この画像を大きなサイズで見る凶悪犯罪を犯した者は、メディアから記憶に残りやすい異名(ニックネーム)をつけられることがよくある。
「切り裂きジャック」やら「サクラメントの吸血鬼」やら、、その職業から「ドクター・デス」など、その異名を聞くだけで、その殺人犯像を思い浮かべることができる。
ここでは海外で悪名高い6人の毒殺者についた忘れがたい異名と、その手口を見ていくことにしよう。
ナジレヴのエンジェル・メーカー
20世紀初頭のハンガリーの田舎での生活はそれは過酷なものだった。
第一次世界大戦による荒廃や1918年のスペイン風邪の大流行のさなか、ブダペストから100km南東にある小さなナジレヴ村の女性たちは、親の決めた相手との結婚や望まない妊娠、家庭内暴力に苦しんでいた。
そんな苦しみから逃れようと女性たちはひとりの助産婦を頼った。
自称獣医を名乗る、スザンナ・ファゼカスは、密かに中絶も請け負っていた。彼女はハエトリ紙を酢で煮て砒素を作るというユニークな方法を知っていた。
病弱で手のかかる子どもや冷酷な夫に悩まされていた村の女性たちが「スージーおばさん」から薬をひと瓶買うと、たちまち問題は解決した。
スザンナは苦しんでいる女性たちに「なぜ、彼らに我慢するの?」と訊いたという。
やがて、この方法で問題を解決する女性が多くなった。1920年代後半には、ナジレヴ村の住人が次々と亡くなるようになった。
最初は女性たちが苦しみから逃れるためだったが、次第に夫や義理の親の財産を手に入れるための殺人へとエスカレートした「エンジェル・メーカー」へと変わってしまったのだ。
この毒殺集団「エンジェル・メーカー」のせいで、少なくとも160人が亡くなったと言われている。
1929年、ついにスザンナ帝国の悪事が暴かれ、逮捕直前にスザンナ本人は自ら毒をあおった。
「エンジェル・メーカー」の女性たちのうち25人が裁判にかけられ、ふたりが絞首刑になり、あとの者は投獄された。
この画像を大きなサイズで見るティーカップ毒殺魔
1947年、英ロンドン郊外のニーズデンで生まれたグレアム・ヤングは、14歳になるまでに学校の友だち4人に毒を盛った。アンチモン、タリウム、砒素の非致死性混合物を飲ませたのだ。
さらに彼は自分の父親にも毒を盛り、姉の紅茶に猛毒植物、ベラドンナを入れ、これがニックネームの由来となった。
ふたりは一命をとりとめたが、ヤングは継母にタリウムを過剰摂取させて殺害した。
ヤングは、精神疾患のある犯罪者を収容する英国のブロードムーア病院に送られたが、最初から「ここを出たら、ここで過ごした年月と同じ人数を1年にひとりずつ殺すつもりだ」と看護師に言っていたという。
ヤングは9年後に釈放され、過去を隠したまま、新たに化学工場で働くことになった。
すぐに同僚2人が体調を崩して死亡し、ヤングのポケットから致死量のタリウムが発見された。
最終的にヤングは4度の終身刑を宣告され、1990年に獄中で死亡した。
死因は心臓発作と発表されたが、服毒自殺、あるいは囚人仲間に殺されたという推測もある。
くすくす笑いのグラニー
1905年生まれのナニー・ドスは、一見、人のいいおばあちゃんにしか見えない。
1954年にかつての5人の夫のうち4人を毒殺したと自白したときも、くすくすと楽しそうに笑っていたという。
ここから「くすくす笑いのグラニー」というあだ名がつけられた。
「くすくす笑いのナニー」の他にも、「女青髭」、「陽気な毒グモ」、「孤独な心の殺人者」など多くの異名がある。
ナニーの結婚相手は、飲酒癖や浮気性などいずれもクズのような男ばかりで、彼女が夢見ていた甘い結婚生活はことごとく破綻した。
ナニーの孫、姉妹、母親などの家族7人が死亡したとき、遺体の体内からかなりの量の砒素が検出されたたが、これらの死については自分がやったとは決して認めようとしなかった。
ナニーは1955年に終身刑を言い渡され、1965年に白血病のため獄中で死んだ。
毒殺王子
19世紀の英国の医師ウィリアム・パーマーは、その出身地から「ルージリーの毒殺者」としても知られておち、競馬にのめり込み、借金を重ねていた。
あるとき、パーマーの義理の母、おじ、5人の子どものうち4人が次々と急死した。
不可解とはいえ、必ずしも医師が診断・治療ができるとは限らなかったビクトリア朝時代の英国では、それほど珍しいことではなかった。
しかし、パーマーの妻アンと弟のウォルターの死は別だった。ふたりは死の直前に保険に加入していたのだ。
パーマーはアンの保険金は受け取ることができたが、保険会社が疑い、弟の保険金は彼に支払われなかった。
足がついたのは、パーマーの友人ジョン・クックの死だった。競馬で幸運に恵まれたクックをストリキニーネで毒殺し、多額の賞金を横取りしたのだ。
パーマーは1856年の裁判で有罪判決を受け、絞首刑になった。
この画像を大きなサイズで見るリビエラの毒グモ
57歳のパトリシア・ダゴンがフランスのコートダジュールにやって来た目的は、ほかの多くの人とは違っていた。
年配の男性をたぶらかして夢中にさせ、彼らのサイフや遺言書をわが物にするためだったのだ。昨今流行りのロマンス詐欺だ。
ダゴンが80代男性への詐欺の罪で投獄されている間に、警察はこれまで彼女と関わりのあった高齢男性ふたりの不審な死を再捜査し始めた。
ダゴンはこのふたりとかつて同居していたことがあり、ふたりとも不審な死をとげていたが、ダゴンを殺害犯とする証拠がなかった。
ほかにふたりの高齢男性が、ダゴンに少しずつ毒を盛られて殺されそうになったと告発した。
2018年にニースで裁判が行われ、ダゴンは殺人、毒殺、毒殺未遂の罪で有罪となり、懲役22年の刑を宣告された。
殺人農場の女主人
ベル・ガネスには、ほかにも「地獄のベル」、「女青髭」、「ラ・ポートの悪鬼」といった異名が付いている。
ノルウェー移民として米国にやってきたベルは、1884年に最初の夫と結婚したが、1900年までに夫とふたりの養子が死亡した(中毒死とされる)。
ベルは夫婦の保険金やシカゴの自宅や店で起こった火災の保険金をがっぽり手に入れた。
その後、ベルはインディアナ州へ引っ越して養豚場を購入し、1901年にピーター・ガネスと結婚。8ヵ月の間に夫とふたりの娘が相次いで死亡した。
インドールアルカロイドの一種、「ストリキニーネ」中毒だとされている
ベルはインディアナ州ラ・ポートの農場を手放さず、スカンジナビア語の新聞に結婚相手を募る広告を出して、幸せを信じてのこのこやってきた男たちの貯金を奪った。男たちはやってきた数日後には行方知れずになったという。
やっとベルに疑いの目が向けられ、警察の捜査の手が伸びようとしていた矢先、農場で火災が発生し、焼け跡から首のない女性の胴体だけの遺体が見つかった。
さらに豚小屋の下に埋められていた数十人の遺体も発見された。首無し死体はベル本人と推定されたが特定できず、結局、その身元とその後のベルの行方は今日に至るまで謎のままだ。
References: 6 Infamous Poisoners with Unforgettable Nicknames
















ベル・ガネスは誰かに復讐とかで殺されたのか、
そう見せかけて逃げおおせたのかわからなくてミステリーだな…
日本だとトリカブト保険金殺人事件の犯人が印象深い
トリカブトとフグ毒が拮抗して効果が出るのを遅らせることを発見した天才的犯罪者
保険金目当てとか家庭内暴力から逃れる、とかはわかるけど、結婚相手を募集して数日で毒殺のベル・ガネスはなんだろうな?苦しむのを見るのが楽しい愉快犯ってことかな。
くすくす笑いのグラニーの動画を見たが
いつクスクス笑うのか集中して見てしまった
流し目?横目に変化があり
視線が泳いてきて
何かと思ったら
鼻にハエが止まって
思わず巻き戻して確認してしまった
クスクスは
よく分からなかった
しつこいハエの動きに注目
昔は
警察組織が弱体で鑑識能力も低かったので
どんなに悪い事をしても上手く立ち回れば
逮捕される事はなかった
ただし、やり過ぎなければね
もっとも卑怯な犯罪のひとつやろ、己は反撃を受けるリスクも無く、血を見る事も無い 冷血だが気の小さい共感力の無い人間に思える。
追い詰められているが力のない、惨めな弱者も毒を使うぞ
毒を使うしかないという方が正しいが