この画像を大きなサイズで見るちなみに上記写真は1930年代初頭に撮影されたミッキーマウスクラブの集会の様子である。大人も子供も全員がミッキーマウスのマスクを被っているのが印象的だ。
ネット上ではこれまで見ることが難しかった様々な歴史上の貴重な写真をいつでも見ることができる。今回も印象的なシーンが撮影された写真を見ていくことにしよう。
1. 倒れた同胞を称えるためにロシア兵が国会議事堂に書いた落書き
(1945年 ドイツ・ベルリン)
この画像を大きなサイズで見る2. 1945年8月9日に長崎で落とされた原子爆弾「ファットマン」
この画像を大きなサイズで見るその先端には「JANCFU(連合軍・海軍・市民・全員ヤっちまえ)と書かれている。
3. 初代「エイリアン」
この画像を大きなサイズで見るナイジェリア出身2メートル13センチのボラジ・バデジョは一回だけ1978年にサイエンス・フィクション映画「エイリアン」で出演した人物だ。バデジョの長身に目をつけたキャスティングチームが当時デザイン学校で学んでいた彼をスカウトした。手足が長いので、現実離れしたエイリアンに適役だと考えられたそうだ。
4. コーサ・ノストラのボスの殺害現場
この画像を大きなサイズで見る1931年4月15日、コニーアイランドのレストランでトランプを遊んでいるところ殺害された犯罪組織コーサ・ノストラのボス、通称ジョー・ザ・ボスこと「ジョー・マッセリア」。彼は多数の殺人を請け負う殺し屋家業を営んでいた。
5. アメリカ初の黒人女性高校生
この画像を大きなサイズで見る1957年、シャルロット・ハリー・ハーディング高校の朝礼に出席するドロシー・カウント。彼女はアメリカで初めて正式な教育を受けようとした黒人の一人だが、この直後「彼女の安全を保障出来ない」という理由から彼女は退学せざるを得なくなった。
6. 女性の酒密売人
この画像を大きなサイズで見る1924年、「Bootlegger’s life preserver」にて違法にアルコールを販売したとして警察に逮捕された女性。当時アメリカは禁酒法が敷かれており、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止されていた。
7. ラシュモア山の岩盤に目が入れられる
この画像を大きなサイズで見る政府から委託されたガットスン・ボーグラムは400人の作業員とともに、標高1745メートルのラシュモア山の白い花崗岩の露頭に、1927年から1941年10月31日まで14年間をかけて、60フィート (18m) にも及ぶ巨大な胸像を彫った。彫られたのは、4人の大統領(ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルトとエイブラハム・リンカーン)である。 ラシュモア山の岩盤は非常に硬質で、彫刻作業は困難を極め、ダイナマイトで砕きながらの作業となった。
8. 1944年春、アウシュヴィッツに集められたハンガリー系ユダヤ人。
この画像を大きなサイズで見る9. 1899年、ニューヨークにてアメリカ海軍の船上でボクシングでの試合が行われた。
この画像を大きなサイズで見る10. 1972年7月、ミック・ジャガーの29歳の誕生日を祝う為に集まったボブ・ディランとキース・リチャーズ。
この画像を大きなサイズで見る11. 1884年、パリで建築中の自由の女神像
この画像を大きなサイズで見る12. 1931年7月28日、ベルリンで開かれた物理学会の最前列に座るロバート・ウィリアム・ウッド、マックス・プランクとアルベルト・アインシュタイン。
この画像を大きなサイズで見る13. イスラエル・テルアビブの土地の購入者たち
この画像を大きなサイズで見る1909年4月11日、およそ5万平方メートルの砂漠地帯を100等分にする為に集まった購入者の人々。今写っている場所は後のイスラエルの都市「テルアビブ」である。
14. 1852年、セントルイスで開かれる「奴隷売買」の為に足を運んだ農家の人々。
この画像を大きなサイズで見る15. 第一次世界大戦中バグパイプを持った兵が他の兵士を塹壕から誘導する。
この画像を大きなサイズで見る第一次世界大戦中、およそ1000人のパイプ吹きが亡くなった。彼らは撃ってくださいと言わんばかりの状況に身を置きながらもその役目を全うする兵士であった。
元パイプ吹きの「ハリー・ルナン」は終戦時まで生き残っていたパイプ吹きの一人で、彼はこう語っている:「私はその時々で頭に浮かんで来た曲を吹いていました。足元に気を付けなければ、曲を吹く事すらままならない状況でした。敵の攻撃は凄まじい物で、周りに立っていた仲間はバタバタと銃弾に倒れて行きました。私が生き残れたのは非常にラッキーだったように思います。また、私のパイプが仲間の心を癒す事が出来たのだろうと思っています。」
16. 1943年、USCGCスペンサーがドイツの潜水艦U-175に一撃を与える。
この画像を大きなサイズで見る17. 七年目の浮気
この画像を大きなサイズで見る1955年、「七年目の浮気」はニューヨークで撮影された。この写真はマリリン・モンローの有名なあのシーンを撮影している所だ。マリリン・モンローの元夫ジョー・ディマジオが撮影を見に来ていたがり、このシーンが原因でマリリン・モンローと大喧嘩になり、二人は離婚した。
18. 1934年、建設中のフーバーダムにコンクリートを流し込まれるところ。
この画像を大きなサイズで見る19. 1944年、瑞鶴の船員が沈没前に最後の万歳三唱をする。
この画像を大きなサイズで見る20. ユダヤ人医師エドゥアルド・ブロッホ
この画像を大きなサイズで見るユダヤ人医師エドゥアルド・ブロッホが1938年、ナチス軍のオフィスに座った時の写真。彼はアドルフ・ヒトラーから直々に「高名なユダヤ人」として賞賛され、安全を保障して貰い、ヒトラー一家の専属医師となった。
エドゥアルド・ブロッホはヒトラーがまだ幼かった頃から居た専属医師だ。ヒトラー家がまだ貧乏だった頃、幼きアドルフ・ヒトラーの母親の癌の治療に全身全霊を注ぎ、その為に必要な治療費を低額で提供した。ヒトラー家も彼を愛していたようで、ホロコーストが始まった頃、ヒトラーは直々にブロッホ医師と彼の妻の安全を確保し、国外へ逃げるように勧めた。ユダヤ人に差別的に思われるアドルフ・ヒトラーだが、ブロッホ医師が彼の母を救ったように、ヒトラーもまた彼を救いたかったのだ。二人の関係はその後も続き、クリスマスにヒトラーは彼の下に花束を贈ったという。
アンシュルスの際、ブロッホ医師はヒトラーに手紙を送り、ヒトラーはすぐさま秘密警察部門「ゲシュタポ」を彼の下に向かわせ、ブロッホ医師の安全を確認させに行ったという。














>ホロコーストが始まった頃、ヒトラーは直々にブロッホ医師と彼の妻の安全を確保し、国外へ逃げるように勧めた。
なんと卑怯な…
バグパイパーやばいな
4は♠のエースを持ってるのが作り物みたいにかっこいい
持たせたのかな?
瑞鶴の写真、非常に心を動かされた・・・・・・
なんかヒトラーの意外な一面を見た
単純な人ではなく歴史や時代に流された
狂気と絶望の人だったのかもね
2番、それのドコに正義があるのだ。
と問いたくなるな。
1は浦沢の漫画に出てきそう…
4のマッセリアを殺害したヒットマンの一人がラスベガスの街を作ったバグジー・シーゲルだっけ
1枚目
どう見ても国会議事堂の柱に落書きしてるだけにしか見えないのですが…
3枚目
のっぽだからという理由でマタンゴの中の人に選ばれた天本英世を思い出した
6枚目
こんなでっかいスキットル見たことねェ…
ボラジ・バデジョは当時のメイキング本で名前を知ったけど、これ以外には映画に出てなかったとは。本人にもいい記念になったろうな。
ミックジャガーがジェーンバーキンにしか見えない
本当にすごい写真ばかりでわろた
5の後ろで嘲笑してる奴らが腹立つ
5は黒人女性と白人双方の心が時代を越えて伝わってくる迫真の写真だ。
ラシュモア山の写真もネイティブアメリカンの聖地をワザとぶっ壊すことでネイティブアメリカンの心の支えを無くそうとしたものだった事を知るとアメリカもまた日本と違う国なんだと実感する。
ドロシー・カウントの決意を秘めた表情と、後ろの白人のアホ面の対比。
ドロシーちゃんはなぜこんなことを決意したのだろう。
最初の黒人は大柄で心身タフな少年に任せるべきだ。
アメリカ独立宣言
「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。」
76年後が14
181年後が5
5に似たケースでアーカンソー州のセントラルハイスクールという学校に初めて黒人学生が登校した時の写真も有名だよね。
白人学生が黒人少女を取り囲んで罵声を浴びせている。
約40年後に再開して和解することになるんだけど、白人学生はそれまでずっと「あの写真の人」と呼ばれて苦しんだとか。
本人にとっては若気の至りだったのかもしれないけど、自分のやったことは一生ついて回るんだよね、やっぱり。
こういう写真を見る度に行動・言動にはもれなく責任がついてくるって自分に言い聞かせてる。
5の写真はけして他人事じゃないよね。
白人黒人の差別はないかもしれないが「一人の人間をみんなで笑い物にする」ってのはよくある光景だし。
4のカードがプレイ中に襲われたにしても出来すぎてるんよね
カードに書かれたTally-hoってトランプのブランド名なんだけど
意味はハンターが獲物を見つけた時の掛け声
やっぱそういう含みも込めて後で襲撃者が持たせたんじゃないかと
瑞鶴ううううぅぅぅぅぅ!!!!
JANCFUと書かれた核には憤りを覚えるな
使うやつはクズだ
カチンの森虐殺があれば更に充実してたなぁ
7のラシュモア山、2回見にいきました。これ以上の加工は難しいってことで完成扱いにしたと説明されたのですが・・・作る前にもっと入念に調査しないのかよと当時思いました。あれはアメリカンな大らかさってトコなのかなー。近くにあるクレイジーホースはある意味永遠の未完成になりそうですが。
※30
笑っているだけだから嘲笑ともとれるし、歓迎の笑みともとれる。
しかし、当時の社会情勢と、ドロシー・カウント本人の表情、そして彼女の隣に誰も座っていないところなど見ると、憤りを禁じ得ないね。
※17
そらそうよ
そうやって捻じ曲げていく。
そう、Photoshopならね。
※17
でもこれ有名な話だからねえ
スペードのエースが不吉と言われるようになったのはこの出来事からだよ
マフィアもスペードのエースを嫌ったって聞くと、実際手にしてたんじゃないかなと思う
※19
ヒトラーと彼の姪のゲリ・ラウバルのエピソードなんかも調べてみるといい
ラシュモア山は正直、誇らしいモニュメントではないと思うのだが
掘られた4人には責任はないとはいえ
ブロッホ医師の治療は別に適切だった訳ではなくヒトラーの母親は結局死んでしまうんだが、ヒトラー本人はブロッホにその後も深く感謝し続けたんだな。もちろんこの件が原因で伍長閣下がユダヤ人を憎悪しはじめたわけではない。ヒトラーがなぜ、いつ、ユダヤ人を憎みはじめたのかは、今も分かっていない。
自由の女神ってフランス産だったんだ
20は自身の診察室でしょう。それから、少年時代のヒットレルは貧困とは無縁でした。お父ちゃんは結構な額の恩給もらってたし、その父親が亡くなった後も遺族年金受け取ってましたから。
5のドロシーカウントの背後で嘲笑する白人の誰一人として、
彼女の勇気と魂に追いつくことはできないだろう。
ファットマンの写真と文字、永続的に世界に拡散すべき。
※37
説明を読めば、嘲笑と解釈するほうが適当でしょうね。本人のコントロールできないところの性別や出自や肌の色などで差別はしたくないな。
一方、自分での努力を怠った結果に関しては、差別を容認するのだから、私は差別主義者なのだろうと思う。
>5. アメリカ初の黒人女性高校生
これは制度上白人と黒人の学校が統合されて、初めて白人の高校に
入った女性ではないですか?
ラシュモア山がある限り、アメリカに平等は訪れないよ
わざわざ硬い岩を、未完成のままにしておくあたり、
インディアンの心を砕きさえすればいいという
白人の性根の悪さと驕りを顕著に表している