この画像を大きなサイズで見る記憶された人類の歴史の中で、最も長く続く音楽パフォーマンスと言われている『オルガン2/ASLSP』が、このほど7年ぶりにドイツの廃教会にて演奏された。
この曲は、アメリカを代表する現代音楽の作曲家、故ジョン・ケージ氏により作成されたもので、曲名のASLSPはAs Slow as Possible、つまり「可能な限り遅く」という意味を持つ。
ケージ氏の意向に沿って2001年からドイツで開始されたこの演奏が終わる予定は、なんと2640年!
実に639年をかけて奏でられる特別な音のパフォーマンスを、今回も多くの人が見守った。『Oddity Central』などが伝えている。
ジョン・ケージ氏が手掛けた世界で最も長い曲
「慌ただしい現代の生活に音楽的に逆らう」というコンセプトで故ジョン・ケージ氏が作曲した“世界で最も長い曲”とされる『オルガン2/ASLSP』が、今年9月5日、ケージ氏の誕生日に実に7年ぶりに演奏された。
演奏場所となったのは、ドイツ中部ハルバ―シュタットにある聖ブキャルディ廃教会だ。
世界初として、この教会にオルガンが設置されたのが1361年のこと。1987年に書かれた『オルガン2/ASLSP』は、もとはピアノ曲として1985年に作成された。
ケージ氏の「可能な限り遅く」演奏するという意向に沿って、この曲の演奏が同教会で提案されたのは2000年。オルガンが設置されてから2000年に至るまでの期間が639年だったことから、演奏時間を639年に設定された。
この壮大なプロジェクトのきっかけは、1992年にケージ氏が死去した後97年にドイツで開かれたオルガン・シンポジウムだったという。
専門家らは、この曲はオルガンの寿命と後世の平和や創造性が続く限り永久に演奏できると結論付けたが、演奏するオルガンの耐久性や寿命が無限ではないことから、639年と設定されたのだ。
曲の演奏が始まったのは2001年9月5日の故ケージ氏の誕生日だった。しかし、曲の冒頭は長い休符のため沈黙で始まっており、最初の和音が実際に奏でられたのは17か月後の2003年2月5日だった。
7年ぶりに新しい和音が演奏される
今回、2013年10月5日の前回の演奏から7年経った2020年9月5日に、再び新しい和音が奏でられた。
厳粛な儀式のもと、多くの人が教会に詰めかけ、記念すべき演奏を見守った。
その様子は公式サイトでもライブ配信されているが、今回は2名のオルガン奏者により実施された。1つの音と音の間の時間は、演奏者に委ねられているそうだ。
ケージ氏は、実験的楽曲を手掛けることで知られた現代音楽の作曲家だった。
この画像を大きなサイズで見る1952年には4分33秒の間、初めから終わりまで休符のみの全く演奏しない『4分33秒』と名付けられた「沈黙の音楽」を作曲し、話題になった。
次に和音が変わるのは2022年2月5日。1、2年ごとに6本のパイプが違うコードに切り替わるため、2030年には21の和音が奏でられるようになるそうだ。
この曲の演奏終了予定は2640年の9月5日で、まさに多くの年月をかけて奏で続けられる音楽は、むしろ長い祈りに近い印象を受ける。
ちなみに、1985年に作成されたピアノ曲は、20~70分ほどで演奏できるという。
written by Scarlet / edited by parumo













100年後にはこの曲が演奏中だって事は忘れられてる気がする。
いや、曲になってないでしょう
とか言うと「わかってない」と笑われるのだろうか
>>2
そういって笑う人の大半は分かった気になってる人だと思う
曲として成り立ってないのは誰が見ても明らかだろう、作曲者もネタとして作って今頃あの世で笑ってるかもな
常日頃から、すぐには理解できないような事柄や人のことも、頭ごなしに「わからない」と決めつけるのではなく、できるだけ理解するように努めているのですが、ジョン・ケージのことは、やはりどうにも理解できませんw
やはり普通に演奏するんじゃないんだw
作曲経験は無いが、曲を書くのに演奏時間の倍は時間を取られるはず、つまり休息なしで639X2年はかかる。
だから休符が長いとか繰り返し200回、楽器が加わるたび最初からとかしないと作れない。
音楽として演奏としての価値はともかく、長い時間を想起する機会としてはいいかな。
100年くらいだと祖父の時代とか段片的に聞いてはいるけど、ハーフミレニアムを超えてるともうねー(余談だが祖父は元服して数年は刀を差して歩いていたそうだ)。
私には邪念があるのだろうか、この音聞いてると不快でイライラしてくる。
中井紀夫『山の上の交響楽』があるで。
全宇宙でたった一度だけ演奏するために作られた曲、山頂の奏楽堂で演奏に一万年もかかる交響楽を演奏し続ける楽団は、演奏開始三百年のいま、最大の難所「八百人楽章」を迎えていた。前代未聞の楽器製作や大量の写譜に大わらわの楽団員の姿を描く。
※6
面白そうだから、さっそく図書館で予約しちゃったよ!
紹介してくれてありがとう!
演奏が終わるまで楽譜が無事に残ってるとイイネ
いや人類が生き残ってるかどうかレベルか
そのころまで災害や戦争もなく、平和な国家がありゃいいが
実際はそんな時代あった験しもない
音楽演奏よりも引ける環境を維持するほうが大変そう
>7年ぶりに新しい和音が演奏される
タイトルは7年ぶりに演奏ではなく変調だな
金栗四三が思い浮かんだ
この曲が無事に演奏を終えられるためにはそれだけ長い間演奏を続けられる環境が整ってなければならない、と考えると、これはその時代その時代の人々が平和を祈る伝統行事になっていくのかも。
2640年9月5日、この曲の演奏終了を多くの人が聞き届けられると良いなと思います。
まあ、良くも悪くもアートは言ったもん勝ち・やったもん勝ちってことで
最初の音が鳴る前に大きいクシャミして台無しにしたい。
演奏後はサグラダファミリア完成してるな~楽しみ
※15
サグラダ・ファミリアは、工事技術の進歩で
あと5~6年後には完成してる予定だそうだけど。
まぁコロナ騒ぎやあれこれがあったから
順調に進んでいるのかどうかは知らんが。
4分33秒の人?と思ったら4分33秒の人だった
この手のゲージュツはわからん
「この作品はケージの他の作品同様「開かれた形式」(演奏に関する多くが演奏者に委ねられ、そのため作品は一つとして同じ演奏にならない)が採用されており、よって演奏時間は奏者に任されている。すなわち無限に演奏することも可能であるし、逆に5分もかけず終えることも可能である。」 (wikiより)
五分バージョンがあるなら聞いてみたいw
「世界ができてから今までが、ずっと続く音楽でありアート」って言っても通用しそうだな
実際もうやってる人いそう。
裸の王様の一種だと思う
プログレ界で既にやってそうなネタだ、と思ってしまった。
間100年間音を鳴らさなくても「曲」と言ってしまうのはどうかと思う
しょうもねえ
って言ったらマイナス評価もらっちゃうのかなあ
シャレが効いてんな~。キチンと楽譜通りに奏で続けて貰えるとはケージ自身思ってなかったかも。
※24
ケージの霊「おいおいww本当に演奏してる奴おんぞwwwwうけるwww」
何も奏でない無音の時間に聞こえる、
衣擦れの音、誰かの携帯のバイブ音、こらえきれなかったくしゃみや咳、
廃教会の外から聞こえる車の走行音、鳥のさえずり、虫の音。
そういう命の息づく音がその無音の時間の音楽なのでしょう。
とか言ってみる。
1987年時点で「慌ただしい現代の生活」か……
その頃よりはるかにスピード感も密度も増しているな
一般的なサラリーマンが分刻みで仕事して、外に出ても携帯で四六時中つながって場合によっては管理されちょっとした休憩や余分な時間もままならない
何ゆえにこんなバカげたものがもてはやされるのか。
作曲した人間も、途中途中で演奏している人間も、聞いている人間も、誰ひとり全部を聞く事が不可能な物を何の自己満足でやるのか。
浪漫を感じる?
そりゃ多少はあるだろうけどさ。
実現できないって判り切ったものにコストや手間暇かけるなよと。
そういう物を持て囃すなよと。
※29
気持ちはわかります。あるひとつの明瞭な答えの見えない作品になんの意味があるのか。
難解だし評価が分かれるのも理解できますが、では一見無益なものをすべて削ぎ落とした社会が果たして豊かなものと言えるのでしょうか。やはり「遊び」「間」のようなものは必要ですよ。まあ長過ぎる「間」ではありますがw
。前衛的な表現に出会った時に「それはコストに見合った何かの役に立つのか」と問うのは無粋ってもんです。
世の中にはこんなことを考えて実行する人もいるのか~と面白がればいいんじゃないですか。
>>29今の所実現に向けてプロジェクトは進んでいるので、不可能というのは正しくない。サグラダファミリアもこれ程築き上げ続けられるとは当時余り信じられてなかったはず。祈りに必要な要素以外の構築を編み続けるという点では同じ位置に属するはず。人はパンのみに生きるにあらず、ですよ。
氏の試みはどこまでなら音楽と認められるかという哲学の検証のようなものだよね
この曲そのものよりもこれを否定する哲学そのものに価値があると思う
ジョンケージもこの企画を実現させてる人たちも素晴らしいと思うよ!!凄い広い視野、時間の広がりを感じられて、今の自分から解き放たれる感じがするけどな。
これは曲なのか?
物珍しさ以外に何か芸術的な魅力があるのだろうか?
凡人には無駄にしか思えないんだが…
全ての芸術は無駄から生まれるのよ。
スコットマクラウドのマンガ学をぜひ読んで欲しい。
※34
いや、決して全てではないよ。
美しい音色や心躍るメロディ、思わず目が離せず何時間も虜になる絵画
訳のわからない理屈や胡散臭い評論家なぞなくとも純粋に感動し感心するアートなど幾らでもある。
衣食住を満たすという意味で無駄かもしれないけど、誰もが恩恵あると理解できるので無駄ではない。
前衛芸術は誰にも理解できなくても作者の自己満足と販売業者の値付けがあればいいみたいなのが真の無駄。
芸も術もない。
>>36
値付けがあればまだ市場を回すという意味では真の無駄ではない。
真の無駄とはこう言った社会資源をただ浪費するだけの、経済的価値すらない「芸術」だ。あの何分何秒間何もやらない奴の方がまだ入場料とか楽団のギャラとかが発生するだけマシだし、なんなら「演奏者」の誰も練習する必要がなくその時間をもっと有意義なことに使えるだけ寧ろそこらへんの駄曲よりも上等。
このニュースではじめて楽譜みた
耳コピした音があっていて何となく悦になれました
真っ当な音楽やれなかった人のパフォーマンスを、多様性だ、実験的だなんて持て囃すから
音楽が結果鼻で笑われるんだ
>>41むしろ、その姿勢が音楽を殺す。人は壮大な交響楽にウンザリする時もあれば、たった一音の雨だれや打楽器の一打ちに涙する事もある。空気の振動は一瞬で消え去り、長い旋律もなんの形も残さない。だからこそ音楽は尊い。真っ当な音楽と言う概念自体が音楽の本質をたがえている。
※43
その、もしかしたら何万分の確率かで素晴らしいものができるかもしれないから一切の批判も抗議も認められないこの芸術の敵め、みたいな独善的な考え方が芸術って言っておけばどんなものでも許されるべきという風潮を生み出して、他人を傷つけ侮辱する方便に使われるんだよ。
盲目的な芸術信仰こそが称賛されるべき存在を腐らせる。
>>44芸術云々をどうこう言いたいわけではない。音楽は音楽であり、権威と関係なく始原から存在する。素晴らしい楽曲を作り上げた数多くのアーティストには敬意を表するし、消えていく音の組み合わせで人に感動を与えるのは素晴らしい。しかしただ一音の響きも、自然界の例えば風のうねりの音も感じ取ればその時点で音楽だろう。真っ当な音楽という概念は全人類に共通する事は無い。
※45
批判は受け付けないって言ってる時点で傲慢にも程がある
音を楽しむのが音楽であって大半の人間が純粋に楽しめないならそれは雑音
自然のうねりがどうこうなんて夢見すぎ
実際に、実際に世界に満ち溢れる耳障りで健康的な生活を阻害する雑音がどれだけあることか
人が作って人が聞いて楽しめるから音楽であり芸術だ
自然や世界が人間を楽しめるために何かしてくれるとか無い
そう感じて自分が心穏やかに過ごすのは構わないよ
ただそれを押し付けるな
>>48
何もしてくれないし、何の意図もない音を編んで曲を編んで来たのが人間。一つ一つの音に夢などないし、ましてや価値観の押し付けなども意味がない。存在し、感じる人が居るだけ。漏れなく全てのものに受け入れられる音楽も無い。
サティーにしてもケージにしても、聴衆が自由意志で「音楽」と
認識しているつもりのものが、実際には帰属文化に強く束縛された
極めて窮屈な概念に過ぎないと気づかせてその認識を解体する試みを
してたんじゃないかな。20世紀の西洋音楽家の多くは民族音楽に
深く接することでその契機を獲得してる。
639年?ナパームデスのYou Suffer何回分だよ。
芸術の効用として「異化」の感覚というものがある。
その作品に接することによって、それまで無自覚に「それ自体」
だと思い込んでたものの認識がずれる酩酊のような感覚。
ケージは「○○だから音楽なんだ」「○○は音楽ではない」
みたいな形而上学的な命題化自体から脱して、我々が観念的に
音楽と認識する領域の可能性を拡張したかったんだろう。
ただ、自分は音楽家の端くれなんでその野心には尊敬の
念しかないが分野外の人々に理解されないのもまたしょうがないことだと思う。