この画像を大きなサイズで見る人間は一人では生きていけない。それゆえに他人とのつながりを求める先天的な衝動がある。これは進化の途上で身につけたものだ。大昔は他人から拒絶され、集団から排除されることは死を意味するほど、命の危険と直結していた。
その結果、私たちの脳は他人から非難されることを嫌うようになった。事実、社会的に拒絶されると、肉体的な痛みを司る脳の領域と同じ部分が活性化することが証明されている。
今日、私たちは獲物を得るために槍を掲げ、肉食動物から逃げ回るような生活を送ってはいないはずだ。それでも、他人の拒絶に対する抵抗感は心の奥深くに根付いている。他人からの承認がなければ成功はありえないと考えてしまうのだ。こうした考えは特に仕事において顕著である。
しかし、職場で他人からの評価ばかり求めていると、長期的には自分のキャリアから大きく脱線することになる。上司やクライアント、あるいは同僚を喜ばせようと長時間働いたり、絶えず完璧を求めていると、やがては燃え尽き、仕事や私生活で満足を得られなくなる。
生産的で、人当たりのいいチームプレイヤーでありたいという欲求が、行き過ぎで、他人からの承認を得ることだけが目的になっている場合がある。
仕事をしている人、以下の質問に答えてみてほしい
・会議で上司をなだめるため、あるいはチームに同意するために、自分の意見を変えたり、軽視したりしてはいないだろうか?
・気に入られようと同僚の仕事ぶりに心にもないお世辞を言ってはいないだろうか?
・公私が混同されるようなことになったとしても、自分の時間を削られるような依頼を常に引き受けていないだろうか?
・同僚や上司から不公正な扱いを受けても黙って我慢していないだろうか?
・誰かに反対されたり、自分の仕事を勝手に変更されたりした時、腹が立ったり、侮辱されたと思ったりしていないだろうか?
こうしたことに思い当たるのであれば、他人からの承認を求める姿勢を見直した方がいいかもしれない。以下でそのためのステップを紹介しよう。1. 他人から承認を求めるようになった発端を考える
多くの場合、職場で賛同を求める傾向は過去に起因する。例えば、権威を尊敬するようにと教えられて育ってはいないだろうか? もしそうなら、職場で反対意見を表明することに抵抗を感じるかもしれない。あるいは、学校で友達作りが苦手で、仲間外れにされる恐怖心を育んでしまってはいないだろうか? すると、必死になって仲間内に入ろうと、何が何でも周囲から好かれようとするようになる。
子供時代の出来事が、過度な承認欲求の発端になっているのかもしれない。
2. 批難を友達にする
誰かの期待に応えられなかった時のことを振り返ってみよう。上司からプロジェクトを一からやり直せと命じられた時のことかもしれない。大切な締め切りを失念してしまった時のことかもしれない。その失敗をどう挽回したのだろうか? その結果、何を学んだのだろうか? 大抵の人ならそういった時があるし、それを振り返ることはプロフェッショナルとして成長する助けとなる。
ヘマをやからした時、批難や批判は一種のフィードバックだ。その情報を使って改善し、次のパフォーマンスを向上させることができる。また、他人からの批判をポジティブなものとして捉えられるようになる。つまり、ただ心地良い領域に留まるのではなく、前へ進み、限界を上げられるということだ。
3. 成長志向を持つ
向上を旨とするなら、他人の承認から自由でいることができる。ある心理学者は、スキルや能力が生まれつき備わったものではなく、時間をかけて発展させるものだと考えている人は、そのポテンシャルを発揮する傾向にあることを発見した。この成長志向は、他人からのフィードバックを批難や失敗と捉える現状維持志向よりも自分自身を変える可能性が高いだろう。
成長や向上、そして成功の余地は十分にあるということを理解すると、絶え間ない承認欲求から乳離れできるようになる。
4. 結果ではなく、過程に意識を向ける
他人からの承認を求めがちならば、特定の結果を出すことに躍起になるよりも、過程を改善することに意識を向けよう。昇進や昇給といった狭い単一の結果ばかりを追求すると、自分の価値を自分ではコントロールできない外部の基準に合わせて評価しなければいけなくなる。
例えば、あなたは良くやっているのに、会社全体のパフォーマンスに問題があるために給料が上がらないといったことがある。それはあなたにコントロールできるものではなく、あなたの従業員としての価値を反映するものでもない。
それよりも自分でコントロールできる過程に集中しよう。こうすることで、承認があなたに及ぼす力を弱めることができる。例えば、もっと理路整然と行動しようと努めてはどうだろうか。するとあなたは効果的な人間に見えてくる。昇進だってその方がずっと早いはずだ。
この画像を大きなサイズで見る自分を自分で認めることが一番大切
その日の最後に、自分に答えられる人物はあなた自身だ。自分で自分を認めることこそが、長い目で見れば満足のいく生活への近道なのだ。職場で人から気に入られるための行動から自由になって、自分自身を尊重することを心がけよう。
via:psychcentral・written hiroching
人の目が気になって仕方がない。どう思われているか気になって仕方がない。だけどそのことにばかりとらわれていると何もできないし何も進まない。なにより自分が辛いだけだ。自分を楽しませよう。自分が楽しんで生き生きとしていると、おのずと周りも楽しんでくれるものだ。
















自分に自信があって自分のことが好きなら、他人の評価に左右されることはないし、避難や失敗も冷静に受け止められるんだね…自分の事を認めるって難しいなあ
何かぬいぐるみ等を作ると、家族「どうよ!(意見くれ・誉めてくれの意味)」って見せるって行為を子供の時からいま(20代)に至るまでよくやるんだけど…これも承認欲求なのかな?
恐らくは兄弟や友達に「なんだそりゃ」「変なの」って言われることが嫌もしくは好ましくて、その都度「変」か「普通」かを聞いてしまっているんだと思うんだけど…
承認と否定を程よく受け入れられる自己の形成がまず必要。
自己が形成されていないと、否定される事に怯え行動ができなくなったり、時に自分を傷つけでも承認を得ようとする。
ただ自己承認できるには一定の他者承認も必要だったりするので、どちらも有さない場合負のスパイラルが始まる。
本来は親から無条件の承認を与えられ自信をつけるものだが、今日日親から満足な承認を受けないで成長する人は多い。
承認欲求も拗らすと、承認しない他人を貶めたりするようになって面倒くさいからな~
何一つ当てはまらないぞ、それは無駄って随分前に気が付いた。
単に説得されただけじゃん
「承認欲求に屈してしまった」とか後でウダウダ言うのカッコ悪いよ
承認要求という言葉を初めて知りましたが、これが符合する人ってワンマン経営者にとっては都合の良い人材なのでは無いかと感じました。
反対に、自分の意見こそが正しくて他人が無知に見えて仕方無い人の方が社会的に見て団体に悪影響を与える気がするのですが…
そんなカッコを付けたくなるような者がいるなんて幸せ者だ
うらやましい
自己顕示欲と承認欲求はちがうのかな?
質問が全部当てはまって辛いw
※11
似てるようで真逆じゃないの?
承認欲求ってのは自分が正しいという自信がなくてそれに対して客観的評価を求めたり、評価されるような迎合的行動を取らずにいられない社会不安とか強迫観念がある状態
自己顕示欲ってのは書いての通り自己を顕示したい、自分の存在や意見を知らしめたいという欲求だから意志の表明を躊躇わない程度の自信は最低限ある状態だと思う
>>11
ぜんっぜんちがうやん
自己顕示は他人からどう思われようとかまわない
※11
根底は同じのような気がする
※25
褒められたいって感情は普通だと思うよ。
無闇矢鱈に求めて、逐一褒められてないと苛立ったりするのが
良くないってだけで。
承認欲求はあって当然だけど、捩らせたら辛くなるだけってことだと思う。
※25
それは普通じゃね。
認められようとする行動そのものは主体性からくるもので
それに対する賛辞なんかの対価はあって当たり前、
承認要求は自分に主体性のないいわゆる太鼓持ち的な事だし。
自分自身の中身が豊かになれば、
人に近付くのも遠ざかるのも
自由自在にできるようになる
というのが最近のモットー
人の目が気になるのは誰でも多少なりともある事だけど、これが過剰なのは人並み以上に自分中心にしか物事考えられない人だと思う
自分を認めるには、自分に試練を課し、それを乗り越えるのが一番確実。そうすると大層なものをやらないといけないように感じるけど、そんなことはなくて、ちょっとしたマラソン、登山、散歩でも十分。
要は、イメージしたことを実現する力が自分にはあるんだと確信することが大切で、スポーツやアウトドアで得られる爽快感には、自分に対する自信や安堵も含まれている。頭でっかちになりやすい人間だからこそ、自信は失われる。
誰かに非難されることと同じくらい評価されることが怖いひとも多いよね?
承認欲求が足りないてのもそれはそれでいかんがな
中庸が必要だね。
承認されたい、は自分を失う。でも孤高も独善につながり悲惨になる。
これらができる人のことを「自尊心が満たされている人」と呼ぶ。
これが正しい自尊心という言葉の使い方である。人の目無しに自分で自分を肯定する心、みたいな意味である。
自尊心とはプライドという意味ではないのだ。
今ちょうど悩んでることが記事にされてて驚いた
ということをカラパイアでは何度か体験してる
不思議
言うは易く行うは難し
仙人じゃないのでなかなか書かれているとおりにできない悲劇
いいねやRT社会だと余計に
褒められたい!ってのも承認欲求なのかな
いい年こいても怒られれば凹むし、褒められれば有頂天だよ
心で重要なのは大抵バランス。強すぎも弱すぎもいけない。でも自分じゃ加減はわからない。だから難しい
自分が楽になることと人になるべく迷惑かけないこととの折り合い
人や環境が違ければ、その落とし所も変わる。そこを探ることの繰り返し
今注目のアドラー心理学のかんがえかただね。目次だけ読むと、まーそーだよねって感じだけど、一字一句理解して読み終えた時は目の前が開けた気がしてなんだか体が軽くなったなぁ。
ところで、「2.批判を友達にする」は荒療治のため気を許した友人に面と向かって批判してみなさいってことかと思った。批判を糧にするってことなんだね。
その場の為に頑張るか、自分の成長の為に頑張るか。
どちらも頑張らなきゃならないのは同じだよね。
なぜ向上心を欠いたらいけないのか?
理由は書いてないけど、多分生きて行けないからでしょう。
たゆまぬ努力だけが自分を不安定から逃してくれる・・・
というルールを採用しているのはどちらも同じで、大差ないじゃないかと思う。
私はこのルール自体から解放されたいのだが、そういう自己啓発にはお目にかかったことが無い。
>誰かに反対されたり、自分の仕事を勝手に変更されたりした時、腹が立ったり、侮辱されたと思ったりしていないだろうか?
これの人多いんじゃないの?
自分の好みのものを否定されただけでブチ切れるやつ多すぎ
人格否定されたと思うんだろうな
世界単位で見れば自分の人生なんて羽虫のようなもんだ、って考えればどうでもよくなるがな。
お金が沢山欲しいからです
仕事しないでボスのご機嫌伺いばかりしてる人なんて承認欲求の塊なんでしょうね。そんな連中の尻拭いをするのが真面目でおとなしい人たち。自分なりの責任感や生活のためと諦めて会社を支えている人がいるから、なんとか会社が成り立っているんじゃないかな、と思う。
承認欲求の何がいけないのやら(´・ω・`)
子供だって承認欲求があるから、褒めたら伸びるんだけどね。
他人の自分と違う所に、「アンタは○○が駄目」「君は△△が悪い」とか
駄目出ししてる暇があるなら、
もう少し自分の良い所に目を向けたら?って思うよ。
承認欲求がダメって事じゃなくて、行き過ぎるとこうやって生きづらくなるって話だろう
承認欲求自体は誰にでもあって、基本人に褒められるのは嬉しいよね
でも常に褒められるってそうないし、それに固執すると歪みが生じる。バランスの問題だね
なんだ、みんな試行錯誤してるんだ。なんかほっとしたww
コミュニティを形成する上で、自分に与えられた役割を果たしているのなら
意識して孤独でいることがそれほど悪いことか?とも思うがな
人の自我というのは油の膜につつまれているようなもので
たとえ目に見えてわかるようになっても
自分の思考ロジックや心の在り方が100%そっくりそのまま、相手に理解されることはないと考えている
(ここでいう理解とは、共感を得るとは違う意味だ)
なぜなら、それは相手の経験や体験・知識に根ざした解釈であって自分のそれとは異なっているのをわかっているからな
映像プロデューサーだが、やっちゃいけないこと全部是としてたな。
スタッフからクライアントまで全員自己主張強いから、
誉めてなだめてすかして落としどころに導いてる。
評価は得てるが、抜け毛が凄い。
lose-win (自分を負けさせて、相手を勝たせる)になっていないかどうか、また、そのままで良いのかどうか考えたほうがいいのかも、っていうやつかな。
短期だとそれが正解の時もあるけど、長期だとやめるか別の方法にするとか。
自分の主張を述べたいってのが自己掲示欲。
で、それを認められたいってのが他者承認欲。
人間は皆ワガママってことだ。
ここで思い付いたコメントを書き込んでるのもそれが孕んでいるんだよね。
その日の最後に(At the end of the day)
→ 要するに
自己承認願望なんて邪魔
他人や社会なんてどうでもいい
興味を持つな
もっと好きな事して生きろよ
異論反論なんて聞かなくていい
意見を受け入れない
こう言う無理をさせるような言い方困るんだよね!
ましてや、心の傷を抱えていればいくら向こう側が正論のつもりで言った事であってもそのようしたくなどなくなるね。