この画像を大きなサイズで見るある論争を巻き起こしている研究によると、現実とは脳が見えると予測するものに基づいた幻想にすぎないのだそうだ。
これまでの専門家の見解では、我々が認識している現実は目や耳から入ってきた情報を用いて脳が構築したものだとされていた。この現象をボトムアップ処理という。
ところが、今回「フィロソフィー・アンド・プリディクティブ・プロセシング(Philosophy and Predictive Processing)」というオンラインポータルで公開されている一連の論文によると、現実とはそれまでの知識や経験に基づいて脳が作り出したものであると示唆している。つまりトップダウン処理であるとうことだ。
したがって、我々が現実であると解釈しているものは、実際には心によるでっち上げ、あるいは幻想にすぎないということになる。
過去の経験や得た知識に応じて判断される現実世界
例えば、あなたが何かをつまみ上げたとしよう。そのとき感じる重さのほとんどは、実際の重量ではなく、脳が予測していたその物体の重さに基づいて認識されているということだ。
その証拠として、大きさと重さの錯覚について調べた先行研究が挙げられる。実験では、被験者に重さは同じであるが、サイズが大きいものと小さいものの2種のボールを渡し、その重さを答えてもらった。すると大きなボールの方が重いと回答されるケースが頻繁に見られたのである。
この現象は、過去の経験が現実の認識に影響を与えていることを示している。
この画像を大きなサイズで見る予測処理と現実
認識が部分的にトップダウン処理に基づくという考え方は新しいものではない(これは認識に関する通説がその役割を無視してきたことを否定しない)、とヨハネス・グーテンベルク大学マインツ校のヴァンヤ・ヴィーゼ(Wanja Wiese)氏とトーマス・K・メッツィンガー(Thomas K. Metzinger)氏は論じている。
この予測処理という概念の新しい点は、それは感覚入力がはっきりしている場合でも、曖昧な場合でも、いつも行われており、トップダウン処理と知識の影響を認識における一般的な特徴であると徹底的に強調しているところにある。
彼らによると、今発生してしているに違いないことについて推論を導くため、脳は体内や環境での出来事を常に監視している。
そして、現実を最もうまく表していると考えられる予測を最優先する。その予測は階層的にまとめられているという。また見ているものの予測は、個人の経験や感情状態など、様々な要素に基づいているそうだ。
2014年、人は科学的根拠に基づく事実を知ったところで、信じたくないものは信じないという研究結果が報告されている。
であるならば、今ここにある現実は、自分の思考や価値観、経験から大きく歪められている可能性はなきにしもあらずだ。
via:How we perceive the world is based on what our brains expect to see, claims theory/ written hiroching / edited by parumo
















ほう、じゃあ人間って生まれたての頃からずいぶん物知りでいろいろ経験してたんだな?
それから、信じたくないものは信じない、は程度もあるだろうし一部の人間じゃね?
なんか西洋の宗教観にまみれた極論に見えてしかたないのは俺だけ?
※1 仏教も「現実が人の思ってる通りかどうかなんて証明できないんだから、過信するのはやめとくのがいいよ」と言ってるんだよなぁ。
※1
どちらかというと仏教的(大乗仏教ではなく原始仏教的)な感覚だが…なんて宗教のどんな価値観に毒されてると思うのか聞きたい
実際にはこの世界は美しくなく、もっとエグくて醜い世界だったり…なんて?
沙耶の唄みたいに
そうは有ってほしくないなー…
・・・と、脳でお考えなられた学者センセイの理論自体も虚像や幻想だということか。
そうか 夕べ食べたカップ麺は
幻想だったのか…
自分も人間の最大の特徴は迷信、固定観念、信仰のフィルターを通して外界を認識していることだと思うようになってきた。ただそんな人間が、客観の世界にアクセスするために産み出してきた方法論が科学なので、それは手放すことなく大事にしていきたいもんだ。
ま、人は自分が見たいモノを見る、なんてのは昔から言い慣わされてることですし
世界観とかそういう言葉があるぐらいだしね。
このことからひとつハッキリ言えるのは、人はそれぞれに全く別の世界を生きているということだ
経験や知識のない赤ん坊には世界はどう映ってるんだろ
※10
最初に学習するまでは、そのまま受け取っているのではないですかね。
そのことについて学習して、予測が成り立つくらいになったら、トップダウンというように変わるというのが今回のお話かと。
これを打ち破ることが発生しているのがシャルパンティエ効果といわれます。
ユリウスカエサルは「人はみな自分の見たいものしか見ようとしない」と遺してますね。同じような話かと。
伏見稲荷のおもかる石とかはそういう原理だろうね。
何を今更
何十年も前からずっとそう言われていただろ
軽いと思って持ち上げて見たら重かったってこともあるように主観的現実と客観的現実は半々ってとこじゃないの
あ、そう、よかったね。で、だから何? と、しか思えないが。
「現実とはそれまでの知識や経験に基づいて脳が作り出したものである」って正に現実と思考の間に「選択する事」で自己プログラム可能な引き寄せの法則そのものって事じゃね?
信じたくないけど論理的にわかりやすいことって何?
よくわからないから信じないだけじゃないの?
信じたい内容でもよくわからないと信じないよね?
ということは、ナチで犠牲になったユダヤ人も、
第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、
幻想の中の出来事であり、でっち上げだということか?
とんでもないご都合主義の話だね。実際、戦争を経験して来た人にしてみりゃ、ふざけんなって思うだろうよ。
戦前、戦時中、戦後と怒涛の人生を送って、あの世に旅立った人たちに、失礼だよ。
※17 冷静に言って、戦争は騙し合いである上、様々な物証が欠けるケースも多い。記録や物証の揃ってないものをあったなんて軽率に信じる人は、現実を正確に理解しようという努力を危険なほど怠っている。実際に戦場にいた兵士ですら戦争の全容なんて知らないというのが事実だ。
※39
私の両親は、戦前、戦時中、戦後を生きてきた。
騙しあいだろうがなんだろうが、戦争によって犠牲になった遺体を何度も目にしてる。
90近い今でも鮮明に覚えているって言ってた。
旦那の母親は戦争孤児で、焼け野原になってしまった自宅に一人残され泣いていたそうだ。
二人ともまだ生存してますが、現実を理解することを怠ってるとは言えませんがね。
経験者からしたら、失礼ですよ。
※67
激烈な戦争体験から記憶が歪んだ例だって多数あるし、そうした記憶の歪んだ人たちが互いに補完し合って合成した記録ができあがることだってある。非礼失礼非常識の謂れや誹りを敢えて背負い込んででも、事実だけを純粋に追及し、見極める人間がいなくてはならない。
※17
記事に書いてないことを突然叫び出すことも記事の主張の正しさの証拠だな。
人間は寝ているときに夢を見る
夢の中の物事は本物のように感じる
しかし、目覚めてみると本物ではなかったと分かる
目覚めている時に認識しているモノも脳が作り出した幻覚である
重さに関しては、持ちやすい物の方が軽く感じるのは当然だし、たとえ同じ大きさの物でも重心の位置で安定感が大きく変わる。安定性が無い物はとても重く感じる。
例えばメディアの虚像で現実が侵食されるみたいな?
そんなもんブッダが2000年以上前に言ってたわ
※21
あなかしこ~ あなかしこ~
それが極端まで至った結果が、現実認識が軽くなり過ぎた故の重大犯罪だったりするわけだ
ユニコーンの折り紙を折りましょ。
五感等のセンサーからの情報を元に経験から、決めつけや補間も活用し脳が「これはこういう事」という判断をしているのは間違いない。
例えば生まれてからずっと目の見えなかった人が手術等によって急に視力を持ったとしても、見えているものの意味はしばらく判断ができない。例えば段差を段差として認識するだけでもそれ相応の時間を要するようだ。
そこに予測での先読みまで加われば”無意識に行っている認識とは脳が作り出したバーチャル”と表現することも可能だと思う。誤解を生みやすい表現ではありそうだけど。
昔から言うじゃない、夢の浮世って
個々人の認識の重なり合う場所が「世界」ってことなんだね
俺が不細工なのは偽りの虚像を認識してるだけであって、本当はイケメンだった・・・?
極論すぎて笑う
人間の錯覚は日々の生活やコミュニケーションを円滑に行うために必要なものであって事実を信じる信じないや予想や経験で歪めるものではない。話がぶっとびすぎ
信じるものも分からず経験もない幼児が見るものこそが現実?事実?
そのまんま受け取るなら空を飛べると信じた人は飛べてしまうけど
この理屈だと皆が皆、同一の対象を認識したときに一定の齟齬が生まれなきゃおかしいよね?
※31
齟齬は生まれているとおもわれます。
むしろ経験や知識がそれらをすり合わせているのでしょう。
※31
視覚情報で言うとデジタル化で共通認識がある程度補正してくれてるのでは?
アナログTVの頃、人の見る夢は白黒だった、
カラーテレビで色の付いた世界が共通認識として見られたのと同時期に人の見る夢にも色がついたらしいという研究結果もありますね
※31
ふつうに生じてるよ、齟齬。
有名な認知実験で、
電車内で黒人男性と白人男性が言い争っている絵を見せ
直後に「どちらがナイフを持っていましたか?」と問うと
実際には白人だったのに、少なからぬ人が人が
「黒人だった」と答えた、というものがある。
まさに「人間は、見たいものを見ている」という
目撃証言の曖昧性を示した実験だった。
テレビの内容とかどうなるのよ?誰それが結婚したとか興味ないのにいつの間にか知らない誰かと結婚してるのに…
ある程度の事実を拡大できるだけ拡大解釈して
他の学者と毛色の違う新説を唱えて売名する
一部の腐れ学者たち。
実際に有った歴史の出来事の正確な資料も無いが我々がそう言うのだからそれが真実だ!って言う人達も居るんだよなこれが。
公文書を取り寄せて証拠を示しても、その文字すら都合よく改竄して認識したり、読めないから無効だとか。
じゃあその「それまでの知識や経験」はどっから来たんだっていう
つーか哲学の世界じゃ千年単位で過去に通り過ぎてる話だと思うが、
科学ってそこまで遅れた宗教でしたっけ?
人間は脳を通してしか世界を認識できず、そして脳が起す錯覚や見間違え記憶違いや自身による記憶の改竄まで日常でも珍しい話でない以上自分が見たものが真実だなんて言い切れるわけないし、言い切る人間が居たら全く信用出来ないのは当然
幻想ってことを現実の全てを否定してるって考えてる人がいるけど、トップダウンに必要な情報は現実から仕入れているんだから「現実に近い幻想」を我々は見てるってことじゃないの
確かに胡蝶の夢や頭山とかで昔から言われてきた事ではあるんだろうけど。科学研究の範疇なのかな?
こういう話を聞くと科学と哲学の差って突き詰めるとほとんどないんだよな
※46
そもそも科学って、哲学から派生したものだし
幼児期は声の反響すら聞いてるって話だし
みる必要のないものはカットされてるだろうな
記事のタイトルだけ見て書いてんのかってコメントが多すぎる
まず予測して実際に経験して誤差を修正してくって感じなんだろうな
※48
この研究が正しいということをコメント欄が証明しちゃってるね
でも、でっちあげの世界というよりボトムアップに加えて脳の強力な補正が掛かってるだけのような気もする
今まで見たこと無いものは「見えない」人がいるらしい。昔ビートたけし
の番組で何人かでUFOを見たのに一人だけ見えないって主張する人がいて
多分このメカニズムだろうって説明されてた
禅や唯識の基本の基本。全然新しくない
赤いカプセルか青いカプセルか。
現実の砂漠へようこそ、ネオ。
VR空間を現実と錯誤するように
大半の人間には現実と仮想現実の区別がつかない
区別が可能な人間は現実と仮想現実の異差に気付き
混乱する挙動をとる
プラトンの洞窟の比喩で「私達見ているものは実体の影」っていうのがある。
この記事の説が言ってるのは、影は実体によって形成されているのではなく「影を在り方を予想して作り出してるのさえも私達の脳」というような感じの内容だと思うよ
人間は、外界からの刺激を脳、神経系というソフトウェアーを通して理解可能な形に変換して、身勝手に解釈してから、自分の中に取り込んでいる、と云うことを主張してるだけで、それでは、物理的な世界が存在しない事の説明には全然なっていないと思う。むしろ、超ひも理論的なアプローチのほうが真実に近づくと思う。
世界五分前創造説
初期値の設定はどうやって決めるんだろう
さすがドイツ、やることが違うね(笑)
乳幼児の頃は前世での経験に基づいて認知しているんだろうか
プラトンもアインシュタインも同じようなことを言ってる。世界には森羅万象を超えた真理があるはずだとか。最近ではイーロンマスクがこの世界はコンピューターシミュレーションで出来ていると言ってる。自分はそれを支持してる。
マトリックスか攻殻みて興奮しちゃったんだね
信じたくないものは信じない?
こんな人生でも現実だと認めてるよ?
なんだ。単なる心理学の認識の問題か。物理学の問題かと思った。
※64
我々の心理的挙動も脳という量子的な計算機の出力でしかないのだから、
いつかは物理的に全て説明出来るようになるかもね。
何時になるかは見当もつかない話だけど。
※69
説明を期待しているのなら残念ながらその日は永遠に来ない
完成された量子コンピューターとして拝める日は数年以内に来るだろう
但し国防上の理由により、クラウド上でしか利用できない(笑
引き寄せの法則も、これかな
予測に対して行動を起こし、裏付けを取る。ただ人は予測に対して裏付けを事前に用意し、行動を取ろうとする
後者の予測が正解していれば、その行動における精度や効率は明確に良くなるから。そういう話でしょ。そこが凝り固まってエラー吐いてるのが信じたくないものは信じない人
※66
予測の前提が間違っているなら失敗しかしない
※73
例えば物を持ち上げることにおいて、予測が間違っていても自らの力量内であればそれを持ち上げることは可能になる。仮にそれが、予測の上の重さよりも重いものだとしてもね
予測の前提が自らの力量以上を要求した時、望む結果が得られず失敗として認識される
※75
“物”が“物”じゃなかったらどうなるんだ?
※77
対象が何であろうと自らの対処能力内で収まれば、それは無意識の補正によって必ずとは行かずとも上手くいく場合もあるんじゃないの。逆に自らの手に負えない存在に対しては失敗する
それこそ、持ち上げる際の行動に対し視覚での認識以上に明確な「重さ」を感じられなければ視覚に頼りやすい人間は誤認してもおかしくない
要するにこれって錯覚のことじゃね?
それを虚像だのでっちあげ世界だのと大仰に言われても
あげくに進化論の是非にまで結びつけるとは強引というか大風呂敷というか
両方だと思うな
現実を認識するには非常に時間が掛かるので
先に経験予測を使うことで早く処理してるのでは
この現実が脳の描く虚像だったとして、ならばオイラは歓迎するぜ!
腹立たしい・悲しい事ばっかりが世界中に蔓延する不条理な現実も
虚像だっていうのなら変幻自在じゃないスか!
じゃあ皆でこの虚像をもっと凄く素敵に鮮やかに彩ろう!
Let’s imagine!!
と、ゴミだらけのワンルームから呟いてみる
ようするに君たちの「物を持ち上げる」という行為は
両手で荷物を保持して頭上に抱えて「持ち上げた」と言っているということですね
赤を知ってからそれを赤と処理するのが今なら。
未経験状態だと赤とは知らないが赤は見える。
かな?
内容読んでないのか理解できてないだけなのか、記事にやたら悪意を向けてる人はなんなんだ。
認識に関する実験で、人が集まってるところをゴリラが横切ってく映像を見せてから、後で何か変なところがなかったか質問してもほとんどはゴリラを認識できなかったというのがある。
それも「その場にあるはずがない」という経験を元に先入観でものを見てるからで、この記事の主張とも矛盾していない。
人間の感覚器官で得られたデータが、脳で100%適切に処理されて「現実」として認識されるとは限らないのはカラパイアに来てる皆には周知の事実だと思うが、その過程についての新説ってことでいいんだろうか
※83
そう言うと本当に解りやすいですね。
有難うございます
盲点の部分は全く見えない暗黒領域だけど、それを補完して盲点を感じない映像を見ている時点でバーチャルって言われても仕方がないけど、霊長類の視覚の高精度さもすごいんだよね。注意を向けた領域での構築は
「君の目の前に、将来の君にとって必要となる本がある。だが、今の君がその本の価値や意味を理解していないならば、その本は君にとって数多ある本の一冊に過ぎない。」
って事かな?
そうだね、としか言いようがない
これが極まった状態がボケだからな
ちょっと何言ってんのかわかんない。マトリックスみたいな事?攻殻機動隊とか?
この世はマトリックスと言われると違うんじゃない?と思うし、※にあるように仏教やギリシャ哲学者が言ってきたようなことを言っているのなら、人の言葉を自分の発見のように言わないでとも思う。
信じたいことしか信じないのにも限度があるし、私の頭では発言内容が理解できなかった。
※91
だまし絵を見たときに、女の人と老婆に見える絵があります
けれど何も知らず何も言われずに見たときに、どちらか片方にしか見えない
こうだと思い込んだ方向で納得しちゃって、世界がそういうふうにしか見えなくなるって話
仏教ってすげえなと改めて思った、くらいの感想しかねえんだが
仏教がすごい ということも錯覚
現代ほど便利な物にあふれていない時代だからこそ、空は必然的に至る思考パターン
幻覚も現実だろう
なんかコメント欄です発狂してる奴等が多いのは何でなんだろう
ただの一仮説に過ぎないんだし認めたくないならただ無視すればいいだけなのに
最近はプラトンがブームなのかね?
重いかどうか判断するのって重さじゃなくて筋肉のストレスで決まるんだから当たり前だと思う
例えば一キロの鉄球と棉なら棉の方が分散するから体感では軽いって判断するじゃん
信じたくないものは信じない、は自分がそうだと気づいたこともあるし、他人を見ていても感じることがある。このへんの歪みを減らしていきたいもんだ。
理解が間違っていたらすみません
視覚を遮断した状態で、自分が重さを認識していないモノを持ち上げたときに重さを感じるのはなぜでしょうか?
【脳内審議中】
なお結論は出ないもよう
でっち上げというのは正しくない。携帯電話の予測変換を使って素早く入力した文章は自分で入力してないからでっち上げだというようなもの。予測を使うのは効率化のためで、経験の蓄積によって精度が上がる。しかし特殊な状況においては、経験から導き出した予測が現実と乖離していることもあるというだけのこと
ボトムアップ処理とトップダウン処理の違いは、五感から得られた情報から世界を見ているということ、知識や経験という外からの刺激から世界を見ていることだと思う。認識という考え方が独り歩きして、幻想という表現になったとしか思えない。