この画像を大きなサイズで見る古代ローマ人は、公開処刑、動物のハンティング、戦車レース、剣闘士の殺し合いなど、残忍なエンターテイメントを楽しんでいたことで知られている。
中でも、剣闘士の場合、その血は流すだけではなく、飲み干されるものでもあったというから驚きだ。
西暦1世紀から6世紀の記録によると、当時の神学者、医学者は、剣闘士の血や肝臓を摂取すると、癲癇(てんかん)を治すことができると信じていたらしい。
古代ローマの剣闘士
剣闘士(グラディエーター)は、古代ローマにおいて見世物として闘技会で戦った剣士のことで、闘技場で他の剣闘士や獰猛な野生動物、あるいは捕えられた犯罪者や捕虜と死ぬまで戦った。
ルールはシンプルで、剣や盾などの基本的な武器で武装し、最後のひとりになるまで戦う。剣闘士は、ローマの軍事倫理や戦闘戦略を示すのに取り上げられることが多く、生き残った者や勝者はなんらかの形で崇められ、大衆芸術や文化で表わされることも多かった。
この画像を大きなサイズで見る剣闘士の温かい血がてんかんを治すと信じられていた
「てんかん」は、脳の神経細胞障害で、脳の活動が異常になって発作を引き起こす病気だ。剣闘士の血を飲んでてんかんを治すという異様な治療法は、エトルリア人の葬儀が起源だと指摘する学者もいる。
エトルリア人は、イタリア半島を縦断するアペニン山脈の南、テヴェレ川とアルノ川の間で勢力を持っていた古代人で、紀元前6世紀ごろに最盛期を迎えた。のちにイタリア半島を支配下においたローマ人は、このエトルリア人の文化を多く採用した。
この画像を大きなサイズで見る西暦400年頃に剣闘士の戦いが禁止されたとき、てんかん治療効果があるとされる処刑されたばかりの人間の血に注目が集まるようになった。
古代ローマで、剣闘士の戦いが合法だったときは、死んだばかりの剣闘士の喉を描き切って、まだ温かい血を観衆に売るという習慣があった。
この血はそもそもは”魂を清める”と言われていたが、時がたつにつれて、特にてんかんなどの病気の治療薬として使われ始めたという。
この画像を大きなサイズで見るてんかん治療の起源:ローマ時代の文献と資料
人類の歴史を通して、人間の血液は病気の治療薬として考えられてきたが、最初にこの治療法に言及したのは、ローマの百科全書医学者アウルス・コルネリウス・ケルススで、西暦40年に膨大な『De Medicina』を著した。
この中で彼はこう書いている。
剣闘士の喉からあふれ出る熱い血を飲むことで、てんかんのような病から解放される者もいる。
このような悲惨に思える治療法は、さらに悲惨な病気の存在によって、世間に許容されるようになった
そしてこうも書いている。
しかし、医師の本当の関心は最後に施す手腕だ。
両足首近くから少量の血を排出し、頭皮の後ろを切開して受け皿をつけ、頭皮の後ろとすぐ下の脊椎の一番上の椎骨と頭蓋の結合部の2ヶ所を焼灼器で焼いて、火傷から悪性の体液を滲み出させるようにすることだ。
こうした処置をしても病気が治らないのなら、慢性的になる可能性が高い
このわずか10年後の西暦50年、ローマの医師で薬理学者のスクリボニウス・ラルガスが、Compositiones』という処方集の中で、同じような治療法を報告している。
彼はこの治療法に医学的な管理機能をもたせるために、ふたつの新たな要素を入れている。
ひとつは、剣闘士の血液スプーン3杯を30日間、9回投与する。そうすると、不思議なこの治療法の出どころが、科学的根拠のあるものに変わるという。さらに剣闘士の肝臓も効果があるとつけ加えている。
この画像を大きなサイズで見るガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)も、衝撃的な治療法のひとつではあるが、剣闘士の血はてんかん治療に劇的に効くという考えを踏襲していた。
ひとつの文献とべつの文献の関係を確かめるのは、歴史的には難しいが、ケルススの文献が、スクリボニウスやプリニウスなど、後に続く人たちの刺激になったことは確かのようだ。
1世紀の有名な医学者、カッパドキアのアレタイオスの『Treatment of Chronic Diseases』にも、採取したばかりの温かな血は治療薬として使えるとある。
剣闘士の血を治療に使うことに言及した最後の医師は、ビザンチンの医師、トラレスのアレキサンダーで、西暦535年のことだった。
12ある彼の医学書の最初にはこう書かれている。
剣士あるいは死刑囚の血にまみれたボロ布を燃やし、その灰をワインと混ぜて、7回飲ませるとてんかんが治る。この治療法をたびたび試みて、いい結果が得られた
1世紀から6世紀の間にかけての全部で8つの資料から、ドイツ、ケルン大学の医学史・医療倫理研究所のフェルディナンド・ペーター・ムーグとアレックス・カレンバーグが確信している。
彼らは今のところ、てんかん治療薬としての剣闘士の血液について、もっとも包括的な論文と研究を著している。
この画像を大きなサイズで見るエトルリア人の治療法:血と肝臓
この治療法の発祥であるエトルリアでは、戦いに敗れた剣闘士は神への捧げもので、死者をあの世へ導く者だと考えられていた。
このため、剣闘士同士の戦いは死者のためにセッティングされたのだ。同じような習慣は、古代中国、インド、メソポタミア、トラキアでも見られる。いくつかの古代文明では、犠牲者の血を聖なるもの、癒し、厄除けのための物質として利用していたわけだ。
エトルリアの生贄儀式や医療予後では、肝臓が中心的な役割を果たし、明らかに古代ローマ人はこの知識を拝借して自著の中で引用している。
てんかんのような病気の怖さは不治だということが、剣闘士の血が効くという幻想が何世紀もの間、意味をもち続けた結果になったと思われる。
ひとりではなく、何人もの作家や医学者がこの治療法について書いているが、怖ろしい病気に対して、このような治療法を残酷だと言う者はほとんどいなかった。
「剣闘士の血は、てんかん患者がまるで生命の糧のように飲むものだ」とプリニウスは総括している。
References:Romans Drank Gladiator Blood as an Epilepsy Cure! / written by konohazuku / edited by / parumo














なんかヨーロッパ圏人体薬にしがちな印象あるけど(ミイラ粉薬とか、頭骨砕いて飲んでたのとか)
日本にはこういう人間由来の成分で治すみたいなのあったのかな
※1
吐血症には小児の尿を温かいうちに飲むと良い
なければ自分のでも可と耳嚢にある
※1
血は穢れ扱いだからか余り聞かないなぁ
人が人を食うと鬼とか妖怪にされちゃうし
>>7
貴重な稀血?
※1
超有名なところで山田浅右衛門一族が罪人の肝等を使った薬を作って売ってた
薩摩藩では、刑場で罪人が処刑されたら、見物に押し寄せていた武士達が竹矢来を破って乱入し、肝の取り合いをしていたらしい
日本では、生き肝が百薬の長の扱いで、熊の物が有名だけど、人の生き肝を抜く話は時々ある
とある武家の話で、病弱な幼い主君に人の肉を与えれば健康になると言う占いか何かを聞いて、家来が自分の太ももの肉を切り取って主君に献上したと言う(当時は忠節無比と謳われた)話もある
※1
ミイラは、江戸時代の日本も輸入して漢方薬にしてたよ。
※1
解剖学者・民族学者の吉岡郁夫による研究によれば、
明治10年の鹿児島県・熊本県において、生肝が何らかの病に、
明治16年の京都府乙訓郡において、頭蓋の黒焼きが梅毒に、
明治25年の大分県杵築村において、生肝の黒焼きが眼病に、
明治34年の三重県下御糸村、明治40年の熊本県東外坪井町において、男胎児の煎じ薬が癪病に、
明治40年の大阪府池田町において、人骨の粉末が梅毒に、
大正14年の横浜市花咲町において、どくろ水が肺病に、
大正15年の岡山県美保町において、骨の粉末が肺病に、
昭和2年の岐阜県土岐郡において、脳漿が万病や喘息に、
昭和4年の静岡県富士郡において、脳が肺病の治療に用いられていたことが分かっている。
(吉岡氏の研究を調べればわかると思うが、明治10年以前、ならびに昭和4年以降にも、まだまだ沢山の事例がある。縄文時代の人骨からも、あきらかに肉や内臓、脳みそを摘出して食べたと思わしき痕跡が多数あるという)
血液由来の感染症になった結果てんかんが治まったとかありそう
日本人も遣唐使の血を飲んでたらしい
という嘘を今考えついた
安達ヶ原の鬼婆の話し。自分の使えていた姫君の病を治すには、妊婦の腹の中にいる胎児の生き胆が効く、と言う迷信を信じた年老いた女性は、
ある日、自分の住む家に宿を求めた旅の妊婦を、生きながら腹を裂き、中の胎児を取り出した。
その後、その妊婦は‥‥‥昔幼い頃に離れ離れになった自分の実の娘だと知り、老婆は自分の愚かさに嘆き悲しみ、発狂し鬼婆になった。
と言う有名な話しがある事から、人体が薬になると言う俗説は、日本人の間にもあったみたいですね。
※10
鬼子母神は姥捨て山と同じ古代インド仏教説話なんで
改心までが1セットで日本の因習にあったって根拠はゼロよ
>>15
安達ヶ原の鬼婆と鬼子母神は別物
剣闘士の血を飲むことについて検討しよう なんつってなー
なんか話だけみてるとエリザベート・バートリを連想してしまうな
剣闘士が興奮して出すアドレナリンやノルアドレナリンを利用としたのかなあ
それにしても今の基準じゃちょっと血の気の引く話だ
我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う
うげぇ…
海外は今でも日本の3倍患者さんがいるから、当時の人口から考えると結構大変だったんだろうね。
しかし当時の食べ物とかで何か血中に薬的になるのが入っていたのかな。