
image credit:Francisco Goya
45年前に公開された映画『エクソシスト』は、超自然の恐ろしい所業が描かれている。悪魔がひとりのアメリカ人少女に憑りつき、最後にはカトリックの司祭によって撃退されるのだが、この映画で、キリスト教の悪魔祓いを初めて知ったという人も多いだろう。キリスト教神学の観点からすると、キリスト教におけるエクソシズムの歴史は、悪魔との戦いに身を投じるという概念が、キリスト教徒が自分の信仰や世界を理解するのにいかに重要な方法だったかを示している。
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中世初期
イエスキリストの生涯について、聖書はエクソシズムのいくつかの話をとりあげて説明している。1世紀のユダヤ教に共通の見解を反映した福音では、悪魔を、神に対抗し、人々に憑りついて悪に引きずり込む精霊として描いている。
フランス、トゥールーズの司教、聖Exupereによる悪魔祓い。5世紀始め。
image credit:Cathedral of Bayeux
悪魔に憑りつかれた人間は、常軌を逸した奇怪な行動をするという。例えば、ルカによる福音書には、悪魔に憑りつかれたある少年が、口から泡を吹いて激しく痙攣したとある。イエスキリストは悪魔を追い払う特別な力を持っていて、信者も同じような力を持つことができると約束している。
それから数世紀、悪魔祓いを行うときには、イエスキリストの名を唱えることが一般的になった。
2世紀、キリスト神学者のオリゲネスは、キリスト教徒が邪悪な精霊を精神や肉体から追い払うのに、どのようにしてイエスキリストの名を使うかを説明している。
時代が進むにつれ、エクソシズムはさらにキリスト信仰と広く結びつくようになった。人々を入信させるために、悪魔祓いが公開で行われたことにふれている文献もある。
キリスト教の悪魔祓いのほうが異教よりも効果的に悪魔を祓うことができると、人々に信じさせ、だから改宗すべきとしたのだ。
初期の文献には、憑りつかれた者に十字架の印をつける、息を吹きかけるなど、キリスト教徒が行ったさまざまな悪魔祓いの方法が記されている。
小規模な悪魔祓い(中世初期)
中世初期には、独自に訓練された特定の司祭が、悪魔祓いを認可されていた。これは、今日でもローマカトリックはそうだ。一方、東方正教会の伝統では、すべての司祭が悪魔祓いを行うことができる。"小規模な悪魔祓い"と呼ばれるものが行われることもあった。このタイプの悪魔祓いは、憑依の度合いがそれほどひどくない人たちのためのものだった。
正式に教会に参加するための儀式である洗礼式の前や最中に行われる。これは、すべての人間は概して、邪悪な精霊の力に影響されやすいものという仮定から生まれた。
そのため、悪魔に対抗する祈りの言葉は、洗礼式前の準備期間である教理口授か、洗礼式そのもの、あるいはその両方で唱えられることが多い。
悪魔とプロテスタント(15〜17世紀)
15世紀から17世紀の間、西ヨーロッパでは悪魔に対する恐怖が増大した。この時期、司祭による悪魔祓いは、人間だけでなく、動物や無生物、土地にまで行われた。
司祭と助手によって、ひとりの女性に悪魔祓いが行われている様子を描いた、1598年の木版画。口から悪魔が現われている
image credit:A woodcut from 1598
その様子は、さらに詳しく語られている。悪魔に憑りつかれた者は、悪魔祓い専門の司祭の前に引き出される。悪魔は怒って、憑りついた者に激しく暴力的な行いをさせるという。悪魔祓いの最中も、暴行、空中浮遊、大声で罵声をあびせる、などの行為が記録されている。
多くのカトリック儀式に懐疑的なプロテスタントは、即興で祈りを唱えるなど、もっと格式ばらない形で悪魔憑きと戦った。

悪魔祓いを行う16世紀の聖人、聖フランシス・ボルジアの絵
image credit:Francisco Goya
17〜19世紀
17〜19世紀の啓蒙思想の時期、ヨーロッパ人たちは宗教のいわゆる"迷信的な要素"に疑問をもち始めた。多くの知識人や教会のリーダーたちまでが、悪魔憑き体験は、心理学やほかの科学で説明がつくと主張したのだ。悪魔祓いは、不必要、あるいは危険でさえあると多くが見るようになった。
今日の悪魔祓い
多くのキリスト教団は、いまだになんらかの形の小規模な悪魔祓いを行っている。例えば、監督教会派の洗礼式では、人々はサタンや、神に反逆するすべての邪悪な霊力を拒絶することを誓うか?と問われる。
istock
カトリック教会には今日でも、憑りつかれた人に悪魔祓いを行う現役の専門機関がある。現在やっていることは、悪魔祓いが必要な者の保護、悪魔祓いを行う前に、憑依が疑われる者の医学的、心理的評価などを行っている。この数十年で急速に発展したキリスト教の中のペンテコステ派では、悪魔祓いは特に一般的に行われている。この宗派は、日々の霊的体験を重視し、従来の悪魔祓いに似たようなことを行っているが、"解放"と称している。
アメリカでは、悪魔の存在を信じる人の割合は依然として高い。アメリカ人の半分以上が悪魔が人間に憑りつくことはあると信じている。
だから、悪魔祓いに懐疑的な現代社会であっても、世界中のキリスト教徒の間ではいまだに悪魔祓いが普通に行われているのである。
References:Exorcisms have been part of Christianity for centuries/ written by konohazuku / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
信じるモノは救われる
ま、悪魔の存在を信じるってことは悪魔の敵である神の存在を信じるって事でもあるからねぇ
2. 匿名処理班
根底にあるのが、他宗教は認めない!他宗教は邪悪な教え、他宗教の神は、邪悪な悪魔って思想だよね
3.
4.
5. 匿名処理班
狐憑きも浮遊するらしいが同じもの?
違うか
6. 匿名処理班
日本だってご祈祷とか普通にやってるし、魔女狩りとかやらかさない限りは文化の一環ってことでいいんじゃね?
7. 匿名処理班
頭のおかしい人を悪魔に取りつかれた!って言って騒いでるんでしょ?これ
8. 匿名処理班
どっちかというと神とその下僕どものほうが悪魔っぽい。
9.
10. 匿名処理班
>>8
聖書でも悪魔に殺された人間の数よりも、神や神の名のもとに殺された人間の数の方が圧倒的に多いと調査結果が出てるもんな
11. 匿名処理班
先日、ロシアで日本のアニメなどにはプロパガンダが含まれている云々て報道があった。
始めはなんのこっちゃと思っていたけど、日本のアニメや漫画の中には国防意識や軍人を極端に蔑んだり、神こそが人類の敵だったとする内容の物も多いからな。
日本では真に受ける奴が悪いで済むが、一神教の教圏や戦略的に不安定な地域では子供を対象にした物なだけに警戒して然るべきシロモノもあるかも知れないな。
12. 匿名処理班
集団催眠みたいなもんじゃないの?
日本人で悪魔憑きってならないよね。
キリスト教ならなるのかな?
13. 匿名処理班
これは本来キリスト教外の知見を得た事に対する「再教育」みたいなモノだよ。
神の教えに無い物は悪魔の教え、そういう事。
悪く言えばカトリックへの「再洗脳」ってワケだ。
時代と共に中身が変わるのはしょうがないね。
14. 匿名処理班
>>2
それを指摘するあなたも他宗教を認めてない様なのがなんとも
15. 匿名処理班
「なんか俺の処刑風景の木彫りで悪魔を祓えるらしい。もぅわけわからん。」
16. 匿名処理班
>人間だけでなく、動物や無生物、土地にまで行われた。
針供養や地鎮祭的な?
17. 匿名処理班
宗教の役割は世界共通だね
物語を作ることで不可知なものを説明するという
原始宗教のシャーマンや日本のイタコとやってることは変わらない
1000年後でも変わらないだろう
18. 匿名処理班
「魔が差した」って日本でも言うじゃない?
大きな悪い事が起きた時全部自分の責任じゃなくて、
当たり障りのない他の所為に出来るって、「救い」なんだよなって
おっさんになって思うよ 宗教を肯定する気はさらさら無いけどw
無宗教と”言われている”国の自殺率の高さも関係しているんじゃないかな‥
19. 匿名処理班
仮装的の悪魔がいた方が都合がいいからね
20. 匿名処理班
※8
にゃんこ様と人間のことをおっしゃっているのですか
21. 匿名処理班
>>14
そういうコメントをするあなたも他宗教を認めない排他的なコメントですよね
22. 匿名処理班
キリスト教以前のヨーロッパには精霊たちが自由に活動していたわけだから、キリスト教の倫理によって縛り付けられた精霊たちがグレて悪くなったのではないか。
キリスト教社会の息苦しさを、近代的な社会の息苦しさを、人間を通して訴えているのではないか。
23. 匿名処理班
アニメのnarutoが狐の悪魔を題材にしてるって抗議を受けたことがあるんだよね。
24. 匿名処理班
これの面白いところは
キリスト教のエクソシストは、他宗教の悪魔憑きを祓うことをしないってことだよね
例えば、コメント欄で挙げられている狐憑きをキリスト教エクソシストが祓うということがあるだろうか?
25. 匿名処理班
>>23
しらんな、初めて聞く
26. 匿名処理班
※21
マズイな。
オウム返しは、反論の余地と知性の欠如が疑われる可能性が高い。
もっと捻りとユーモアを交える切り替えしが有効だと提案したい。
27. 匿名処理班
>>26
のような排他的な宗教観をしているコメントにまともに相手をしてあげる必要無いからw
批判しかしない排他的で孤立主義なコメントを投稿しては、恥ずかしくないのだろうか
28. 匿名処理班
※2
キリスト教には確かにそういう側面があるけれど、この記事でそのコメントはちょっと不思議。もしかして、悪魔払いと魔女狩りを混同していたりしない?
29. 匿名処理班
※12
日本だと狐憑き等と呼ばれていました。
どこでも似たような症状はあると思います。
30. 匿名処理班
>>28
キリスト教が宗教の名の下に何を行ってきたかを知らなすぎではないかな?
無知は罪悪だな
31. 匿名処理班
>>19
「仮想敵」じゃね
32. 匿名処理班
ロシアの田舎の悪魔祓いの映像を見た事あったけど
キィイイイー❗️って叫んでる人が
司祭さんのお祈りの言葉で落ち着いてた
あと悪魔祓いはしてなかったけど
アフリカのどこかの国のやはり田舎で
「ナイトランナー」っていうのが現れる
夜に裸で騒いでいる人だった
要するに
価値観の狭いクソ田舎に生きるしかなくて
閉塞感キツくてストレス溜まり過ぎで
錯乱状態でおかしくなった人が
悪魔憑きとか呼ばれるらしい
33. 匿名処理班
>>悪魔祓いを行う16世紀の聖人、聖フランシス・ボルジアの絵
どうみても某芸人のポーズ
34. 匿名処理班
>>12
普通にあるよ
通り魔ってのもそういう意味だし
ツいてる(ラッキーだ)ってのも憑いてると書く(この場合座敷わらしとかああいうの)
お祓いの類いだってたくさんある
単に宗教で呼び名が違うだけ
35. 匿名処理班
※8
ギリシャ神話には人間の下種な部分を煮詰めて固めたようなゼウスって主神がおってな
人間が神すら盛大にやらかしたその轍を踏まないわけがなかろて
36.
37. 匿名処理班
結局のところ元凶が夢なんだよ
夢なら霊も悪魔も居るし超常現象があるよね、ついでにネコも喋る
でもそれは未知の形容であり他にとって代わるものもないんだよ
夢を見る限り悪魔は居続ける、未来が未知である限り夢は要る
そして混同した時に本人の知覚に顕現してしまう
いつの時代にもエクソシストは必要と言うことになるよね