この画像を大きなサイズで見る人間は他者の人間性を否定する生物である。これは人間が持つ本質の一部である。人は、他者の人間性を否定することが、自分を守ることにつながる信じているからだ。
イタリア、パルマ大学の認知神経科学者、ヴィットレオ.ガレッセ氏は、他人を否定するという行為は、言語が生み出した最も悪い副産物の一つであると語る。
以下のような話がある。
それまで仲良く共存してきた2つのコミュニティーがある日を境に対立をした。その理由は。金銭面に関する口論など、取るにたらないささいな事だったが、両者の亀裂は次第に大きくなるった。ついには互いを疑い、敵意を感じるようになり、最終的に攻撃的となった。そう、これはハッピーエンドのお話ではない。
このような衝突は、互いの”人間性の否定”(例えば害虫や疫病のように人を扱う)という言葉で説明できる。さらにこれが悪化すると、シリアでの内戦のように、人はどんどん暴力的となり、殺人すらいとわなくなる。人間が理性を失った衝突は、突き詰めると”他者の人間性の否定”が原因である。
この画像を大きなサイズで見るしかし、単にそのような衝突を「野蛮な事件」だと片づけてしまうのは正しい理解ではない。人は他人を「不完全」なものとしてみる傾向があり、それは誰の中にでも深く根付いているという事を考慮しなければならない。
私たちは人の外見や住んでいる場所、思想、宗教の違いなどで自分の周りにいる人々を分類し、自身の考えと違うもの、同じグループに属さないものの人間性を否定する傾向がある。生物の本質から遠くかけ離れているこの傾向は、人間特有のものなのかもしれない。
この画像を大きなサイズで見る「人間以外の生物が同種同士で否定することはない」。認知神経科学者ヴィットレオ・ガレッセ氏は”ヒューマン・マインド・プロジェクト(the Human Mind Project )」の立ち上げの際にそう述べた。また彼は「他者の人間性を否定する傾向は”言語が生み出した最も悪い副産物の一つ”であろう」と結論付けた。
「我々がもし、自分を守る為に人を否定するならそれは間違っている。このような人間の本質の一部を無視するのではなく、理解しようとしなければならない。それを理解しようとすることで、相手に対して、これまでとは違う行動が生まれるのである。」ガレッセ氏はそう続ける。
「仕返し」ではなく「和解」という選択しすることで、自分たちが属するグループも、より寛容なものとなる。人間性を否定する人々から自らを守る最も良い手段は、人間性の否定について「認識」し、「共有」について「よく知る」ということなのである。
















>人は、他者の人間性を否定することが、自分を守ることにつながる信じているからだ。
古代から多くの指導者が言ってるオカルト好きには馴染みのある考えだわ
個人の儲けの為に、この「他者の人間性の違いの否定」を利用して対立を煽る奴が一番厄介なんだよ。
難しいことに、いがみ合うほどの憎しみが本来孤独であるはずの自我に「我々」という仲間意識をもたらすので、皆無意識のうちにそれに依存してしまうんですよね。
新興宗教とか右とか左の人とはコミュニケーション取れないのかなって思っちゃう。
理解することも大切だけど難しいだろうね。
※4 記事の内容を体現するかのような見事なコメントですね
ヒキガエルを二匹飼っている。
ヒキガエルなりに仲がいい。
なんとなく寄り添ってじっとしていたり
たまに片方がもう一方を踏んづけ加減になっているときもあるが
踏まれた方も怒るでもなく、苦しくなったら身を避けるだけだ。
見ていてほっとする。
ただ残念ながら、人間(自分のことだ)が触ろうとすると全力拒否なんだが…
どういう実験や知見から導いたんだろう?
キリスト教世界の人間の常で、バベルの塔の逸話から”言語が生み出した最も悪い副産物の一つ”とか
発想につながってるって事は無いだろうか。
”人間性の否定”はむしろ、普段は”人間性”を認めてるからこそ引き起こされるのではないだろうか。
”人間性”が存在しなければ”人間性の否定”もないだろう。
敵を作るのは簡単だけど、友達を作るのは難しいもんな
俺もすごく仲が良かった人と喧嘩別れしたことが1~2回ある
本当に些細なことだったんだけどね…
要するに、「自分アゲ」する一番簡単な方法が「他人サゲ」なんだよね…。
自分と違うグループを攻撃するのは、縄張り争いでもある。だから女を叩いたり、中韓を叩いたりする。
こういう排他的な攻撃性ってストレスが高まると出てくる。
古代ローマ人は「犬を良い番犬にしたければ短い鎖に繋ぎっぱなしにしとけ」って書いてる。第二次世界大戦前のドイツが外国人排斥に走ったのも、莫大な賠償金で苦しかったことと無縁じゃない。
そしてたぶん、今の日本含むアジア諸国も。
生物は他と自を比較した際に、自が損をしていると認識した場合に怒るわけで
格差を解消せずには和解は成立しないわけで
人かどうか、人間性うんぬんは他者の否定と和解には関係ないわけで
他者の人間性を無視できる環境を作らなければいいだけです、はい
米9
上一文には同意したが、日本を含むアジアが誰を下げてるって?
前の記事と正反対の内容だね。
※10
色々要素が抜け落ちてるよ。
ミルグラムの実験やスタンフォード監獄実験と並んで
人間がいかに感情や本能に流されやすいかという例ですね
理性や愛情に期待したい
類人猿だと、暴力的なボスを群れの構成員全体で排斥するって行動が希にあるんだが、それは「同種同士で否定すること」ではないのかねぇ
ぶっちゃけ、人を肯定して受け入れるより、否定して拒絶する方が楽だし、そっちを選択する人間の方が非常に多いよね
自分が正しいと思っている程度には相手も正しく、相手が間違っていると思う程度には自分も間違ってるものだけど、頭でそう考えてても自分と反対の意見の人間とぶつかると否定的な感情が湧いてくるしねぇ
本能的に人間性を否定する人間は本能的に受け付けない人間性の人間もいると思う。
人間だもの。
人間は本質的な部分で他者を嫌悪する。
例えば自分の母親でさえ、いざ結婚し家庭を持つことになると「お荷物」だと考える人も居る。
それは別に悪いことではなくて、自分には先ず今やるべき事があるのだから、口論をした訳で無くとも都会などに出て一度出て疎遠になってしまうと、どうしても取り返しが付きにくい。
この場合嫌悪というのは言い過ぎで間違っているかもしれない。
だが母親に限った事ではなく、人間誰しも自分が一番可愛いのは周知であろう。
だからガレッセ氏の言う「他者の人間性を否定する傾向は”言語が生み出した最も悪い副産物の一つ”であろう」というのは間違っている気がする。
言葉は確かに嫌悪を助長するものではあるが、根本的なものではない。
僕ら人間が他者を嫌いとするのは、単純に脳が高度に発達しているからだ。
詰まり、僕らは他者と自分を比べることが出来る。
他人の顔をとって見ても、性格を見てみても、その自分との対比性を秤に掛けて、優劣を決めようとする。こんな高度な事が出来るのは恐らく人間だけであろう。
言葉を使役し意思を疎通するにも高度な知能な必要とされるから、
恐らくそこで勘違いしてしまったのではないかと思う。
あくまで自説だけどね。。。
なんか2番めの画像で懐かしのflash、hattenを思い出したわ。
ヴィットレオ•ガレッセ氏の「•」が伏せ字に見えて仕方ない
原発派、反原発派しかり
9条改憲派、9条護憲派しかり
お互いを否定するだけの議論はうんざり
何人もの人達がこの内容を見て行動できるだろうか。
みんなが笑ってすごせたらいいな。
「人間以外の生物が同種同士で否定することはない」
わからんね。野良猫の縄張り争いとかは何なの?
生存本能に基づいてるものだからって言うなら人間が金銭問題で争うのだって生存本能に基づいてる
つまり、左翼より右翼のほうが生物としては自然。
しかし人には理性がある。本能のままに生きていたらそれは・・・
こないだの手の指が無いかわいい女の子が訴えていたのと真逆の話ですなぁ。
と思ったらオチは似たような話でした。
その本能を抑えつけようってのが我々文明人な訳ですよ
嫌いな人が出来ると自分の中で敵に設定して徹底的に嫌う傾向が自分にあるな···
その人と会うことがなくなると今度は別の敵を知らないうちに探してる。その繰り返しで一時期すごい悩んでいたけど人間の本能だったのか···
そのかわり特定の集団や人種に対する差別はあまりしないのが救いなのかもしれないけど···
人間だからとか言葉がどうとかあんま関係ない気がするな。
可愛がってた犬が、新しく生まれた赤ちゃんに攻撃的になる事件を前に見かけたことあるけど、これって犬が赤ちゃんのことを下に見たからだったはず。
動物の縄張りとかボスの交代とか見て、ある程度知能のある動物ならどれにでも起こりうることなんじゃないのかな。
理性は脳の一部しかコントロールいてないと思うよ。
怒りや不安で簡単に理性は放棄されるし、自分が信じている
価値観を共有する共同体の外側の人間は、基本的に理解しが
たい魔物に見えているわけだ。
世界宗教は、不安な他者とよい関係をつくる様々な知恵を
提供しているわけだけど、それでも人間のエゴや動物的本能が
消えるわけではないので難しい問題なんだね。
理性だけではなく、子どもの頃から異質な他者と関わり人間性を
育ててゆくような仕組みを作らないといけないんだろうなぁ。
生まれてこのかた他人を肯定する人を見た事がない
自分にとって好都合な人間を肯定する人はいても
心から他人を肯定する人には決してお目にかかれない
自らにとって損か得かだけが人の興味の全てであり
それが図らずも人という存在の限界を明瞭に示している
国ごとに主権が存在し対等であるという大原則は実は人の本質に則していて、
日常的には最も争いを制御できる形態だと思う。
国民国家の概念が薄れ、国家に帰属意識のない人が増えた国は実際危機迫っている。
国家という枠が人にとって大きすぎず小さすぎず最適なのでは?
(アフリ力の恣意的な国境は別。)
よくいるだろ?口癖のように「それは違う」とか「でもそれって違うんじゃない?」とかいう人。「肯定」ではなく、必ず「否定」から入る人
それと皆大好きブラック企業も「人間性の否定」を使ってるね。
大学で一年のときは互いに嫌い合っていた相手と、気がついてみたら卒業時にはとても親しい友人になっていた。自分にとっては、最初嫌いだった人間を後から好意的に見る、というのはそれが初めてだった。
それ以降は、反りの合わない相手でも、「誰から見ても嫌な奴」ではなく、たまたま自分とだけ今仲が悪い状態なのではないか、と一回は考えるようになった。
自分がそういう性格なんだね。日本人には当てはまらない
アメリカの白人至上主義者達が行進する様子を取材した新聞記事の中に
「行進に参加してる人へのインタビュー後、相手が記者に何人か尋ねてきて
日本人だと答えたら「日本人かお前らもがんばれよ」と言って列に戻って行った」
という文に清々しく驚いたことがあった
主張には主張で十分で否定や非難はやり過ぎなんだろうな
この現象の一番身近なものが「いじめ」なんだろうな。
まずは自分を鑑みようと思ったんだが、これも無意識に他人を否定しているのかもね。
他人に対して否定的・攻撃的な人は、自分自身のことを嫌っていることが多い。
なんでも差別に結び付けて被害者ぶる人は、
自分の問題点から目をそらす癖がついていて努力嫌いでコンプレックスの塊。
あと、狭い場所に多くの個体を閉じ込めると
どんな動物でも互いに攻撃的になる。
>30
早い話、カラパイアのコメでもアート作者への賞賛とかあるじゃないかね。(逆もあるけど)
若くて自分の能力にプライドがあると、他人を認めたくないって思うことはあるかも知らんけど…自分は今や、自分にない能力を持った若い人を見るのが楽しくてしょうがないね。
だってしょうがないじゃない・・・・人間だもの
byみつお
凄え便利だよな「人間だもの」って台詞。
人類史上最高の免罪符なんじゃないかと、今更ながらに発起人である某みつお氏を心底尊敬するわwww
何をしでかしても「人間だもの」の一言で罪を免れられるんだからね!
研究と書いてあるのに、
どのような研究(実験や観察)をしたのか、
どのような結果が出たのか、
それを元にどのような科学的推論を行ったのか、
さっぱりわからない
残念
どんな親友との旅行でも、魚か?肉か?と問われて意見が割れれば食の好みの不完全が生まれる。
それで喧嘩にはならないけど、赤の他人との宗教不一致なんかだとしたら極論、戦争だよね。
たまに生きてんのすげーつまんなくなる。
yahooコメントなんかみたら、人間性を否定するコメントがあふれかえってるもんなあ。
ここのコメ欄でも「そういう意見もあるよね」って思えず、ひたすらマイナスをクリックして回る人がいるよね。それって他人にマイナスつけてるんじゃなくて、異なる意見を認められない自分にクリックしてるのと等価だからね。よく考えてみて。自分の行動の本質的な意味について。
※42に同意。
記事が言ってることはわかるが具体性がなくて物足りない。
例えば違う思想を持つ人間を虫けらだと思ってるヤツ…現状のISIL、イスラム国がそうだろうけど、あれを理解する気にはなれないよ。
組織に入ろうとする人が減るように、ムスリムに対し偏見や差別をなくそう、彼らへの理解を深めようってのはわかるけど。
人類みな罪びと
基本的に「身内だけに愛情を注いでそれ以外には冷酷な仕打ち
をする」タイプのやつが嫌いで、組織に属するのもイヤなんだけど、
精神的にどこにも属していないと今度は他者全部を否定しだすと
いう危険性が出てくるね。すると自意識が過剰に発達してくる。
他の誰かを受け容れると、自意識もおとなしくなる。
孤立したまま、他者をだれでも差別無く受け容れる、ってほんと難しいわ。
少なくとも、自分たちを他の生物と比較して、自分たちは悪であると思うのは人間だけだろうな。それも、自分アゲの一種なのかね?
ってことは理性を司る大脳新皮質が発達してない奴ほど他人否定するんだな。
つまり進化してない奴ら。
マスコミや政治家に多いよな。
人間にむかって「人でなし」って言うし
「非国民」ってのは同じ国の人に言う言葉だものねー
きっと人間は想像以上に非道で存外に悪くはない
振れ幅が大きいんだな
しかし他者の寛容につけ込む輩ってのが実際いるからなー
私と貴方は区別できるが切り離せないを体験する必要がある。
この体験があって神や阿羅漢への道がはじまる。
つまり、ここでコメしている多くのひとは、5眼を清くして6神通を得たりの小乗仏教に無縁の人だろう。
成人でやたら人を否定する奴はおっさんボーヤだと思っている、認めてやると子供のように喜んだり調子に乗ったりするじゃん、自分はすごいんだアピールって感じ、たちが悪いのが二人だと普通なのにグループだと特定の人をいじったり否定しだす奴で自分はそいつよりすごいんだアピールが始まる、たぶん生物学的に否定的な奴は固体として弱い奴の特徴なのだろうな、居酒屋の狭い部屋の人間関係の鉄格子の外で吠えまくってる犬だ
>>54良く分かる。
自分を大きく見せようとする人間は子供だよ。プライドが高くて自分が1番じゃないと駄目だからなぁ・・・。人を見下して優越感に浸るという。今の会社少人数で、そういう人が居るから大変なんだよね。良い所もあるからそっちを見るように努力してるけど、どうしても悪い面に目がいってしまう。あぁ俺器小さいわ。
>55
腹に据えかねるなら一回ビシッと言うという選択もあるよ。
良いところは良いところで認めているということも一緒に伝えながら、もっとこうしてもらえればみんなもっといいムードで働けると。
ただ、いいおっさんになってしまってからだと自分の行動を意識して変えられる人がどの程度いるのか気になるが。
対話を重視することは良いけど、武力を否定しては駄目だな
殴り合うと痛い目を見るぞという事を解らせないと対話すらしない連中もいる
最終的に対話に持ち込む意思は必要だが過程で殴り合いを恐れる必要は無い
一番の悪手は殴りあいじゃなく殺し合いになることだけどな
永遠に対話への道を閉ざす事になるから
「人間以外の生物が同種同士で否定することはない」
既出だけどやっぱり上の文句には同意できないな。
自分以外の人間と群れを作るときに、共通項を探して「だから仲間なんだ」「お互い尊重するべきなんだ」っていうことをやるけど、これ自体危ういんだよね
裏返せば、共通項を持たないものは弾くっていうことだから
世相が混乱してくると、大衆は強い力を持ったリーダーを求めて流れがちだっていうことはよく言われる
でも、リーダーの下に集まるって、単位として数えられるようなグループを作るっていうことは、やっぱり自分たちを他の人たちと区別するっていうことなんだよね
理解しあう、尊重しあうっていうことは、結局は究極の個人主義で、どの人もみんな一人であるっていうところに立ち返らないと実現できないのかもしれない
>>56
そういういじけた奴が社長だったりするから
中小企業は大変ですw
他人を中傷し偽物の優越感にひたる事で
アイディンティを維持しようとする
苛めや人種差別、果ては虐待の問題も総ては
この感情から来てると思う、
悪い部分も歩けど良い部分も有る光と闇だな
9だけなんで誇張されてんの?
とはいえ、殺しに来てる相手に対して寛容だの和解だの相互理解だの話し合いだのは意味をなさない
誰とは言わんが、何もしてない相手がある日突然憎しみを向けてきたりするしな
差別の本質のすごくわかりやすい説明だね
じゃあどうすればいいのか、と思ったら、※60が示してくれてた(笑)
”どの人もみんな一人であるというところに立ち返る”っていいなぁ
他サイトの記事で読んだ”初対面の人に会うときは、その人のことを何ひとつ知らないことを念頭に入れよ。人種、性別、年齢、すべて忘れて何も知らないところから始める。”が具体的な行動指針かな
※60
すごく納得した。
詰まるところ、自分の意見が一番正しいと思っちゃうんだよね
なんちゅうかいかにもキリスト教的な思考だな。そこまで排他的じゃあないだろうに。
黒人も白人も黄色の人も、こころの中の「のっぺらぼう」は白いんだぜ。
「でくのぼう」と呼ばれたいと言った宮沢賢治は善人だろ。
これらの人は利他行をするんだぜ。付け加えれば現在は人種は存在しないが定説だね。
これはよく分かる。
だから「理性」があるんだろ?
理性のおかげで「こんな余計なこと」も考えるようになっちゃったけどさw
宗教戦争みたいな大きいことから、身近な趣味、仕事、性的指向の違いとかそういうとっても些細なことでも人間はいがみ合っている。
それに最近は、SNSという媒体が「見せびらかす」場を与えたというのもあって、相手を不完全なものに見るという傾向プラス自らの自尊心も絡んでとても、難しいものになっていると感じる。
非言語コミュニケーションで
他者を否定することはある
動物でも同種でも争いも否定もある
違う群れだとか個体の差異で排除や攻撃することもある
言語を根拠に人間だけの特別な特性として扱うのは間違ってると思うし
言語があるからお互いに理解したり和解したり共通点を見いだすことができる場合もあるわけで
(申し訳ない途中で送信してしまった) 人間も動物も非言語コミュニケーションで
争いも和解もすることがあるから
あくまで言語はツールの1つのにすぎない気がする
問題となる可能性が存在するにも関わらず、
それを指摘されても直そうともしない奴は否定されても仕方がない。
他人と関わる以上、他人への配慮はある程度自主的に行うべきだし、
それを理論的に指摘されても直そうとしないものは軽蔑されても仕方がない。
また、指摘してもその問題を直さないものからは、迷わず離れていくべきだ。
何時か相手が嫌な部分を直してくれると言った甘い展望は持たない方が良い。
相手から完全に離れた時が、その何時かになる可能性はある。
俺は人間である以前に俺だ
生物である以前に俺だ
世界の生物は俺とそれ以外に分けられる