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アメリカ大陸で最初に文明を作った古代オルメカ人について知っておくべきこと

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(著) (編集)

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 メソアメリカでオルメカ文明を築いた古代オルメカ人がいた時代は、紀元前1200年頃からとされている。

 いくつかの研究によると、古代オルメカ人たちが、支配していた場所はおもに、メキシコ、ベラクルス州のサン・ロレンソ、サンティアゴ・トゥストラ近くのタバスコ・セールとトレス・ザポーテスだ。

 偉大なオルメカ文明は、巨大な頭部像で有名だが、実はその頭部自体が発見以来の大きな謎でもある。

 古代オルメカ人がどのようにしてこのような巨大な頭部を造ったのか、その正式な用途はなんだったのか、いまだにわかっていないのだ。

オルメカの巨大頭部像の謎

 古代オルメカについて、知っておくべきことをいくつかあげてみよう。

 この古代文明のもともとの名も、はっきりわかっていない。オルメカという名前は、「ゴムの人」という意味のアステカ語に由来しているというが、その起源もまったく不明だ。

 アメリカ大陸に偶然に伝わったと考える専門家もいれば、古代シュメールを起源としていると主張する者もいる。

 英知と謎は、オルメカ頭部像のふたつの条件だ。その意味や、どのようにしてあれほどの巨大な岩を切り出し、運び、彫ったのか、まだ解明できていない専門家にとって、まったくのミステリーだ。

 最初の発見は1862年だが、1925年になってもまだ、詳細がわからないレアな遺物だと考えられていた。

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photo by iStock

 オルメカの巨大な頭部像は、たいてい両耳たぶにピアスの穴のあいていて、ヘルメットのように見えるものをかぶっている。

 これまでに、オルメカの足跡が見られる遺跡は50あまり発見されている。

 3つの主要なエリアが、戦略的に配置されているという。「ラ・ベンタ」は、真北に対して西に8度ずれた南北軸の下にある。

 これにより、円錐形のピラミッドのてっぺんから、見事な天体観測が可能になる。これは、古代オルメカ人が優れた天文学者だった事実を示している。

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「ラ・ベンタ」のレスラー像は、アジア人の特徴をはっきり表している。アメリカインディアンの遺伝子型には顎髭は見られない

ヘマタイト(赤鉄鉱)の棒の謎

 もっと謎めいた発見物のひとつは、長さ3.5cmのヘマタイト(赤鉄鉱)の棒で、専門家の間でも議論になっている。

 水面に置くと、その軸が北を指すようになっていて、ミシガン大学の研究者は、これはコンパスだったのではないかと言っている。

 コンパスの発明者が、これまで考えられていたように中国人ではなく古代オルメカ人だとすると、歴史は大きく変わる。

 この装置は、建造物を北に向けて配置するために、使用されたものだと考えられている。

 「ラ・ベンタ」遺跡で、芸術的な彫刻が施されたたくさんの翡翠(ひすい)の遺物が発見された。

 すべて、異なる地域からの土を何層にも重ねた長く深い溝に埋まっていた。これは、古代オルメカ人が、非常に熟練した職人だったことを示している。

車輪の発明は古代オルメカ人が最初?

 車輪のついた犬の像は、オルメカ人の高度に進んだ知識の一番の例だと考えられている。車輪の発明は古代オルメカ人だとする研究者もいる。

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古代オルメカ人が車輪を発明したと考える者もいる。この玩具は、時代を先取りした彼らのたぐいまれな知識を示している

 古代オルメカ人は、玩具も作っていた。現存しているものから、彼らが多様な玩具をこしらえていたことがわかる。

 珍しく謎めいたものが、ハラパにある人類学博物館で見ることができる。

 それはゾウを表しているようだが、ゾウはこの当時のアメリカには存在していなかった。つまり、この文明の民がアフリカからやってきたという説を裏づけている。

カスカハルの石塊の謎

 「カスカハルの石塊」は、もっとも謎に満ちた最古のラテン語文書のひとつとされている。

 ここには62のシンボルが刻まれていて、そのうちのいくつかは4回繰り返されている。解読しようとしたが、まだ成功していない。

 多くのメッセージや秘密が隠された、新たなロゼッタストーンである可能性が高いと考えられている。

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古代の蛇紋石の塊「カスカハルの石塊」は、紀元前900年頃のもの。新世界で書かれた最古の文書の例だという

 アステカやマヤのように、古代オルメカ人は、歴史の霧の中にいつの間にか消えてしまった。

 キリスト時代の始めに、はっきりした理由もなく、オルメカ人は住んでいた土地を徐々に放棄していったという。

 そのあとにオルメカの土地に入ってきた者たちは、復讐心に燃えて、オルメカの彫像を破壊した。

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 古代オルメカ人は、神の庇護を受けていたと信じられている。伝説の中には、”雲からやって来たもの”の助けをかりて、途方もない建造物を造ったという。この雲からやってきたものとは、Nosoobiと呼ばれている。

References:10 things you should know about the ancient Olmecs / written by konohazuku / edited by / parumo

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この記事へのコメント 11件

コメントを書く

  1. あの玩具は、象じゃなくて舌を出した犬?に見えます。

    • 評価
    1. >>1
      記事中の写真の事なら犬の像と記載されていますよ。
      象の画像は有りません。画像検索でも日本語では
      ヒットしません。額に手をあてた人の玩具ぐらいしか
      出てきません。

      • +3
  2. はっきりした理由もなく?
    そうなの?

    まぁ其れは兎も角、この頭の像見るとベトナム思い出すな
    アンコールワットのデカい顔

    • +4
  3. なんか、石像はブラックアフリカンに見える
    西へ進出した人々がいたのだろうか?

    • +3
    1. >>6
      大西洋横断が2000年近く早まってしまうな…(現在の最古はバイキングで10世紀頃)

      • 評価
  4. 20世紀に入ってアフリカの漁師が大西洋で遭難してブラジルに生きて漂着した事例があったようで古代にもそういう事例があってもおかしくはないが・・・石造り文化を作れるだけの人数が大西洋を横断するのは相当高度な技術が必要な気がする。バイキングのように北回りだとアフリカ人は寒さに耐えられないだろうし。
    中国三星堆遺跡から出土した蚕叢のように特異な風貌の持ち主(又は王)を模したシンボリックな像なのかも。

    • +3
  5. 石造、自分はポリネシア人に見えるかな
    実際ポリネシア人はアメリカ大陸に進出してたみたいだし

    • +1
  6. 「太陽の子エステバン」思い出した。
    NHKだからCMが無い分中南米の古代文明の紹介があった

    • 評価
  7. 彫像はポリネシア、少なくともモンゴロイドに見える。
    太平洋を渡ってきたモンゴロイドが南下し南米に住み着いたのが古代オルメカ人になった
    だけなのでは。
    少なくとも当時の技術でろくすっぽ島のない大西洋をアフリカ人が船で渡るのは不可能に
    近いと私も思う。
    またポリネシア人は石造加工(ヤップ島の石貨とか)の基礎技術を持っていたので彼らが
    南北アメリカに渡り、現地の資源を利用して石像彫刻を作り出しても不思議ではない。

    • 評価

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