
わずか2世代前まで、アイルランドの人々は、妖精が家の前を通り過ぎないように、大声で警告を発してから、ドアの外へ水をまいていた。
できたてのポティーン(アイルランドの伝統的なウイスキー)の最初の一杯を、いつも妖精のためにとっておくのは、彼らを味方につけるため。
アイルランドの初代大統領、ダグラス・ハイド(1945年まで在任)は、ノーベル賞受賞者のW・B・イェーツや、サミュエル・ベケット同様、妖精の存在を信じていた。
そして今でも、アイルランドの人々は昔から伝わる妖精に関する迷信やジンクスを信じ、それに従って暮らしているのだ。
妖精の迷信の一部は今も信じられている
長い間、アイルランド人は伝統的に受け継がれてきた一連のルールに従って生活してきた。それは、妖精を煩わせてはいけないという厳然たるルールだ。本当は、彼らのことを妖精と呼ぶべきではないのかもしれない。彼らは"善良な人々"または"小さな人々"なのだ。
最近は、ドアの外へ水をまいたり、ウイスキーの最初の1杯を妖精の為にとっておくような"おまじない"をする人こそ少なくなったものの、今でもなお、妖精に関する絶対的迷信を守り通している。
それは妖精の所有物に決して手を出さないということだ。

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アイルランドに今も残る円形の砦「フェアリーフォート」
アイルランド全土では、何世紀にもわたって農家の人たちが、自分たちの土地の一部を円形の砦(フェアリーフォート)にして、そこを手つかずで残してきた。この砦は、妖精の家だとされているが、低木や薮が生い茂り、本来なら作物を作るための土地をはっきり言って無駄にしている。
しかし、農家の人たちは、妖精の怒りをかって、死や農作物の不作などの問題を起こされるより、こうしておくほうがましだと考えている。
アイルランドに今も残る円形の砦(フェアリーフォート)
妖精の呪いを恐れる民俗学者
だが、妖精の呪いを受けるのは農業だけではない。1999年、クレア県の地元議会が、この"妖精の家"のあるタラの丘を囲むように高速道路建設の計画をたてたが、民俗学者で作家でもあるエディー・レニハンから横やりが入った。
レニハンは、妖精の家にむやみに手を加えたりすると、道路での死亡事故が増えると懸念したのだ。
レニハンによると、薮に覆われたこうした砦は、マンスターの妖精たちがコナハトの敵と闘うためのまさに合流点なのだという。
レニハンは、アイリッシュ・タイムズに手紙を書き、それが、ニューヨークタイムズでとりあげられ、「妖精を信じるなら、彼らのねぐらを蹂躙してはならない」というタイトルの記事になった。

呪われた高速道路建設工事
2007年、歴史あるタラの丘を通るM3高速道路の建設工事が始まった。この地域は考古学的に重要なエリアであるため、多くの反対があったが、工事はそのまま進められた。だが、工事作業員が亡くなったり、安全管理者が倒木によって重傷を負ったり、環境大臣がホテルで武装集団に拘束されたり、アイルランドが経済不況に陥ったりといった悲惨な事件が続き、のちに、建設工事反対派が、これら一連の恐ろしい出来事を妖精の砦に手を出したせいで呪われたのだとした。

タラの丘 photo by iStock
2017年には、政治家のダニー・ヒーリー・レイが、こんなことを言い出した。議会が大規模なメンテや修理を行っているにもかかわらず、コーク・キラーニー道路で頻発する陥没は、この地域にフェアリーフォートがあるため、"妖精の仕業"ではないかというのだ。メディアは懐疑的だったが、レイは一歩も引かず、触れてはいけないという伝統があるのだと主張した。

ケリー県キラーニー国立公園 photo by Pixabay
アイルランドの妖精信仰に関する専門家の見解
アイルランドの人々が、妖精の呪いを本気で信じていることは間違いないが、専門家はどう思っているのだろうか?"小さな人々"に対する大衆の態度をどう説明するのだろう?
ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン、国立フォークロアコレクション所長のクリオストール・マッカーシーは、かつてのアイルランドは今とは違う世界で、文字通り暗黒の世界だったと指摘する。
あらゆる文化には、超自然的なものが存在します。こうした超自然はだいたい、隔絶された辺境と結びついています。本質的に、妖精信仰は、"夜中に音をたてるもの"という要素を含んでいるのかもしれない。
こうしたものはすべて、街灯も電気もない時代、人々が足元を照らすのにロウソクやランプの明かりに頼らなくてはならなかった時代に発展しました

photo by Pixabay
子供をさらった後に置いていく身代わりの妖精(チェンジリング)
アイルランド・フォークロア委員会は、アイルランド全土に伝わる妖精にまつわるさまざまな事件や体験談を記録している。マッカーシーは、妖精が原因でなにかが起こった可能性が高いかどうかを判断するのは、自分ではないと強調するが、妖精についての最大の迷信のひとつ、チェンジリング(取り替え子)については興味深い指摘をしている。
アイルランドには、子どもが妖精に誘拐され、代わりに妖精の子と置き換わるという迷信があります。
チェンジリングとは、その子どもに似た装いをした年老いた妖精で、こうした恐怖は、まだ幼い子供が結核やその他消耗性の病気にかかって成長できない、つまり子どもとして正常に成長できないことが多かった現実からきているのかもしれません。
なぜ、こんなことが起こるのかという人々の疑問に対して、彼または彼女はチェンジリングだから、と説明するのがもっとも一般的な答えのひとつだったのです

photo by Pixabay
フェアリーフォートの隠された意味
フェアリーフォートは、こうした伝説のもとになる前は、防御と保護という実用的な目的があった。農家の人々は、夜になると家畜を砦の中に入れて、安全を確保していた。フェアリーフォートは、オオカミが少なくなり、家畜が襲われることがそれほど多くなくなると、17世紀には廃れた(アイルランドで最後のオオカミが駆除されたのは1786年のこと)。
この頃になると、フェアリーフォートにゆかりのある家族が、近くに普通の家屋を建てるようになり、そのまま打ち捨てられて朽ちていった砦が、異界の代表的な存在として次第に認識されるようになった。
フェアリーフォートと妖精を結びつける要因のひとつとして、たくさんある砦には、倉庫にしたり、貴重品を隠すために使用したと思われる地下通路があることがあげられます
この地下通路への入り口はわからないように偽装されているため、そこから妖精の砦がつながっていて、地下道を歩いて移動できるという考えが生まれました(マッカーシー)

photo by iStock
アイルランド人の心に根強く残る妖精
昨今では、スマホのおかげで誰もが科学的な情報や不思議な現象の説明を得ることができるが、だからといって必ずしも謎がなくなるわけではない。妖精の呪いを怖れる気持ちが、農家の人々や道路工事技師、政治家の発言や行動の中に現われ、いまだに人々に影響を及ぼしているこの国の土壌がある。"小さな人々"が現代のアイルランドに、大きな存在感を示しているといってもいい。
マッカーシーは最後に、この問題に対する自分の信念をひと言で言い切っている。「慣習に逆らうのは良くない。土地や歴史に敬意をはらうべきだ」と。
References:The Irish people's relationship with fairies / written by konohazuku / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
ウチの職場でもたまに変なバグが出たときは、いたずら好きの妖精さんがやったってことにしてるよ
2. 匿名処理班
今でこそ「神や悪魔がいる!」と豪語する人は少ないけど
日本人が神棚や神社で祈るときに確かな神性を感じているのと一緒だね
3. 匿名処理班
>>1
我が社には悪い妖精がいて週末にイタズラをします
「おいネットワークしんでんぞ」
「また悪い妖精(K氏)がなんか仕込んだな!」
4.
5. 匿名処理班
絶景といえるような景色や神秘的にみえるものとかを見ると、
ここには神や精霊のようなものがいてもおかしくないかもって感じるときはある
6. 匿名処理班
こういう記事よくあるのに、実際のところ、イギリスやアイルランドで妖精とか幽霊というワードを現地人に話すとドン引きされるんよね。悲しい。そうやってションボリした勘違い日本人(私も含む)に現地で何人もあった。
あとクラスメイトにヨークシャー出身の職業魔女とシャーマンの夫婦が居たけど、白人カーストの最下位みたいな扱いされてて、それも悲しかったな。
7. 匿名処理班
見えない物、理解出来ない不思議な事に理由を付けて安心するんだろうな
土着信仰の出発点は皆基本的に同じなのかもね
8. 匿名処理班
>>3
それは寂しいよ…
9. 匿名処理班
小泉八雲は何故日本でなくアイルランドを研究の地にしなかったんだろう
10. 匿名処理班
日本も未だに妖怪コード絡ませとか跋扈してるよね。
11. 匿名処理班
以前にテレビでアイスランドかアイルランドかイギリスで道路のど真ん中に岩があって妖精の住処だから移動できないってやってたな
何でも動かすと呪いで街が全滅するそうな
12. 匿名処理班
おのれ妖怪リモコン隠しめ!
13. 匿名処理班
日本の祠に近い扱いを感じる。
そういうものを大事にしてく方が結局は良い。
14. 匿名処理班
見えないからって人んちの上に道路作ったらダメだろ
見る人が減って存在が小さく希薄になっていても彼らはそこにいるんだから
15. 匿名処理班
自然の恵みを大切にするって事かな
日本だと
大きな木を切り倒したり
井戸を埋める時は
きちんとした儀式をしないと祟られるとか言われてる
16. 匿名処理班
いいね
アイルランド行きたくなっちゃう
妙な親近感を感じた
17. 匿名処理班
妖怪「マイナス押し」が現れたようなので、プラスを押しておいたよ。
18. 匿名処理班
※9
元々は研究者じゃ無いし。
ニューオーリンズで新聞記者やってて、日本に派遣されて日本が気に入ったので英語教師として永住した。
19. 匿名処理班
自分は頭が固くて、木陰は妖精とかに関係なく一休みしたりするのにちょうどいいんだろうなと思ってしまうけど、本当に妖精がいると感じられたらすてきだろうなあ。
20. 匿名処理班
※11
北欧の人々も妖精信じてるもんね。
ムーミンも妖精だもんね。カバかと思ってたわ。
21. 匿名処理班
地上の生物に種類がいるように見えない存在も種類がたくさんいても不思議じゃない。幽霊はいるかもしれないが、妖精はいないでしょう、というのは決めつけに過ぎないんじゃないかなぁ。
22. 匿名処理班
日本の妖怪文化ととても似てるね。
こうしたよく分からないものに畏怖を抱いたり大切にする事は人のこころを育む上でとても大切だと思う
これは個人的な感覚なんだけど、畏怖の心が無い人ってなんか怖いんだよ。何というか…上手く表現出来ないんだけど、腹の底から信用出来ない感じというか雰囲気というか
わかる人居ないかなー
23.
24. 匿名処理班
※2
「妖精のねぐらを蹂躙してはならない」とか
呪われた道路建設工事うんぬんの話題からすると、
日本の例を挙げるなら、「動かすとマズい事が起こる」と云われ
道路を不自然な形に曲げて残した岩や大木、
昔 田んぼだった所に現代的なスーパーマーケットができても
駐車場の片隅にポツンと残されている謎の祠やお地蔵さん
なんかが近い気がする。
(一部は、掘り返したら地下水流が変わって本当にマズい土地
の目印なんかも、経験則的に含まれてるのかも知れんけど。)
なんなら、何の謂われも無くても、
空き缶や弁当パックのゴミを無断で投げ捨てられやすい場所に
ミニ鳥居を設置するだけでピタッと不法投棄が止んだりするのも。
25. 匿名処理班
※6
日本でも堂々と妖怪が!幽霊が!神が!って言ってる人はドン引きするし付き合いたくないよ
もはや実際に見た、もしくは見た人の話を聞いて語り継いできたような年寄りもいないからね
でも妖精・妖怪の仕業だと言った方がしっくりくる出来事ってたまにあるのも事実で、そういう時だけは話題にのぼる
26. 匿名処理班
景色良すぎる
羨ま
27. 匿名処理班
見えないものに対する信仰は日本にもある
日本のあちこちにお地蔵さんが存在する
根っこにあるのはそういう自然への畏敬の念の現れなんじゃないだろうか
28. 匿名処理班
日本人も座敷童や小さいオッサンを信じてる人いますし。
29. 匿名処理班
うん、なんかパソコンが登場して妖精さんに出会う機会が増えた気がする。
30.
31. 匿名処理班
>>2
うん。鎮守の森や神社、社があるのと何も変わらないね。
チェンジリングも神隠しみたいなものだし、妖怪やもののけなんかはまだまだ廃れてない。まだ日本に住んでいるのです。たぶん。
精霊信仰は世界中にあり、一神教が異教として排除しようとしなければもっと残っていただろうね。
32. 匿名処理班
※22
同じくうまく表現できないけど、人智の外側に対する畏怖心がない人間が怖いっていうのは分かる。
33. 匿名処理班
近づいてほしくないところとかに、怖い妖精が出るという噂を流して近づかないようにする目的で作られた妖精もいそい
34. 匿名処理班
>>12
リモコンは決まった場所に置いて
それ以外のものは整理整頓すれば
妖怪にイタズラされないよ
35. 匿名処理班
取替えっ子はグリム童話?でもあったな
昔はままあったことを妖精や妖怪のせいということにしてたんだろうねぇ
36. 匿名処理班
※35
日本の怪談にもある類型だね。
鬼や動物系の妖怪変化が、とある家の赤子に成り代わるの。
本物が妖精側の世界で重宝される西洋バージョンと違い、
大概は入れ替わる時に殺してるパターンが多いけど…。
37.
38. 匿名処理班
>>10
妖怪ソックス隠しのイタズラも後を絶たない
39. 匿名処理班
※38
たまーに洗濯機が靴下ムシャムシャしてることがある。
洗濯ネット使用でつまみ食いされなくなった。
・・・洗濯ネット使ってもなくなるなら、本当に妖怪の仕業かもしれない。
40. 匿名処理班
>>6
知りたくなかった。そんな話し…(T_T)
41. 匿名処理班
>>28
現代の妖怪はネットから現れて来ますね。
八尺様、クネクネ、匕サルキ、姦姦蛇羅、ヤマノケ……
42. 匿名処理班
日本も昔古墳壊してマンション立てたら
入居者が次々と自札したことがあったという話を松原タニシが言ってた