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約1800年前の石碑に古代マヤ文明最古の長期暦の日付を発見

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Image Credit : Kenichiro Tsukamoto, PAEP
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 メキシコ南東部からグアテマラにかけての低地に栄えた古代マヤ文明では、王たちが権力を示すために暦の日付を石碑に刻む文化があった。

 米カリフォルニア大学などの研究チームが最新の3Dスキャン技術でマヤ低地の遺跡の石碑を解読した結果、西暦180年という、マヤ低地でこれまでに確認された中で最も古い長期暦の日付が刻まれていることが判明した。

 この発見により、古代マヤで王権と暦がどのように結びついていたかの解明が進むと研究チームは述べている。

 この研究成果は学術誌『Ancient Mesoamerica』(2026年6月5日付)に掲載された

参考文献:

マヤ文明の低地と高地、それぞれの歴史

 古代マヤ文明が栄えた地域は、大きく低地と高地の二つに分かれる。

 低地はメキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズにかけて熱帯雨林が広がる地域で、ティカルやカラクムルといった大都市国家が紀元前から繁栄した。

 高地は現在のグアテマラ南部からホンジュラス西部にかけての山岳地帯で、黒曜石などの豊富な資源を背景に独自の文明が発展した。

 マヤ低地の都市国家が最も栄えたのは古典期と呼ばれる西暦250年から900年頃で、王たちは自らの権威を示すために石碑を建て、誕生・即位・勝利といった重要な出来事を暦の日付とともに刻んだ。

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メキシコにある古代マヤ低地の遺跡エル・パルマルで発掘された宮殿の場面が描かれたマヤ文明の多色土器Image credit:El Palmar, Campeche / commons.wikimedia / CC BY-SA 4.0

王権を刻んだ石碑と長期暦の役割

 マヤ文明には複数の暦があったが、歴史的な出来事を石碑に記録するために使われたのが長期暦で、紀元前1世紀頃からメソアメリカ全域で使われ始めた暦である。

 長期暦は、神話上の「創世の日」である紀元前3114年を起点として、そこからの経過日数を数え続ける。

 「8.7.1.0.0」のように数字の組み合わせで特定の日付を表し、石碑に刻まれた日付から出来事がいつ起きたかを特定できるため、考古学上の重要な資料となる。

 王たちはこの日付を、神聖な宇宙の時間軸と自らの即位を結びつける政治的な手段として利用していた。

 ただし、マヤ低地では古典期が始まる西暦250年以前にこの長期暦が使われていた証拠を見つけることは、これまで困難とされていた。

3Dスキャンが解読したマヤ低地最古の日付

 メキシコ・カンペチェ州に位置する古代マヤ低地の遺跡エル・パルマルでは、高さ約2.96mの石碑「ステラ46」の存在が以前から知られていた。

 だが、長年の風化によって石灰岩の表面が激しく損傷しており、碑文の完全な解読は困難な状態が続いていた。

 カリフォルニア大学リバーサイド校の塚本健一郎准教授とメキシコ国立人類学歴史研究所のハビエル・ロペス・カマチョ氏が率いる共同研究チームは、0.1mmの精度で表面形状を計測できる高解像度3Dスキャナーと、複数の写真から立体形状を復元するフォトグラメトリーを組み合わせ、石碑表面のデジタルモデルをさまざまな角度から照らし出すことで、肉眼では判読不能だった象形文字の輪郭を鮮明にすることに成功した。

 解読の結果、ステラ46には長期暦の日付「8.7.1.0.0」、西暦180年8月31日を示す刻印が確認された。

 これまでマヤ低地の長期暦の最古記録とされていたのは、グアテマラの古代マヤ都市ティカルで出土した石碑に刻まれた西暦292年の日付で、今回の発見はそれより112年さかのぼる。

 また碑文には王の即位と暦の日付が結びついていることも記されており、初期のマヤ支配者たちが権力の正当化に暦を利用していたことが、これまで考えられていたよりはるかに早くから始まっていたことを示している。

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エル・パルマルで発見された石碑「ステラ46」の左側面・正面・右側面。3Dモデリングはカリフォルニア大学リバーサイド校の塚本健一郎准教授らによる。西暦180年の日付が刻まれている。Image credit:PAEP. From Ancient Mesoamerica (2026)

エル・パルマル王朝1000年の記録

 エル・パルマル遺跡の発掘調査はほぼ20年にわたって継続されており、ステラ46以外にも複数の石碑が王朝の歴史を伝えている。

 6世紀頃に建てられたステラ20には王朝の起源に関する記述があり、ステラ46の内容を裏付けている。

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エル・パルマルで発見された石碑「ステラ20」の正面。王朝の起源に関する記述が刻まれており、ステラ46の内容を裏付けている Image credit:PAEP. From Ancient Mesoamerica (2026)

 現在メキシコのフォート・サン・ミゲルにあるマヤ考古学博物館に収蔵されているステラ45には、西暦342年の日付と4世紀の王位継承に関する記録が残されている。

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エル・パルマルで発見された石碑「ステラ45」の背面・左側面・正面・右側面。西暦342年の日付と4世紀の王位継承に関する記録が残されている。 Image credit:PAEP. From Ancient Mesoamerica (2026)

 これらの石碑が示す王朝の歴史は、終末前古典期と呼ばれる紀元前300年頃から、終末古典期と呼ばれる西暦950年頃まで1000年以上にわたって続いたものだ。

 マヤ低地において最も長く続いた王朝の一つだったと研究チームは述べている。

 なお、エル・パルマル遺跡は現在も発掘調査が継続中で、一般には公開されていない。

まとめ

この研究でわかったこと

  • メキシコの遺跡で発見された石碑に、マヤ低地で最も古い西暦180年の長期暦の日付が刻まれていた
  • これまで最古とされていたグアテマラの記録より112年さかのぼり、古典期が始まる西暦250年より70年以上前に長期暦が使われていたことが確認された
  • 古代マヤの王が権力を正当化するために、即位と暦の日付を結びつける政治的手段を、これまで考えられていたよりはるかに早くから使っていたことが示された

まだわかっていないこと・今後の課題

  • エル・パルマル遺跡の発掘調査は現在も継続中で、王朝の全容はまだ明らかになっていない

References: DOI: 10.1017/s0956536126100984

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