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この画像を大きなサイズで見るスペインのラ・アルクディア遺跡で、約2000年前のローマ時代に建てられた巨大浴場が発掘された。
スペイン・アリカンテ大学の研究チームが8年をかけて調査した結果、広さ約1300㎡の「東浴場」が姿を現し、古代ローマ都市「イリキ」の繁栄とその技術力を今に伝えている。
保存状態は極めて良好で、モザイク装飾や巨大なプールが残されており、浴場が清潔の場であると同時に社交と娯楽の中心であったことがわかった。
まるで日本の漫画で後に映画化された『テルマエ・ロマエ』の世界を思わせるような古代ローマの浴場文化。その実像に迫ってみよう。
古代都市「イリキ」とは?
スペイン南東部、エルチェ近郊にあるラ・アルクディア遺跡は、古代都市「イリキ(Ilici)」の跡地である。
この都市はカルタヘナとバレンシアの間に位置し、紀元前1世紀後半にローマ植民都市として再建された。
その際、ローマ帝国の初代皇帝、アウグストゥスの名にちなみ「イリキ・アウグスタ(Ilici Augusta)」と呼ばれるようになった。
イリキがローマの植民都市として歩みを始めたのは、紀元前44年のことだ。
ローマの将軍であり政治家でもあったユリウス・カエサル(のちの皇帝アウグストゥスの養父)が暗殺される直前に、この都市の建設を命じていたのである。
特にカンタブリア戦争(スペイン北部でのローマによる征服戦争)の退役兵たちに土地を与える形で都市の発展が加速した。
軍人を市民社会に組み込むというローマの政策が、都市の形成に色濃く反映されている。
この画像を大きなサイズで見る8年間の発掘で明らかになった壮大な浴場施設
このたび発掘された「東浴場(Eastern Baths)」は、面積が約1,300平方mと非常に広く、イベリア半島で見つかったローマ浴場の中でも最大級のものとなる。
施設の内部構造はローマ時代の典型的な浴場設計を踏襲しており、冷水の部屋(フリギダリウム)、温水の部屋(カルダリウム)、中温の部屋(テピダリウム)、サウナのような乾式蒸し風呂(ラコニクム)、更衣室(アポディテリウム)などが揃っている。
とりわけ注目を集めたのが、大規模な屋外プール「ナタティオ(natatio)」の存在である。
この古代のスイミングプールは、ローマ人にとっての入浴儀式の締めくくりとして設けられており、冷水で体を引き締めるための重要な空間だった。保存状態も非常に良好で、ローマの水利工学の高さを物語っている。
この画像を大きなサイズで見る華やかなモザイクが語る芸術と社交場としての浴場
浴場の床面には、ローマ時代の芸術性を象徴するモザイク装飾が複数残されていた。
ひとつは大理石を模したモザイクで、安価な素材を用いながらも豪華さを演出する技法が用いられている。
もうひとつのモザイクは、アカンサスの葉や花、渦巻模様などの自然モチーフを使ったデザインで、当時のローマ帝国全土に広がっていた自然主義的な芸術スタイルを色濃く反映している。
浴場は衛生施設にとどまらず、芸術を楽しんだり、人々との交流と楽しむ社交場だったことが、これらの遺構から伝わってくる。
これは、イリキという都市が経済的・文化的にいかに繁栄していたかを示す重要な手がかりでもある。
この画像を大きなサイズで見る浴場施設が衰退していった理由
この浴場施設は、3世紀から4世紀にかけて徐々に利用されなくなり、5世紀から6世紀にかけて完全に放棄されたとみられている。
その理由は当時、ローマ帝国全体が経済的困難や人口減少に直面していたことが背景にある。
ただし、末期には規模を縮小した上で一部の修復が試みられた痕跡も残っており、都市機能の維持が模索されていた可能性もある。
この画像を大きなサイズで見る今回の発掘でわかったイリキの歴史
今回の発掘では浴場に加え、55mに及ぶ街路、排水路、建物の入口、舗装道路も発見されており、都市の発展の歴史が浮かび上がった。
さらにローマ層の下からは、紀元前3世紀のイベリア人(ローマ以前にイベリア半島に暮らしていた先住民族)の居住区域も発見された。
これは、イリキの場所がローマ支配以前から高度な文明に支えられていたことを示すものである。
この画像を大きなサイズで見る遺跡を未来につなげるために
発掘プロジェクトを率いたアリカンテ大学のハイメ・モリーナ・ビダル教授は、「今後は学術的な成果を発表すると同時に、遺跡を博物館として整備し、市民や観光客がこの貴重な遺産を体験できるようにする」と語っている。
すでに遺構には特殊な保存処理が施されており、一般公開も始まっている。今後は屋根などの保護設備も設置される予定だ。
東浴場は、イベリア半島におけるローマ文明の繁栄を伝える記念碑として、これからも多くの人々を魅了し続けるだろう。
編集長パルモのコメント

ヤマザキマリ先生による漫画、『テルマエ・ロマエ』は、古代ローマの浴場設計技師「ルシウス・モデストゥス」が古代ローマから現代日本の銭湯や温泉へとタイムスリップし、日本のお風呂文化から学んだアイデアをローマの浴場文化に反映させるといったストーリーだが、本物の古代ローマにも有能な浴場設計技師たちがいたようだね。
References: Archaeology / Web.ua.es / Web.ua.es














古代ローマの時代から、人は景気が悪くなるとまず銭湯の回数から減らすのだな
入らなくても死なないもんな
景気よくても風呂入らないやつの言い訳やね
入浴文化の衰退と経済危機が関連してるということは、燃料費の高騰ってのは思っているよりヤベー事態なのかな?
高騰というか、
都市人口の生活用・公衆浴場・銀山の精錬などでバンバン燃料用の薪を使いまくったせいで、
古代ローマ末期にはもう森林資源自体が枯渇してハゲ山だらけになり
土砂の流出で港が埋まって機能不全に陥ったりしていたと聞いたことがある。
「イリキ((Ilici))」
↑これ、Iliciが二重括弧なのはタイプミス? それとも何か意味があるんだろうか。
風呂上りに牛乳を飲んでいたんでしょうか
日本人も風呂大好き民族だが、紀元前からここまで力を入れた浴場を作っていた古代ローマ人には脱帽せざるを得ない。
ヨーロッパの遺跡にある装飾ってモザイクとか直線で表現されている模様が多い気がしていたけどローマ人が好んで使っていたからかな
(アジアだと曲線が多い気がする)
スペインめっちゃ暑いんでしょ、発掘作業も死と隣り合わせになってそうで大変
大欲場にもなっていたんだね