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「それでも地球は動く」これはイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが、1633年に開かれた2回目の異端審問(宗教裁判)の際につぶやいたとされる言葉である。宇宙の中心は地球であるとする天動説が主流だった時代、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイは追い込まれていったわけだが、それよりもかなり昔、紀元前5世紀にも、当時信じられていたことを覆す発言をして追放された哲学者がいた。
ギリシャ人哲学者、アナクサゴラスは「月は岩石でできた天体で、地球とそれほど違わない」と初めて主張した人物である。当時月と太陽は神と信じられていた。アナクサゴラスは正しいことを主張したにもかかわらず、逮捕され、追放されたのである。
月は岩でできていると初めて主張したギリシャの哲学者
月の北極点の近くに、アナクサゴラスと名づけられたクレーターがある。このクレーターができたときの衝撃で飛び散った物質の筋が、南へ900キロも続いていて、プラトンと名づけられたべつのクレーターの縁まで達している。
月の北極点近くにあるアナクサゴラスクレーター。1967年、NASAによるルナ・オービター4号機によって撮影された。
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プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)と同様、アナクサゴラス(紀元前500年頃 - 紀元前428年頃)もギリシャの哲学者でアテネを拠点に仕事をしていたが、ふたりの共通点はそこまでだ。ピュタゴラス学派の影響を強く受けたプラトンは、宇宙の神秘を完璧な円軌道などの神聖な幾何学的形態に置いた。
プラトンは、観察や実験は行わず、すべての人間が本来もっているものと信じていた純粋な知識を追求することを好んだ。
しかし、プラトンが生まれた頃に亡くなったアナクサゴラスは、宇宙の謎を解き明かすために慎重な観察や計算が必要とされる天文学の分野に長けていた。
アテネにいた時代、アナクサゴラスは月についていくつかの基本的な発見をした。前任者たちの間で持ちあがってはいたが、当時はあまり受け入れられていなかった考えを繰り返し主張し、その研究に時間を費やした。
それは、月と太陽は神ではなく、物体だという考えだ。そのせいで、アナクサゴラスは逮捕、追放された。

紀元前5世紀に生きたアナクサゴラス。彼は初めて月が岩の山だらけの天体だと気
づいたひとり。
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観察にこだわったアナクサゴラス
アナクサゴラスのような古代の哲学者の生涯をまとめるのは、歴史家にとって大変な苦労かもしれない。彼は一冊の本を書いたと言われているが、そのほとんどは失われ、現代の学者は断片から研究を進めるしかない。彼の教えからのほんのわずかな引用や、その考えの短い概要は、プラトンやアリストテレスのようなのちの世代の研究の中でとりあげられている。
徹底して観察にこだわったアナクサゴラスは、月は岩石でできていて、地球と似ていて、表面には山があると信じるようになった。太陽は燃え盛る石の塊だと考えた。
月食や月の満ち欠けなどの自然現象を正確に説明
アナクサゴラスは遺稿18の中で、"月は太陽の光を反射している"と言っている。月の光が太陽からの光を反射したものであることに気がついたのはアナクサゴラスが初めてではなかったので、彼はこの概念を利用して、月食や月の満ち欠けといった自然現象を正確に説明した。
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ギリシャの東、イオニアのクラゾメナイ出身のアナクサゴラスは、知的革命、イオニア啓蒙のさなかに育った。若い頃、彼はアテネとスパルタが、イオニアからペルシャ帝国を追い出すために手を組むのを見た。アテネに移り住んだとき、アナクサゴラス世代は、生まれたばかりのアテネの民主主義に哲学を持ち込んだ。
しかし、紀元前6〜5世紀のギリシャ哲学者の多くは、水、気、火、土といった基本元素しか信じなかった。だが、アナクサゴラスは、こうした元素は無限にあるに違いない考えた。
こうした考えは、ピタゴラスやその信望者たちのように、ギリシャ植民地時のイタリアで、東のイオニアの自然主義志向の哲学者と、西の神秘主義志向の哲学者間に出てきた、存在の性質についての知的論争を解決する彼なりの方法だった。

アナクサゴラス、ニュルンベルク年代記より image credit:wikimedia / public domain
数少ないアナクサゴラス専門家のひとり、ブリガムヤング大学の哲学教授、ダニエル・グレアムによると、イタリアを拠点としたペルメニデスのような哲学者はとくに、アナクサゴラスや彼の天文学的考えの影響を受けているという。「アナクサゴラスは、月の光の問題を幾何学の問題へと変えた」グレアムは言う。彼は月が太陽ではなく地球の裏側にあるときに、その正面が輝いているのに気がついて、「月の満ち欠けだけでなく、いかにして月食が起こり得るかを予測する天空モデルを生み出した」という。
月の満ち欠けは地球の側から見て、天体のさまざまな部分が太陽に反射した結果だということに、アナクサゴラスは気がついた。さらに、月がときどき暗くなるのは、月、太陽、地球が一直線に並んだ結果、起こるに違いないと考えた。
つまり月が地球の陰に入り込む月食だ。月が太陽の前を直接通過すると、昼なら空が暗くなる。アナクサゴラスがこう表現した現象は、現代のわたしたちが日蝕と呼んでいるものだ。

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月の起源の謎についても取り組む
アナクサゴラスは、今日でも研究者たちが頭を悩ませている、月の起源と構造にも取り組んだ。彼は、月は初期の地球から宇宙に分裂した巨大な岩石だとした。この概念は、2300年後にチャールズ・ダーウィンの息子、物理学者のジョージ・ダーウィンが提唱した月の起源のシナリオの基になった。
月は地球の高速回転によって宇宙に投げ出された岩石の塊として始まったというダーウィンの考えは、分裂説として知られている。その分裂した部分が、太平洋として残されたという(現在は、火星サイズの物体が初期の地球にぶつかり、その衝撃で放出された物質がくっついて月になったという説を考える天文学者が多いが、もともとあった地球の衛星が月の基礎になったという説もある)。
月は地球を起源とする岩石の塊で、太陽は燃える石の塊だと表現したアナクサゴラスは、月は反射板のようなものだと気づいていた当時の人たちの思想の先端を行っていた。
月や太陽は神だとする当時の考えと真っ向から対立
こうした進んだ考えのおかげで、アナクサゴラスは月や太陽は神だとする考えを真っ向から否定する危険人物としてのレッテルを貼られた。このような考えは、民主的なアテネでは歓迎されるはずだったが、アナクサゴラスは影響力の強い政治家のペリクレスの師であり、友人だったため、のちに政治的な派閥が彼をおとしめることになる。
30年以上の治世で、ペリクレスはアテネをスパルタとのペロポネソス戦争に巻き込んだ。この戦争の本当の原因が議論される一方で、戦争に突入したときのペリクレスの政敵が彼の行き過ぎた好戦性や傲慢さを非難した。
アテネの指導者を直接攻撃できないため、政敵はペリクレスの友人たちに矛先を向けた。アナクサゴラスは逮捕され、裁判で死刑を宣告された。表向きの罪状は、月や太陽は神ではないとする考えを広めた不敬罪だというわけだ。
「アテネの民主主義では、民間人によって持ち込まれた刑事罰は、大陪審の前で"民主的"に裁かれる裁判だったが、検事も不在で、すべての裁判は基本的に政治絡みの裁判だった」とグレアムは言う。
たいてい、宗教や道徳の線でいちゃもんをつけ、特定の公人を困らせることを狙って、当人に弱みがあれば直接追いつめ、そうでなければその人物の取り巻きのべつの人間を苦しめた。政治的な影響力はまだまだあったため、ペリクレスはアナクサゴラスを放免して、死刑を回避させることはできた。
ペリクレスを攻撃したくても、人気があって直接攻撃することができないため、彼のグループの中の一番弱いスケープゴートを見つけ出すというわけだ。
外国人で、異端的な新説を声高にうったえる知識人で、ペリクレスの友人であり、科学アドバイザーだったアナクサゴラスは、格好のターゲットだった
最終的に命は助けられたが、月の神性に疑問を呈したアナクサゴラスは、ヘレスポント海峡のはずれのランプサコスへ追放され、隠遁生活を余儀なくされることになった。
しかし、月の満ち欠けや月食についての彼の説は、今日でも生きている。彼が唱えた月の性質の真理のおかげで、あれから2400年後に月周回探索機が実際に月まで行き、クレーターには彼の名がつけられるまでになったのだ。
そう、冒頭に説明した北極点近くのアナクサゴラスと名づけられたクレーターである。
References:An Ancient Greek Philosopher Was Exiled for Claiming the Moon Was a Rock, Not a God / written by konohazuku / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
なぜ岩である=神の否定に繋がるのか。岩の姿をした神、炎に包まれた神じゃダメなんだろうか。
2.
3. 匿名処理班
他者を強く攻撃する人は、たいてい自分の"正しさ"を疑う冷静さを失っている。
観察を重視した彼だからこそ、他人からの妄想や狂気に駆られた攻撃にやり返すことができなかったのだろうなと思う。
それでも友人に命を救われ、隠遁を強いられながらも、事実と向き合える感性を持っていられたなら彼は幸せだったかもしれない。
ソクラテスと重なる時代の人だと思うけど、初めて聞いた名だ。興味深い
4. 匿名処理班
この手の話を聞くと、先見の明がある人はいつでもいるもんだなと思うのと、人間は神好きな、と思う。
5. 匿名処理班
こういったこと(宗教による弾圧)がなければ、もう少し天文学や科学も発展していたかな…?
6. 匿名処理班
科学と宗教の対立かと思いきや、政治的な攻撃の一環かいw
7.
8. 匿名処理班
潮の満ち引きを起こすくらいの神ではあるんだよな
9. 匿名処理班
俺がそんな時代に生まれてたら大勢に倣って神様だと思っただろうな…
今でこそ大半が科学で解明できてるけど、自然現象の動画なんかじゃ「昔の人が見たら神様の仕業と思うだろうなぁ」ってのが沢山あるよね
10. 匿名処理班
現代人も自分達のもつ常識から外れた考えを主張する人物が現れると、とたんに「こいつは攻撃していいんだ!」モードになって袋叩き。当時と変わらん。
11. 匿名処理班
月食の理屈がわかってたって地球が月や太陽と同じ球体であることを前提としてるよね
この時代ってそれが常識だったんかな
12. 匿名処理班
日本じゃ太陽が水素とヘリウムの塊であることと天照大御神≒お天道様であることは矛盾しないから「絶対か無か」のような発想って勿体なく感じてしまう。
13. 匿名処理班
どうやったらあれが神様に見えるんだ
武器軟膏が信じられてた時代だし、高IOでも数秘術に囚われてたし
素朴な時代だったんだな
14. 匿名処理班
※11
シュメール人がかなり高度な天文学の知識を持っていたらしいから、その周辺の文明圏にも伝播していそうなもんだけど、周辺文明圏がまともな観測機器を持っていなければ、自前でその知識を確認できないので忘れ去られるか無視される事はあるかもね。
15. 匿名処理班
こういう話を見ると昔の人って偏屈なバカだったんだな、って感じるけどきっと今から未来の人もこの時代を見たら昔の人って偏屈なバカだったんだなって感じるんだろうな……
16.
17. 匿名処理班
※11
少なくとも知識人の間では知られていたらしいね。
証拠はいくつか有るんだけど、例えば月食の時に月に映る地球の影が丸い事。
月が東でも南でも西でも、どこにある時に月食が起こっても影は丸い。つまり地球はどちらから光を当てても丸い影が出来るわけで、そんな形は球体しか有り得ない。
あと、地球の影を月が通過する時間から月の直径は地球の4分の1、視直径を計って月までの距離は月の直径の100倍と、ほぼ正確な数字も出してるよ。
18.
19. 蜘蛛のファンです
正論っちゃあ正論でしょ。
でも画像解析とかちゃんと
出来ない御時世によくもまあ
そんな事知れたよねって思います。
20. 匿名処理班
※5
ニュートンやガリレオも敬虔なキリシタンだった
ガリレオは「私がやっていることは神の意志を説明することなんだ」と言っていた
主要な西洋科学者には宗教人的立場から科学を発展させた人が多い
21. 匿名処理班
その頃の日本人「どんぐり美味しいね‼︎」
22. 匿名処理班
現代人が「時間」の存在を信じて疑わないのと同じですね。
23. 匿名処理班
球体であることは観察で
影の出来方を見て判断したのでは?
形がある
→立体か平面か
→立体だとしてどういう形状の丸か
→丸棒を輪切りにしたようなものか?
→地球の影が写っているなら球である方が自然だ
みたいな思考がされたかもしれないね
丸い玉作ってロウソク片手に想像したかもしれない
24. 匿名処理班
宗教が絡むと面倒くさいわな。
まだキリスト教の時代ではないからマシだったけど、キリスト教の時代なら火あぶりだっただろうけどな。
25. 匿名処理班
事実の探求は時として迫害される
虚偽によって利益を得ている者たちからは特に
今でもそれは変わらない
26. 匿名処理班
俺は困った時にお金を貸してくれる人を神と呼んでる
27. 匿名処理班
2500年前に、合理的なリアリストがいたんだな。肉眼だけの観測でよくその結論にたどり着いたなぁと思う。
28. 匿名処理班
岩で武装した神だな
29. 匿名処理班
科学的立証が不完全で、信仰が大事な心の拠り所の時代なら、仕方ない部分もある
30. 匿名処理班
いつの時代も大衆は愚劣であるというのは変わらんね。勿論、自分も含めて。
31. 匿名処理班
※1
仏像はほとけと思えるが単なる岩をほとけとは思わん
神秘的な存在=神 という理屈に、あれ単なる岩ですけど? なんて言えばどうなるのか。
日本的な自然崇拝なら岩でも神である。
どんぐり卒業しているぽいぞ
32.
33. 匿名処理班
この時代にそれ発見して言えるってのが凄すぎる。
34. 匿名処理班
この人スゲーよ、哲学者というより科学者だ。
35. 匿名処理班
※34
自然哲学は今で言う科学と全く同じだから。
36. 匿名処理班
この後衰退の一途を辿るとは誰が予想出来ましょうや?
37. 匿名処理班
>>15
あと100年もすればAIが働いて飢餓は相当に軽減された社会となるのにイデオロギー闘争から8000万人も犠牲者を出したWW2と冷戦を引き起こした最高に愚鈍な世代の人々と思われるだろうな。
「一世紀位待てなかったのかよ・・・コイツら頭トロいんじゃね?」みたいな。