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この言葉はドイツの詩人、ノヴァーリス(1772年 – 1801年)の『花粉』という断片集に収められたものだ。無限で謎めいていて、神秘的なもの。宇宙はまさしく、我々の心の中とリンクしているようだ。
ぼくらは万有のうちへと旅する夢を見る。
ところで万有とはぼくらのうちにあるのではないだろうか。
そしてまた、ものごとの、何が正しくて、何が正しくないかなんてまったくもって曖昧で、誰かの決めた大きさの不安定なボールの中で、上になったり下になったりしながら、絶えず揺れ動く液体のようなものなんじゃないかと思うんだ。正解なんて誰かが決めたこと。正しい答えなんてでやしない。
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なんか美味しそう
チョコ?
カ○オ君が出て来そう
当然のことではないでしょうか。 認識は脳によってされているのだから、内なるトコロですよね
正解はない
でもそれに応答することはできる
全てを知っていると奢り、他者に向かって「そんな事も知らねえの」「知ってた」等とドヤ顔する愚者が実に多い。どれだけ威張りくさって自分を大きく見せようとしても、3万年後の人類から見れば、現在の我々は石器を使い始めた原始人と同じレベル。最新の宇宙ロケットなど丸木舟に見えるだろう。物事は全て相対的である。物事の本質を理解している人は、威張るのではなく、常に知ろうとする。この違いが愚者と賢者の違いである。
一粒の砂の中に世界を見
一輪の花に天国を見るには
君の手のひらで無限を握り
一瞬のうちに永遠をつかめ
—ウィリアム・ブレイク
哲学家のいうことはよくわからん
サ○エさんが出て来そう
何の記事かよくわかりません
表になったり、くるっと裏返しになったり。
自分に重心を置いたり、関連性に重きを置いたり。
ひとつにポイントを絞ったり、ぼかして全体を眺めたり。
答えを求めたり、手放して別なものが来るのを待ったり。
ところで、ぼくらとはあなたのうちにあるのではないだろうか。
実在主義の立場からいわせてもらうと、人間(に限らず、生物全般)
の複雑性は、環境との相互作用によって作り出されていることが、
明らかになってきつつある。
そもそも脳が世界を認識しているという思い込み(バイアス)は、
実は大きな矛盾を抱えている。
だって、脳が世界を認識しているのなら、世界を認識している脳は、
一体何によって認識されているのだろうか?
これを説明するには、脳の中に、脳を認識するホムンクルスという
存在を考えなければならない。そしてそのホムンクルスの中には、
さらにホムンクルスを認識するホムンクルスがいることになり、
永遠にこれが繰り返されてしまう。
実はこの思考は、心理学者が言うところの、「神秘主義的思考」
というやつになってしまう。
(人間の創造主が神なら、神を作り出した創造主がいて、その
創造主にはそれを作り出した創造主がry)
まずは実在があって、その「実在と相互作用」する機構があれば、
生き物は成立する。そのもっとも複雑な系が、人間という生き物
だというのが、もっとも妥当な考え方だと思うんだけれど・・・
仏教もキリスト教も哲学も
あらゆる質問への帰結は常にこの答えだよね
谷川俊太郎さんの詩みたいだな。
あの人の視点も、ミクロでありマクロだ
そっち系が無いのがカラパイアの良いところなんだけどなー
これを長州力が語ると
「まぁ、おれらは万有のアレへとアレする夢を見わけだ。
ところで、万有とはおれらのアレにあるんじゃないのか、なぁ金沢?」
このぽっかりした感じ好き。
考えてると戻ってこれなくなる気がする。
地球の中心に行ったら上下ってどうなるんだろう