この画像を大きなサイズで見る最近、トランプ大統領が投稿した内容に事実と異なる点があるとして、フェイスブックから削除されたことがニュースになった。
SNSで虚偽情報を発信する者(政治家、専門家を含む)が後を絶たない今、一部メディアでは彼らの発言や記事の内容が本当に正しいのかどうかチェックしている。これを「ファクトチェック(事実確認)」という。
これ自体は好ましいことで、大いにやらなければならない大切な作業だが、問題は同じ事実であっても、人によってその受け止め方が異なるということだ。特に政治問題に関しては顕著となるようで、『Scientific American』では、このファクトチェックの心理学について詳しく解説している。
政治的立場、主義や考えによって見え方が違うという事実
ある研究グループによって、抗議集会を撮影した動画を見てもらい、その印象を尋ねてみるという実験が行われたことがある。
すると、参加者の社会政治的な立場に応じて、抗議が平和的かなものか、あるいはただの暴動か、その印象が左右されてしまうことが分かったという。
同じことがファクトチェックを行う者たちにも言える。彼らもまた同じようなバイアスに陥り、何が事実であるかはその者の政治的・思想的価値観に左右されてしまう。それを示す次のような事例がある。
この画像を大きなサイズで見るファクトチェックも思想的価値観でここまで変わる
アディ・バーカンという活動家とのあるインタビューの中で、現在大統領選を戦っている民主党のバイデン候補者は警察の予算削減を支持しているという主張がなされたことがある。
この主張をファクトチェックしたCNN(リベラル・民主党寄り)は、それは文脈から切り離されたもので、バイデン候補者が実際にそのような発言をした事実はない。したがって主張の内容は事実ではないと認定した。
ところがFox News(保守・共和党寄り)では、別機関へ予算を振り分けるべきだというバイデン候補者の発言から、彼が警察の予算削減を支持しているのは事実であると認定されたのだ。
同様のことが、シャーロッツビル事件に関するトランプ大統領の発言をめぐって起きている。
ことの発端は、2017年、バージニア州シャーロッツビルで、南北戦争時に奴隷制度維持を求めて戦った南軍兵士の像を撤去する運びとなり、これに反対する白人至上主義者たちが抗議集会を開いたことだ。
これを受けて、白人至上主義に反対する人たちもまた抗議に集まり、両者間でいざこざが発生。最後は、白人至上主義者の1人が相手グループに車で突っ込み、死者まで出る事態となった。
トランプ大統領は事件に触れて、抗議者の中にも反抗議者の中にも「善良な人たち」がいたと発言。リベラル派のメディアは、この発言が白人至上主義者や極右グループの中の善良な人たちを指すと解釈した一方、保守派メディアはそうではないと反論した。
心に侵入する虚偽情報の危険性
虚偽情報が認知に与える連鎖的な影響を調べた研究からは、それがかなり狡猾なものであることが示唆されている。
そうした研究では、まず参加者に客観的な事実と作り話を提示し、それから偽の情報がどのくらい広まったか、それがどのくらい偽の信念を作り出しているのか調査する。
ここからは、虚偽情報が無意識に侵入して、そのことを忘れてしまってからもずっと考えや行動に影響を与えることが分かっている。報道におけるファクトチェックがきわめて重要なのはこうしたわけだ。
現実の政治はそうした実験環境など比べ物にならないくらい込み入っており、先述したように、そもそも何が事実であるかについても意見が一致しないことがある。
各政治ニュースでファクトチェックしているはずの政党がらみの話となると、真実として述べられている事柄が同じ政治スタンスの人たちが共有している主観的意見でしかないこともしばしばだ。
この画像を大きなサイズで見る敵対的ファクトチェックのススメ
この問題の克服するために、『Scientific American』では「敵対的ファクトチェック認」というアプローチが有効だと考えている。
通常、ファクトチェックは2人以上のジャーナリストによって行われているが、それだけではなく、そうした確認メンバーにさまざまな社会政治的意見の持ち主を入れておくのだ。
たとえばリベラル派と保守派それぞれの主要なニュースソースからファクトチェックの担当者を招き入れる。そして彼らに敵対的なチームメンバーとして共同作業させる。
推論によってより優れた結論を導き出すための鍵は、両陣営からの主張を同時に提示することだ。これによって片側だけの主張に触れたことで形成されてしまう偏った見解を最小限に抑えることができるという。
敵対的チームメンバーがどうしても意見を一致させることができなかったとしても、最終的な判断は読者に委ねればいい。そうしてたどり着いた結論は、一方からの証拠を提示された時よりもずっと豊富な情報に基づいたものになるという。
互いに意見を戦わせながら行われるファクトチェックは、いつまでも終わることなく、やがて不確実な真実へと退行していく可能性もある。だがそれでも、ありもしない真実を信じてしまうよりはマシだ。
殻に閉じこもって、自分にとって都合のいい意見ばかりに耳を傾けている人間に対する大切な解毒薬になるはずだ。
References:The Psychology of Fact-Checking – Scientific American/ written by hiroching / edited by parumo
















情報を得る事は本当に簡単になった。
しかし同時に情報の真偽を見極める事が本当に難しくなった。
>>1
難しくはないでしょ
以前より一次ソースにアクセスし易くなったし
元々自分で調べる事もしないネットリテラシーがない奴が多いだけ
※15
※1が言ってるのはあまりにもアクセスできるリソースが増えたことで
イチイチそれを検証しなきゃならなくなったり、1次ソースが提示されてないので
そもそも1次ソースが存在するのかどうかの捜索から始めなきゃフェイクやデマと決め付けるのも短絡で危険という
とにかく検証に手間がかかるという事を言ってるんだと思う
ファクトチェックをAIに行わせるツールの開発だって、人力でするのが面倒なくらい情報が錯綜してるという現在の事情によるものなんだし
>>15
だよね。それに例えば1~10まで読まないと全貌を理解出来ない文章があっても1~2くらいしか読まずに理解した気になって吹き上がる人がとても多いからね。困ったもんよ。
ファクトチェックを1か0かで考えてる奴は賢いつもりになってるだけのアホ
実際は中間的な評価もありうることを覚えるべき
多様性を演出するのには便利そう
事実はいつも1つ
ただし真実は人の数だけある
※6
真実でないものを真実だと言い張る人は大勢いて、「自称真実」も人の数だけあるだろうけど、それは真実とは呼べない物だよ。
「俺はこれが正しいと思ってるから俺にとってはこれが真実」なんてのは単なる「思い込み」でしかないもの。
>>12
分かりやすく言うと、君の爺ちゃんは君にめっちゃ優しかったとする。
→君にとっての真実は「爺ちゃんは優しくていい人」
ところが、爺ちゃんに若かりし頃滅茶苦茶しごかれた部下がいたとする。
→部下氏にとっての真実は「爺ちゃん氏は厳しいだけの嫌な上司」
人によって真実が違うことはある。人間には多面性があったりするからね。
※21
この喩えめっちゃわかりやすい
これが普通のじっちゃんなら「あの人にもそんな一面があったんだなあ」で済むが
もし政治か何かの重要ポストに就いているじっちゃんだったら「この人の政治は俺にとって有利だから好印象であってくれないと俺が困る、嫌な奴なんてのはデタラメだ」とか
「この人の政治は俺にとって不利だからさっさと支持を失って欲しい、優しい人だなんてデタラメだ」とか
各自が自分に都合の良い話を真実にしようとするから話がややこしくなってしまう
無意識にやってしまいがちだけど「こうであって欲しい」と「実際はこうだった」は分けて考えるようにしないとな
>>21
それなら「優しいとこも厳しいとこもある」ってのがとりあえず真実に近い事実じゃん
孫や部下の印象はそれぞれ爺ちゃんの「部分の印象」に過ぎない
二者とも乏しい情報量を根拠にそれのみが真実だと言い張るならそれは「思い込み」「盲信」
いずれにしろ真実ではないよ
※54
そうだよ、だから立場によって見え方が違うっていう話
それでファクトチェックが必要になるわけよ、というのがこの記事
議論においては敵対的でありながらも
議論をする目的においては協力が必要なわけだな
これ自体は討論の最も基本的な理念だがやはり難しいもんだ
記事を読んでいてふと、とあるゲームの「ハーリングの鏡」なる造語を思い出した。
人間が介在するだけで、言葉一つ二つでも解釈にバイアスが掛かるからなぁ……
ファクトって響きが何故か好きじゃない
立場によって事実は変わらんよw
どちらかが嘘を付いてるしかない
>>10
記事読んだか?例えに出ているバイデンの警察予算削減の話はどっちが嘘をついているんだ?
※19
バイデンの演説(一次ソース)をもっぺん紐解いて聞き直せばいいだけの話じゃん
事実を客観的に読み直して分析するだけ
もし曖昧で紛らわしい言い方してたのならまた情報としてそれはそれ
公平中立客観、ジャーナリズムにとって当たり前の事なのに、記事でグダグダ言い訳してるけど、ただ利害が絡むとそれが保てないってことだよね「嘘ついてないよ~ややこしくて分かりづらいよね~」って白けるわ、ただのマスコミの腐敗
※10
語弊がでるから、言葉を足そうかな
何についての「事実」か。
起きた事象には事実しかないから
「真実は一つ」
思考感情などの様々な要素を経て出される解釈は事実は
「人によって違うから真実一つではない」
「何についての真実か」「嘘とはかぎらない」
…こともあるってことかな
先入観やバイアスがかかるというのはあるだろう
情報の提示すらそうなり選定、さらに受け手の読者の受け取り方や印象も異なる
特にその情報開示が不透明ではっきりせず色々な意見や憶測が飛び交いやすいと陥る
洋の東西を問わず、事実に「自分勝手な解釈を付け加える」のは同じなのですね。
本来、事実のみを伝え、解釈は読者(視聴者)に任せるものでいいんですがねえ。
原爆は「悪魔の兵器」か「正義の爆弾」か、みたいだね
円錐形は三角であるし丸でもある どちらも嘘では無い
>>18
それは詭弁だよ
>>18
円錐についての○△は
単にそれぞれ一面的に見て評価しただけだね
我々には3次元の実態もありますし
物事の評価は視座が増えてより多面多角的になれば厳密に評価できるようになるんでしょう
でも原爆についての「悪と正義の二面性」という前提は間違っているのでただのミスリード
あれは大量殺戮兵器 科学史的に評価しても同じ
物理的な現象だって、立場によって見方が変わる。
ましてや、人間の言動なんて。
各メディアが基底となってる理念に基づいてある種の「角度」を
つけることはまぁいいよ。こっちもそういうものとして受け止め
ればいいだけのことだからね。ただ、例えば処理水を「汚染水」
と表記して報道するようなのはもはや、立場によってファクトが
どうこうだのといった次元の話ではない。恥を知って欲しい。
究極的には報道のバイアスから逃れる手段はあらゆる報道に対する
判断を常にいったん保留するという立場を取り続ける以外にない。
だが情報が津波のように押し寄せ、意思とは無関係に日々あまたの
判断を強いられる現実世界においては、それはなかなかに難しい。
仏教に興味がなくても般若心経ぐらいさぁ…とは思うし、聖書にもそう書いてあるだろ?とも思うが、まあ宗教に全く興味がない人からすれば新発見だと思っちゃうよなw
※25
新発見?どこにもそんなことは言及されてないし
誰も思っていないが…?
そもそも一時ソース=真実とは限らない。
絶対的な真実なんてモノはない。
定説と新発見や別角度からの考察、論証などのぶつかり合いなのは永遠に変わることはないよ。
その割合によって比較的覆しようのない事実、と言うのが決定されて行くに過ぎない
>>26
真実や正義を言えとは言わない
ただし伝える義務がある者は「事実」を伝えるべきだ
明らかな部分も不明な部分も
ジャーナリストにはそれが真実だろうよ
プロが取材して判った範囲でいいんだ
カラパイアずっと好きで最初から定期的にみてますが、カラパイアに政治ネタやビジネスノウハウは求めてないんですーwそういうのはちまたにあふれてるんで、カラパイアではカラパイアらしいネタつづけてください、よろしく頼みます。
普通に両論併記やカウンターウエイト的な意見交換を意識するだけでいい気がするんですが
※30
これだと、少数意見が二分の一の対抗意見に見えちゃう危険が。
常にアンケートなり実数なりの割合を出してもらいたいかな。
※30
信頼性の重みというものがある。それを読み手に丸投げするのはある意味責任放棄。
政治の話ででは無いけど極端な例でいうと
「全ての生物は今あるままに神が創造した」と「原始的な生物から何億年もかけて進化した」とか「癌はこの○×療法で100%治る」と「切除、放射線、薬などを適切に組み合わせる通常医療」が等価に紹介されてしまう。
>>46
どこまでいっても最終的にそれを信じるのは「あなた」ですよ、ってことでは
情報は求めれば与えられます
そこから「与えられた情報と知識を加味してどうアセスメントしてどう判断するか。そしてどの時点で再びその情報を振り返ってアセスメントし直すか?(あるいはもう振り返らない?)」を考えられること、考えること
は
「読み手」に与えられた権利であり、義務であり、情報の発信者はある意味「丸投げ」せざるを得ない部分。スーパーで一種類しか品物がないならそれしか買えないけど、複数選択肢があったら、味とかパッケージで選ぶのと同じ
パッケージで魅力的でも、口に合わないかも知れない。それを「製造者の責任放棄」とは言わんでしょ。美味しくなかった、二度と買わん、とは思っても
論文の被引用件数とか、ファクトチェックとかは「信頼性」という情報もパッケージした商品ではある。ちょっとお得に見えるかも知れない
せやけどそれもどこまでいってもただの「情報」や。生かすも殺すも自分次第の
例えば5分間診療でPCの画面しか見ない医者が「がんですね、まあ、標準療法ありますから。やっていきましょうか」と言うのと
1時間くらい話をうんうんと聞いてくれて、目を見てくれて、何か奇跡の様な、耳にやすい話を聞かせてくれて「ちょっとお高いんですけどね、これがね、がんも糖尿もぜーんぶ、ほら、この後たくさんお医者にかかるより断然お安い」と言うのと
どっちが魅力的な「情報」だろう?
ファクトチェック団体(企業)を支援してる所(母体・子会社・関連会社)や人を見れば
どっちに偏ってるのか?はすぐに解るやろ
主観でねじ曲がった情報ではない、
信用できるニュースを常に発信してくれる情報源は存在するので
普段から確保しておきたいですね
南軍の奴隷制度撤廃反対は、いまでこそあり得ない話だが、当時大量の黒人失業者が出現することを意味していた。黒人の一部も職を失うわけだから、反対する者もいただろう。歴史というのは、現代の価値観で一概に悪と決めつけることは出来ない。もちろん車で突っ込むのは悪いに決まってるけど。最悪なのは、現代の価値観で過去をあげつらって食い物にする連中だ。
少し話がずれるかもなんだけど。
自分、趣味で戦争に従軍した人の手記をけっこう読んでる。
読んでて気付くのは、同じ戦争、同じ戦域、同じ戦闘に携わった人でも、人によって言うことが違ってくる、ということ。
飛行機乗りが見る戦争と陸軍の兵隊が見る戦争は違う。
陸軍の歩兵と砲兵と輜重兵の見る戦争は違う。
兵隊と下士官と将校が見る戦争が違う。
前線のどの位置にいたかでも見る戦争は違う。
所属する部隊、分隊、班によっても、たぶん見る戦争は違う。
敵か味方でも、もちろん見る戦争は違う。
しかも皆けっこう、記憶が曖昧になってたりする。
誰かがウソをついたというわけでなくても、皆が言うことがなんだかずれてる。
割と共通するのは古今東西、やばい戦場を経験した人がそろって「戦争はあかんわ」って言ってることくらい。ほんと、そのくらい。
たまに「○○○戦争の真実!」とかをのたまう御仁を見かけるけれど。
それはどこの、誰の真実なんだよと問わずにおれない。
後方で威張ってた憲兵の戦争だって、「真実」には違いないわけでね。
難しいな、と思うよ。
注:マスメディアがやるファクトチェックは、マスメディアは対象外です
こんな片手落ちでお粗末な仕事、信頼に値しないわ
横文字にして茶を濁す
最終的な判断を読者に委ねるんだったら、ファクトチェックなんてしなくても同じことなんじゃ…
舌足らずだった。中国人と言うのは、フェイスブックの中の中国人従業員と言う意味ね。
ファクトチェックってようは「事実」を捏造するなよ、ってとこから始まったムーブメントだと思うのだが。記事で触れられてるようなことは論評の領域だから思想的立ち位置によって人それぞれ、だから最終的には読者に任せますでいいと思う。しかし、無かったことを実際あったこととして書くのはこれは完全にNGで、これをやるメディアが多かったからファクトチェックが重要視されたわけで。
情報をどのように処理するかは当人の主観の範囲内だし、事象の一部を隠蔽するだけで結果なんていくらでも変わる。
んじゃ事象に関わる全ての事実を羅列する? 誰かが転びましたという事件に数時間かけて放送する事になる。
目にする光景の大部分は記憶に残らないように、情報のフィルタリングは必須。
つまり報道問題は、フィルタリングが避けられないのにフィルタリングの存在が無い前提である事と、それによってフィルタリングの主観と目的が曖昧な事。
報道の自由と客観性なんて概念があったんだぜhahahaと言われる時代が来るかもしれんと思う。
※51
悪意のはびこる今の時代なら欲しい
転ぶことがニュースになる人物ならば
どうして転ぶに至ったのか
因果関係を対立する各国もしくは各勢力によって厳密に50%50%の
報道時間をもって明らかになされないと信用はしないな
報道は当り前のように一方視点へ誘導するよね
コメント欄読んでわかったのは、せめて「真実」「事実」
「ファクト」等の「言葉」がそれぞれに差し示す意味内容を
すり合わせておかないとそもそも議論自体が成立しないということ。
>>57
すり合わせも何も…
そもそもが厳密に違うものをだよ
そこを認識もせずに自分に引き寄せて都合よく使う人間が多いのはちょっと問題じゃないかと
そこつっこんでんだけど
選挙前の米国のマスコミがどうだか知らないが、言葉を厳密に使ってナンボの連中が色々開き直っちまってて愚民化を煽ってないか
言葉が介在した時点で事実ではない
それは表現だ