の華僑、沖縄ヤクザたちを相手にしながら、60馬力の開幸丸で東シナ海をつっきって、密貿易をはじめる。
    命をかけて輸入するのが粉ミルクっていう、あくまでママっぽいところがまたイイ!
    彼女の周りには、かつての敵が仲間として集まり、いつしか彼女は「密貿易の女王」と呼ばれるまでになっていく。
    密貿易の儲けを投入し、みんなの悲願だった正式な貿易会社を那覇に立ち上げた後、若くして亡くなってしまうんだけど、いや、読後の感動と爽快感がハンパないですわ。
    これがノンフィクションなんだから戦後の沖縄はすごい!

    • +1
  39. 統治下でも普通に日本語使ってたんだね。

    • 評価
  40. ちょっと前のキューバみたいな感じ
    60‘Sのアメ車が写ってるとやっぱ絵になるね。

    • 評価
  41. 唐ぬ世から大和ぬ世~♪
    大和ぬ世からアメリカ世~♪
    アメリカ世からまた大和ぬ世~♪

    • +1
  42. 沖縄特有の赤瓦屋根。
    本土復帰位まで茅葺き屋根が普通だったらしい。
    当時、米軍監視下の琉球政府統治では、
    赤瓦屋根はお金のある家だと近所の爺さんが言っていた。
    産業がなく沖縄県民の大半が農家で貧乏が普通だったらしい。
    現在では煌びやかな琉球王朝時代が日本の支配で廃れたと言う風潮があるが、
    王朝時代の税は非常に重く、離島では夜逃げや自分の手足を切断して
    税を逃れる者が出るほど酷かった。
    本当は酷かった琉球一般人の暮らし。

    • +5
  43. 1セントでお菓子変えたのに返還されて1円じゃなんも買えなくなったって話は私も学生の頃に先生から聞いたな。
    りうぼうもこんな時からあったとは。

    • +23
  44. 台湾と密貿易していたりパワフルな時代か
    この後になると暗い時代になり、補助金漬けだけど生き返りつつ安室奈美恵ぐらいから今のような感じになったのかな?

    • 評価
  45. すごく貴重な写真だ!素敵な記事をありがとうございます!
    今度ばあちゃんやおじさんに見せてみよう…
    ちなみに亡くなった母が中高生頃に使ったパスポートも手元にある。
    母や祖父母が持っている写真は白黒だから、カラーで見られるのはすごい!

    • 評価
  46. アジアのどこかの村だと言われれば信じてしまいそう
    懐かしい昔の日本の風景とは違うな
    「純潔保存の会」って直球ですごいネーミングwww

    • +3
  47. カラパイアはコメント欄も物凄く勉強になるから凄いなぁ
    人類史は、本当に何が良くて何が悪いのか、簡単には切り離して考えられないものだとヒシヒシと実感する話ばかりだよ

    • 評価
  48. カラーだとやはり臨場感出るね
    19番の螺旋階段が凄くいい雰囲気
    写真の中で愛らしく微笑んでる子どもたちは今いくつになられたんだろうか

    • +5
  49. 写真で見るかぎりそれほど酷い気もしないんだよなあ。
    だいたい沖縄、もとい琉球って元来日本じゃないじゃん。
    米軍基地反対とか言ってる場合じゃないでしょ。
    日本から独立するべきなんじゃないの?

    • -1
  50. 戦争の悲しさを知っているはずなのに、今また一部が争おうとしている
    沖縄は被害者だよ

    • +5
  51. ボート乗り場の現在の状態
    本部港ですね。漁協前あたりじゃないかな。

    • +8
  52. 19番はインナハ(ゲーセン)だね
    今はゲーセンは無くなったけどステーキハウスとして現存してる建物だ

    • +2
  53. 画像の年代とは違うけど、 万博にはパスポートをもって行った。米国のではなく、琉球政府のパスポートだった。母に抱かれて写真に写っていたけど、なにも覚えていない。

    • +17
  54. お年玉貯めて3ドルになった時は嬉しかったなあ。大金持ちになった気分だった。
    今だと1$コーラ1本だ。1セントで確かにチョコ玉一個買えたよ。駄菓子屋っては言わずにイッセンマチヤーって言ってた。コカコーラは高くて小遣いで買えなかったからベストソーダ飲んでた。沖縄が大きく変わったのはドル→円の時と730の時だったな。

    • +2
  55. 沖縄人です
    母から聞いた沖縄の戦後の姿、こんなだったんだなぁ
    学校の先生からは「子供時代米軍の人相手に商売してた。お菓子をもらったりした」と聞いた
    何も無くて不便だったとは何度も聞いたけれど決して「不幸せだった」とは聞いていない
    こんな時代もあったというのが、私は誇らしいよ

    • +2
  56. 沖縄返還のとき具志堅用高がCMに出てたんだよね

    • +2
  57. なんか昭和中頃の逗子みたい、と思った自分はたぶん年取ったんだろうなあ
    素っ裸の子やら砂利道は昭和まで日本各地にいたから
    リウボウと沖縄風に結い上げた女性が沖縄っぽい

    • 評価
  58. 最近りうぼうが写真と似たようなロゴマークを採用してたので歴史のあるものだったんですね。統治下のカラー写真は初見なのでありがたや。

    • 評価
  59. *67頼むから4んでくれ
    日本人が沖縄を他人事のようなコメント、琉球?日本人的な沖縄差別?
    お前がその頃に沖縄に居たなら
    こんなコメント出来ないだろう!
    ここのコメントいくつか腹立つコメント有ったがこいつが一番は腹立つわ!
    摩文仁の丘に行って全ての名前を見て来い!戦争で亡くなった、色々な国の
    名前が刻まれている、まだ増え続けてるんだぞ。
    自分の妄想はコメントするな!

    • -1
  60. 年代からしたら戦後まもないんやから本土もそんな変わらんかったやろ

    • +6
  61. 当時、那覇市与儀に住んでいた母が言うには
    弾圧や抑圧などは感じなかったそうだ
    すぐ近くにはフェンスがあり、その周囲に住民は住んでいた。米軍の監視の目があったので
    犯罪が起きにくかったから。
    ドルの前に流通してしていたB円なるものが
    貨幣価値が高かったらしくドルよりもありがたかったらしい。

    • 評価
  62. この時代のほうが、ある意味平和だったかもしれない
    今は永遠に解決しない基地問題で内戦状態の印象

    • -8

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