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ソビエト連邦が崩壊に向けて激動に揺れるほんの少し前、ひとりのロシア人宇宙飛行士がソビエト宇宙ステーションへ向けて飛び立った。彼が任務で成し遂げた功績は大きく、当時は宇宙滞在最長記録にもなった。しかし、その間母国だったソビエトは崩壊し、長期の任務を経て彼が地球に戻った時には、すっかり面変わりを遂げた異国に変わっていた。
優秀なロケット科学者として度重なる宇宙飛行を経験し、約10年にわたり通算宇宙滞在時間の世界記録を保持していた宇宙飛行士セルゲイ・クリカレフは、「最後のソビエト連邦国民」とも呼ばれている。
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1991年5月、ソビエト宇宙ステーションに向けてクリカレフが飛行
1985年に宇宙飛行士に選ばれたロシア人セルゲイ・クリカレフは、アナトリー・アルツェバルスキー機長とイギリス人宇宙飛行士ヘレン・シャーマンと共に、1991年5月19日にソビエト宇宙ステーションのミールに向けて飛び立った。
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クリカレフとアルツェバルスキー機長の使命は、宇宙ステーションに派遣されていた飛行士と交代し、様々な実験やステーションでのメンテナンスを行うことだったが、シャーマンはライフサイエンスの実験を行うプログラムの一環として搭乗したため、8日後には地球へ帰還した。その5か月後、アルツェバルスキー機長は地球へ戻ったが、クリカレフは長時間の宇宙遊泳訓練を受けていたこともあり、引き続きミールに滞在し、152日間を過ごした。
この時点で、クリカレフの宇宙滞在は最長記録となった。
その間、ソビエト連邦は政治的混乱状態に

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クリカレフがミールに滞在していた間、彼の祖国であるソビエト連邦は信じられないほどの政治的混乱を来していた。1991年8月、ミハイル・ゴルバチョフ大統領に対するクーデターの失敗がソビエト連邦を揺るがし、最終的には連邦の崩壊へと繋がった。
次の数か月にわたり、ソビエト連邦からロシアやウクライナ、ベラルーシなどが次第に連合からの離脱を図り、独立国家宣言を行った。
そしてついに、1991年12月25日にゴルバチョフ大統領はソ連の大統領を辞任、翌日には連邦は解体宣言をし、事実上崩壊した。
ソ連崩壊により宇宙計画の将来が危機に
ソビエトがロケットを打ち上げたバイコヌール宇宙基地は、崩壊後独立したカザフスタンにあった。カザフスタンは、ロシアのモスクワからこの基地の使用にあたって多額の費用を要求。しかし当時のロシアは経済的に崩壊しており、ロシア国家は西欧諸国政府へ宇宙ステーション旅行を売却することで、資金を集めようとした。

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その結果、オーストリアは宇宙船ソユーズ(Soyuz)の座席に当時700万ドル(現在の日本円で約7億5700万円)を支払い、日本のテレビ局はジャーナリスト1人を搭乗させるために1200万ドル(約13億円)をロシアに支払った。モスクワはカザフスタンとの取引を交渉し、バイコヌール宇宙基地からの打ち上げ許可と引き換えに、初のカザフスタン宇宙飛行士を搭乗させることに同意した。
しかし、彼とオーストリア人の宇宙飛行士は、クリカレフに取って代わるほどの資格を持っていなかった。彼らは長期滞在の訓練を受けていなかったのだ。
ロシアのメディアはクリカレフに同情
間もなくして、アルツェバルスキー機長と一緒にカザフスタンとオーストリアの宇宙飛行士は地球に帰還した。しかし、そのままミールに留まったクリカレフにロシアのメディアは同情し、次のように報じた。
宇宙に送られた宇宙飛行士は、一連の任務を遂行するも長期滞在が続き、世間では彼のことを忘れ始めている。ソビエトが崩壊した後も、地球に戻っていなかったクリカレフは、宇宙管制センターで働いていた妻と週に1回は無線で連絡を取り合っていた。
ソビエトの政治的混乱によって生じた打撃は大きく、ソビエトルーブルの価値が劇的に低下し物価が急騰した。
クリカレフの月給500ルーブルでは、家族全員が生活していくことは非常に厳しいものとなっていたのだ。
また、宇宙機関から宇宙飛行士に必要不可欠な物資を送ることにも困難が生じていたため、ロシアはミールをアメリカに売ることさえ考えたようだが、NASAはほとんど興味を示さなかったという。

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クリカレフ、1992年3月についに帰還
祖国の波乱を迎えた翌年の1992年3月25日、ついにクリカレフは311日後に地球へと帰還した。しかし帰り着いた地は、去った時とはまるで異なる国だった。かつて共産主義だった超大国は、15か国に分裂。大統領も変わり、故郷のレニングラードでさえ、サンクトペテルブルクという名前になっていた。
激しいショックと疲労からか、クリカレフはソユーズのカプセルから助けを借りて出て来なければならなかったほど憔悴していたそうだ。
当時のメディアは、その時のクリカレフの様子をこのように伝えた。
クリカレフは、小麦粉のように青白く、湿った生地の塊のように汗をかいていた。

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数年後、この時の自身を回想したクリカレフは、
直面しなければならなかった重力にも関わらず、宇宙空間はとても快適だった。だが、心理的に重荷だと思った時もあった。幸福感とはいえないが、とてもいい経験をしたことは確かだ。と語っている。
歴史に残る宇宙飛行士の1人に
クリカレフはそれから2年も経たないうちに、アメリカのスペースシャトル・ディスカバリー(Space Shuttle Discovery)に搭乗し、再び宇宙へと戻った。
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ロシアの宇宙飛行士が、アメリカの宇宙船でアメリカの宇宙飛行士と一緒に飛行したのは、この時が初めてだったという。クリカレフは2007年に宇宙飛行から引退。軌道上では800日以上の時間を記録し、宇宙で過ごした最大日数としては歴史上3番目の記録を保持している。
ちなみに、ソビエト連邦崩壊中の、彼の予定外の311日間の宇宙での滞在は、宇宙旅行史上で6番目に長い記録であることが伝えられている。

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ソビエトを去って、ロシアに帰還した唯一の宇宙飛行士、セルゲイ・クリカレフ。彼は、まさに歴史に残る宇宙飛行士の1人と言えよう。1958年8月27日生まれの彼は現在61歳、健在である。
References:Amusing Planetなど / written by Scarlet / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
ソビエト解体の混乱のせいで滞在期間爆伸びのベテラン宇宙飛行士になっちゃったんだね…!
2. 匿名処理班
「アカン!これ、ほんまもんのジャミラになるパターンや!」って当時は思ったなあ…
それは冗談として、任務中に世界中の人から心配された珍しい宇宙飛行士だ。
3. 匿名処理班
『クリカレフはそれから2年も経たないうちに、アメリカのスペースシャトル・ディスカバリー(Space Shuttle Discovery)に搭乗し、再び宇宙へと戻った。』なるほど、再び宇宙へと向かったんじゃなくて戻ったのね、よかったね。
4. 匿名処理班
ザンギエフ
「USSR代表としてストリートファイターに
参戦してベガを倒したらロシア代表になってたぞ」
5. 匿名処理班
自分を送り出した国がなくなって、地球の外で忘れ去られるかもしれないって
心細さで精神崩壊しそうだけど
やっぱ宇宙飛行士は強いね
6. 匿名処理班
ミールは確かニュージーランド沖に落下した筈だが落下した日付が同じニュージーランド沖でルルイエが浮上した日と一緒なんだよな
7. 匿名処理班
凄まじい精神力だ
宇宙飛行士になれる人ってすごいな
8. 匿名処理班
トム・ハンクスの映画をなんか思い出したね。ターミナルよりはでっかい規模だけど
9. 匿名処理班
宇宙から見たらロシアもソ連もない、ただ大地と海が広がってるだけなんだろうな。
10. 匿名処理班
猿が支配している地球に戻るよりいい
11. 匿名処理班
※7
私も成りたい ライトスタッフ
12. 匿名処理班
国家崩壊ほどではないがアメリカでも宇宙に滞在中に政権が変わることがあった
宇宙飛行士は帰還後はホワイトハウスでスピーチをするのが慣例なのだが
普通は「今後も我々は政府が命ずるいかなる任務にも恐れることなく……」と述べるところを
この時は「今後も我々はいかなる政府が命ずるいかなる任務にも恐れることなく……」と変わったとか変わってないとか
13. 匿名処理班
朽ち果てたレーニン像を見て
「ここはソ連だったのか・・・」
14. 匿名処理班
帰ってきたら、「レーニンの町」が「聖ペテロの町」になってたわけだ。
15. 匿名処理班
※2
シュワッツ!!
16. 匿名処理班
それでも6番目なのか