この画像を大きなサイズで見る科学がそれほど発達していなかった中世の時代、迷信や、説明のつかない不思議な現象を信じる人が数多く存在した。
中世の年代記、奇跡の物語、ロマンス文学に出てくるそんな超自然(スーパーナチュラル)の多くは現代でもまだ生き続けている。
幽霊、狼男、悪魔、吸血鬼、妖精、魔女など、現代なら架空のものだとわかるが、中世の人たちの多くは本気で信じていただろう。
キリスト教の神学者たちは超自然の存在を認め、「堕天使」として分類した。
彼らにとっての堕天使とは、神と絶え間なく対立を続ける者どもであり、人間の世界をもその戦いの場とみなす存在だった。
また、強大な力を持つ堕天使は変幻自在で、異教の神々の姿で現れることがあるかと思えば、罪人の魂を奪うときやキリスト教指導者に負けたときに怪物のような姿になるとされていた。
ここでは中世の人が信じていた、超自然的存在を見ていくことにしよう。
エルフ、妖精、セイレーン
中世の人々が信じていたエルフはあまり力のない小さな超自然の生き物で、トールキンが描いたエルフほどの力はもっていない。
物語によって悪魔と手を結んだり、妖精とごちゃまぜに扱われしたりしている。
妖精は最初にフランス語で記述され、エルフよりも人間に近い姿をしていて、のちに翼を持つようになった。
男性を誘惑し危険に陥れる妖精でもっとも有名なのはメリュジーヌだろう。
半人半蛇で、人間の男性と結婚したが、土曜日だけは下半身が蛇の姿になる。土曜日だけは来ないでと夫に約束させたが、その誓いを破られて姿を見られてしまい、夫と永遠に縁を切ってしまう。
この画像を大きなサイズで見るこの物語に触れた中世の人たちが本当に妖精の存在を信じていたかどうかはわからないが、中世では妖精は今よりも現実的だと考えられていた可能性は高い。
超自然的存在の拉致と奇跡
中世の人々にとって、エルフ、妖精、セイレーン(ギリシャ神話に登場する海の怪物)は事実とフィクションの間の曖昧な領域にいる存在だった。
なにも知らない人間、とくに女性を拉致して、奇妙で恐ろしい場所に連れて行く謎の存在も似たようなものかもしれない。
こうした体験を報告した人たちは幻想だと非難されても、現実だと信じていた。
中世の文献には上空高く連れ去られるシーンが繰り返し登場する。魔女が動物の背に乗って空を飛ぶ話もそのひとつだ。
こうした拉致話は現代のエイリアン(宇宙人)の拉致話と同じ発想なのかもしれない。
妖精による誘拐話は妄想として片づけられていたが、聖人の奇跡や自然の驚異は真実として受け入れられていた。奇跡は神の力を明確に示すものだった。
この画像を大きなサイズで見る1120~1150年頃のバートン修道院長ジェフリーの著作『聖モドウェンナの生涯と奇跡』には、死んで埋葬された者が墓からよみがえり、恐ろしい動物に変身して村に死をもたらしたという衝撃的な話が掲載されている。
この画像を大きなサイズで見る自然の驚異は神の創造の一部
中世において自然の驚異は、神の創造の一部として受け入れられているが、科学的には説明のつかないもののことだ。
ドラゴン、ユニコーン、バジリスクなど動物寓話集(中世の実在動物と神話上の動物の百科事典)に掲載されている生き物の多くが当てはまる。
現代でもドラゴンやユニコーンは人気のキャラクターだ。バシリスクは有毒で、そのにおい、炎のような息、さらには視線で相手を殺してしまうという。ローマの哲学者で植物学者のプリニウスの『博物誌』(紀元77年頃)にも出てくる。
この画像を大きなサイズで見る地球のさまざまな地域には、司祭で歴史家のウェールズのジェラルドの『アイルランドの歴史と地誌』(1185~88年)に記録されている自然の驚異がある。
この中には、生物のメスはすぐに死んでしまうなど、あらゆるものが不自然な死ばかりを遂げる奇妙な島の話や、聖ナタリス(アイルランドの修道士で聖人)の力によって定期的にオオカミになってしまう奇妙な生き物や人間の話が出てくる。
中世の人々が信じていたさまざまな超自然の存在や現象は、今日ではフィクションとしてとらえられるが、こうした多様性への興味は衰えることなく、昔も今も変わらない人間の想像力の豊かさを十分に感じさせてくれる。
References: The supernatural beliefs of medieval people – from elves and fairies to abductions and the undead
















妖精だけはいると思うんだよな…
そんな中世人もゾウなんて馬鹿馬鹿しいものは信じなかった
定番のネタだけれども、ゴリラも実在が確認されたのは比較的近代なんよんな。
今では当たり前の様に存在するけど、当時は完全にUMA扱いだったみたいね。
だから発見の歴史は面白い。
象の頭蓋骨からサイクロプスを想像したという説はある
今でも進化論に納得せず地球は6000年前に神が創造したとか、地球は平面で天動説が正しいと信じる人が結構な数いるらしい。特に進化論は聖書と矛盾するので一流の科学者の中にすら理性では理解できるが感情的には受け入れがたいという人が居る。
全然矛盾しないのに納得しない人がいるのが不思議だよね。
聖書は人間が都合よく改ざんしてる可能性があるし、神が存在してたとしても全部自分で作ったとは限らないわけで。
いると思うとか、いないと思うとか、考え方、思考の問題ではないだろ、え?これは観察観測できるか、人間の感知能力の問題。不可視世界を観測できる科学検知装置がない以上、その種の内的能力を自己開発・切磋琢磨して、思考を静止させ、心マインドを刹那的な「空」、止水明鏡の状態にできるかによる。
他人の転生話をいくら取材しても、自分で自己転生の記憶を回復できなければ、いつまで経っても、転生教義など、考え方の領域を出ないで終わる。
いくら考え思っても正解には至らない。すべきは、逆。一切の思考感情を絶対静止させ、心を完全な水鏡にすれば、そこにあなたの本質からの真理が瞬時に映し出される。「あなたの本質は考え思わないし、考え思ったこともない。初めから、すべてを完全に知っているだけ。」本質へのアクセスは、空マインドに至った瞬間、訪れる。達磨大師の面壁9年の極意。わかるか?
至極当然で鋭い指摘に、嫉妬する者は多い。単なる精進努力不足なのに、誰かの抜きん出た内的能力を激しく妬む。その種の人間が鋭い知的感性を基礎とする、正解認識には、決して至ることはないだろう。特異体験でも偶然に授かるまで永遠にムリだろう。
ピクト族のように「妖精や怪物のモデルになったのは異民族」って例も結構ある。
割と最近の例でもロシアのUMAであるアルマスってのが居て、要するにロシア版ビッグフットなんだけど・・・これの正体も単に少数民族のことだったと判明してる。
要するに周辺地域の住民による単なる差別で少数民族を蔑視、動物扱いしてたのを聞き取り調査した外部の人間がそういうUMAが居ると勘違いしたというケース。
信じる信じないというより、得体の知れないものを認識する上でまず何かしら姿を思い描こうとする行為から始まるのは人間の性なんじゃないかと思ってる。それを知ろうとする行為の始まりというか…
この間のインドの聖水もその類じゃないかな。今はすぐ答えわかる時代だからああいう笑い話になるけど、昔みたいに情報源が想像とか口伝だけの環境だと、例えばラップ音聞いて幽霊を具体的に思い描くのは不思議じゃないと思うね。得体が知れなくてそら恐ろしいから。
世界を自然科学というモノサシで理解するようになったのは割と最近の事だし
これが通用するのは、発達した自然科学が世の中の大抵のことを解明して、その法則が常に再現性のある回答を与えてくれるようになったからだろう
例えば科学がまだ未発達な段階であれば、天気予報よりも下駄で明日の天気を占った方が当たる確率は高い
そういう世の中であれば、科学以外のモノサシで世界を理解するのは間違いじゃないし、そっちの方が生きる上でコストが低く、有用だったと思う
したがって自然現象、超自然的な存在、得体のしれないものを精霊だとか妖精だとか妖怪だとか、そういうモノサシで理解しようとするのはごくごく自然だと言えるんだよね
小賢しい科学の理りを世界にあてがうよりもずっと賢いありようだったんじゃないかな
本当は
普通の牛さんや猫さんと同じ姿だったかもしれないのに
くだんやスフィンクスは
きっと分かり易いように
若しくは面白おかしく
「人語を話すから人間の顔にしよう」と
後世の画家たちが脚色したのだろうと推測
聖書の天使像が顕著だが知らない人に何かを伝えようとするとき既存の見知ったモノで表すと(笑)まあどう見てもバケモンだけど