この画像を大きなサイズで見る3万8000年前頃、日本列島に現れたとされる現生人類、ホモ・サピエンスだが、彼らは海を渡って辿り着いたと考えられている。
2019年に実施された「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」では、当時の丸木舟を再現して航海し、それが実際に可能だったことを実証している。
同プロジェクトの締めくくりとなる2本の論文では、当時の黒潮は現在のものよりも流れが速かったことが明かされた。
それでもなお、当時の人類は、熟練の技と知恵で丸木舟を作り、黒潮に挑み台湾から琉球諸島にたどり着くことができたようだ。
旧石器時代のホモ・サピエンスは無謀な冒険者などではなかった。高度な舟作りの技術を持ち、黒潮の流れを読み取る戦略性を兼ね備えていたようだ。
旧石器時代の丸木舟で黒潮を横断することは可能なのか?
人類はいつ頃、大海原へと船出するようになったのか?
これまでの研究では、人類の本格的な海洋進出は、後期旧石器時代(5万~3万年前頃)にインドネシア東部を含む、オーストラリアから日本列島にかけての西太平洋地域で始まっただろうことが明らかにされている。
たとえば、奄美群島・沖縄諸島・宮古列島・八重山列島で構成される琉球諸島には、27,500~35,000年前の遺跡が存在する。
つまりその時期までには、私たちの祖先、旧石器時代のホモサピエンスは海を渡っていたということだ。
だがその海は秒速1~2mで流れる世界最大規模の海流「黒潮」に阻まれた難所で、隣の島が見えないほど広い海峡もある。
旧石器時代の人類の技術で、本当にこの難しい海を航海できたのか確かなことはわからなかった。
それを実際に船で渡って実証したのが、2016~2019年に国立科学博物館(当時)の海部陽介氏が中心となって行われた「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」だ。
同プロジェクトでは、旧石器時代の道具で製作した丸木舟で、台湾から与那国島までの約200kmを横断する実験を行った。
その結果、当時の技術でも、黒潮が流れる難しい海を本当に渡れることを見事に証明した。
この画像を大きなサイズで見る技術、熟練の技、そして時の運
今回海部氏らによって新たに発表された2本の論文は、このプロジェクトの締めくくりとして発表されたものだ。
1本目の論文は、今述べた丸木舟の公開実験を学術的な分析を交えて報告している。
それによると、2019年の航海の成功は、丸木舟と漕ぎ手の熟練した技術はもちろんのこと、運の要素も大きかったことを伝えている。
というのも、漕ぎ手の疲労がピークに達した航海の終盤、休憩を入れた際、うまい具合に船が与那国島に流されてくれたのだが、海流分析の結果、これはたまたま後ろからやってきた長波のおかげだったことが分かったのだ。
この画像を大きなサイズで見る旧石器時代、黒潮は今よりも速かった
2本目の論文では、現代の海ではなく3万年以上前の海で、なおかつ出発地や時期を変えても同じことが可能だったのかが検証された。
そのために研究チームは、海洋研究開発機構のスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」を使い、3万年前の黒潮の流れを再現している。
すると古代の黒潮は現代よりも速かったことが判明したのだ。
ただし、その流れはやや東(与那国島の方向)に傾いており、流れに逆らうように航路を東南にとり根気よく漕ぎ続ければ、与那国島に到達できる可能性が高いことも示されている。
さらに出発地点も、2019年に選ばれた「烏石鼻」よりも、やや北にある「太魯閣」付近のほうが、流れに乗る上で有利であることが分かったという。
この画像を大きなサイズで見る旧石器時代の人類は戦略的な航海者だった
こうした研究で明らかになったのは、後期旧石器時代の人々は、彼らが持つ技術を駆使することで、丸木舟で黒潮流れる海を渡り、琉球諸島にたどり着けたということだ。
ただしそのためには、彼らが熟練の船乗りであるだけでなく、黒潮という自然の障壁の存在を知り、それに対処するための作戦を持ち合わせている必要があった。
このことは、数万年前に大海原へと漕ぎ出した私たちの祖先は、無謀な冒険者などではなく、戦略性のある挑戦者だったことを示唆しているとのことだ。
この2本の研究は『Science Advances』(2025年6月25日付、2025年6月25日付)に掲載された。
References: U-tokyo.ac.jp / U-tokyo.ac.jp / Science / Science
















メコン川やチャオプラヤー川、その沖積平野のスンダランドの内水域、島々に縁取られた内海。人類が水上移動技術を磨く環境が東南アジアにはあった。その上で冒険心溢れた連中が外洋に漕ぎ出していったんだろう。
黒潮の流れに逆らわなければ、琉球諸島には到着しないで、九州南部から宮崎県東部・四国南部に到着するんだよね。これって、後の天孫降臨のルートじゃないかと思う。天孫降臨の時代が具体的にわからないけど、色々とありそうだ。
活動が盛んだった姶良カルデラを避けて九州東部に回り込んだけど、そこも西は阿蘇、北は由布鶴見の火山活動で不安だから東進した、というのはありそう
海洋民族の人にとって海とは庭の裏にある大きな池くらいしか
思っておらず身近な存在だったようだ
そりゃ”庭”で迷う人はいないが、現在と違うスケールの大きい
散歩だよな
海洋民族だろうが、散歩な訳ないじゃん。
そんな舐めた態度じゃなくて、命懸けの旅だよ。
冒険にあふれた夢のある時代だなぁ、、、
実際にはGPSやサポート船なんてない時代だから、命を懸けた旅路だけどね
たぶん幾百。幾千。もしかしたら幾万の人たちが海で命を失っている
ムー大陸から来たんじゃなかったのか?
このTV番組覚えてる。面白かった!
私のミトコンドリアDNAは東南アジア由来だったから きっと黒潮に乗ってやってきた一族の末裔だ。
台湾の海岸からは見えないけど、山からなら与那国は見える。
なので高地から方向を確認して出立したのではないかという話もある。
「海(うみ)」が源泉であり、「湖(水うみ)」はその派生。日本人の意識には、はじめに広大な「海」があった。日本人は海から来たのだ。
「道(みち)」の「み」は「海(み)」
「ち」は「路(ち)」、すなわち古代人にとって、道とはその海原を渡る筋道であった。
その説
夢もあるし信じたいが私の中のもう1人が
当時の彼らがはたして現代人に通じるような言葉を使ってたかどうか…
って思っちゃうんだよ
いうて、「みずうみ」に関しては
中国人が使い分けていたから別漢字になったけど、
大和言葉的には明らかに「しお(塩・潮)のうみ」に対する「水のうみ」じゃない?
琵琶湖なんかも、古くは「しがのうみ」だし。
グリーンとブルーを使い分けずに「青」で総称していたように、
広大な水域=「うみ」で、(実際、語源的にも「大水(おほみ)」だと云われる)
別単語にする程でもなかったんだと思う。
道に関しては、「御路(みち)」説のほうがメジャーな気がする。
海面は100m以上低かったし、かなり先の島や陸地まで見えていたのよね
10万年前〜1万年前までが氷期だったみたいで海面は100mぐらい下がってたようだから、陸からの景色も海流もだいぶ違うだろうし、そこまで無謀な大冒険ではなかったと思う。実直に見える範囲を伝っていっても、日本には辿り着くだろう。
カキの木の原産地がアメリカ大陸だとすると渡航範囲が広大だった可能性が有るし
素人考えながらホモ・サピの日本進出海洋ルート論は眉唾だとおもう
ひとつ、記事にもあるが黒潮に乗ってきたと言う事は裏を返せば手漕ぎでは引き返せないルートだと言う事。
先発した舟が無事に陸にたどり着いたか知る方法が無いのに後に続く舟が数多くいたとは思えない
ひとつ、最初から舟団を組んで一度に多数の人間が海を渡ったとして、1艘に5人乗でも遺伝的多様性を維持するのに必要な500人には100隻の舟が必要になる
100隻もの舟を用意して帰り道の無い外洋に出るメリットが浮かばない
また、ホモ・サピが500人の大グループで暮らしていたとも思えない
以上ふたつの疑問を解決する方法を考えるよりも単純に氷河期に獲物を追って陸を東に東に移動した複数のホモ・サピのグループが日本に居ついたと説明したほうがはるかに信ぴょう性がある
≻100隻もの舟を用意して帰り道の無い外洋に出るメリットが浮かばない
戦乱に追われて海に逃げた一族の可能性もあるでしょ
現代だってあるじゃないか、ベトナムのボートピープルとかね
彼らは恐らく80%は海の藻屑になってるよ
別に船で一気に日本に来る必要すらない。あとそもそも戻ることを想定していない
そして他の人も言っているが記事の時期は最終氷期に当たり、海水面も低かったので、南方から島しょ部伝いに北上していけばいい
さらにこの話は、海洋ルート以外のルートを否定する話でもない。単純に「複数ルートからの流入があったよ」というだけの話です
そもそもで最終氷期の最盛期でも対馬海峡は凍らなかったので、船を使わないルートはサハリン経由の北方ルートしかなくなる
典型的な現代の価値観で古代を見下す理屈。
縄文時代で既に働くのが厳しい病人やけが人も介護してたし、猟犬がケガしても
ちゃんと治療してたし、食用の木の植林もしてた。狩りも落とし穴を作って安全に
巡回してたし、海に出て組織的に多様な海産物を採ってたし、食料や石器も日本中
に採取、加工の流通ルートができていた(石器時代にもうできてた可能性が高い)。
現代でも製造法が判明しない縄文土器まである。
古代だからといって何もかもが幼稚で未熟だったとかない。メリットがないと行動しない
とか古代でもそればかりじゃない。
「思えない」という単語が多いことから「原始人だから高度なことなんてできねーし、
食い物がなきゃなんもやらねー蛮人だろ」という無意識の決めつけがあるのが透けて見える。
縄文人より1~2万年以上昔のホモサピエンスを同じように語るのは
それに古代人を見下すような話もしていない
知識の継承がされなければ人間の「個」としての知能はホモサピエンスが生まれて現代に至るまでさほどの違いは無いのは常識
ホモサピエンスにちゃんと安全を求める知性があるからこそ帰りの見えない航海に踏み出すと「思えない」と書いたし
500人規模の集団は人類の社会性がもっと発展した後にしか誕生しないのは常識であり、例外があると「思えない」という意味で書いた
自分の価値観で他人を見下すような理屈を捏ねているのはあなたの方です
何で「500人の集団」に拘るかがさっぱりわからないけど…
少数の集団が個別に複数回移動していくことで、
その地域での母数が増えていくという発想はないの?
人間ってのはメリットや安全性がなくても「面白そうだから」「行ってみたいから」で冒険するような種族だよ。
人類の冒険欲求を低く見積もりすぎだと思う。
もちろん、全員がそうだってわけじゃないが、集団には必ず何割かそういう無謀な冒険者気質が絶対いる。
そして、それで成功した先駆者に触発されて「じゃあ自分もやってみよう」ってなる追随者気質はそれ以上にいる。
自分は日本には大陸から切り離された時に居ついてしまった人類と海を渡ってきた人たち(南の海や大陸やロシア)からの混成だと思っているけど、もともと居ついてしまった人の方が数としては多かったと思う。しかし技術としては他国からもたらされたものも取り入れて魔改造して縄文文明に繋げて行ったのでは無いかと勝手に推測している。
日本列島に現生人類が到達した時期は、現時点では氷期の最盛期である3.8万年前前後との説が有力
まさに陸からの流入時期と海からの流入時期とには大差がないのです
38000年前は約7万年前から始まった最終氷期が本格化する前です。極大期は 25000~16000年前。
可能かどうか以前に船で来たっていう痕跡が有るのかどうかの方が重要だと思うんだ
事実として扱うなら絶対に必要な事だよ
「陸続きだった時代に歩いて来た」に比べて信憑性に可成り問題が有る話だ
記事の地図にもあるように、氷期でも島しょ部だった地域に遺跡があるんですがそれは…
それが”事実として扱うなら絶対に必要な痕跡”ではだめですか? それとも空を飛んでいったとでも?
トンネルでw
昭和時代にも「野生号」てのがあってな・・・
さすがにこれくらい前のものはほとんどは憶測にしかならんよ
これがこうだからこうであろう、という推測でしかない
推測を実証してみたって記事では?
最初の移住で男女が生存し子供を授かり
さらにほかの家族も居ないと続かないよね
もっと大規模な50名単位の移動があったんではないかと思う
んー浪漫あふれてるし、実際に渡ってきた可能性も十分あると思うけど、実行可能であったことを示したってのが適切な表現なんじゃなかろうか。