この画像を大きなサイズで見るコンサートホールとは違い、キリスト教会のミサや礼拝では、小さな子どもは歓迎される。その子どもが自由な振る舞いをしていても、だ。子どもが子どもらしく振る舞ったから、という理由で叱責されることはない。
実際に、教皇の謁見中に自閉症の子どもが壇上に上がって来たときにも、フランシスコ教皇は子どもを止めようとする母親をなだめ、「我々は(神の前で)、父の前で自由に振る舞う子どものように、自由にならなければならないのです」と語った。
さて、ブラジルのノッサ・セニョーラ・ダス・ドーレス教会(嘆きの聖母教会)でも、似たようなことが起こった。日曜日のミサの最中に、壇上に上がり、神父さんと遊ぼうとする自由な生き物が現れたのだ。
ただしこちらは、人間の子どもではなく、犬だったのである。
ミサの途中で入ってきた犬
6月2日、日曜日の、午前9時からのミサが始まって間もなくしてのことである。一匹の犬が、ミサの最中の教会に入り込んできた。
もし、この犬が大人しく敬虔に神に祈りをささげていたのなら、特に騒ぎにはならなかったのだろう。だが、この犬は、実に犬らしく、自由闊達に振る舞い始めたのである。
祭壇に上っていった犬は、壇上の台にかけてある布の類にかみつき、引っ張り、飾られた花をひっくり返し、と、好きなように遊んでいたわけだ。居合わせた司祭たちさえもこれには困ってしまい、何とか追い払えないかと考えたそうである。
犬の相手をする神父さん
だが、そんな人々の思惑はどこ吹く風。犬は続いて、祭壇上の司祭の一人にロックオンした。ジョゼ・ジェラルド・ソブレイラ神父だ。
会衆が聖歌を歌っている中、犬ははしゃいでソブレイラ神父のローブにじゃれついた。神父も、犬の相手をしながら微笑みを隠せずにいる。
最後に、ソブレイラ神父は会衆に「(この犬は)小さな男の子なのですよ。ただ遊びたかっただけなんです」と説明した。
この犬はどこから来たの?
さて、この犬は首輪をしていることがはっきりと見て取れる。誰かの飼い犬だということだ。どこかの家の、閉め忘れたドアから逃げ出したのではないだろうか?
というわけで、ミサの後、犬を連れて飼い主を捜しに行った人がいた。
すると、あるホームレスの人が犬に気がついた。飼い主が誰かも知っているという。実は、この犬の飼い主はアルツハイマー病を患っていたのだ。飼い主の妹もすぐに犬に気がつき、感謝と共に引き取った。
こうして、ちょっと冒険に出た犬は、教会で楽しく遊び、無事に家に帰れたのである。犬の名前は「エルマン」だった。
ちなみに、犬がロックオンした相手がソブレイラ神父だったのはおそらく偶然ではない。神父は紛れもない動物好きなのである。昨年のクリスマスイブ、ミサの後に教会内に捨てられていた子犬を引き取ったのも、ソブレイラ神父なのだ。
ソブレイラ神父は、こうも述べている。
「一日が経つ毎に、私は、動物たちがこの世界に存在する意味に気づかされます。動物たちは、我々に、純粋な愛とは何かを教えるためにいるのです。そして我々人間は、それを広めなければなりません」
References: Paws Planet / The Tablet など / written by K.Y.K. / edited by parumo
















興奮して吠えるかとヒヤヒヤした
神父さんがいい人だとわかって気に入ったんだねえ
家族がいて野良や捨て犬じゃなくて良かったよ
犬を飼われているから、尚、すり寄ってきたのだと思う。
また、嬉しそうなワンコと優しく遊んでくれる神父様で
見ていて癒されます。
隣に座ってるおじさんが撫でたいのか椅子をトントンしたり手を開いたり閉じたりして気を引こうとしてたのが微笑ましすぎるw
>>3
自分の所にもきてほしかったんだねw
ワイルダーの小さな家シリーズにもミサに犬と猫が乱入する話があったな。
犬が追われて逃げてきた猫が、ミサの間中ローラのスカートの中に隠れて、
クリノリンにぶら下がっていたという。
なるほど、神父の事を覚えていて会いに来たのか
本当に良い人なんだろうな。
最近は『聖職者』ってだけじゃ信用出来ないけど
純粋な愛、っていい言葉
あーこれはまごうごとなき聖職者ですわ
個人的に宗教は信じないけど、こういう宗教家は確かに人を豊かに導けるのだろうね
心の豊かな人が、人を豊かにしようとすること自体は良いことだと思うわ
ウチの自閉症の子供、キリスト教系の幼稚園で「卒園式に出ないでください。この子は声が出てしまうから、式の邪魔になります」と園長から言われた。運動会では「どうせできないでしょう」とお遊戯にも参加させて貰えなかった。
この神父さんのように、神様のことをしっかり学んで、社会に優しさを持ち込んでくれるのが、聖職者だと思うのよ…。あのおばさん先生は、キリスト教から何を学んだんだろう。
※10
迷惑をかける側がかけられる側の不寛容さを非難するのはちょっと違うと思うのよ
※20
健常者だって日々いろんな人や物に迷惑をかけて生きてるんだよ
ただ健常者がかける迷惑に関しては社会にそれを許容する制度化がされていて「迷惑」とは呼ばれないだけの話
健常者とは種類が違うだけなのに、障害者のかける負担ばかりが「迷惑」と名指しされて爪弾きにされるのはどう考えても不公平だしおかしい
まして「迷惑をかける側がかけられる側の不寛容さを非難するのはおかしい」って考え方はさらに問題で、
それだと障害者は待遇改善のために「健常」な他者に頼らないと声すらあげられないということになる
障害者の自主性をも抑圧する非常に危険な発想
>>26
27でコメントした者です。そう言っていただけて、ホッとしました。私自身が目に見えない障害を抱えていて、発覚すると嫌な顔をされたりする為、過剰な反応をしてしまったかな。と思っていたのですが……。
>>20
迷惑をかけられる側って言うけど、自閉症含めて障害のある方がまさか望んで、その障害を持って生まれてきたと思っての発言ですかそれ?
>>20
わざわざ入園許可しておいて
差別したりするのは違うと思うよ?
小学校と違って幼稚園は入園拒否できるでしょうに
>>10
はっきり言ってくれるほうがやさしいよ
腫れ物みたいに扱われる方がいいの?
>>21
どこが優しいんだよ
>>10
口に医療用のテープを貼ってマスクを掛けさせておけば他の人の迷惑にならないと思うよ
叫びまくられたら式の雰囲気が台無しだし、親ならもっと空気を読まないと
自閉症の子供に健常者と同じ振る舞いは無理なのわかってて文句を言うのはなんだかな
※32 大きな声が止まらないようなら、
保護者が付き添って外に出ればいいと思います。
「口にテープ」は不快感で耐えられないのでは?
自分も障碍のある人の逸脱した行動を動揺せず
見守れるかといえば、答はノーです。
でもそうなれますように、と望んでいます。
誰だって、いつ事故や病気で同じ状態になるかも
しれないのです。
幼稚園で障碍者のお友達と共に育ったら、
その子達はもっと自然に受け入れができる気がします。
>>32
静けさのためには自閉症の人間を排除していいという空気を読め、って言いたいの?
静かにしていられる選ばれた人間だけが式に参加していい雰囲気ってこと?
その子自身の意思はもちろん、他の子だって一緒に卒園式に出たかったかも知れないし、
詳細を知る立場にないのにその言葉の選択は間違ってると思う
ワンコがホント楽しそうにじゃれていて、これじゃそうそう邪険に出来んよな。
「人間大好き!」が溢れ出しとるw
小学校で、暑い日に校庭側のドアを開け放してたら
犬が日陰を求めて、ソロ~リと入ってきた
冷たい床にペチャっと伏せて気持ちよさそうにしてる。
自分含め周囲の子達は顔を見合わせてニコニコ。
しばらくして、犬に気付いた担任が
物凄い剣幕で犬を叩き出し大激怒。
『この神聖な教室にー!畜生の侵入を許すとはー!
どういうことだ馬鹿どもがー!』
口角泡を飛ばし興奮して震えながら大暴れですよ。
この神父さんが担任だったら、どんな展開だったろうなあ。
エルマンのぼうけん
想像よりかなりやんちゃにじゃれついてたわw
こういう神父さんなら信じられるな
寛容こそキリスト教の精神。
最高の神父さんだよ。
犬の好き好き攻撃にも、抗えないものが有る
エルマン「神父さま、私の主人が動けなくて困っているのです、どうか癒しを、、」
、、かもしれない。
サムネ画像がいい笑顔すぎてなごんだ
100の説法より人の足を教会に運んでしまうナイスショットだ
フォース使えそう
大切なローブがビリビリにならなくてよかった!
ひっぱりっこがスキな犬は多いから。
聖職者の不祥事は、人は権力を手にした時、
また多大なストレスを受けた時、
悪い方向に引きずり込まれるということの
現れな気がする。
ほっこりする
なんか昔飼ってたハスキー思い出した…笑
無邪気すぎる甘えん坊イヌは無敵よ
この神父トムクルーズみたいな笑顔している