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外国人が選んだ、魅力を感じる日本の侍(サムライ)トップ10

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 海外サイトにて、日本のサムライ(侍)の特集記事が掲載されていた。サムライという言葉自体「SAMURAI」として海外に幅広く伝わっているほど、世界的に広く親しまれている日本の侍。海外記事によると、サムライとは、封建時代の日本における偉大な戦士であり、彼らの威厳は厳密な儀礼によってもたらされ、不名誉をうけるより自らの命を捨てる覚悟がある者と記述されている。

 サムライの支配力があったのは、ほんの数百年の間だったが、その間の歴史は彼らの武勇伝で満ち溢れており、何世紀も経った今でも、その類まれなる精神と肉体から生まれた革新的統率力に驚きの念を抱いているのだそうだ。

 ということでここでは、海外サイトが選んだ、魅力を感じる日本のサムライトップ10を見ていくことにしよう。

ソース:Top 10 Fascinating Samurai

原文翻訳:makiho0

 ※以下の記事は上記海外サイトを意訳したものなので、日本における史実とはずれている部分があるかもしれないが、海外では以下のように解釈されている。

10位:巴御前

 この中で唯一の女性である巴御前。彼女の功績と経歴はまだ不確だが、彼女は自身の中にいる男性の分身とともに戦地に赴いた。平家物語の中では、巴は整った肌と長い黒髪の美女で、「神や悪魔にも対峙する構え」を持つ、優れた女性射手・剣士として描かれている。

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 源義仲につき従い、巴は義仲の最も信頼する優秀な兵士の一人だった。彼女の戦いの技術は、同じ部隊で最も強いとされる男性をも萎縮させるほどだったという。彼女は「源平の戦い」最後まで戦い抜いたとされている。「会粟津の戦い」においては、巴が敵のサムライの首をとった。これはサムライにとって非常に名誉なことなのだ。引退後、巴は、尼になったと言われているが、和田義盛というサムライの妻になったとも言われている。和田義盛は戦いで巴を破り、その後巴は彼に忠誠を誓ったとされている。

9位:源為朝

 サムライはその優れた剣術で有名であり、実際に剣での戦闘術に優れていた。一方、剣術だけではなく弓術の達人も存在する。優れた射手の一人として源為朝があげられる。彼の武勇伝にはそれを伝説たらしめた記述がある。

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 為朝は、右腕よりも6インチ(15?)ほど長い左腕を持ち、それによりより強く弓を発射することができたと言われている。源氏と平氏の戦いの際に、その強力な攻撃は不可欠だったであろう。為朝はその戦いでたった一発の矢で平氏の船を沈めたと言われている。1170年、為朝は平氏に捉えられ、平氏を窮地に追いやったその左腕を切り落とされた。為朝はその後切腹し、自らの命を絶った。記録の上では彼は切腹をした最初のサムライであるという。

8位:楠木 正成

 正成は南北朝の抗争の際に後醍醐天皇から軍事援助の要請を受け小地主となった。初め彼につき従ったのはわずか500人だったが、南北朝の戦争の時に後醍醐天皇に仕え、忠実に将軍を務めることによって出世した。

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 正成は、天皇に対する不屈の忠誠心で有名だ。正成は天皇に、ゲリラ戦術をとり尊氏との直接の対決は避けるよう懇願したが、その申し出は拒否された。これにより天皇と正成の関係は絶たれ、天皇の言葉は死刑宣告であるということを知りながら、それでも正成は尊氏に挑んだのだ。そして正成はそこで惨敗し切腹した。

7位:宮本武蔵

 サムライの飾り立てられた歴史の中でも最も面白いエピソードを持つ浪人。それが宮本武蔵だ。浪人は英語では「men of the waves(波の人)」と訳される。浪人は主人を持たず、傭兵として仕事を見つけていたサムライである。歴史を通して宮本武蔵よりも褒め称えられるサムライはほとんどいないと言っていいだろう。彼は多くの映画や文学作品に登場している。彼の数々の伝説は、不確実な点があるものの、彼が本当に偉大な戦士であったことは確実だ。

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 宮本武蔵は、1584年に生まれ、5歳の時、熟達した武道家であり剣士であった無二斎の養子となった。13歳で最初の戦いを経験するも、難なく勝利をおさめる。16歳で武蔵は豊臣家側で徳川家との戦いに参戦。武蔵が戦ったとされる関ヶ原の戦いで豊臣氏は敗北した。その後21歳まで公から姿を消した。

 21歳で彼は京都で有名な剣術の吉岡道場に挑戦し、あっけなく勝利を収めた。そこで彼は片手に剣を、もう一方の手に短い脇差を携える戦闘スタイルを含む剣の術を極め、その後、日本中を周遊し、戦士としてさらに技術を高めていった。1612年、彼は宿敵のライバル、佐々木小次郎と対決する。これは最も有名な決闘で、武蔵は小次郎に勝つために4尺6寸の木刀を用意したうえ、3時間も遅れて決闘の場所に臨んでいる。小次郎は小太刀(コダチ)と呼ばれる通常より短い剣を用い、的確に素早く武蔵を突いていった。武蔵の木刀が小次郎の頭を打ち砕き、武蔵は勝利した。

6位:本多忠勝

 徳川の四天王に数えられる将軍で、幸運に恵まれ”The Warrior who surpassed Death”(死を越えた勇士?)と呼ばれた。忠勝は徳川の家臣として100以上の戦いを経験した猛者だった。そしてただの一度も(徳川に)対抗する将軍に破られたことはなかった。その上、忠勝は怪我に見舞われたことがなく、先のニックネームがつくまでとなったそうだ。

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 戦闘においては、天下三名槍の一つに数えられる長い槍を用いることに長けていた。1584年、豊臣秀吉率いる大軍に、少数の軍で戦いに挑んだ。これが秀吉の胸を打ち、秀吉は忠勝と彼に従う者たちの安全を保障したという。これが世に言う小牧長久手の戦いだ。忠勝は関ヶ原の戦いでその本領を発揮、勇敢に戦った。この戦いが戦国時代に終わりを告げ、徳川家康率いる新時代が到来した。

5位:伊達政宗

 「無慈悲」というのは戦国時代の多くのサムライを指して言われた言葉だった。日本を統一支配するのに必要なのは、行動力と統率力、そして本人のもつ「資質」であったからだ。人々に恐怖を与えた点で伊達政宗ほどそれの条件を満たしたサムライはいないだろう。

 政宗は源平の戦いで活躍した有名な伊達氏の長男として生まれた。政宗が氏族の長として父親を継ぐものと思われていたが、天然痘で右目の視力を失い、彼は母親から「家を継ぐのには不適当」であると言われたが、戦いにおいて、いくつかの敗北を経験したのち、政宗はリーダーとしての基盤を築き、日本中で最も恐れられる人物の一人となった。

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 畠山義継は政宗の父、輝宗に実子の横暴を止めるよう懇願した。輝宗が息子を止める術はないと言うと、畠山義継は輝宗を誘拐した。誘拐犯は一掃せよと父から命じられていた政宗は、命じられた通り、義継だけでなく、実の父親である輝宗をも殺害したという。

 1590年、伊達氏の長となっていた政宗は、豊臣秀吉の支配下である日本で、秀吉への戦地報告の要求を拒んだ。政宗が秀吉と対面した時、その場で処刑されるものだと思いながらも恐れる様子もなく振舞いまった。幸いなことに、秀吉は政宗を見逃した。

 それまでの秀吉に対する無礼にも拘らず、秀吉は政宗を取り立て、政宗も朝鮮出兵の際には忠誠を尽くし、秀吉の死の後は徳川家康の忠実な将軍となった。

 政宗はまた、外国人・キリスト教徒に門戸を開いたことで知られてる。海外の技術を日本に普及させることに尽力をつくし、教皇との関係を深めるためローマに渡航した。伊達丸は世界に出航した日本の最初の船となった。

4位:徳川家康

 日本では、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に関して、「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに 食うは徳川」と言われている。家康は、信長や秀吉のような、偉大な戦術家や統率者でなかったにも拘らず、最終的に天下統一を収めた。家康は、良識をもって物事に対処し、トップになる為のリスクを絶えず計算しながら、バックを固め、そして天下を取った実利的な人物である。まるでボードゲームをプレイするかのように、封建社会の日本の中でうまく立ち回りった。人の弱点に敏感で、攻め時と引き時をはからせたら家康の右に出るものはいないだろう。

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 1543年、松平家で生まれた。松平家を裏切った今川家と織田家との争いから常に危険にさらされていた。6歳にして、家康は織田家に人質として出され、この紛争の犠牲者になるものと思われたが、その1年後、今川家に救われ家へ帰ることができた。

 家康は、自分の周りに強い将軍を置くことで力の核を強め、同盟を組み、その地盤を固めていった。1600年、日本史上最も重要な戦いの一つである関ヶ原の戦いにて、東軍を率いて勝利し、そのわずか数年後には天下を取ることとなる。皮肉にも、日本史上最も暴力に満ちた期間に生まれた徳川幕府がその後250年間も続く、新しい平和の時代をもたらし、サムライ時代に終わりを告げたのだ。

3位:武田信玄

 時は戦国時代、封建制度のもと、日本では、各地で頻繁に暴力に満ちたサムライ同士の戦いが繰り広げられていた。力を求めて争い、一族を完全に滅ぼすこともある無慈悲な戦いが絶えない中で、武田信玄は「人の情け」を重んじる、異色な存在であった。

 1571年に織田信長が比叡山延暦寺を焼殺した際には激しくこれを非難し、落ち延びた延暦寺の僧を保護し織田家との対決の姿勢を見せた。

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 武田信玄は、強力な軍事力を誇り、織田徳川の連合をもしのぐほどだったと言われている。その優れた軍事力をもってすれば、信玄は織田信長に対抗できる唯一の大名であると広く信じられていた。しかし信玄は、天下統一の野望より、彼の支配下にある地方の問題に集中することを選んだのだ。

 また、信玄は軍に最初に銃器を導入した一人としても知られている。彼はこれらの新しい戦争技術がいずれは弓や矢にとってかわると確信していた。不幸にもその「銃」で信玄自身は殺害されたと言われているが。

2位:豊臣秀吉

 秀吉は下位の農民に生まれ、サムライの血をひいていなかった。サムライの世界では血統が重要であったため、彼が恐ろしい将軍かつ革新的なリーダーになることは不可能なはずだった。彼の経歴は、織田家の底辺の草履持ちという謙虚なものから始まる。 信長の下で着実に出世を重ねた秀吉は、本能寺の変で信長が明智光秀に攻められ自害すると、明智光秀の討伐を主導し、明智光秀とその主従を滅亡に追い込んだ。この活躍が織田家で認められ、信長亡き後の織田家を構築する中核の1人となった。

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 秀吉は、また、重厚な大阪城を築いた。皮肉にも、そこは後に彼の息子、秀頼が徳川によって殺され豊臣の血が途絶える場所となったわけだが。

 秀吉は、日本にそれまでなかった組織を作ろうとした。秀吉はより明確な身分制度を作るために、「兵農分離」を掲げ1588年「刀狩り」により農民から武器を没収した。押収した武器は融して巨大な仏像を作るのに使うと約束していたが、実際は軍隊に横流しされた。

 秀吉はその最期の年、朝鮮半島への2回にわたる出兵を行ったが、中国と朝鮮の激しい抵抗に遭い、第二次出兵のさなか1598年9月18日に没した。彼はまた、キリスト教が広まるのを収めようと、26人のクリスチャンの処刑を命じた。これは秀吉の死のわずか一年前のことで、これが秀吉のリーダーとして最後の声明となった。

1位:織田信長

 サムライ時代全盛期、織田信長よりも強く、悪名高きサムライはいなかった。長く続いた国取り合戦の中、秀でたサムライが次々と現れたが、信長よりも天下に近かったものはいないだろう。1560年、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ったのを皮切りに、次々と周囲の大名を打ち倒していった。

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 信長は、身分・血筋にかかわらず、実力のある下位大名を将軍へと昇進させていった。これはこの時代では画期的なことで、能力と技術において兵士が評価され、役割を与えられる階級システムに活気をもたらした。

 更に信長は、銃火器を使った、新しい戦術を作り出した。鉄砲の射手のグループが交代で攻撃できるよう配備することで、軍隊が止まることなく攻撃ができるようになったのだ。

 また、信長はビジネスと政治においてもその能力を発揮した。彼は農業に基づいた経済を、自由市場に再構築し、消費経済を発展させた。また、ヨーロッパや東南アジアなどを相手に国際的な貿易を拡大し、新しい文化を積極的に取り入れ、経済の合理化をはかった。それに伴い、物の流通や軍隊の移動をしやすくする為、道路を建設し、インフラを整備した。

 数々の功績にもかかわらず、本能寺にて明智光秀の裏切りにあい自害。結局天下統一の夢は夢のままに終わる。その後、天下布武の事業は豊臣秀吉が受け継ぎ、徳川家康が完成させることとなる。

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この記事へのコメント 183件

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  1. 本田忠勝って、、、。本多忠勝のことか。恥ずかしい翻訳家。

    • -76
    1. ※1
      >>徳川の四天王に数えられる将軍で
      こっちの方が気になった。
      戦国~江戸時代って将軍=征夷大将軍じゃないの?

      • -3
  2. 学生時代あれだけ日本史勉強したのに
    織田信長の顔写真あるの知らなかった。
    西洋かぶれってより既に西洋人みたいな
    目鼻立ちしてるなw

    • +1
    1. ※3
      日本人の顔は昭和初期辺りまでかなり濃かった だからこそうっすいキツネ顔が最高の美人とされた
      中東系だったからね 残ってる写真なんかでもわかる通り
      今は中韓と同じ系列だけど

      • 評価
  3. 侍は侍でも江戸時代のより鎌倉時代の方が好き

    • +7
  4. 信長?の目は東洋人らしい形だと思うぞ
    ただすごく目がでかいってだけで

    • +10
  5. 写真じゃなくて南蛮人が描いた絵だったはず

    • +39
  6. なんと、絵だった。
    西洋人画家による肖像だから目鼻立ちが西洋人に似たのかも。
    画家がいかに対象のイメージや画法のセオリーにとらわれるの
    が見て取れて面白い。これを破壊しようとしたのが印象派だっ
    た訳だな。凄い話それた。

    • +42
    1. ※9
      西洋人の写実的な画風のほうが、日本の形式的な画風より正確なんじゃないかなと思ってたんだけどどうなんだろう?

      • +4
  7. モンドじゃなくてモンコ
    「門戸を開く」だろ

    • +3
  8. 海外人wwwwww
    あいかわらずパルモのボキャブラリーは斬新だな
    嫌いじゃないぜぇw

    • +10
    1. ※13
      意外にも、当時の資料には上泉信綱の個人的な武勇について言及されたものはないらしい。
      まあ仕官時代上州の何とか槍と呼ばれていたくらいなので弱かないだろうが、武蔵や卜伝、石舟斎みたいに誰々と戦って勝ったという記録はまだ見つかってないらしい。
      色んな人から尊敬は集めていたみたいだけどね。

      • 評価
  9. あっれwww上杉さんwwwあっれwwww

    • +26
  10. 正しくは本多忠勝 伊達政宗 字が違うよ

    • +13
  11. 政宗が正宗になってやがる・・・
    本多忠勝は死ぬまで怪我らしい怪我をした事が無かったが、死ぬ数日前に
    小太刀だか槍だかの手入れしてて、指先ちょっぴり怪我した時
    「わしももう長くないな」といったそうな

    • +30
  12. なぜ誰も伊達”正”宗につっこまない…

    • -15
    1. ※17
      当時から、割と当て字は当たり前らしい。漢字辞典とかないから。だから、「伊達正宗」と書かれている資料も残っている。
      だからというわけではないが、まあ気にするな。

      • 評価
  13. 時期的に、剣心とか架空のサムライがでてくるかと思った。

    • +4
  14. フロイスの記録によると、信長は甲高い声質だったらしい。
    上に出ている肖像画のような顔で、甲高い声ってなんか変だなw
    それとフロイスの記録にすら「この人相当な癇癪持ちだよ」
    みたいにあるから、イメージ以上に短気だったんだろうな。
    年上で部下だった光秀が切れたのも案外その積み重ねかもね。

    • +24
  15. 家康は織田信長もおもてなしするくらいだし秀吉に勝ったこともあるのに・・・・
    卑怯とか言われてるけど織田も豊臣も同じ手でのし上がってきたし
    家康が厳しくしたお陰で戦乱を260年も止めたのに

    • +11
  16. 侍の時代に終わりを告げたって変だな
    江戸時代だって侍の時代だぜ

    • +13
  17. 一位は織田信長なのか…。あの絵は想像で描かれたものの筈。
    でも妹のお市が美女だったんだから悪い顔ではなかったと思うわー。

    • +6
  18. 言っておきますけど、この人たち全員人殺しよ

    • -76
  19. 「伊達政宗」「モンドをひらく」じゃなく「門戸(もんこ)をひらく」

    • 評価
  20. 織田信長なんて、現代で言えばチャールズ・テーラー、アハメド・フォディ・サンコー、ジョゼフ・コニー、ポール・カガメ並の殺人鬼ですわな。

    • -72
    1. ※26
      なんで織田だけに限定してんのww
      もっと時代遡ったってそれ以上に殺してる奴なんてごまんといるじゃん

      • +1
  21. 源義経が居ないなんて
    平将門公が居ないなんて

    • +20
    1. ※27
      司馬史観だけど、義経の騎馬奇襲戦法(一の谷の逆落とし)は、評価する人は評価しているみたい。

      • +1
  22. 意外に武田信玄人気だな。
    そういえば甲府の干しぶどうを「信玄の鼻くそ」って
    海外に売り出そうとしたら、
    向こうの果物会社の重役が「そんな失礼なネーミングできるか!」
    って怒られてぽしゃった話があったなぁ。

    • +17
  23. 信玄があってなぜ謙信がないんだろう
    海外の信玄人気は不思議
    るろうに剣心が好きなら謙信でも良さげなのに好きな層が違うかー

    • +8
    1. ※29
      クロサワ映画のお陰で特別知名度が上がったかららしい
      ドイツには武田信玄とその家中になりきるサークルがあるレベル

      • 評価
  24. フィギュアスケートの織田って、本当に面影残ってるよね。

    • +6
      1. 米42
        そうか、彼はそのようにのたまっているのか。
        バガボンドで吉岡伝七郎が自分を表すのに父親の名前を叫んでいるのとどこか似ている。

        • -4
    1. ※31
      その「面影」は織田の血を引いてない母親からの遺伝だけどなw

      • -1
  25. 過去の人物を現代の価値で測ることほど愚かしいこともないよね。

    • +23
  26. 江戸時代末期の人達は SAMURAI に入れてもらえなかったのか

    • +6
    1. ※33 あの人たちはむしろ近代の政治家とか革命家っていう分類で見た方がいいから……

      • 評価
  27. 侍というか武将だな
    単純に剣の腕なら武蔵とか新撰組ってイメージだな

    • -5
  28. 海外人ってのがずいぶんアバウトやねw

    • +2
  29. 江戸時代をもって(含むという意味)サムライの時代が終わるっていみじゃねーの?

    • +1
  30. 外国人という言葉が「よそ者、エイリアン」であるとして、海外人と呼ぶ場合もあるそうな。当の外国人が気にしてたわけじゃないみたいなんだけど、言葉っていろいろ難しいよね。

    • +3
  31. >13
    上泉伊勢守はちょっとマニアックだろ~~
    それなら柳生石舟斎のがマジョリティじゃない?

    • -3
  32. >11 そういや今日の朝日に書いてあった

    • 評価
  33. 信玄が人気なのは武田騎馬軍団の影響じゃないかな?
    確か山本勘助とか馬場美濃守とか真田幸隆・昌幸・幸村とかも人気だったはず

    • +6
  34. 伊達政宗は過大評価だろ
    隻眼と酔狂な振る舞いってキャラクター性が受けてるだけで、実績は大したことないぞ

    • +5
  35. 最近は島津一族のすごさに嵌まった
    天皇家に次いでギネス級の家系とは

    • +12
  36. 甲陽軍鑑って英訳されてるのかな
    信玄が人気だとそんな気がする

    • +4
  37. 9位に鎮西八郎さんが出てくるあたり結構マニアック?
    塚原卜伝とかも出てくるかと思った
    秀吉が人気だったのは意外 晩年アレなのに。

    • +1
  38. 知らん武将も居るわ・・・。
    外国人の侍好きは異常や・・・。

    • -3
  39. 新撰組の連中が入ってくるかと思ったら
    いなかった

    • +1
  40. 外国人が選ぶなら、一番は「ミフネ」が来るかと思った。
    ソースは「ウィザードリィ」w

    • +7
  41. 謎過ぎるんだが、外国人はあのおっさんをカッコいいと思ってるのか?侍というビジュアルが好きなのか?w

    • -15
  42. 基本的に海外ではサムライと武士は同義なんだね
    てか小次郎が小太刀ってw師匠の武器に逆戻りかよ

    • 評価
  43. サムライ ブシドーはウリが起源ニダ!ヽ(`д´)ノ
    これからも海外の日本文化祭典に便乗して、ちゃっかりそう宣伝するニダ!!

    • -31
  44. 巴御前を入れてるのがなんか外国らしい。

    • +9
  45. っていうか信玄って病死じゃないのか

    • +3
  46. 何故日本の武士道は廃れて無くなってしまったのか

    • -2
  47. 俺ならこの時代に生まれたらまっさきに死ぬ自信があるわ

    • +6
  48. 秀吉の晩年がアレだと評価落ちてるのは戦後ここ20~30年くらいの日本国内の
    トレンドじゃないかな
    たぶん今評判の某半島に攻め入った件を戦後の知識人が再評価()した結果
    俺の子供の頃も「挑戦攻め入ったキチガイ」って言う先生はいたけど、親の代
    では評価低くない。むしろ百姓から出世したとかで評価は高いくらい
    海外に無謀な戦いを仕掛けた軍国日本とダブらせた面は大いにあると思うよ
    でも外国人にとっては歴史上で優秀な武将であればむしろ他国に攻めるくらいは
    当たり前じゃないかなあ。それで1度くらい負けることもあるさ

    • +9
    1. ※67
      本当だよな。
      今の時代の価値観では良いことではないというのも理解できるが、
      昔の価値観では、他国への侵略は英雄には付き物といってもいい。
      秀吉より後の1800年頃、ナポレオンだって他国を侵略して支配、失敗もしてるし、
      アレキサンダー大王等の時代から他国への侵攻はよくある事だ。
      それでもその国の人からすれば、国の歴史を築いた人物として、一定の敬意を受けていいはずだ。
      侵攻された側は多少何か言いたくなるのも分かるし、
      戦争をまた起こさんとする風潮は防がねばならないとは思うが、
      今の日本人が、アメリカの教科書の内容にいちいち口を挟む様な行為と考えれば、野暮というものだと思う。

      • 評価
  49. 朝鮮攻めは秀吉よりむしろ島津のほうが有名だと思うがこっちは未だに伝説的な武勇伝になってるけどね

    • +5
  50. 伊達政宗・・・徳川家康の忠実な将軍に・・・
    ・・・将軍ではなく、大名だぉ。
    全体的に、将軍の使い方まちがってるぉ。
    出てきた中で将軍は家康だけだぉ。
    あとは武将or大名だぉ。
    日本の戦国時代では将軍とは征夷大将軍を指し、同時に複数の将軍が立つ事はないぉ。
    西洋の将軍の考え方とは捕らえ方がちょっと違うんだぉ。

    • +1
  51. 侍って男らしいよね。
    でも夢を壊すようだけど、実際はホモが多かったらしい・・・。
    あと、個人的には鎌倉~戦国が武士で江戸時代が侍というイメージ。

    • -9
  52. >>でも夢を壊すようだけど、実際はホモが多かったらしい・・・。
    ホモというよりは両刀使いだな。男女OKというのが普通だったそうだ

    • +9
  53. 信長とか家康は全然サムライじゃねえw
    信長はただの暴君だし家康は政治家というべきだろ

    • -16
  54. 歴オタからすると記事もコメ欄もツッコミどころが多すぎるw

    • +2
  55. 忠臣蔵って深みがあって好きだけどなー

    • +1
  56. 秀吉の評価が落ちてるのは某半島のせいだろ
    太閤立志伝(秀吉の出世を題材としたゲーム)もいちゃもんつけられて作れなくなったしな
    日本の歴史上、彼より出世した人はいないだろうに

    • +20
  57. 佐々木小次郎の刀とか変な間違いおおいぞ

    • +3
  58. 海外のゲームメーカーが信玄を題材にしたストラテジーを出してたが、もともと知られていたのかな。それともこのゲームで知ったのか。

    • 評価
  59. アレ知ってる、コレ知ってるって知識ひけらかしたいだけの自称歴史オタコメントが多くて、ミーハー外国人と何ら変わりないね

    • -15
  60. 信長の図が教科書に載っていると違って、超リアル。
    これだけ上手いということは、そっくりに描かれているはず。
    確かにこれなら、ヨーロッパの貴族のような顔と評されるのも、うなずける。
    髭に関しても、ヨーロッパ的だね。
    なぜなら、中国人や韓国人などの純モンゴロイドは髭が薄い。日本人は謎の民族・縄文人の遺伝子が半分入っているから、髭が濃い人が多い。

    • -1
  61. かっけー!これどこの国の戦士?
    外人さんの適当に大雑把にもり立てる感じ好きよ

    • +5
  62. そもそも外人が為朝なんか知ってるのかよという疑問が

    • 評価
  63. 昔初めて日本人を見た外人は日本人の顔立ちは中東系と言ったそうだよ
    大陸のアジア人とはまったく違う顔立ちに見えたらしい

    • +5
  64. 最初は人選に感心したが数秒で突っ込み所満載になったなwww
    最後の画像にはふいたわwww
    でも歴史の記事もどんどん載せて欲しい

    • +3
  65. 巴御前の図に古今日女鑑ってあるんだけど今の字が間違って左右反転しているのか、そういう字なのか、デザインレタリングなのか気になった。
    誤字はもうみんな指摘しているからいいや。

    • 評価
  66. 毘沙門天に遣える無敗の正義の味方、上杉謙信がいないランクって…あかんわ

    • 評価
  67. 大阪城で攻め滅ぼされて死んだのは秀頼じゃボケ
    秀吉が秀吉の作った大阪城で攻め滅ぼされてたまるかあほ
    誤字直しとけよ管理人

    • -11
  68. なんだかんだ歴史物は人気があるな。
    パルモさん 頑張って

    • +9
  69. 翻訳ミスと誤字も気になるけど、原文から間違ってると思しき記載が多いな
    海外の認識なんてこんなものだろうが
    でも為朝さんが出てるのが面白い

    • +4
  70. だいだい予想通りだった
    あんまり国籍とか関係ないんだな‥‥

    • 評価
  71. 外人が感じるサムライの感覚と日本人の感覚はちょっと違うかもね。

    • 評価
  72. 昔だと漢字って読みさえあってれば良かったみたいなのがあって
    「政宗」でも「正宗」でもどっちでも良かった気が。
    「本田」と「本多」も然り。

    • +2
  73. ドリフターズは本当に面白いなー
    ´・ω・)俺は死してなお立っていられる精神力と根性の持ち主を応援いたします

    • 評価
  74. 政宗がずっと正宗って書かれちゃってるじゃないか…(‘A`)

    • +1
  75. 徳川家康は、野戦に関してはかなりの上位レベルだぞ。
    小牧・長久手で、ちょっとはやったけど、結果、秀吉の方が引いたレベル。
    確かに信玄にはボッコボコにされたけどさ

    • +2
  76. 武家の地位を一気に上げた清盛涙目wwww

    • -1
  77.  太閤は城攻めが得意だったのは確かだが、大阪の陣くらいだともう半カノン砲とか出来てるから根本から城攻めが違うので、太閤が色々工夫した城でももう時代遅れで城が進化しないとダメなレベルだった。
     対カノン砲日本城が出来る日が来る前に平和な江戸時代になったのでもうちょっと戦国時代が続いてたらどうなってたか見てみたかった

    • 評価
  78. 徳川の世が安定してくると侍は役人に変化していったんだろう。
    武士の刃傷沙汰は厳しく取り締まられたらしいし。

    • +7
  79. 江戸時代のは侍って感じじゃないなー
    なので、人選は大筋納得

    • 評価
  80. 小次郎って短刀だったんかいな
    物干し竿っつー長い日本刀じゃないの?
    誰も突っ込まないってことは歴史好きなアンタタチからしたらその事実は常識ってことなのか・・・

    • -2
  81. 英文のジェネラルを翻訳したら「将軍」って出ただけでしょ~に。
    武田信玄の人気は、やっぱ黒澤の「影武者」の影響かな?

    • +1
  82. 日本人なら真田幸村とか源義経とか上杉謙信が入るだろうね。

    • +4
  83. 信玄好きなのはわかるなぁフランスなんて武将愛好家がいるくらいだし
    しかし謙信がはいってないなんて許されざるよ
    あの信長ですら恐れた軍神をなぜ好まないのか謎すぎるわ

    • 評価
  84. 意外や意外 上杉謙信がランク外なんだね
    外人が好きなサムライ要素てんこ盛りの人なのに

    • +2
  85. 日本人が好きなサムライはチャック・ノリス

    • 評価
  86. 政治家としての侍と武芸者としての侍がごっちゃになってるランキングだな~
    特に武蔵なんかは一般的な侍像からは程遠い感じがする
    まあべつに文句はないんだけどね

    • -1
  87. 単騎で攻めまくって徳川がビビッて逃げたくらいすごい武勇伝のある
    真田幸村が無いなんて・・・しかも、攻めた理由が上司を逃がすために少しでも時間を稼ごうとして・・・漢すぎるのに・・・

    • -1
    1. ※117
      真田は祖父・父・兄・弟揃って名将なのにね。
      戸石城の村上義清に二度の大敗を喫して信州攻略が頓挫した武田信玄の下に現れ、赤子の手をひねるように戸石城を攻略した祖父の幸隆。
      武田信玄の側近として絶大な信頼を受け、武田滅亡後は徳川・北条・上杉の侵略を手玉にとって逆に領土を拡大した父・昌幸。
      第一次上田合戦で徳川の大軍を相手に誘引・奇襲・追撃と無双の活躍をし、関ヶ原・大阪の陣後の二度の真田家存続の窮地を乗り切った兄・信之。
      大阪冬の陣で出城を築き徳川の攻め手を挫き、夏の陣では最前線で奮戦し徳川方の諸将を討ち取った毛利勝永と共に徳川本陣まで迫り、突き崩した幸村こと信繁。

      • +6
  88. 柳生一族の誰かが入ってると思ったらいないんだね
    外人にはちょっとマイナーか

    • +3
  89. 非力な者、頭の悪い者、そして運の弱かった者達が戦国の戦いで命を落とし
    生き残ったツワモノの子孫がおまえら。
    一方、革命で頭の良い者、勇者、文化人が粛清されて生き残った者の子孫たちが
    どこかの国の人々。

    • 評価
  90. 元サイトのオーディエンスをよく読んでみたら
    ほとんど(65%ぐらい)北米だった・・・
    他20%ヨーロッパ。
    世界じゃなくて北米基準なのかな・・
    海外人の解釈。

    • -7
  91. 白人は忍者にしか興味がないと思ってた

    • +3
  92. サムライなの??
    なんか戦国大名をサムライと呼ばれるとすごい違和感あるんだけど

    • +4
  93. 髭の濃い人が多いって付け髭も多いと思うよ。
    江戸時代は武士は髭無しになったし。

    • +1
  94. 斉藤道三や真田親子が入ってて欲しかったなぁ
    剣術なら足利義輝なんかもどうだろう

    • 評価
  95. 源義経とかは、外国人には人気ないかもな。敗走するわけだし。日本人には大変人気なのにね。

    • +1
  96. 柳生さんはランク外かよw剣豪スルーw

    • 評価
  97. 上位三名は、侍ってより政治家・・・ってまぁ
    確かに戦場に出てるわけで侍なんだろうけども
    真田幸村だとか、加藤清正だとか、島津あたり
    ガン無視なのが、外人の選んだ寂しいランキングだな・・・
    本多忠勝に限っては、3位以内に入っててもおかしくない東国の猛者だし
    天に愛された超豪傑な訳で、そうなると忠勝に相対する
    西国の猛将、立花宗茂は外せない。信さんトップとは、なんともセンスが無いランキング
    だな

    • 評価
  98. 源平の頃の武将が入ってるなら、北条早雲も入っていいんじゃねえかなって思うけど、まぁ仕方ねえか。

    • 評価
  99. なんか思ったのとちゃうかった
    バガボンドとかに出てくるような人たちのランキングかと・・・

    • 評価
  100. 2位の秀吉を隣のお国が見ると
    なんかまた言いそう

    • -4
  101. 義経や謙信が入ってないのが不思議。
    ゲームからならなをの事アニメとかでも紹介されてるのだが一体どういう形でこの投票になったんだろう?

    • +2
  102. 日本で投票したらBASARA臭くなりそうだな・・・
    武士と侍って微妙なニュアンスの違いもあるし
    俺は明智公推しなので猿面冠者は氏ね
    ちなみに信長の肖像は、南蛮画を学んだ日本人が描いたものだ
    日本の絵師でも信長への印象で描き方が変わってる
    タレ目だったり閻魔さんみたいだったり

    • 評価
  103. 侍って本来の意味から離れて今では「生き方」みたいな所あるから、政治家が入っていても良いと思う。
    俺らが思ってる百年戦争のイメージはフランス人に言わせてみれば大分違うだろうし。
    なんにせよ、外国人がこれほど日本の歴史に興味を持ってくれてるという事だけで素晴らしいじゃないか。

    • 評価
  104. 為朝は郷土の英雄だし大好きなんだけどこういうののランキングに入るのがかなり違和感ある
    マイナーだと思うんだが何で知ってるんだ外国人
    馬琴の弓張月翻訳されてたりするのかな

    • +5
  105. 外国人ておかしいよね~巴御前は義仲一筋よ~ 和田何か目じゃ無いわ~キリスト教見たいになんで忠誠誓うのよ!! 西洋式の女と一緒にしないでね~

    • 評価
  106. 子孫の織田信成を見ると織田信長があまり好きになれない

    • 評価
  107. 個人的に真田幸村とか鬼島津とか好きなんだけどなぁ

    • -1
  108. 柳生十兵衛、服部半蔵、大石内蔵助、坂本竜馬、近藤勇、まだまだ大勢いる、10人ではたりない、100人にしましょう。

    • 評価
  109. 信長のは外人が描いた絵を明治になって写真で撮ったもの

    • +1
  110. 政宗を正宗とする表記は江戸時代初期まで手紙などであるな
    晩年になって政宗に改字したという説もある

    • +3
  111. 侍は数百年しかいなかったとか外人はバカか、少なくとも9世紀から居たわ

    • 評価
  112. 武田は過小評価され過ぎだよな「軍事力」しか言ってないが、彼らの場合「石高が見込めない土地が我が領土」だから、止むを得ない部分があるたろ。
    伊達に至っては「織田・豊臣・徳川が食い尽くした世界に分け入れないといけなかった」ので、可哀想だし、巴御前は女性ですが男同様、戦地に赴き闘う、外国人から見たら違和感無いかもしれないが、とうじの日本では「女性が社会的に男と張り合う事は“あってはならない事“だった」んだよな。
    紫式部が漢字を書いたり、漢詩を書く事(昔の貴族の子女でも《ひらがな》迄しか教えて貰えなかったが、紫式部の父は兄弟の中で一番頭の良い式部に漢字や、漢詩を書く事を教えた訳だが、当時式部の父は高名な学者)位、異端。

    • +2
  113. 伊庭八郎が居ない。
    やりなおし。

    • 評価
  114. 新渡戸稲造が「武士道」という書物で日本人の精神を海外に紹介した。
    日露戦争での日本の勝利と相まって、日本人凄い →武士道だから→侍凄い
    とこんな流れが現代まで引き継がれています。

    • +1
  115. men of the wavesはいいな
    普通はRoninと音訳してるだろうけど
    毘沙門天の生まれ変わりさんは

    • 評価
  116. 源頼朝&足利尊氏「アレっ…?」
    徳川家康「ん…?」

    • 評価
  117. なんで宮本武蔵の項目の佐々木小次郎が小太刀を持ってることになってるの?

    • 評価
  118. 外国人知名度No.1は徳川家康がダントツだと聞いたことがある

    • +1
    1. ※158
      確か、いくつか説があったように思うが、普通は物干し竿とか言う長い刀だよな。
      外人も日本人と同じで、適当に思い込んだ珍説・トンデモ解釈を堂々と本当のことのように言う人が多いってことだろう。
      歴史関連の米欄等見ても、「俺が発見したすごい定説覆し」で溢れかえってるじゃないか。
      外人の無知を笑えないね。

      • 評価
  119. 幕末は外人から見たら侍の時代ではないんだろうか?
    幕末から戊辰戦争あたりが個人的に一番いいと思うのだけど。
    新撰組や維新志士また、会津若松の白虎隊など侍が活躍した一番最後の時代だし。
    個人的には土方歳三の最後まで戦い抜いた生き様が大好きだ。

    • +1
  120. 正宗と母親の仲はそこまで悪くなかったという話もある
    元々正宗の母って物凄い豪胆な女性だったんだよね、夫と兄の対峙する戦場のど真ん中に輿で乗り付けて二人が諦めて軍を引くまで何日も居座ったとか
    そんな女性なのに、この時代の一般と違って正宗の弟が処刑された後も伊達家にそのままいるし、正宗が朝鮮に行った際に母に手紙を書いたりしてるのが判明している

    • +1
  121. 秀吉がキリスト教を排斥したのは、当時オランダ人貿易商が日本人を奴隷として海外に輸出していたから。オランダ人の宣教師のなかには、それを止めようとした向きもあったのだけれど、事実を知った日本側からすれば「キリスト教の国の人間が悪さをした許せん」ってことになって、キリスト教は禁止になったんだったよね。

    • 評価
  122. 世界最強シリーズのBGMがここまで合う文章も滅多にない。

    • 評価
  123. エイジ・オブ・エンパイア3ではダイミョウダテマサムネは便利だったものなぁ
    日本からはるばる世界各地の戦場に駆けつけ、家屋並みの体力の騎兵として刀を振るい、各種兵科の作成、本国からの搬送物の受け取りを1ユニットでこなす。
    しかもオーラで周囲のユニット強化とか・・・
    ダイミョウすげーと思ったさ。

    • 評価
  124. 巴御前のは、別の女武者板額の話が混ざってないか?
    あと、巴御前が敵の旗印を取ったって事で有名な理由は、敵の剛力で名の高かった男の荒武者の首根っこ掴んで、お互いに不安定な馬上にも関わらず並走したまま 素 手 だ け で  ねじ切って棄てた話が未だに遺っているからだが、敵将の首を取ったエピソードを詳しく伝えるならそこまで書いて貰わないと

    • +2
    1. ※165
      宣教師の残した書類も価値はあるけど
      「自分たちの事は悪く書かない」っていうのも頭に入れておきたいよね。
      西洋だって一枚岩じゃなかったのは理解してるが、
      当時は西洋人は奴隷を扱う価値観が一般的だったわけだし、
      今の時代の価値観で秀吉を判断するのなら、
      当時の西洋がやっていた事も背景として挙げなければ不公平だと思う

      • 評価
  125. みんな信長さま好きね。外人も好きなんだ。不思議

    • 評価
  126. 信長の絵と言われてるのは当時のヨーロッパの画法で描かれたものね。
    日本の似せ絵と違って写実的に描かれているもの。
    はっきりと信長の絵だという確証はないらしいが、当時日本に来た絵描きに自分の絵を描かせることが出来るのは信長しかいないであろうということから信長だとされている。
    今残っているのは明治期ごろにその絵を撮影した写真。

    • +1
  127. 信玄は確か、徳川の野田城を包囲した時に城内から笛の音がするというので、興として夜間それをこっそり聴きに行った時に城内から狙撃されて死んだという逸話があるんだよ。黒澤映画『影武者』にそれが描かれてるから外国人にはそういう認識でも不思議じゃない。
    俺的には武田信玄と北条氏康の二人が組まないと対抗できなかった上杉謙信が最強だと思うね。
    唐沢山城救援で44人で敵中突破した豪胆さ、京都に越後産麻を売り込んで平均年2回遠征が可能なだけの充分な蓄財もやってた経営手腕、
    “敵に塩を送る”という、敵戦略を捨ててても勝利できる戦術への自信。
    信玄は過大評価されすぎ。権力掌握の過程から合議制でトップダウンの強力権力は手中に出来なかったし、一代で金山を枯らすという領内経営力のマズさ(これが尾を引いて息子の代で亀裂衰退)。
    真田幸村は、高野山での暇な時間を慧眼の昌幸から、大坂城周辺の対徳川戦のシュミュレーションを何万通りも伝授されまくったから、入城後に策を進言できたんだと思う。
    なぜなら幸村自身に実戦経験はほとんど無い。上田合戦2回ぐらいやっただけで高野山で隠遁生活に行ってる。
    その実践経験の無さが表面化したのが、濃霧のせいで後藤又兵衛軍と連携出来なかった事に繋がってると思う。
    とにかく最強は謙信だね。

    • 評価
  128. 主に忠義を尽くし、主を守るために死んでも立ち続けた武蔵坊弁慶こそ真の「サムライ」だと思う。ほとんどのエピソードが単なる伝説らしいけど

    • 評価
  129. 織田が搗き秀吉捏ねし天下餅、座りしままに食ふは家康

    • 評価
  130. 家康の記述で戦争下手と受け取れるけど実際は自身の武芸も軍を率いるのも達者だった。
    戦が好きで大阪で戦争すると決まった時に相当な老人だったにもかかわらず自ら軍を率い、
    意気高揚した姿を見た家臣から「若返った」と言われた。
    「織田家に人質として出され、」も変で、今川家へ向かう途中に織田家に攫われた。

    • 評価
  131. 武田信玄は銃で殺害されたのでなく病死した

    • 評価
  132. 俺はまだ荒削りな時代の鎌倉武士が好きだな
    為朝なんか色んなところで伝説を作ってるし
    例えば琉球王朝の始祖の父親なんて言われてたりするし

    • 評価
  133. 日本の武家で唯一天皇と対立し打倒しようとした平将門こそが侍だ

    • 評価
  134. 佐々木小次郎って小太刀で戦ったの?
    知らなかったなー

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