この画像を大きなサイズで見る人間が毎日暮らしていく上で、なくてはならない設備の筆頭がトイレだと思う。古代文明においても、トイレの遺構は各地で発掘されており、我々人類の生理と生活に欠かせない施設であったことがよくわかる。
だが意外に思う人もいるかもしれないが、ヨーロッパの中世はトイレにとっても暗黒時代と言えるような時代だった。
この時代、トイレと呼べるシロモノは、主に城などの支配階級が生活している場所に存在しているくらいだったのだ。
ではその当時のセレブ御用達とも言える、お城のトイレの実態はどんなものだったのだろうか。
城の外壁に作られたぽっとんトイレ
古代ローマ帝国の時代には、公衆浴場のほかに公衆トイレが存在し、街には優れた水道・下水道設備が張り巡らされていた。
もちろん現代の基準の衛生観念からは程遠かったかもしれないが、とにもかくにも庶民も使える公衆トイレが設置されていたわけだ。
この画像を大きなサイズで見るだがこのトイレ文化も、西暦476年にローマ帝国が崩壊し、中世と呼ばれる時代になるとなぜか失われてしまい、トイレに関しても暗黒時代が訪れる。
中世ヨーロッパのトイレは、一般人には無縁の物。トイレがあるのは城砦や修道院、そして宮殿くらいだったのだ。
城に設置されたトイレは、基本的に壁から張り出した場所にあって、排泄物は下に落ちるようになっていた。
トイレの穴から直接外の川や濠に落ちるタイプのほか、壁の中に作られた縦穴を落ちて、最下部で回収されるタイプがあったようだ。
下はイギリスのダービーシャー州ペヴリル城の壁に作られたトイレ。下側に穴が開いているのがわかるだろうか。
この画像を大きなサイズで見るそしてこちらは、フランスのドルドーニュ県ガジャック・エ・ルイヤックにあるガジャック城のトイレだ。
こういったトイレは、城が敵に襲われた際に穴が進入路になるのを防ぐため、高い場所に作られるのが常だったという。
これはかなりの距離がある。重力が働くからもし間違って下にいたら相当の威力だろう。
この画像を大きなサイズで見る強烈な悪臭で害虫退治
中世の城のトイレはフランス語で「ガルデ・ド・ローブ」、英語では「ガードローブ」と呼ばれていた。これは「衣類(ローブ)をガードする場所」という意味だという。
この時代、人々はノミやシラミなどに悩まされていたが、当時の人々は、トイレの強烈な悪臭がこういった悩みの種を退治してくれると信じていたという。
そこで彼らは高価な衣類をトイレに吊るし、害虫からガードしていた……つもりになっていたのだそうだ。そしてこれが、現代の「ワードローブ」の語源になったんだとか。
この画像を大きなサイズで見るこれは俗説に過ぎないとも言われているが、事程左様にトイレのニオイは強烈だったということなのだろう。
壁の外に排泄するタイプのトイレならニオイもそこまでこもらなかったような気もするが、川などに流していたならともかく、外の地面に落下していたのならやっぱりかなり臭ったのかな。
ちなみにイングランド国王のヘンリー三世は、ロンドン塔内の悪臭を何とかするように命じた手紙を残しているそうなので、当時の人たちにとっても耐え難いものだったのかもしれない。
回収した排泄物は肥料になった
ガードローブの使い方はこんな感じ。穴の上に座って用を足すと、そのまま外にサヨウナラ。穴の下は川だったり、排泄物を溜めておく汚水溜になっていたりしたようだ。
中には壁の中に縦穴が作られて、そこから下の階までポットンするタイプのガードローブも。
当然ながら、集まった排泄物の除去やトイレの清掃を生業とする人々もいて、激職ではあったものの、かなりの報酬を得ていたらしい。
また、回収された排泄物は、貴重な肥料の材料として、農民に引き取られていたようだ。
この画像を大きなサイズで見るガードローブには窓があることもないこともあったが、いずれにせよ寒い冬のヨーロッパで、長時間ここにこもるのはさぞかしつらかっただろう。だってお尻の下は外気にさらされているんだもの。
さらに当時はもちろんトイレットペーパーなんてモノはなかったので、干し草なんかでお尻を拭いていたそうだ。お尻は痛そうだし汚れも取れなそうだしで、現代人にはとても耐えられないと思う。
ちなみにヨーロッパでは18世紀になっても、王族から一般庶民まで、排泄物はその辺に投げ捨てていたというから、人口の多い場所では、街全体がすさまじい悪臭を放っていたことは想像に難くない。
タイムマシンで過去の世界に行ってみたい!と夢見る人も多いと思うが、到着した途端に悪臭にノックアウトされてしまう危険もある。
時間旅行に出かける際は、訪れる時代と場所はかなり熟考して選択することをおすすめしたい。
References: Everything You Didn’t Want To Know About Using The Toilet In The Medieval Period













運故知新
ヨーロッパでも人糞を肥溜めで発酵させる
文化があったんだ。
日本のように人糞を堆肥にする地域も広いヨーロッパの一部にはあったが、主流ではなかったらしい。
ロンドンやパリなど大都市では街中の糞尿を夜な夜な集め、街の中にある規定の区域に撒いて天日や風雨で風化させる事で処理していたとか。
代わりにヨーロッパでは馬糞を堆肥とし、日本では馬糞を乾燥させて燃料としていた。
なんだか香ばしい臭いがしそうだけど、モンゴルなど遊牧民も家畜の糞を燃料にしていたという。
ローマ帝国と中世はなんでこんなに文化が違うんだろうか?
風呂の文化が廃れて香水で誤魔化してみたり、記事にあるようにトイレの設備も退化してしまった。
まるで憎しみを込めるかのように『ローマの記憶』を消し去ってる感じがするのに、ローマ帝国の後継者争いで乱世になってるし、一体何なんだろう
普通に民族が入れ替わっているから。
ゲルマン人傭兵がクーデターで政権を奪取し、やがてフン族(匈奴という説もある)に押され黒海の方から大量のゲルマン部族が押し寄せた。
初期はただの流民でイタリアを通過してスペインに向かっていたがやがて武装化しイタリア内にも武力侵入した。
北アフリカの穀倉地帯が砂漠化したことが決定打となってゴート族が沿岸部に侵入・支配、制海権を失って事実上西ローマは滅ぶ。その後も戦乱が続きラテン民族の知識層は消滅した。
ゲルマン人たちはしばらくは都市に住んでいたが、半農半牧の彼らは石造の建造物を維持できず、郊外に木造の家を建てて住むようになって都市は埋もれていった。
欧州の絵画には崩壊し半分ほど埋もれたコロシアムなどの姿が多く描かれている。
彼らが再び石造の都市に住むようになるのは、商業が発展し人口が都市に流入を始めた8世紀あたり、ルネサンスの手前。
解説ありがとう!勉強になるわ。
「別の所に落とす」だけでも当時としては衛生的という
日本は人糞集めて火薬の原料の硝酸作ってたけどね
ハイヒールが広まったのも、街中にあろソレを踏むのを避けるためだったという説がある
真偽はともかく、説が罷り通るくらいには不衛生だったのは間違いないようだ
最近まで日本の鉄道車両のトイレは線路に垂れ流しだったと聞いて驚いてます
昭和50年年代くらいからはタンク式になってるとばかり…
ただの垂れ流し&放置やんけ
風雲国際城
日本の城にもこんな仕掛けがあったようななかったような
壁を上ってくる敵めがけて大きな石とか落としてたような
トイレではなかったと思う
便所のある城 即ち便城
中世ヨーロッパ風は好きだけれど中世ヨーロッパは好きじゃない原因
大体これと魔女狩りのせい
魔女狩りは主に近世 定期
映画「アマデウス」で一晩飲んで騒いで朝帰りのモーツァルトが歩いている裏通りは、住人が早朝部屋にあるオマルの糞尿を窓からブチ撒いた場所だな。
モーツァルトはウ〇コを踏まないように歩いているんだね。
糞尿は清掃人があとで片付ける。
おばあちゃんち昔ボットン便所だった
臭いけどトイレの窓開いてて外の空気もたくさん入ってくるし、臭いけど平気というか臭いけど慣れるというか
ンコを踏んだり手に触れるような状況は不衛生だけどしかるべき距離を置いたンコはそんなに脅威ではない気がする
とは言う物の、トイレの穴から侵入されて落城したケースも結構あった様子。
壺にして窓からバシャーって時代だからなー
ベルサイユ宮殿もかなりのにおいだったみたいだし…
もしかして庭にバラ植えるのってにおいを誤魔化すためなんかな?
強い悪臭を別の香りで誤魔化しても誤魔化しきれないのよね
生まれつきその匂いの中で過ごしていればあまり気にならないのかも
色々もの知らんから聞いた話の印象だけでいうと、ローマの尻をふく海綿付きの棒を共用してたってのが俺はもう無理だ。自分専用ならまだわかるけどさぁ…中世の人は尻どう拭いてたの?
ローマのアレは実は使い道ははっきりとわかってない
トイレ掃除用のブラシだったんじゃないかという説もある
日本には籌木(糞箆)があったり、中国は古くから紙も使われていたりしたけど、
そういえば中世ヨーロッパってあまり聞かないな。
富裕層は古布の切れ端やウール綿を使ったりして、
庶民は葉っぱや藁とか、そんな感じなんだろうか?
今でもビデ文化がある南欧は、中近東みたいに手で水洗いする方式だったのかも?
ぽっとんトイレではなくボットントイレです。
ぽっとん☓
ぼっとん◯