この画像を大きなサイズで見るインドの独立運動の中心人物で非抵抗運動家のマハトマ・ガンジーがかつて「弱い者ほど相手を許すことができない。人を許せることは強さの証である」と言ったように、人類にとって最も難しいことの一つに“自分に害をもたらした人を心から許すこと”がある。
人間なら誰でも過ちを犯すことがある。絶対に自分は大丈夫だと思っていても、人生において”絶対”は死ぬ運命以外にはないのだ。
ここでいう過ちとは、日常における感じの不愉快なふるまいや非常識な行動、人の心を傷つけるような行為のことであり、凶悪犯罪はその範疇ではない。
その人物を深く知り好感を持っていれば許しやすくなる
自分が愛してやまない人だって過ちを犯すことがある。しかし、愛する人や友達の過ちなら、他人に対するより寛容になれるのではないだろうか?時間が掛かったとしても許しやすくなれるのはなぜだろうか?
皆、この世に完璧な人なんていないと知っている。自分の愛する人には、「今回はこんな被害にあったけど、本来は思いやりがあって優しい人だしな」と、思える場合もある。
そう思えるのは、その人物を知っているからである。何か起こったとしても、それは状況的なもので、その人の人格を正確に示すものではないと分かっているから。
許すのが困難になる理由
心から許すことが困難になるのは、この規則を全ての人に当てはめようとするときであろう。この星には70億人以上の人間が存在し、大都市で生活する人は毎日、毎日、多くの人と接する生活を送っている。
学校や、会社(特に多くの会社が入っている高層ビルで働く場合など)、デパートなどに行くと、実に多くの人と接することになる。公共機関を使って街に出たり、仕事まで歩くだけでも多くの人とすれ違う。毎日、多数の人物と接すると、すべて自分の予定通りにならないことも多いし、不愉快な出来事もあるだろう。
上司は鬼軍曹で何かあるごとに責めたててくる。車を運転しているときに、片手に携帯を持ちながら運転している女性が割り込んできて、危うく交通事故になりかけた。学校で同じグループになったヤツが、家族が金持ちだと自慢話ばかりしてくる。などなど。
相手を決めつけることでさらに許せなくなる
自分が不愉快になったときに、私たちが取りやすい反応は、その人物を決め付けることだ。例えば、“上司は嫌な奴”、“車を運転している女性は無鉄砲で向こう見ずな人”、“同じグループの生徒は親から甘やかされたクソがき”、と決め付けてしまう。そう思っていることを口に出そうと、内心に留めておこうと、その後の結果は同じだ。
このような偏見的な感情を持つのは、相手のことや、なぜ相手がそのような行動を取っているのか知らないことに起因する。人間というのはとても複雑な生き物で、多かれ少なかれ、その行動にはそのときの環境や状況というものが関係してくる。
自分の友達や愛している人だと寛容的になれるのは、その人物の生い立ちや現在の状況などを知っているから。では、自分が彼らの個人的事情を知らないまま、目で見たものだけで判断を下すというのは理にかなっているのだろうか?
鬼軍曹の上司は、もしかしたら厳しい親のもとで育ち自分でも気づかないうちに、他人に厳しくなってしまったのかもしれない。しかし、その人物に思いやりや同情の心がないと決めることはできない。
無防備な運転の女性は、彼女の夫が癌で容態が急変し、急いで病院に向かっていた途中だったのかもしれない。
自慢ばかりする生徒は、親が仕事ばかりで愛情を受けずに育ってしまい、金持ちだと自慢することで社会的不安を隠しているのかもしれない。
これは例え話だが、実際には誰にでも、他人の目からは見えない事実がある。人に寛容になることで自分の心を解放できる
だからと言って、この記事は悪い行動を容認しようという意図ではない。人間なら皆、優しい心で尊敬を払われるに値するが、中には正当化できないような行いもあるだろう。
それでも、不愉快な行動を目の当たりにしたときに、負の考えや感情を抱くことは、結局自分が更に嫌な気分になるだけで、負が増えるだけである。
大抵の人には良心は宿っている。その良心は心の奥深くにあり親しい人にしか見えない場合もある。だから、当人の個人的事情を知らなければ、デフォルトで一番好ましい状況を推定してあげればいい。
よく言われているように、「目には目を」の世界では、皆が盲目になってしまう。不愉快な行動にあったとき、嫌な気分にさせられたとき、「まるごと嫌な奴」のレッテルを張らず、出来る限り肯定的な見方をすれば、この世はもっと住みやすい世界になるはずだ。
負の感情に支配されると、すべてを恨み、憎むようになり、今目の前にあるささやかな幸せが見えくなってしまう。
via:elitedaily.・written melondeau / edited by parumo













寛容にならにゃいかんよう!
良い話しなのになぜかシャオカーン
シャオカーン様で笑った
確かに攻撃性の権化の様なお方だけど
よく知ってるからこそ許せないってあるよねえ。
どうしてもレッテルを貼ってしまう。そしてそこから抜け出せなくなる。そんな世の中は自分にもとても辛い!許すことで許される、、難しいけどね‼実践してみます‼ありがとうございます。カラパイアさん!
ここでいう過ちとは、日常における感じの不愉快なふるまいや非常識な行動
人の心をつけるような行為のことであり、凶悪犯罪はその範疇ではない。
>凶悪犯罪はその範疇ではない。
ここ重要です。テストに出ます
※6
だが「凶悪犯罪」なら憎んでもいいでもいいとは一言も書いてないぜ。
というかさ、その「凶悪犯罪」にこそ「許す」ってのが必要なんじゃないかな。
例えば、今ネットで少年Aの写真や住所を晒してるじゃん、あれはどう考えても行き過ぎた私刑だと思ないかい?そもそも俺らに少年Aを裁いたり攻撃したりする権利はあるのかな?ないでしょ。 もしそれが容認されるなら人間は感情のままに歯止めが利かなくなるまで残虐な仕打ちが出来てしまう。これは危険だ。ナチスのユダヤ狩りにも通ずるものがある。 本来、人が人を裁くってのはあってはならないことだと思うんだよ。だが、そうは言ってもそんな綺麗事で社会は回らないから唯一「人を裁くことが出来る人間」として特別に裁判官という職種がいるんだろ。
誰かが人を殺したんなら。それは俺らが裁くんじゃなくて裁判官が裁く。そして犯人は刑を受ける。それでいいじゃん。そこに俺らが介入する必要なんてないじゃん。
少年Aとか清原和弘とかあんなん放っておけばいいじゃん。
もしも君が「悪いことをした人間に対しては何をしてもいい、なぜなら悪いことをしたからだ。」って思っているようだったらそれってかなり危険な考え方だと思うんだ。
※60
全面的に同意。
個人的には小さい事でもやられたらやり返したいと思うし、相手がどういう奴なのか知りたくもないし許せないんだけどねw
チンパンジーの成れの果て俺らに、随分無茶を言ってくれるw
※7
チンパンジーは俺らと祖を同じくする遠い親戚であり、祖先ではない。
この差はデカい。
いや、揚げ足を取ろうってわけじゃ無いんだ。
ただ自分は突っ込まずに入られない性格なんだ。許してくれるかい?
※10
そうだったのか!いや、こういう間違い訂正は逆に嬉しいものですよ。
帰属の問題というのがあるね。起こした行動の原因を人柄のせいにするか、事情のせいにするか。
「根本的な帰属の誤り」では、他人を評価する時は内面的な人柄のせいにして、自分を評価する時はその時の状況・事情のせいにする。実際は状況の力がかなり強いのだけれど。
お説ごもっともといいたいところだが、許さないという選択もまた尊重されるべきだ
ほんとはいい人かもよ、とは言うけど、大半の悪党はやはり擁護のしようがない悪党だし、
弱者が強者のふりをしても心を病んで破綻するだろう
※9
こんな一説すらも受け入れられない人って…
もう今の若い人に寛容な心の持ち主って少ないのかもねぇ
寛容にならなければいけないのはよく分かる、だけどそこで許したらその人の為にならない、そして嫌な人は嫌なもんだよ。全てを許す事でストレスが溜まる事だってある。
本当はいい人かも、という希望を捨てられないからこそ、いつもそれを裏切られて許せなくなる、という事もあるし、
アイツはああいう奴なんだから直しようもないし仕方ない、と諦めることで現実を受け入れ、
余計な摩擦を避ける対策を取れるようになる事もある。
間違ってる奴は直さなければならない、間違ってる事を受け入れてはならない、という強迫観念が強い欧米では
「ああいう奴だから仕方ない」式の受け入れ方は難しいんだろうけど。
人の往来が激しすぎて相手のプロフィールをいちいち考察してられないんだよ。
現代の日本では……
※13
裏切られた時のショックが大きいから、許せないんだろうね・・・。
※25 それは相手を自分の中に取り込もうとする依存心がさせる
自分がそうだったわ。『こうあってほしい』と勝手に期待値上げて
ちょっとでもそこから外れると失望→嫌いになるの繰り返し
器ちいちゃいから、許せんことは脊椎反射で口に出す。でも、これが楽なんです。
昔勤めていた職場のリーダーが、完璧主義者で口の悪い人だった。
自分が仕事が出来ないのもあったが、ほかの社員もいる場でガチで更年期なんじゃないかというくらいのヒスも起こされ、一瞬で般若のように顔が変わる。
自分でも「口が悪いんで」と自称していたが、それは免罪符にはならない。口が悪いという前提があれば何を言ってもいいのかよと今でも思っている。
でも、少しずつだが「あの人も苦労していた」と思えるようになってきた。2年ほど経っているが、今は思い出すたび腹立ちと許しを繰り返しているよ。
怒りっぽい人って相手の考えはこうだよねとか決めつけてることは多い気がする
許すのではなく、忘れましょう。本当に楽しいことを考えていれば、嫌なことなんて覚えてませんよ。
どんな事情やバックグラウンドがあろうと、他人に迷惑かけたり傷つけたりした事実は変わらないのですが
《自分の愛する人には、「今回はこんな被害にあったけど、本来は思いやりがあって優しい人だしな」と、思える場合もある。そう思えるのは、その人物を知っているからである。何か起こったとしても、それは状況的なもので、その人の人格を正確に示すものではないと分かっているから。》
それを許す許さないは好き好きでいいと思うけど、その”本来”は本当に”本来”? 相手がそう言っているだけ、自分が思い込んでいる、思い込んでしまいたいだけ?、避難が必要な時はきっちり逃げたい。
てかガンジーで始まって凶悪犯罪はこの限り…で膝がかくんとしてしまった。それにもっとこう、キュプラー=ロス的な変化の五段階物みたいな読み物かと思ったんだよ。ここの段階は丁寧にこなして、次の段階は負担がでかいからさらっとでいい、でもとばさずこなそうね。みたいな提案のさ。
確かに、許すのではなく、忘れましょう。デスナ‼忘れる努力も必要、、それこそ、腹を割って話そう(笑)未来は明るくなる!許せないことを許す。。完璧な人間なんていない!足りないものを補ってみんな生活しているのだから…。
寛容さは確かに必要だとは思うけど、目には目をの精神は決して悪いことじゃないと思う。
世の中、痛い目にあわせないと判らない輩ってのは厳然として存在しているし、自分に害を与えてきた相手がそういう相手じゃないという保障も無い以上、「手を出させるのは割に合わない」という不文律を設けるのは必要なことだよ。
寛容ならすべて解決するという理屈が通用しないからこそ、核の傘という存在が現在も世界に残ってる訳だしね。
理想は理想だが、現実との区分けはつける必要があるだろう。
むちゃくちゃ好きな人ほど、たった1つの気に入らない言動で一気に冷めるわ
※23
9に対するコメントが
不寛容そのもので興味深いです。
※48
素直に突かれて悔しいって言えばいいのにw
僕は許す許せないの分かれ目は、その人が自分で気づいて修正できるかだな。謝罪は必ずしも要らないけど、変わらず繰り返すようなら関わりたくはない。
人それぞれで適切な距離ってあるんだよね。無理矢理全員を近付けようとすれば、必ず歪みやしわ寄せが生まれる。受け入れることが大切なのではなくて、それぞれが自分にとって自然な場所にたどり着くことが大切だと思う。
いじめの加害者とか、いまだ許せないけどね。加害者たちがぬくぬくと暮らしていると考えると腹が立つ・・・・・。ある加害者役得漫画見てると小火にガソリンを注ぎ込む状態になってしまう。
彼は「非暴力」だけでなく「不服従」も薦めた人。暴力に訴える事はなくても、抗議のために立ち上がる事は否定していません(無抵抗主義者ではありません)。むしろ抗議活動の先頭に立っていました。資産家・経営者・権力者・為政者たちに、ただただ隷従するのは彼の考え方に反しています。
みんな寛容になれば世界が良い方向に向かうかと言えば話は別だと思うけどね。だからといってこの意見に反対な訳でもないが
まあ、俺は昔から他人が何かに対してレッテル貼ってるの見たり貼られたりするの凄く嫌いだったから分かるんだが人間思ってる以上に事実でもないのに決めつけてる人が多いのは確かだな
まあ、俺の視点がたまたま決めつけてる人が多いだけなのかもだが、ネットとかは特に他者を決めつけて攻撃してるの多いんだよな。で、逆に同じことされると怒り出すっていう
寛容になりたいがなれないな。まあ、だからと言って寛容じゃない部分をあまり表に出すことも出来ないから辛いわ……
※30
ガンジーが独立の為イギリスに不服従の運動をしたのに何故かそこはスルーされるのだった…
むやみに寛容になれって言ってるんじゃ無くて
他人に対してもうちょっと考察や視点を変えてみてみようって事だよね
つまり凝り固まった自分からも寛容になれればいいんだよー
敵意の裏側にあるのは恐怖。
ここで容認したら、自分がこいつの格下になってしまい従わされるのでは?
ここで見過ごしたら、自分に対して更なる要求を強制してくるのでは?
相手がどういう人間か知っていれば許せるのは、安心だから。
こいつはここまで言う人間でないから妥協しても大丈夫、という安心感から許せる。
すべての人間がその様にはなれない、ゆえに争い続ける。
いつになったら、優しい世界になるのやら
要は「相手の事情を考え、相手をよく知るようにしましょう」って言ってる訳か。
しかし、「人の事情を考えようとしない人の事情を考えてあげる」ってのは今の俺にはハードル高いな。
そんな簡単に寛容になれるなら地球の争いはおきてないですよねー
誰よりも相手を知っているが故に許せない事もある。自分は弟を一生許す事はない。
寛容でないことで被害者を攻めるのはおかしい
被害者には厳しく
加害者には優しい風潮は納得できない
※37
思い上がらない事、図に乗らない事かな・・・・・・。
※41
ほんとそれ
過ちは許されるべき、許さない奴は弱いからだ!なんて考えじゃただのやったもん勝ちの無法地帯じゃんっていう
既出かもだが、嫌がらせしてる本人に自覚がないのも困るんだよね。
これ自分にも当てはまっちゃうんだけどwそうした場合下手に注意したりして
悪化すると嫌だし、距離とるしか無いよなってなる。さわらぬ神にたたりなし。
事情わからずに怒っちゃう時ってあるよね~。自分でも前の遅い車はお年寄りかもしれない、とか思うようにしてる。余裕があるときはね(笑)ま、難しいけど自分も決めつけられるの嫌だから人にもそうありたいと思うね。
あとなんか一部のコメでなんかエスカレートしてるのは気のせいかな。この記事は
>ここでいう過ちとは、日常における感じの不愉快なふるまいや非常識な行動、人の心を傷つけるような行為のことであり、凶悪犯罪はその範疇ではない。
って話だよ。
「目には目を」の世界では、皆が盲目になってしまう
これも確かガンディーの言葉じゃなかったっけ
何度も何度も許して許して、いつか分かり合えるはずと努力して、何年も何年も許し続けていくうちにいつしか憎しみに変わり、憎悪となる場合がある。…ありました、自分は。
相性の問題もあるだろうが、生き物がお互いに上手くやっていくにはトラブルや衝突を“許す” というだけでは足りないんだと思う。
“許す” 以外の何かが必要なんだ。
自分はそれが何なのか探しているところだ。
この考え、一歩間違えれば
共依存の受任&助長側の人になってしまうんじゃないかな?
例えば、アルコール依存症で害獣化しちゃってる人を
「お酒さえ飲まなければいい人なのにね」で、酒を飲む事情を斟酌して、
暴力を甘受し、酒代の搾取を容認するのでは、誰の為にもならない。
必要なのは、酒を飲む事情を知って、それを取り除く対応。
必要なのは、聖人ぶって迷惑行為を受忍することではなく、
その場の感情に任せて行為者の人格に怒りを向けることでもなく、
迷惑行為の原因を探る視点と、それを取り除いて解決する為の対応。
原因が、行為者の人格そのものなら、丸ごと切り捨てるしかなさそうだけど。
人は根本的に相容れないものなんだよな。
それだよ集団の力が発揮されないから仲良くするよう心がける。それが許し。
一見善良な心が成しえる事と思うが、実は効率重視だったりする。
浮気した男の奥さんが浮気相手を憎んだとして、浮気相手が「あの奥さんは弱いから私を許せないのよ」なんて言ってたら腹立つけどなw
すまんな、俺はハムラビ法典信奉者だ。
そして半沢直樹も大好きだ。
分かり合おうとするから苦しむんじゃないかと思ってる。
一緒に居るときは本気でムカついた人が、離れて数年経ったらどうでもよくなることもあるし、これからの自分の人生にさほど影響がないよなって時がある。
とりあえず自分に出来ることをやろうと心掛けてる。
私の身近にいるよ
「寛容な心を持とう、相手を許そう。許せる人は幸いなんだよ」という考えの人。でも、そうあろうとしている人だって、誰ひとり傷つけずには生きていけないよね
傷つけられた人間からすれば残酷な言葉だと思うわ……
その言葉、そうありたいという心がけは単純で美しいのに、いや~人間は複雑ですわ
「「目には目を」の世界では、皆が盲目になってしまう」ってたまに聞くけどそんなことないだろ。世界の人間すべてが目をつぶしてくるやつばっかりだったらそうなるけど。なんで無害な人間まで盲目になるんだよ?
経験上の話なんだけど、許すと楽になるという事はある。
それと同時に反省してもいない奴まで許してやる必要はないというのも学んだ。
屈辱的な事をしでかした奴を周りの人間が許してやれと言ったので許したら、舌の根が乾かないうちにまた相当失礼な物言いをした挙句、謝ってもいないのに「誠心誠意謝ったのに許してもらえない」と言いふらされたことが過去にあった。
寛容になる事は大切かもしれないが、相手にもよりけりなので無条件に寛容する必要ないという事なのかな。
※53
ハムラビ法典は「やられたことは同じ分(←ここ超重要!)だけやり返す」で過剰報復を防ぐための超平等主義やで。
半沢直樹の倍返しとか全然違うぞ。
良い事聞いた、明日から心がけるよ
どうもありがとう!
負の感情が強い人は、身に振りかかる幸せよりも不幸の絶対数が多すぎるからだろう。
不幸のフルボッコに合って倒れ伏した人間に、幸せなど見えんよ。
世の中には、信じられない程不運な人間や、不幸な人間が沢山いる事を覚えていた方が良い。
最早、許す許さない以前の問題だから。
分かり合えないのなら否が応でも分からせる。
性善説を重んじてたけどやっぱり性悪説が人の道だと最近やっと知った
弱くて結構、自分の家族も守れんアホにはなりたくない
自分は絶対許す事ができない。そいつが氏んでも許さない。そいつが生き地獄を味わえばいい。
年取ってくると、たいがいのことはどうでもよくなってくるものだと思っていたのだが、いまの60代を見てるとそうでもないみたいなので、個人差もあるのかもしれない。
自分自身の環境が厳しい時に、他人に不寛容になる傾向は誰にでもあると思う。今の日本がそこそこヒステリックなのは、つまるところあんまり全体的に幸せじゃないからじゃないですかね。
※65
うん、つまりそういう人を許容する事が許すという事なのでしょう
…難し過ぎぃ
俺は弱い。だから、生きるために自分に銃を向けた相手を許さない。
殺れる前に殺るぞ、俺は。
実際、憎むことも疲れるし、
「許したい」と思ってこういう事が書かれてる本とか読むと
なぜかさらに憎しみが増してくるという不思議
一行目からなんか違う。親しい人にされたことほど引きずってしまうわ。
相手が本当はいい人、隠された事情がある、等々の理由は置いといて、表面に出て来る言動は、その人の人生や人格の集大成。
許す許さないは別として、許容範囲を超える不快な人物と無理して付き合う義理はないんだよ。
どんなでも大抵は許してしまう情けなきイエスマンですが。許す方が何でも簡単だけれど。
通すべき正義がある時には戦わないと、いつま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜でも下がった分だけ詰めてくる種類の人間もいて、譲歩しただけ尊大さと優越感が増して行く人間もとても多い気がする。
殆どは皆大人の対応というやつでなあなあにして行くので、終わらない。
今ひっくり返し真っ最中。 自己愛性人格障害という奴を義務教育で教えてほしい。
自分以外の人間に厳しくするということは、結局自分が鑑にならなければならない。
常に周囲にたいして、突っ込まれないようにピリピリして生きなければならなくなる。
どこかで破綻するのは目に見えている。活力余裕がある時はそれに気づかない。そつなくこなせるから。
他人の不快な行為は、自分が弱り切ったときの行為だとおもい、自分がどういうように接してほしいかを
考えれば自ずとやさしくなったり、許さざるを得ないとおもいます。
ちゅうかガンジーって抵抗の手段に無抵抗
を選択しただけで抵抗はしてたよね
まあみなまで言わんが
自分は、逆は真なり。と思っている!
許す⇒許さない、許さない⇒許す、って!
その意味を、今、見出だしている。。。
寛容なのは、ユルユル(許す・許さない)
な関係❗だと思えばヨロシイ🎵
本当に、忘れる努力、、、できる筈⁉
必要なのは憎むでも許すでもなく、冷静な原因見極めと対処というのに賛成だな。憎み続けるのも苦しいけど、許さないと不寛容というレッテル貼りされてしまうことも苦しい。どうしたら本人が楽になれるかが大事なのなら、気の持ち様などという不安定なものに賭けるより、何か実効的な対処をしてみるほうが、現実の問題にも、しいては本人の気持ちにも強く効くと思う。憎むとか許すとかを考えることさえ不要と思えてくるくらいの、冷静な事態集中力を持ちたい。
ゆるします。でもわすれません。
第二次世界大戦時のドイツの行為に対するヨーロッパ諸国の姿勢だと聞いた。
いつまでも許さないでいると、実は傷が癒えないで立ち止まったままになる。アダルトチルドレンの考え方だね。許し、不幸をよりよくするため考え続けるしか未来はないと思う。よりよくするために冷静に忠告することもある。あとは本人の問題と課題の分離をするよ。アドラー心理学で習った。許し=受容ではないよ。
許さない!と息巻いてる人を見ると、砂漠の茶色いイナゴを連想してしまう。それだけ傷が深いのだろうが、利己的に見える。
許さない!許さない!
オレは犯罪者まで許せと考えるね。許すことは聖人ぶることなんかじゃない。倫理の問題なんかじゃないし、体裁の問題でもない。許すことにしか救いがないから、嫌な思いをさせた人間を許せと言っている。いつまでももたもたと心まで加害者に支配されるな、ということ。
問題のある人間を許すことが問題の助長になる、というのは完全に間違っている。許すことは個人の問題で、相手への配慮である必要はない。加害事実の処断は社会秩序の問題に属するのであって、この2つの問題を混同し、同列に論じるのは徹底的に間違っている。
朝鮮人をバカにしている人は多いが、ここを観る限り彼らと余り変わらない人が多いね。
負けてはいけない、絶対に許せない、、、感情に従って、どんどん憎悪が増えていき自分自身を失なってしまう。そこには理性なんて言う物はない!だから、感情に逆らって自分自身の弱味を晒けだすことで自分という自分を取り戻すことができるのではないのか?愛を取り戻せ🎵ではないが、弱味を晒けだすことができる人が、人生における勝者だと思う。
寛容は良い事だが無限ではない。
現実世界ではむしろ、寛容力の限界をむかえ破局的結果を招く以前に事態を把握し、より穏当な方向へコントロールする現実的な術を構築するほうが生きていくのに実用的だろうと思う。
許される事を望まない人も存在すると思うんだけど
内情を知ってても、同情できない人でなしはいる。
許してたら、損しかしない。
許さないままで、その人達の人間性を諦めることにしてる。それだけで自分は楽だ。
罪を憎んで人を憎まずって事かな。
良心の概念が通用しない人間性がまともじゃない人は、凶悪犯罪者じゃなくてもうじゃうじゃいるから、いちいち許してたら疲弊する。
十把一絡げに許すべきって言う人は、まわりの人に恵まれてるか、関わる人を自由に選べる人なんだろうな。
許すとか許さないって何なんだろうね、と社会に出てから疑問に思うようになった。
自分や身内のミスが取引先の業績のダメージに繋がる仕事柄、
ミスりました→客先で不具合が出ました→「ミスったのは○○が原因です。××をして再発を防止します」→「もう御社とは取引しません」と言われなければ御の字
という状況が多い。会社対会社であれば形式的なやりとりで済むけど、その件に関係する担当者同士の間では「あいつはあの時こういうミスをした」「その時自分はこういう不利益を被った」という確執が少なからず残る。その結果、「あいつが言ってる事には気をつけろ」という警戒が発生することになる。
お互いが相手を許せば済む問題だろうか?誰が何を許せば良いのだろうか?ちっぽけな自分には、とにかく自分と身内がミスを起こさない事に邁進するしかない。なんだか空しいのよね
許すか許さないかっていうのは、起きてしまった事に対してじゃなく、これから起こる事に対して向かう言葉だと思う。
故に、起きてしまった事象だけをみてただ単純にその責を問うのではなく
起きてしまった「理由」を知るべきなのではないか。そうすれば二度とその問題を起こさないためにどうするのかを考える事が出来る。事前に対処する事が出来る。被害者と加害者にとって一番良い事のはず
二度と同じことが起きる事は許さないが、起きてしまった事については許すというのが寛容さの正しき使い方ではないだろうか
ミスというのは信頼関係しかないもんな。
今まで構築したものを崩されるのだから、
それは疑心暗鬼になるのもわかる。
ここのコメントにもあった、
許します。でも、忘れません!っていう
コメントに、自分は、ハッとした。
そのほうが、お互いに緊張感を持って、
接することができるもんね!
ただ自分は、許しません。でも、忘れます!
なんだよね。こっちのほうが、楽でいいわ!
このほうが、お互いに楽だと思うよ(笑)
何のアドバイスにもならなくてスマン!
悪に抗するなかれ。相手の悪は直らないから、一々憤慨するのは時間の無駄ということだろうか?
悪に抗するなかれ。勿論のこと意味はわからないけど自分の心の奥深くにある悪を保て!という意味じゃないの?逆に言えば悪に染まるな。。。悪は言葉の通り必要悪とあるように必要なんだけどその自分の持っている数を保て!と。全部が全部、悪に染まっているわけではないのだから、拮抗したら良信を全面に出せば何か解決するのでは?これまた何のアドバイスにはなってないけど気持ちだけ何か解決できれば嬉しいです♪
一番の問題は許すのは簡単だが、鬼軍曹の上司は明日も明後日も鬼軍曹のままだと言うことじゃないのか? 今を許したところで明日も同じ繰り返しになるなら、根本的に解決していない上に増長した相手がますますろくでもないことしてくる可能性があってあんまり幸せな結果になるようには見えないよね
腹黒いマウンティングをしてきた人を可能な範囲で避けている。
そしたらある日泣きつかれた。
「私が何か悪いことをしたのか、なぜ避けられるのか分かりません」
自分の行いを客観的に意識出来ずにそう言えるなら、性根から腹黒いんだろう。
意識した行いのうえでそういう言葉を吐けるなら、計算高いんだろう。
どちらにしても地雷は踏みたくない。
許すということが地雷を踏むことと同じだったら、嫌だな。