この画像を大きなサイズで見る忍者、武士など、かつての日本に存在した日本固有のスピリットを持つファイターたちの生き方は彼らの興味をひきつけて止まない。
海外人の認識では、「サムライは伝説的な兵士であり、刀を携えて勇ましい甲冑に身を包み、命がけで戦う誇り高い戦士であり、生涯にわたって厳しい規律を守り抜く。」というのが日本のサムライの姿だ。サムライについてもっといろいろなことが知りたいという知識欲も旺盛なようで、様々側面からサムライを考察した記事が米国のサイトで特集されていた。
以下の記事は、アメリカのサイトに掲載されていた記事を抄訳したものだ。実際の日本の認識、事実とは違っている場合もあることをご了承いただきたい。
10.女性のサムライ
この画像を大きなサイズで見る”サムライ”といえば男性だと思われがちだが、日本の武士階級に属する女性には、格闘技や戦略で同じような訓練を受けた者がいるという。これらの女性は”女武芸者”と呼ばれ、男性の武士と共に戦に参加したといわれている。彼女たちが手にした武器の多くは”なぎなた”で、長い柄の先についたカーブを描く刀状の刃は応用がきき、しかも他の武器に比べて軽量だった。
歴史書の中でこれらの女武士の存在を示す資料は一般的な武士に比べてほんの少ししかないため(日本の貴族の女性の伝統的な役割はほとんどが主婦だった)、女侍の数はごくわずかなものだろう、と考えられていた。しかし最近の調査で、戦術を身につけていた日本の女性は史実に認められている以上に数多く存在した、という結果が示された。1580年にあった千本松原の戦いの跡地の残留物をDNA鑑定した結果、105体のうち35体が女性だったという。また他の場所でも似たような調査結果が出たそうだ。
9.鎧(よろい)
この画像を大きなサイズで見るサムライの身に着ける絢爛豪華な鎧姿は奇妙に思うかもしれないが、各パーツは機能的につくられている。サムライの鎧は欧州の騎士が装うものとは異なり、常に機動性を最優先にデザインされていた。良い鎧は頑丈でなくてはならなかったが、さらに戦場で着用者が自由に動くことを可能にする十分な柔軟性も必要だった。
鎧には革、もしくは金属の板に漆を塗ったものが使われており、革か絹の紐で丁寧に繋ぎ留められた。腕の部分は大きくて四角い肩の盾と、装甲板で覆われた袖で保護された。最大の稼動性を可能にするため右腕は袖を付けない場合もあった。鎧の中で最も奇妙、かつ複雑な装甲である”兜(かぶと)”もまたその目的を果たしている。その丸い鉢の部分には鋲を打った金属板が使われ、その一方で顔はマスク状の”面”で覆われた。
兜の中で最もよく知られている特徴はダース・ベイダーのような首のガード部分だ。(ダース・ベイダーのデザインは実際にサムライの兜の影響を受けた)。それは刀や矢によるあらゆる角度からの攻撃から着用者を守る。
多くの兜は顔を保護すると同時に敵の恐怖心を与えるような魔力を持つ面、口ひげなど、装飾や取外し可能な部品があるのが特徴的だ。兜の下に被る革の帽子は緩衝材として多いに役立った。鎧は非常に良くできていて、実戦に向くものだったので、実際に米陸軍の初期の近代的な対空砲火ジャケットは、サムライの鎧を参考に作られたほどだった。
8.ホモセクシャリティー
この画像を大きなサイズで見るサムライが性的な関係に対して非常におおらかだったことを知る人は少ない。戦士の育成に力を注いだスパルタ人に良く似ていたサムライは、彼らの文化のように同性間で性的な関係を持つことを受け入れただけでなく、積極的にそれらを奨励した。これらの関係は一般的に経験者のサムライと、彼に指導を受けていた若いサムライの間で築かれた。(繰り返すが、スパルタ人に非常によく似通ったものだった)
その行為は”若衆道”として知られ(若い男性の道という意味)、そしてその階級の全員によってなされたと伝えられている。事実、若衆道の関係を築けていない場合は、むしろ大名が恥をかくといったぐらいに一般的な事だった。また若衆道はサムライの生き方の根本的な一面だとみなされていたにもかかわらず、歴史の上ではあまり触れられずに保たれた。
7.ウエスタン・サムライ
この画像を大きなサイズで見る映画”ラストサムライ”を見たことがある人なら、外国人が日本のサムライと共に戦い、しかも彼らがサムライそのものになってしまう、という特殊なケースがあることを知っているはずだ。
この特別な名誉は、大名や将軍といった限られた有力なリーダーだけが授けることができるものだった。歴史上では冒険家のウィリアム・アダムス、彼の同僚ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、海軍士官ウージェーヌ・コラッシュ、そして武器商人エドワルド・スネルの4人が、ウエスタン・サムライとして知られている。
彼ら4人の中で最初にサムライになったのはアダムスで、最も影響力を持ち、旗本かつ将軍の相談役として仕えた。面白いことに、トム・クルーズが演じたラストサムライのキャラクターの元となった(フレデリック・タウンゼント・ウォードとジュール・ブリュネ)人々はサムライにはなれなかったという。
6.サムライ人口
この画像を大きなサイズで見る大勢の人々(米国人)が、米海軍特殊部隊やロシアのスペツナズによく似た稀有なエリート軍隊であったか、または小規模で厳格に定義された貴族の階級だったと思っている。
しかし、実は彼らは大きな意味での社会階級だった。そもそもサムライとは”貴族のそばに仕える人々”という意味だ。時が経つにつれ、その言葉が発展して特に中流から上級の戦士、いわゆる武士階級と結びついてしまったものなのだ。これは彼らのような屈強な戦士達が一般的に考えられているよりもかなり大勢存在した、ということを意味する。
事実その最盛期には、武士が日本の人口の10%を占めるような時もあった。人口が多く、長期にわたり日本の歴史に影響を与えたことから、現在の日本人全員にサムライの血が流れていると言われている。
5.服装
この画像を大きなサイズで見る当時、サムライはいわゆるロックスターであり、彼らの装いはその時代のファッションにかなりの影響力があった。しかし、サムライは最もフォーマルな儀式の時以外、注目を集めるような立派な衣装を身につけることはなかった。
彼らの服は凝った作りだったが、その衣装の各部には彼ら戦士として必要とする条件に沿ったデザインがなされた。サムライは素早い動作のためや旅のため、そして自由に動くための衣装を纏った。彼らの定番の服装は太い袴と着物、そして”ひたたれ”というう肩の部分を強調してあって二つに別れているベストだった。その衣装は腕を動きやすくし、また”ひたたれ”ベストは奇襲にあった場合にすぐ取り外せるものだった。
着物の素材は涼しさや肌触り、そしてその見た目の良さから絹が一般的だった。足元は木製の下駄や草履が用いられた。また、サムライのファッションの中でもとりわけ個性的である”髷”を結う髪型も、人々の間で最もよく広まった。仏教徒を除く、全ての社会階級の人々は百年間も髷を結っていたのだ。また、部分的に剃って髷を結う習慣は、額を剃り上げると兜を被りやすくなることから必要に迫られて発達したようだ。
4.武器
この画像を大きなサイズで見るサムライは兵士として様々な武器を使用した。彼らは最初に”直刀”と呼ばれた剣を携えた。それは後に中世の騎士が用いた真っ直ぐな剣の小型版で基本的に細身だった。剣を造る技術が発達するにつれ、サムライは最終的に”刀”として発展した”反りのある剣”に乗り換えた。その”刀”はおそらく世界で最も有名な剣の型であり、サムライの持つ武器を最も良く表現するものだろう。武士道(サムライの倫理や基準)では、”サムライの魂は彼の刀にある”と定められているので、刀は”サムライが携行する最も重要な武器”になった。
刀にはたいてい一丁の小型の刃物が添えられ、”大小”と呼ばれる対の形で携行された。それはサムライ階級専用のステータスシンボルだった。
本当に刀以外何も持たずに戦ったサムライもいたが、多くはもっと実践的なアプローチをとった。剣は”サムライの持つ唯一の武器”などではなく、彼らは様々な武器を使用した。
またサムライ達は大弓の練習に真面目に励んでいたので普段はその弓を使った。彼らは16世紀に火薬が持ち込まれた際に弓を捨て、鉄砲や大砲を選んだ。長距離用の武器に”種子島銃”を選んだ。火打石を利用したその銃は江戸時代にサムライや歩兵の間で人気を博した。また、大砲や他の銃器もよく用いられた。
3.教育
この画像を大きなサイズで見るサムライの階級の人々は”ただの戦士”ではなかった。サムライの大半はまるで貴族階級のようによく教育されていた。字を読めるヨーロッパ人がほとんどいなかったその当時、サムライの読み書きのレベルは非常に高かった。
彼らは計算能力も備えていた。武士道ではサムライが戦いに無関係なものを含めた多くの芸道の腕が上達するよう、懸命に努力するよう命じた。サムライの階級が文化や芸術といった分野に参加したのはそういう事情があったからだった。詩歌や岩の庭園、墨絵、そして茶道はサムライ文化ではあたりまえで、彼らはまた書道や文芸、そして花道といった分野も学んだ。
2.身体的な特徴
この画像を大きなサイズで見る人目を引く鎧と武器はサムライを巨大に見せ、当時の世間では彼らは非常に大きく、体格ががっしりしているよう描写された。これは事実と異なっている。実際にはほとんどのサムライはとても小柄であり、16世紀のサムライはたいてい細身で身長は160cm前後だった。これに比べて同時期の欧州の騎士たちの身長は180から196cmほどだった。
さらに高貴なサムライは、やたらと血筋にこだわることで有名な日本人が好む”純血種”だけではなかったようだ。サムライ階級に属する人々には平均的な日本人に比べると明らかに毛むくじゃらで色白なものも多かった。彼らの横顔に見られる高い鼻もヨーロッパ人のようだった。これはサムライの多くがアイヌという民族の子孫だったことを裏付けるものだ。
1.切腹(自殺の儀式)
この画像を大きなサイズで見るサムライの作法に関する最も恐ろしいものの一つに”切腹”がある(“ハラキリ”としても知られる)。それはサムライが武士の道から外れたり、敵に捕まったような場合にやり遂げなくてはならない、身の毛もよだつような自殺法なのだ。
切腹は自発的な行為にもなるし、刑罰にもなりうる。どちらにせよ、たいていは非常に立派な死に方だとみなされた。中でも知名度が高いのは”戦場”での切腹だ。それは短い刃物を胃に突き刺して自分の体を切り裂くまで左から右に動かすものであり、本来は自分の腹わたを自分で取り出す行いだった。
この時点で、介錯人(普通はそのサムライの友人だった)が腹わたを取り出したサムライの首を斬る。斬らなければその死は非常に長く苦痛を伴うためだ。
しかし、正式には切腹の全行程にはとてつもなく複雑な手順がある。正式な切腹は形式的な入浴から始まる長い儀式なのだ。その後サムライは白い衣を身につけ、好みの食事を渡される。死刑囚の最後の食事によく似ている。その食事を終えると、空になった皿の上に刃物が置かれる。そしてこの世に別れを告げる伝統的な詩歌である”辞世の句”を詠み、刃物を手にして周りを布で包み、切腹を行う。
介錯人がその直後、サムライの首を斬るのだが、介錯人はその頭が前方に落ち、その身体から離れないようにするために、彼の首の前方の皮一枚を残して切らなければならない。これは彼の頭部が誤って見物人の方に転がり、切腹した者の恥にならないようにするための配慮でもあった。














ウィリアム・アダムスはサムライと呼ぶには
あまりにも扱いが酷すぎる…
鬱状態のまま死んだなんて記述もあるし
>>1
合戦位は出てないだろうけど、当時も海賊とかいただろうし、一緒に戦ったことはあったんじゃね?
間違ってたりするときもあるけど、やはり自国の文化が他の国から関心を持たれたり
賞賛されるのは嬉しいものだな
アイヌ以外はわりとあってる
ただ騎士はそんなに大きくないんだよ…西洋も栄養失調で170ちょいでとまってたはず
※3
東国武士のいた関東以北は昔は蝦夷と呼ばれていたし、それほど間違いではない。
※3
アイヌ俘囚を貴族が私兵として利用、ってのが武家のはじまりの一つらしいし
えみしつえー!ってノリで「今毛人(えみし)」とか名前つけられちゃった人もいるけど、たしかに武家の大多数がアイヌルーツってわけじゃないよね。
つーか「アイヌ」ってのはアイヌ語で「人間」って意味だし、それぞれめっちゃ細かいグループに分かれてた集団なので「人種」はそれぞれバラバラ。
他にも中国系、ロシア系、朝鮮系、イヌイット系とかいろいろあったようだよ。
江戸時代の公的な記録にもアイヌには大きく3つのグループがあって、それぞれ言葉も違ったと言われてる。「日本人」アイヌグループもいたよ。
というかまつろわぬ民、っつてわざわざ差別するくらいなんだから、まつろったアイヌのがめっちゃ多いよ。それが今の日本人の祖先のひとつ。
気になるのなら昔から研究されてきたことだし調べてみると面白いと思う
おすすめは青空文庫の「武士を夷ということの考」とか「わじんわふねおくう」とか。
>スパルタ人に非常によく似通った
大切なことだから二度言いましたw
2番が滅茶苦茶すぎる
アイヌは言うに及ばず、当時の欧州の平均身長は大して日本と変わらない
ドイツの巨人連隊とか誘拐から知的障害者までしてかき集めたのに
戦場に女を連れていけないから若い男を連れていくというのは聞いたことがある。
侍と武士がゴッチャになってる感が否めない
ま しょうが無いか
日本の遺品返せよメリケンども
何面白半分にコレクションしてんだよ
サムライがアイヌ?ちょっと調べればわかることなのになんでこういう間違いするんだろ。わざとなのかな
>アイヌと呼ばれる人たち
もはや、コロボッコル=神秘的=アイヌ人というゲームから得た知識感がにじみ出ているな。
正確にはクマソ=アイヌか琉球と伝えてやらんと。
>これはサムライの多くがアイヌという民族の子孫だったことを裏付けるものだ。
せめて縄文人だろ。九州の人間は地理的に考えてアイヌじゃないだろ。
>>「事実その最盛期には、
武士が日本の人口の10%を占めるような時もあった。人口が多く、長期にわたり日本の歴史に影響を与えたことから、現在の日本人全員にサムライの血が流れていると言われている。」
かっこよすぎだろ日本人
相変わらず外人らしい見当外れなこと言ってやがるな
>>これはサムライの多くがアイヌという民族の子孫だったことを裏付けるものだ。
そーなのかー
あ、アイヌ???
あと外国人侍挙げるなら黒人の弥助だろう
俺達の知ってる侍と違う奴らが知ってるのはSAMURAIじゃないか
サムライなんていなかっただろ?w ただの名詞w俺らの勝手な思い込みだろw
>>彼の首の前方の皮一枚を残して切らなければならない。
これすごく難しい事じゃないか?
山科勝成は確証が無いのか
戦国まっただ中に外人侍が活躍してたことが分かったら海外のサムライフリークもワクワクするだろうに
アメリカよ
こんな文化を持つ日本が侵略戦争などするか?
お前らの国の成り立ちを丁寧に教えてくれないか東京裁判とやらの参考にしたいからさ
※20
するだろ。実際にしてたし。
横須賀の安針さんのことだね、家に帰りたがっていたけど返してもらえなかったとか聞いた気がする
切腹は、腹に短刀を刺す合図で介錯人が首を切り落とす。よって、とてもじゃないが真一文字に腹を切るとか、腸を引き出すなどありえない。~正確にいえば、介錯人は、首の皮一枚残して胴体から離れないようにするのが作法らしい。
≫22
切腹の作法には二通りあって
介錯のつく切腹では上手く首を落とすため
切腹する側は腹を皮一枚だけ浅く切るんだ
三島由紀夫はそれを知らず腹を深く切って
苦痛で暴れたため介錯人が手元を誤った…
鎖国のままが一番良かったな
3は納経(朱印)帳を書いてもらってるとこの写真だよね
サムラーイ
サムラーイ
ブシドー
これだけ見たら古代スパルタみたいだな
「武士道」より
名誉とは、人格の価値と尊厳について生き生きと自覚することである。それは自己の身分に伴う義務と特権を重んじることを生まれながらにして知る”侍”の特徴をなすものである。
ー 新渡戸稲造 ー
>サムライの多くがアイヌという民族の子孫だったことを裏付けるものだ。
なにこれw
七人の侍を見るのが遅すぎた。
あれを子供の頃見ていたら俺の人生の目標となっていただろうに。
よく調べてあるなあ
侍って字が「仕える」の意だなんて、日本人でもあまり意識しない知識なのにな
何故そんなにもサムライやニンジャに興味津々なのかよくわからないが
アイヌ人=コーカソイド説は否定されていたハズだが・・・
自分も武士道というものに詳しいわけじゃないが、いくつかは西洋人の妄想が入っていると思う。
だがそれを含めて、この記事全体がおおよそ好意的に書かれているのは嬉しい限り。
理解出来ないという部分についても、現代の日本人にも理解できない事が多いしな。
アイヌうんぬんはどうも浮世絵とか役者絵に影響された感があるな
混血自体は否定しないが多くがアイヌは言い過ぎw
そもそもアイヌ自体が少ないうえに自称アイヌの怪しげな人が多いという
それにしてもアメリカ人の研究成果って低いな
「これはサムライの多くがアイヌという民族の子孫だったことを裏付けるものだ。」
アイヌと日本人が接触したのは江戸時代になってから
侍は殆ど西日本が出身
2の身体的特徴の話って出典どこなんだろ、読んでみたいんだが
ちょっと戦国時代と江戸時代が混在してるけど結構勉強されてて驚き。
戦国時代の侍は兼農民だったりするから侍人口は増えるかもね
8.ホモセクシャリティー(男色)は、フランシスコ・ザビエルが山口の大内義隆氏を非難してそうそうに追い出された話があるから相当歴史があるな。
サムライがアイヌの子孫??
まあいいや。意外と(あくまでも意外と)酷い間違いはないな。
アイヌの一件以外は。
ご先祖は士族ではあるけど、この俺が毛深いのはそこからなのか・・・ってんなわけあるかいな。
※40
うちは士族の子孫だけどみんな体毛は薄いし色白だぞ
頭は毛が多いけど
そんなもん関係ないだろw
ウィリアム・アダムスの前に、ヤスケをちゃんと入れてほしかったなぁ。
スパルタって人肉食ったり敵の皮剥いで服作ったり攻める時に旗にしたりしてたんだろ。
一緒にすんなや
最初から蝦夷地にいたアイヌはおおよそ二組の部族連合に分かれてて、流刑された本土側の人間が第三勢力になってたって話が、なぜか人の流れが逆になって伝わったんじゃないかな
てーか、兜の説明に紛れてる曲輪も面頬も兜に付属する防具じゃないんだが
確かに戦国時代に入って、全般的に防御力高める為に付け加えられることは多くなったけど、そのころだと目に見える星(鋲)を打った兜はかなり減ってるってか板の枚数をかなり減らして簡素化してるし、鎧兜に関しては平安期から戦国末期までのものを一緒くたにして語ってる気がする
特に戦国時代のモノは、それ以前ともそれ以降とも違う特殊なものだから、一緒に扱えないものなんだけどなぁ
それスパルタちゃうスキタイや
ttp://dl6.getuploader.com/g/Quasar/115/20130725_210152.jpg
例えばこれは13世紀に描かれた絵だが、見てわかる通り
サムライの中に鼻の高い金髪碧眼の人間が混じっている。
昔から日本には金髪碧眼の外国人がたくさん住んでいた。
蝦夷討伐したサムライのリーダーである坂上田村麻呂もペルシア系で目が青かった。
こういう史実知らないのは日本人くらいのものだ。
ちなみに中国の古代王朝も白人によって築かれたもので、孔子も白人。
孔子の里の遺伝子調査から判明している。
信長はでかかったしモテたぞ。歌舞いていた時京都を馬駆けすると若い女性がわざわざ見る為に手を休めて集まった。前田の甥っ子?とか、名前忘れたが。
上のコメも書いてるけど
ウェスタン・サムライときたところで
黒人侍・弥吉のエピソードが出るかと思ったのに
侍武士と呼ばれ方は色々あるけど、戦国時代などでは侍も農作業してたし、信長以降侍専門の職業に移り変わって(傭兵的な)概念が増えていった歴史的背景もあまり理解されていないんだろうね。剣豪宮本武蔵だって農民出身なのか武家なのか微妙だし。剣で録を貰っていたのは間違いないだろうけど。まあ外国人にしてみれば特殊なファンタジーなんだろうね。
忍者と同じか。
騎士が小さいって書いてる人が結構多いけど、西洋人の騎士は当時でもでかいよ。鎧とかみても180以上が全然珍しくない。
ただ大きいのは騎士階級とか貴族階級とかの子供の頃から十分なたんぱく質が食えた連中だけで、平民は日本人と比べても同じくらい。
あとは田舎の人の方が大抵大きくて、都市生活者の方が小柄な傾向があった。都市だと食料が穀物類にかたよるかららしい。
要は成長期に肉を沢山食える環境にいるかどうかが身長に影響が大きいんだな。
まぁ元サイトは別に学術専門サイトって訳でもなさげだから、ソース不明の事実誤認があってもしゃーないやろ。
多分日本のブログを翻訳した向こうさんのサイトでも、同じように「日本人なに言ってんだw」的なツッコミ入れられてる記事はあるんだろうし
忍者に対する大誤解に比べれば些細な間違いだがアイヌは無いだろ。
武士に滅ぼされたアイヌ人達の方が怒るんじゃないか?
>彼らは最初に”直刀”と呼ばれた剣を携えた。
アイヌや身長だけでなくこれも微妙だなぁ。
直刀の全盛期は奈良時代。当時は侍というか武士がいない。
平安時代の毛抜型大刀も直刀に含むなら合ってるけど。
でもあれは、刀身は真っ直ぐでも柄が反っている訳で。
長州七卿落ちの際、粟田口(今の円山公園あたり)で長州藩士が切腹して腸物を池に放り込んだ話があったな
アイヌだけ違うって言おうとしたらすでにたくさん言われてたw
日本人のほとんどにサムライの血が・・、か。
心理的・精神的にはそうかもな。
戦乱のない江戸時代、庶民たちに身近で多少つきあいのあった武士の人間像は
軽く見られながらも折り目正しく威厳を保とうとする貧乏な武士だったろう
※55
「役人の子はにぎにぎをよくおぼえ」という川柳があることから、江戸時代の庶民の武士観はそんなに良いものだったとは思えないが…
昼間の中村主水みたいなのが江戸時代の武士の大半だったんじゃないかな
侍というか”その後の武士階級”が本州のそういった東夷というか土着の勢力を討伐するだけでなく。結果的に飲み込んでいったので、武士階級にはそういった血筋の者が多いというのは読んだことがある。苗字自体にもそれ由来の者がいると。ただ外人のコレはそういった裏付けのある妄想ではないと思う。
western samuraiって言ってんだから、西欧系白人しか眼中にないだろw
むしろ黒人が(名誉ある)サムライをしてたなんて、ヤツラからしたら隠蔽したい黒歴史に違いないしww
ちなみに ダース・ベイダー のデザインは、伊達政宗 の鎧がモデル
誰も突っ込まないから書くけど…「ヒダタレ・ベスト」じゃなくて「裃(カミシモ)」じゃね??
多くの日本人の中には今でも侍の精神が残っていると思います。
日本人が持つ正義感、マナー、モラルなどの高さは、その侍の精神から受け継がれた物だと思います。
今後もその精神が失わる事が無いように願っています。
日本人ならではの美徳として。
※60
何でそんな国民の10%もいない階級の精神を受け継ぐ必要があるんだ? 美徳なんかくそくらえだわ。
教育の程度が高かったのは侍だけじゃないんだぜえ
昔は日本全国にアイヌが居た事を知らん日本人が多いな。
侍って鎌倉武士と戦国と江戸時代じゃ大違いなんだがなー。
鎌倉武士のほとんどは山賊と大差ないし戦国時代は農民と区別ないし
江戸時代は只のサラリーマンだし。
この調子で忍者を書いたらすごいことになりそうだな
興味深い、時々理解できない、
神秘的でかっこいい。
欧米からすれば、日本ってのはおとぎの国なんだろうな。
別式女なしかよ
サムライはほぼ縄文系でしょ
アイヌと言うか縄文人系としてなら東国人や熊襲はその範疇だから合ってるね。
衆道にしても合ってるかな。
八重洲さんや女城主もまあ合ってる。
あれっ?日本国内の情報より詳細だぞ?
なんか侍全員がホモになってるw
以前刀を始めて持った時にその重さにびっくりした
鉄で出来てるだけあってかなり重い
あれを持ち歩いて振り回してた武士の体力って凄いと思う
堺事件では、切腹を命じられた武士が自らの腸を切り取ってフランス人に投げつけたというね。
※70
え?
俺は始めて持った時(高校生のとき)軽さにびっくりしたけどw
あと当時の西洋人も体格はあまり変わらないだろ
ヨーロッパ行ったときに当時の鎧みたけどどれも俺(176)より小さかったぞ
>40
もしや薩摩の血が入っているんじゃなかろうか。
意外と日本人でも知らないのは武芸十八般かな。
侍といえば刀だけど、実際は実に様々な武器を取り扱う技術を身に着けていたんだよね。
「刀にとらわれていては剣とは呼べぬ」ってことでね。
本当に侍に興味をもってんなら、「侍 = 仕官した武士(≒ 市の職員)」ということから目をそらすなよ。
外人どもがサモラァーイ、サモラァーイと言い始めてから、侍はサムライになり、ファッションに堕ちてしまった。
武将が若くてかわいい男の子を世話するのは
ある種のステータスだったんだよね
この手の記事では珍しくかなり正確だな。
散々突っ込まれてるアイヌがらみの部分以外はw
ヒストリーチャンネル、ディスカバリーチャンネル、ナショナルジオグラフィックチャンネル。
日本でのこの3つのチャンネルでは、時々、アメリカやイギリスで作成された日本の文化、
サムライやニンジャ、旧日本軍に関する番組が放送されてる。
自分達の歴史認識だって、歴史小説・歴史ドラマにより刷り込みが入ってるかもしれない。
自分達が教えられてる歴史も客観的とは限らない。
機会があれば外国からの視点で製作された番組も見てみるべき。
侍がアイヌの子孫という見解は、俘囚(朝廷に降伏した蝦夷)の戦闘技術が武士の戦術に影響を与えた、という事実を誤解したものじゃないかと思う。東北地方の清原氏や安倍氏といった豪族(初期の武士団)は俘囚の子孫と名乗っている。
蝦夷はアイヌと同系統の民族だから、全く間違ったことを言ってるわけじゃないよ。まあ蝦夷の血をひかない武士のほうが多かったとは思うが。
>彼らは最初に”直刀”と呼ばれた剣を携えた。
これは嘘だな。武士と言ったらまず「弓矢取る身」よ。
まっすぐな剣が反りを持つ片刃の刀に移り変わっていった過程にも、蝦夷の「蕨手刀」の影響があると言われてるよね。つまり蝦夷民族がいなければ、現在世界に名だたる日本刀は生まれていなかったのかもしれない。西国の武士に蝦夷との混血はなかっただろうけど、坂東武者には多かったかもしれんな。
西洋人がであった侍って幕末の関係で薩長の人が多いでしょうよ
そうすれば毛むくじゃらで鼻ががっしりとして顔が「濃い」と言うのもありえるね
あっちの人は結構濃いから
女性の侍
かっこよすぎ
関東の主要な武士集団は東夷に近い人々から発生したから侍の多くがアイヌの末裔ってのはさほど間違ってるわけでもないと思う
種子島は火打ち石じゃなくて火縄なんだが。
あと、武士階級と騎士階級に共通するのは、どちらも格下である平民、農民に滅ぼされたことかな。銃の登場がでかい。刀剣は無用の長物。
日本は血筋をあんまり重要視しないんだけどな
家柄は重要視してたけどね
誰々の子孫ってより、何処の家系の出身か?が問題で、養子に家督を継がせるなんてのはよくあったわけで…
戦前でも全ての国民は天皇の赤子だったわけで…
日本が血統主義なんてのは、戦後のサヨクのプロパガンタ
九州熊本だがアイヌが武士?
馬鹿じゃねぇのか?
武士の基礎を作った菊池の武士なめんじゃねぇぞ!
なぜか後半いきなり精度が落ちるなw
念のため言っとくと、切腹のときに前に置いてあるのはお膳じゃないよ
ほえ。サムライってみんなホモだったの!?
アイヌって侍のこと恨む立場なのにアイヌが侍って
蝦夷(エミシ)じゃなくてなんでまたアイヌ?
ホモ揃いの侍の中で、唯一完全ノンケのエピソードがあるのが秀吉ってのがまたあれだよなw
トンデモをしたり顔で語ってる部分が散見されるな。
>サムライの多くがアイヌという民族の子孫だったことを裏付けるものだ。
>現在の日本人全員にサムライの血が流れていると言われている。
つまり現在の日本人は皆アイヌの子孫だったんだよ(棒
衆道はガチホモってわけじゃねえよ
あくまで若年の(元服前の)男子を女の代わりに見立てるだけ
欧米、特にアメリカ人がアイヌを白人と思いたがるのは「日本人は白人との混血だから
優秀だった」と納得したいだけで、人種差別の何物でもない。
そもそも日本人は勘違いしている人が多いけど、白人のアメリカ人ってのは
「ヨーロッパで農奴や貧困層が出稼ぎでインディアンが住む土地を侵略し、
そこで成り上がった百姓。だから貴族に憧れるし、欧州コンプレックスの塊」が
西欧や北欧での認識。アメリカ人は歴史が無い分、そういうものに憧れを抱く。
直刀は忍者だ。サムライじゃないw
直垂と裃がごっちゃになってない?
直刀は古墳時代くらいから平安初期まででいわゆる「サムライ」とは関係ないなwww
アイヌ以外はよく調べていると感心する。欧米は騎士道とか広めればいいんじゃね?
侍がホモだったかどうかは知らんが、三島由紀夫はホモ疑惑をかけらている様だ。
先祖に切腹した人がいる、と聞いたことがある。昔のこととはいえ、あまりいい気持ちはしないね。いまだにその話が出るなんて、本人?にとってもー。
理由は知らないけど。
日本人がチビになったのって食わず嫌い始めた江戸時代あたりからじゃなかったっけ?
安土桃山あたりは普通に四足獣の肉も食べてたから平均身長は今とそんな変わらなかったらしい。
藤堂高虎とか浅井長政とか豊臣秀頼みたいに2m近い化け物も結構いたし。
サムライを語ってるここのコメント欄の奴らは全員農民の子孫何だろうけど
よく武士に幻想持ってる奴とかゲイとかが勘違いしてるけど
マッチョな男同士が組んず解れつするわけじゃない。
若くて色白で体毛が薄いほっそりとした少年が人気だった
因みに男色の歴史は平安時代に遡ることができる。
歴史認識がガバガバやけど頑張っているなw
血筋より家だね
他の家から養子をよく取った、時には士族以外でも
あと切腹は胃ではなく「臍より下」を切る、横隔膜を傷つけると痛みで耐えられないが
腸を切るなら半日は動ける、だから陰腹も可能(もちろん痛いし出血は続く)
江戸時代の日本人は小柄だけど戦国時代の日本人は今とさほど変わらない身長だけどな。
それと当時のヨーロッパ人の身長も日本人と同じ程度だよ。
当時の日本人は長く続いた戦乱で戦闘民族化し筋肉が凄かったとか。
だから宣教師はびびって植民地化を止めるよう進言したんだし。
アイヌ遺伝子(D系、D系+C系)は、残念ながら実際は白人系遺伝子とは遠い関係だし、どっちかというとO系との争いや戦いに負けて奴婢、山賊、部落民になる割合の方が多かった。
貴族(O系)はもちろん、職人集団や商人や武士も普通に渡来系(O系など)の諸族から出てる割合が高いでしょ。
もちろん時代を追うにつれてどんどん混血は進んだと思うけど。
みる限りコメントの中にも間違った認識がちょこちょこあるな
同じ日本人でも単純な知識の差というか知ったかぶりでこういう間違いが起こる、それを思えば外国人としてはかなり正確に把握してると思う
日本人だって西洋の騎士について全て正確に把握してる人なんて専門家くらいだろうしね
身長は160cm前後だった←また適当な事いう奴いる
16世紀の侍は階級だけの侍で本当に武術鍛えてる人なんて少ないよ
そんな事いうから 侍の評価を落としている
その前の昔の侍とか本当の侍は飯いっぱい食って ほぼ一日武道の鍛錬や体鍛えたり飯を大量に食ってたから
体格いいよ
写真に写ってる武士は階級だけの武士の人ばっかりだよ
本当の侍とか写真が出来る前の武士はもっと体格いい
日本の文化や民族の話になると、外国人って不思議な位にアイヌを持ち出すんだよね
以前、ドイツ人観光客に話し掛けられた時に何故かアイヌの話になって片言ながら「日本はアイヌの人差別した、差別良くない」って
いや、自分に言われても……ここ本州だしアイヌの人見たことないし……
アメリカで先住民の権利回復運動が起こった時に「アイヌ=日本の先住民」とでも紹介されたのかもしれない
インディアン追いやって勝手に国を作った自分らと日本を重ねて見てるんだろう
今の日本人はアイヌについて知らない、関心が無い➡先住民だから差別されてるんだ!➡俺らが守らなきゃ!日本人にも教えてあげよう!
本人らは完全に善意のつもりで正義だと思っているので、自分達の認識がズレている事に気づかないし考えもしない
日本海側の北陸、東北あたりにも割と長いことアイヌ(というか要するに縄文系の先住民的な人たちなんだろう)の人たちがいたらしいけどね
徐々に追いやられて北上したり、そのまま残って弥生系の人たちと混ざって土地に根付いたりしたって説がある
確かにそのあたりに行ったときに、唇や鼻が肉厚で縄文感あるなーって人をよく見かけた気がする
あくまで体感だけどね
奥方様を守るのは薙刀もった女性だったし、武芸を身に付けてた女性の存在自体は当然知られてるものだとばかり
種子島は火縄銃です、火打銃ではありません。訳の間違いかと思ったら原著の間違いですね。
なんて適当でメチャクチャなまとめなんだ