この画像を大きなサイズで見る忘れることのできない悔いを抱えているのなら、自分に少し優しくしてあげよう。最新の研究によると、自己を慈しむ(いつくしむ)ことで、後悔を克服しやすくなるそうだ。
カリフォルニア大学バークレー校の大学院生ジアウェイ・チャン氏によると、従来の研究から後悔はときに非常に辛いものだが、これを乗り越えることで精神的に成長できることがわかっているという。
自己への慈しみ(セルフ・コンパッション)と後悔の関連性に注目
研究チームが知りたかったのは、人によって「後悔」した後、気持ちの改善を得られる場合ととそうでない場合がある理由だ。仮説として挙げられたのが、後で振り返ったときの後悔への対応の違いだった。つまり、そこから逃げ出すのか、それとも真正面から向かい合うのかということだ。
研究は自己への慈しみ(セルフ・コンパッション)に的を絞った。これは悔いを簡単に手放すことができるか否かを決める潜在的な要因である。
この画像を大きなサイズで見る悔しさから逃げ出すか?向き合うか?
実験では、18~49歳までの400人の学生をコンピューターの前に座らせ、指示に沿った内容を記述してもらった。まず最初に学生にはそれまでで最大の後悔について書き記すよう指示をした。そのうち無作為に選んだ半数には、やって後悔したことを書いていもらい、もう半数にはやらなくて後悔したことを書いていもらった。
それから、被験者を無作為に3分の1ずつにわけ、”自己慈悲グループ”、”自尊心グループ”、”対照群グループ”を作った。そのうえで自己慈悲グループには、「この後悔について慈しみを持ち、理解のある視点から自らに話しかけた場面を想像せよ。その感想は?」と指示が出された。自尊心グループには、「自分の長所としての資質を正当化するような視点」から同じ場面を想像し、その感想を述べるよう指示した。
一方の対照群グループに対しては後悔していることではなく、楽しんだ趣味について書くように指示した。
それから被験者に、”許し”、”受容”、この指示を実践した後の”個人の向上”についていくつかの質問に答えてもらった。
この画像を大きなサイズで見る自分を慈しむ人は後悔から逃げず受け入れることができる
この結果、自己慈悲グループの被験者は、対照群グループはもちろん自尊心グループと比べても、受容、許し、自己の向上を強く感じていることが明らかとなった。つまり後悔を乗り越えるために役立つのは己の強みではないのだ。むしろ自分に向けられた優しさこそが違いを生み出す。
自分への慈しみを練習することで、後悔ときちんと向き合えるようになるということはあり得る。そこから過ちを学びとれば、将来同じような場面で再び後悔しないで済むだろう、とチャン氏は話す。自分への慈しみは後悔から逃げず、それを受け入れるよう人をうながす。これが心の成長にもつながるのだ。
だがこうした受容は、自分への慈しみが後悔を乗り越え成長を促す際の要因の1つにすぎない。ほかの要因としては再評価が挙げられる。ここで人は「感情的な衝撃をシフトさせる出来事」について考える。例えば、ある乳がんの患者を対象とした調査では、治療前にこれを前向きに考えるよう指示が出された。するとこの女性は後に成長したと強く感じたと述べていたそうだ。
via:Science Finds a Way to Overcome Life’s Regrets/ written hiroching / edited by parumo
自分に優しくするということは決して後悔から逃げるということではなく、きちんとその事実に向き合い、責任転嫁することなく受け入れ、その上で自分の犯した悔いに許しを与え、同じことで二度と後悔しないよう前向きに生きていくということだ。
ライフハック本なんかによく書かれていることだが、これを科学的に検証したというのが今回の研究結果ということである。自分に優しいの意味をはき違えて解釈するとそれは逃げてもいいってことになっちゃうので、そこんところは誤解のないように。間違いや後悔を犯してしまうそんな自分を自分が優しくしてあげることで、他人にも優しくなれるし、心の成長につながるってことかな。














つまり自分がダメだったからここを改善するべきみたいな考えではなくて、仕方なかったよ次頑張ればいいさみたいなのがいいってことか
「甘ったれんな」「自分はクソだ」「長所なんて無い」「なるべくしてなったのだ」
こういう自分いじめでいつまでも腐っていること好きなんだ。すまんな
優しくしろ!慈しめ!ってのもなんか方法論としては自己啓発本のように曖昧表現だな…
自己慈悲ってなんだよ
具体的に書いておくれよ
あれは仕方なかったんだ俺はよくやった
みたいに思えってことなのか。。
後悔は後悔としてしか残らない、こおゆう事言ってる人は頭お花畑に見えるだけ
非現実的過ぎる
自分を許せない人はどうしたらいいんだろうな
やってしまった後悔とやらなかった後悔、前者はだんだん小さくなるけど、後者はだんだん大きくなる。 これを知ってからは、どうせ後悔するならだんだん小さくなる方にしたいので、なるべくなんでもやるようにしている
※7
これ本当なのかな?自分はやらかしてしまった後悔の方が多くて、寧ろやらなかったことはすぐ忘れてしまうからなるべく手は出さない様にしてる
まさにこういう心の問題へのボランティアに関わっているけど、孤独が一番、結果的に毒になるんだ。自己慈悲は孤独を避けるための方法の一つだと思う。人は自分のキャパを超えた出来事をなかなか受け止められない。その時の自分を第三者の目で振り返って、どうしたら自分を救えたか、どうやってその時の自分に寄り添えるか、考えていくことで孤独と、その経験の拒否感を薄れさせられる。同じような経験をした人と適切な距離で居られればなお良い。本当に、この社会には、人に言えない悲しみを抱えている人が多いよ。
自分の良い所を探せないなら他人の良い所も見つからない。
理想の自分にむかって一歩ずつ実際に歩むことが自費、地震に繋がると思います。
後悔やストレスを生んでいるのは自分です。
人は失敗しなければ何故か気づかないからしょうがない
失敗を恥じて自分を責めるのではなく反省して次に活かそうと思えればいいんだ
反省を示しても周りが許してくれないなら
それは周りが上記の事実に気づいていないだけだから気にすることない
こういうのって程度もあるからなあ
やった後悔が殺人で、やらなかった後悔が目の前の人を助けられたのに無視した
とかだったらまた話が違ってきそう
なんやかんや走り始めたら調子良くなった
次は筋トレに手を出そうかと思っている
俺の後悔対策は後悔を積み重ねることだよ
すると最初の後悔は何だったか忘れる
つまり同じ後悔をずっと長年引きずることはないってことだよ
この言葉を心の片隅に置いておけば、幾分楽になるぞ。
「俺の言うことは正しい 俺のなすことも正しい
俺が天下に背こうとも天下の人間が俺に背くことは許さん」
※15
それどこのジャイアン?
自己慈悲と、自分への言い訳?とかって明確にどう違うんだろう
自分は、失敗に対して反省じゃなく言い訳する他人が大嫌いなので
自分自信の失敗に対してもあそこがだめだった、こうすべきだった、と永遠に記憶を反芻して厳しく責めがちだ…
友達が苦しんでたら寄り添いたい、力になりたいと思うじゃん。それと同じ様に自分が苦しんでいる時も、それに気がついてあげて寄り添ってあげればいいと思うよ。いつまでも責めてたら可愛そうじゃないか、自分が。終わったことはしゃーない、受け入れることで前に進めるんじゃないかな。
と最近思える様になってきた。
うーん…※17の言ってることが近いのかな?
この記事ちょっとわかりにくいな。
自分が嫌いなので自分に優しくなんてする気にならないぞ
自分を慈しむって書いてあるからわかりにくいけど、
要するに自分を自分が操るネットゲームのキャラクターの様に考えろって事
ネットゲームのキャラクターは後悔せずに立ち直るし、自分は自分が操るそいつを育てようとするからね
ま、こんなもんよ、俺ってのは
ん、此の程度が実力よ、俺ってのは
自分に期待しないのが一番。
これはどうかなあ、記事がはしょりすぎなのかもしれないけどすごく底が浅い気がする
自分一人の気の持ちようだけで完結する問題への後悔ならそれでいいのかもしれないけどさ
他人を傷つけてしまったことに対する後悔とか、自分のミスで他者に損害を与えてしまった自責の念とか、長く引きずって悩む後悔ってそういうものが多いんじゃないの?
(つまり、許してもらったとかケリつけたとかに関わらず、他者を巻き込んでやらかしてしまった過失そのものに対する後悔)
自分はこんなに後悔したんだもんね、過ぎたことは仕方ないし他人はどうしようもないからもうやらなきゃいいよねって、自分を慰めて許せたもの勝ちってこと?
そういうことが普通にできる人なら、いつまでも思い出して苦しむほどの後悔なんかしないだろうに
つまり、自分の弱い部分をあるがままに受け入れるということなんじゃないかな。
ほんとの自分は今よりもっといいはず!という方向に自尊心が動くと、今の自分を嫌うところから抜け出せない。
金と努力で解決できることは後々後悔しないように惜しまない
それ以外のどうにもならないことは考えない
後悔しまくり
なんで産まれてきてしまったのか
結局自分で折り合いをつけるしかないんだよ
傷付いた自分を許してあげよう
事実を受け入れただ抱きしめてあげよう
と解釈した
人間に失敗はつきものだから過去の失敗を悔やまずに反省や改善点だと思い次にいかしていくって感じなのかなアップデートして更新していくみたいに
後悔は甘え
後悔する暇なく前進せよ
何度失敗しても前進せよ
自分と向き合うのは前進すること
後悔することではない
※28
ALSとか小児がんの難病の人にそんなこと言えるの?
傲慢過ぎないですか?
ダイエットしてて辛い時のメンタルに似てると思う。
誰もおばさんを綺麗可愛いとは褒めてくれないから自分でセルフ褒めしてる。
後悔や失敗も誰かが自分の求める言葉で慰めてくれない限り、自分で労わるしかないよね。
比較的楽に自愛するにはやっぱり人間だものって言い訳が必要だよ。
完璧なんて無いさって。
乗り越えて前に進まないと笑い話にも反省にもならないからさ。
対象年齢が若すぎや
C’est tant pis.
起こったことはしょうがないしどうしようもないのだ~。
わかっていてもなかなかね~!ってのも分かっていても、なかなかね・・・。w
人間らしくていいじゃないか。
自分に優しくするってどうやってやるの?
分かれ道でやるかやらないか迷って、やる方を選んで見事撃沈した。それで何年もどん底を彷徨った、どっちにしろ後悔したんだろうと今では思う。後ろを見ても何も変わらない、そこが何処だろうがただ前に進むしかない。
過去の失敗から自分をダメな奴だと思い続けるより、一旦それを受け入れることで、これからどうするのかを考えることができるのかもしれないね。
次いこ、次!
ロボットが高度な学習能力を持ったら、後悔する能力も付随するのかな
えっと、つまりどうすればいいんだってばよ
いや、辛かったら向き合わなくてもいいし、
逃げてもいいんですよ。
後で時間が経てばそんな前向きに頑張って
立ち向かわなくても、大丈夫になるんで。
自分を許して、優しく出来る人間が心底羨ましい。
この世の自分が生まれて来た事すら許せない、私みたいな人間には特に…。
やっぱり、自分を許すとか、自分を愛するとか、自分を大切にするとか
具体的にどうしたらいいか分からない。
自分は自分という存在で、それを自分から切り離せないのかな。
自分に何かを提案したり説いたりの感覚から分からない。
自分から他者へは、感情なり表現なり伝えるって行動ができるけど・・・
自分が自分にって・・・え?自分頭悪いのかな。
※40
私もはじめ記事で言ってる意味全く解らなくて3回読み返してもモヤモヤ…
でももしかしたら、必ずしも自己完結じゃなくて良くて、誰かに聞いて貰うだけでも
自分を許したことに出来るんじゃないかと思った。案外、家族や知人にも恥ずかしくて相談出来ず
悶々としてるより病院のカウンセリングでもよいから吐き出してみると、相手に解るように
話さなきゃならないし、客観的にならざるを得なくなって、何で悩んでたか
分からなくなる(解決して前向きになれる)事もあるからね。
「自分にご褒美」をバカにする風潮あるけどさ、具体的にはああいうのでいいんだと思う
何か成し遂げたら盛大にお祝いするとか(してもらうんじゃなく)
一生懸命やった分だけ休みをとるとか、美味しいもの食べるとか
落ち込んでたら落ち込んでる自分を認めてあげる
悲しかったら無理に元気を出さずに悲しいという事実を受け止める
転んで泣いている子供に優しい母親が「痛かったね」って言って頭をそっと撫でるよね。そういうのを自分にやってあげればいいんじゃないかな
その辺の折り合いの付け方は年を取ったら勝手に身につく
つかなきゃ生きてけない
だから若いうちは思いっきり振り回されて空回りするのがいいよ
長い目で見たらそれが一番近道だったりする
心の底から後悔していること、他人に打ち明けられるわけもなく、自分で許せるわけもないこと、それが偶然誰かによって許しを得られる確率は如何ほどか
※44
だけど0パーセントではない。確率考えるより行動できる機会あれば試す価値はあると思うよ。
自問自答を繰り返す事が立ち止まった状態とするなら、勇気が要るかもしれないが、行動に移すこと自体がもう
自分に対しての許しだという事と言えるのではないかな。そこに答えがなかったとしても。
もしも他人が自分と同じ立場に陥ったとしても何と言って励ましたらいいのか分からないような後悔を抱いている人間はどうしたらいいのだ…
周りは仕方の無いことだったと言ってはくれるが、それを受け入れたら卑怯者になってしまうと思う自分は潔癖過ぎるのかね
自己慈悲ってのはつまり、もう一人の心の中の自分に向かってこう言う事じゃないかな、
僕は十分苦しみ悩んだ、
僕は僕を許そうってことじゃないかな。
「あいつのせいでああせざるを得なかった。あんなことしたくなかったのに!」という後悔はどうすればいいですか
※49 三国志の曹操ですね、うろ覚えですが自分を匿いもてなそうとした村人を誤解から斬殺→逃亡直後に言い放った台詞だったかと。
回避性パーソナリティ障害みたいになってくると
何に対しても自分は相応しくないと考えて何もできなくなるのよ
以前、慈悲は甘やかしでなく厳しさも伴うって説法を受けたのを思い出して、wiki見てみた
慈……慈しみ、相手の幸福を望む心
悲……憐れみ、苦しみを除いてあげたいと思う心
古いサンスクリット語では「平等」という意味もあるらしく、公平に万人の幸せを願う意味らしい。
この場合だと、自分という一人を特別に甘やかしたり厳しく罰したりするのはどちらも合わないってことかな??
己の内面・過去にだけ目を向けるのでなく、他人・現在と向き合うことで気が楽になるように、癒しに繋がるのかも?
「あるべき自分」を設定しているから、それより低い自分を許せなくなるんだね。社会的ペルソナを押しつけられすぎているんじゃないかな、子供の頃からそんな教育をうけてきたから洗脳されてるんだな。裸の人間は怠け者でズルくて嘘つきで弱い生き物なんだな、そんな人間でもいいんだよ、生命は大切なものだよ、と自分に言ってあげれるようになれればそれはまた人間的な成長でもあるんだな。
人間は何かあったとき、一番最適な解を自動的に選ぶと聞いたことがあるよ
私も後悔ばかりするし、今日だって叱られて、それを終わったのに反芻して苦しんでる
でもさ、きっとその答えしかなかったんだ。そう思うようにしてる
後悔してること、今思い返したらそのお陰でココにいるってことないかな?
私は2年前の失恋がきっかけで引越しして、理想の部屋に住んでるよ
何度も心を占める後悔も、敷石の一個なんだと思うよ
現在から過去なんて、如何様にも変えられる。
現在から未来も、如何様にも変えられる。
甘やかさずきちんと客観的に事故時比で来るような人なら元々乗り越えられるよね?www
これ日本人には特に分かりづらい観念な気がする。
あっちだと慈悲とか救いっていうのはキリスト教的土壌があるから受け入れやすそうだが。
民族性が異なる人達で実験した結果が知りたい。
何の対策にもなってない
これらの指摘はまだ傷が浅い人向けだと思う
そんなんで治るんだったらPTSDの兵士とか治ってるはず
根は深いのだよ
災害にあったようなもので対策しようがない
諦めるとかでしか対応しきれない
自分を愛するということは、とてつもなく気持ち悪く醜いものという教育を親から散々受けてきたんで今更無理だろ
ついでに言うと、自分を犠牲にしてでも他者を優先しなさいと厳しく教育されたので、何もかも譲り続けて、もう自分の立ってる場所さえなくなってしまったよ
※61
えっと・・・自分の行為の結果ではない難病と後悔は違うと思うのですが・・・
自ら招いた病、それは自業自得で後悔の対象となるでしょうけど。
未来は「これからどうにでもなるさ」、過去は「仕方なかったんだよ、よく頑張ったんだよ」ってことかな