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5000年前の中東のストーンヘンジ「幽霊の輪」は天文台ではなかった、深まる謎

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(著) (編集)

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DOI10.3390/rs16224239
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 シリア南西端のゴラン高原に位置するルジム・エル・ヒリ遺跡は、「中東のストーンヘンジ」や「幽霊の車輪」とも呼ばれる、円形の巨石構造だ。

約5000年前に建設されたとされるこの遺跡は、長年にわたり古代の天文観測所として利用されていたと考えられてきた。しかし、最新の研究がその定説を覆した。

イスラエルのテルアビブ大学とベン=グリオン大学の研究チームが最新技術を駆使して調査を行った結果、この遺跡が地殻運動の影響で元の位置から数十メートルも移動していたことが判明。

 当時の天体の動きとの整合性が取れないことが明らかになり、「天文台説」は否定される形となった。

 では一体何のために作られたのだろう?ますます謎は深まるばかりだ。

中東のストーンサークル、ルジム・エル・ヒリ遺跡とは?

 ルジム・エル・ヒリ遺跡は、現在イスラエルが実効支配しているゴラン高原の中央部の中央にある、紀元前3000~2700年頃に作られた巨石構造だ。

 使用された玄武岩の総量は4万2000個以上に及び、壁の高さは最大で約2.4m。

 遺跡の中心には高さ4.6mの石塚があり、その周囲を囲むように石造りの環状構造が築かれている。一番外側の輪の直径は160mもある。

 「中東のストーンヘンジ」、「幽霊の車輪」と呼ばれることもあるが、遺跡の名称「ルジム・エル・ヒリ」は「ヤマネコの石塚」という意味だ。

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中東のストーンサークル、ルジム・エル・ヒリ遺跡 image credit:Bukvoed、Wikimedia Commons

地殻変動が遺跡の位置を移動させていた

 今回の研究では、地球物理学的手法とリモートセンシング技術を駆使して、遺跡周辺30kmの範囲を詳細に調査した。

 その結果、この地域の地表は、地殻変動により、過去1億5千万年にわたり年8~15mmの速度で動き、何千年もの間に回転しながら移動していることがわかったのだ。

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DOI10.3390/rs16224239

 そのうえで、紀元前2500~3500年頃の天体図を計算し、夏至・春分・秋分における天体の位置とルジム・エル・ヒリ遺跡の配置とを比べてみると、当時の遺跡の入り口や壁の位置は、そうした天体とまったく一致しないことが判明した。

 これまでルジム・エル・ヒリ遺跡は古代の天文台だったとされてきたが、今回の発見により、遺跡が星々に関連づけられているという従来の説は、否定されることとなる。

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a) ルジム・エル・ヒリ遺跡の位置 b) 上空から見た遺跡の姿 c) ゴラン高原に流れるガリラヤ湖を基準とした周辺地域の距離と高度 DOI10.3390/rs16224239

天文観測所じゃないないならいったい何なのか?

 この研究は、はルジム・エル・ヒリ遺跡周辺の考古学的な地形や遺跡を詳細に調査し、それを一つの地図として初めて包括的にまとめたものだ。

 その結果、直径40〜90mの円形構造や分厚い壁、直径約20mの円形の囲いなど、特徴的な地形が確認された。

 これらの構造は農業や放牧に利用されていた可能性があると考えられている。

 また、この地域では数十基の墳丘(埋葬塚)も発見され、その中には埋葬の目的だけでなく、倉庫や避難所、住居として使われていたと考えられるものもある。

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ルジム・エル・ヒリの墳丘 Ani Nimi/WIKI commons CC BY-SA 3.0

 天文台ではないとするならば、この遺跡はいったい何に使用されていたのか?

  約4000年前、地中海のクレタ島で似たような円形構造物が発見されている。「ミノア文明」の儀式で使われた施設なのではと推測されているが、もしかしたらルジム・エル・ヒリ遺跡も儀式的な目的で使用された可能性もある。

 いずれにせよ、この遺跡の本来の用途はまだわかっていない。当時周辺で暮らしていた古代人の生活とのかかわりも含め、残る謎は今後の研究が解き明かしてくれるだろう。

 この研究は『Remote Sensing』(2024年11月14日付)に掲載された。

References: Study reveals Rujm el-Hiri's ancient observatory role unlikely / Israel’s Stonehenge Is Not an Astronomical Observatory, Researchers Say | Ancient Origins

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この記事へのコメント 21件

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  1. 宗教的儀式に使われていたとしたら、その宗教はユダヤ教じゃなさそうだな

    • +3
  2. 普通に城跡に見えるのだが ?
    「田中城」で画像検索すると似たようなものが出てくるよ

    • +1
  3. 上空からの構造を見る限りでは城や砦の縄張りに見えなくもない。
    それも虎口や馬出を備えた構造的に戦用の施設な感じがする。

    • +4
  4. こういう正体不明の遺跡にはロマン感じるんだけど
    場所がよりによってゴラン高原では腰を据えた研究も難しそうよね・・・

    • +11
  5. 数千年かけて地殻変動で移動した位置が偶然天体の配置と一致していたということのほうが驚きなんだが

    • +11
    1. 人間ってのは偶然をこじつけるのが得意な生き物だからね

      • 評価
  6. これは初めからこういう形で組まれていたのか、もっと高く野積されていたのが時間とともに崩壊してこういう形になったのか・・・
    後者なら、これは城だろう。使用されていた杭や屋根などの木材はこの場所の特性上、持ち去られて再利用されたのだと思う。
    前に、土壁で作られた円形の謎のユダヤ遺構の記事があったけど、Googleマップでみたら近くの集落が全く同じ作りで似たような建物がたくさんあって「謎でも何でないやん、普通に住居やん」って思ったこともあったんだよね。

    • +4
    1. クサール・ドラアのことなら単なる住居にしては不便で無駄な二重三重構造、そもそも出入りがしにくい、窓も極端に少ない、内壁の上部には胸壁を備え外周にも城の構造のような出っ張りがあるなどことからその記事の中でも防衛施設だった説が有力視されているのを読みましたか?
      「普通に住居」ではありませんよ。
      あれが謎なのは「誰が建てて使ってたのか由来が不明(建築当時の情勢的にユダヤ人の可能性が一番高いが決定的証拠が無い)」な部分です。

      • +2
  7. 城塞ってのが一番しっくり来るかな
    少なくとも農耕や牧畜の為の施設には見えない

    • +2
  8. 他の人も言ってるけど防塁や砦の跡に見えるな
    砦にしては中心部分が狭いとか?

    • +2
  9. 神殿が砦も兼ねるというのは古今東西よくある。クナクサの戦いの後では放浪するギリシア傭兵から身を守るために近隣住民がジッグラトの遺跡に避難したりしていた。

    • +3
  10. あれを~ ゴランと~ 指差すかたにぃ~~♪

    • -4
  11. これがなんなのか判明すると困る国がありそう

    • -5
  12. 「山猫の石塚」
    きっとペットの山猫のお家だよ
    周りのグルグルは遊び場
    偉い人は贅沢で困るねえ
    もしかしたら山猫を神聖なものとする部族だったのかも知れない

    • -2
  13. 古代の天文台としても、たぶん規模が大きすぎるだろう

    • +1
  14. 迷宮に見える。

    中心に何が祀られてたかは全く想像できないんだけど、普通は祟神とか黄泉の入口とかそんなの。何かを分断・隔離していたか?

    妄想するなら、キプロスを経由してミノア文明と関わりがあるか?ミノタウロスのラビリンスに影響を受けたか、影響を与えたのか?

    • +2
  15. (°д°;)こんな遺跡がある事自体知らんかったわ。でもまっ先に天文観測用とかだと思うよね。大体この手の遺跡はそういう機能があるし・・・・宗教施設が一番濃厚なのかな、または何らかの「城」として作られたのか。

    • +2
  16. 周りに何にも遮蔽がないとこういう家になるのかもしれないね

    • 評価

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