国際的には児童労働を何歳以下の労働とするのかは明確にされていない。国際労働機関(ILO)の「就業の最低年齢に関する条約(第138号)」では、労働を禁止する最低年齢を「義務教育年齢及び、いかなる場合にも、15歳を下回らないもの」とし、「健康、安全又は道徳を損なう恐れのある業務につかせることができる最低年齢は、18歳を下回らないもの」としている。
現在は貧困地域の児童労働が問題となっているが、かつては日本も、そしてアメリカでも、学校に行かず労働を強いられていた子どもたちがいた。これらの写真は写真家のルイス・ハインが撮ったもので、アメリカでの児童労働の規制を改める助けとなったそうだ。
1.1910年6月 米デラウェア州、スタンフォード
ロス缶詰工場で働く8歳のデイジー・ランフォード。彼女は蓋をする機械の手伝いをするが、その仕事についていけない。そのため1分間に40個の缶の上に蓋をのせる作業場でフルタイムで働く。撮影当時は彼女が缶詰工場で働き始めた最初の年だった。
2.1908年8月 米インディアナ州、インディアナポリス
インディアナポリスの家具工場で働く子ども達。
3.1908年9月 米オハイオ州、シンシナティ
17歳のローレンスJ. ヒルは、ランプ工場の型押し機で4本の指を潰してしまった。
4.1908年10月 米ウェストバージニア州
Lehrガラス製造所で働く2人の少年。
5.1908年8月 米インディアナ州、インディアナポリス
ある紡績工場の昼休み。
6.1910年11月 米テネシー州、ファイエット
エルク紡績工場で糸を紡ぐ子ども達。ルイスによると、一番幼い少女は自分の名前をよく分かってなかったようだ。
7.1908年11月 米ノースカロライナ州、リンカールトン
Daniels Mfg. Co.で紡績工として働く少女。
8.1911年5月 米ミシシッピ州、トゥペロ
イネス・ジョンソン(9歳)と彼女のいとこ(7歳)。二人はいつも糸を巻き取る作業をしていた。
9.1908年11月 米ノースカロライナ州、ガストニア
紡績工場 Loray Mill での仕事を終えて帰宅する児童労働者たち。右端の1番小さな男の子の名はジョン・ムーア (13歳)。彼は6歳からその紡績工場で糸を紡ぐなどの作業をしていた。
10.1913年10月 米テキサス州、サンアントニオ
3人の兄弟、ボイス(10歳)、ローレンス(7歳)、名前不明の1番下の男の子(5歳)、父親が病を患っているため新聞販売をして互いに支え合っている。三人の仕事は朝6時に始まり午後9時や10時まで新聞を売ることだ。
11.1910年5月 米ミシシッピ州、セントルイス
一服している新聞配達員の子どもたち
12.1908年8月 インディアナ州、インディアナポリス
13人のインディアナポリスの新聞配達の少年達。新聞社で野球の特集版を待っている。
13.1908年6月 ミズーリ州、セントルイス
グランドパークで新聞を売るフランシス・ランスは5歳の少年だ。
14.1916年8月 米ケンタッキー州、アルバートン
アモス(6歳)とホーラス(4歳)。彼らは父親の農場にあるタバコ工場で、毎日"日が昇ってから沈むまで"害虫の駆除や株分け作業をしていた。
15.1916年10月 オクラホマ州、コマンチ郡
ジュエル(6歳)とホラルド・ウォーカー(5歳)。共に1日20から25ポンド(約9から11kg)の綿花を摘むのが仕事だ。
16.1913年10月 テキサス州、ヒューストン周辺
ヒューストン付近の農場で綿花摘みをする4歳のミリー。彼女は1日に8ポンド(4kg近い)綿花を摘んだ。
17.1913年2月 サウスカリフォルニア州、ブラフトン
ロージー(7歳)は牡蠣の殻むきの正規作業員だった。撮影時、彼女はバーン& プラット缶詰工場で働いて2年目に入っていた。
18.1911年1月 ペンシルベニア州、ピッツトン
ヒューストン炭鉱のブレーカー・ボーイズ(石炭から不純物を取り除く仕事をする少年たち。)
19.1911年1月 ペンシルベニア州、ピッツトン
ブレーカー・ボーイズは厳しい雇用主から突かれたり蹴られたりすることもあった。
20.1911年6月 バージニア州、リッチモンド
新聞配達の少年達。帽子を被るリチャード・グリーン(5歳)とリッチモンド(自称8歳)
21.1911年3月 牡蠣の殻むきをする子どもたち
ロージーは8歳の牡蠣の殻むき作業員。ダンバー缶詰工場で午前3:00から午後5:00まで毎日働いた。ルイスによると写真の中の幼児もナイフを使えるようになるとすぐに殻むきを学ぶという。
22.1911年3月 ミシシッピ州セントルイス、ベイ・ストリート
マウド・ダリ(5歳)と彼女の姉グレード・ダリ(3歳)、Peerless Oyster Co.のために一日置きに容器1つ分のエビを捕まえていた。
23.1910年11月 アラバマ州、ペルシティ
ペルシティ紡績工場で糸巻き作業をする子ども達。
24.1910年11月 アラバマ州、バーミンガム
掃除人(紡績機周辺の清掃をする)として働いたドニー・コール。
ルイスが年齢をたずねると、ためらいながら"12歳だよ"と答えたという。
25.1913年4月 ジョージア州、コロンバス
紡績工場のフェニックス・ミルは、一日に多い時は10食分の夕食を労働者達の所へ運んでいた。
26.1909年1月 ジョージア州、オーガスタ
紡績工場のGlobe Cotton Millで糸を紡ぐ仕事をする幼い少女。職人の管理者は、普段から彼女を雇っていることを認めた。
27.1908年12月 テネシー州、ラウドン
多くの幼い労働者達と同じく、とても小柄なこの少女も箱の上に立たなければ機械にとどかなかった。
28.1911年2月 サウスカロライナ州、ポートロイヤル
ジョージー(6歳)、バーサ(6歳)、ソフィ(10歳)。彼女らはMaggioni缶詰工場で貝の殻むき作業をしていた。
29.1909年1月 フロリダ州タンパ
Englahardt & Co.にて葉巻製造者として働く子ども達。
30.1909年6月 メリーランド州、ボルチモア
J. S. Farrand Packing Co.という食料品包装工場でサヤインゲンを扱う幼い子ども達。働くには小さすぎる子ども達は作業する子ども達の膝の上にのせられる。
via:buzzfeed 原文翻訳:R
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コメント
1. 匿名処理班
10歳に満たない子たちが働いてたのか。
子供らしい、屈託無く笑っている子が一人もいない…。
遊ばないですごした子達は将来、子供を働かせる大人になってしまうのだろうな。
2. 匿名処理班
モダン・タイムス見たくなった
3. 匿名処理班
学校で勉強する理由、半端な説教よりこの写真の方が説得力あるな。
4. 匿名処理班
10代だと思ったらそれ以下かよ。
5. 匿名処理班
いまや12歳以下は一人にすると保護者が罰せられる国とは思えないな
こういう時代もあったんだなあ
6. 匿名処理班
すべての単純作業は機械がやって人間が開放されますように(;´∀`)=3
7. 匿名処理班
9番の顔つきとかまさに無教育なおっさんのそれや
学べぬことの辛さよ…
8. 匿名処理班
100年前の写真が最近よくでてるね。
この子たちが後の豊になったアメリカで幸せになってるといいな。
9. 匿名処理班
でも実際、働かなきゃ暮らしていけなかったんじゃないか?
児童労働をなくすには法で取り締まるより貧困問題を解決しないと
10. 匿名処理班
道徳の教科書に載せるべき
11. 匿名処理班
紡績工場だと、死亡事故も多かったんだよな……
当時は欧州でも日本でも似たようなもんだったんだろうな
12. 匿名処理班
これは今起こっていることだ、、、アフリカで
13. 匿名処理班
アメリカは第二次大戦のころですら識字率はそんなに高くなかった。自分の名前も書けない人もいたよ。
14. 匿名処理班
「家なき子」にも主人公の少年が、炭鉱労働であやうく命を落としかける話があったな。
15. 匿名処理班
貧しかったら仕方がない思う
人口は増えないと発展しないし
人は霞だけを食べて生きられるわけでもないし
多分今こうして普通に暮らしていられるのも
こういう事があったからだろうし
自分たちがそこを通り過ぎて過去の物に出来たからといって
今現在それの最中の人たちをあーだこーだ言うのはなんか違うと思う
全ての人たちを無条件で支援して発展を促すなんて無理だろうし
16. 匿名処理班炊事係
労働しなければならない以上に自分の名前もわからない状態の子供たちが多いことに驚き。
日本の寺子屋システムは本当に先進的だったんだとつくづく頭が下がる。
17. 匿名処理班
タバコ吸うなw
18. 匿名処理班
単純に今とは比べられんよね
そうしないと生きていけなかったし
でも今現在無意味に学校に行き
何をしたいのかよく判らずに社会にほっぽり出されるのだって
本当に幸せっていえるのかって思ったりするときがある
余計なこと考えずに生きていくことだけ考えて、生きていけたらのは幸せなんじゃないかな
19. 匿名処理班
黒人がほとんど映ってないじゃないか
20. 匿名処理班
自分も10歳になる前は親父に手伝いという名目の労働させられていたよ
教育受けられ無いわけじゃない 昭和もだいぶ後半だからね
貧乏ということもない 単に忙しかったんだ
しんどい仕事のバイトの連中がやってることよりは仕事してた自負がある
お陰で仕事は大変なものなんだというものが心に染み付いてるが
現代はそんなじゃダメなんだよね
21. 匿名処理班
こういう時代があったから現代がある。
日本だって同じだった。
開拓時代の北海道では、子供だって貴重な労働力だった。
感謝して生きるべきじゃないのかな?
この子供たちに恥ずかしくない労働をしている?
22. 匿名処理班
上流階級ならいざしらず、
労働者階級なら当時は「子供」という概念がほぼ存在しなかったのかもね
低年齢の者はただ未成熟な人間であるに過ぎなかったんだよ
23. 空缶
こうした子たちを
「幼いうちから可哀想に...」とあわれむ観点は昔からあったが
今のような社会的福祉の概念がない故に救いようがなかった。
赤の他人が誰かを救済するというと、お金持ちの気まぐれな慈悲と
年末の救済運動くらいしかなかった。
だから放蕩してワルになったり野垂れ死ぬよりは自活してるだけマシ、という事になる。
話はズレるが、アグネスが例の中抜き御殿で微笑んでいる写真から漂う
「慈愛に満ちた裕福なおばさま」感には笑うしかない。
150年は遅れてる博愛の感覚だ。
24. 匿名処理班
自分がいかに幸せな環境に生まれたかを感じた。
25. 匿名処理班
これ以下の職場で黒人やアジア人が蹴っ飛ばされていたんだね。
日本でも、身売りやら色々あった。ほぼ国内でピラミッド経済が形成されていた。
現在、俺たち日本人含め先進諸国は、自国で未成年の労働が問題になることは、ほとんどない。なぜならば、第三世界の下請け(東南アジア・インド・アフリカ・中南米)に出しているから。彼らの国では未成年が毎日せっせと働いている。ピラミッド経済が一国からワールドワイドになった。
グローバル経済の戦争に勝つとは、そういうこと。富が均衡化なんて、いやだろ?日本人は搾取する側。まぁ、白人よかまともだけどね。
26. 匿名処理班
>>20
それとこれとは話が全然違う。
当時、児童労働が多用されたのは児童を雇うコストが安いし、雇用主に対して刃向うことがなかったため。
だから、成人の特に男性の失業者が多い時代だった。
それが『資本論』で誇張されてアジテーションされることで社会主義が受け入れられた背景がある。
27. 匿名処理班
搾取的に子供に低賃金労働を強いていた時代のいびつさだな
しかし労働と子供を完全に切り離してしまった現代という時代も
やっぱりどこかいびつだと思うね
なにごともほどほどがいい。白か黒かじゃなくね
28. 匿名処理班
同情するなら金をくれ
29. 2
子供を、安くてコキ使える便利な道具として使っちゃったから酷いけど、
あえて役割を持たせてもらえたら、子供だってお勉強と遊び&大口消費者だけの存在じゃなくて健全になりそうなのにな。今の日本だってすぐ『ボランティア』でゴミ拾わせたり募金活動とかキャップ集めとかさせるし。
でも理想論です。
30. 匿名処理班
大学まで行って働きたくないってほざいてる奴の顔と比べたら、いい顔をしているように見えるんだが・・・。
31. 匿名処理班
しかし100年でだいぶ改善されたな
あと100年経ってもっと良くなればいいけど
32. 匿名処理班
お涙ちょうだいの下らない記事だね。
現在とは社会情勢や必要労働力が全然違う状況なのに。
33. 匿名処理班
※32 視野の狭いくだらないコメントだね
歴史を学ぶことは大事なこと。今は過去から繋がっていて、未来は今につながっていく。
底の浅い人間は歴史から何も学べないし学ぼうともしない。
34. 匿名処理班
>29
>子供を、安くてコキ使える便利な道具〜
日本だと今は“子供”のところにパート・バイト・契約社員が当てはまる
文句を言って辞める自由はあるけれど、職場は改善もされないまま
人買いが何も知らない新人を次々と入れつづけるエンドレスワルツ…
35. 匿名処理班
アフリカとかアジアは児童労働がひどいからな〜
国を支えるので大事な教育が受けられないから〜
36. 匿名処理班
日本版もやって欲しいね
37. 匿名処理班
よく考えてみるとラピュタのパズーもこの線だよね。
38. 匿名処理班
児童労働を規制
↓
婦人労働者の活用(婦人は大人だから問題ないだろうという論理)
↓
女子労働に児童と同様の労働時間規制(権利を守る=女を労働市場から締め出す)
↓
補助業務の一層の機械化進行&労働組合の成員たる「男性労働者」の権利確立へ
39.
気分悪
二度と繰り返しちゃいけないな
40. 匿名処理班
肯定も批判もしない。
理由として、日本でも実際にそういう話があり、その積み重ねが今現在の社会へと何らかの形でつむがれているからだと言う事。
また、それにより子供たちが「仕事」という概念を覚えやすい環境がそこにあったのではないだろうか?
まぁ、私も私の友人も小学生の頃から新聞配達やDMなどの簡単な仕事をしていたという事もあるのだけどね。
働く立場から言わせて貰えば…マジでほっといてくれ!
41. 匿名処理班
彼ら、彼女らが生きていたからこそ、現在がある。
とても尊敬する。
私は私で、努力せねばならない。
42. 匿名処理班
与えられた仕事に対して、
「自分を哀れむ」ことしかしない者に見て欲しいな
43. 匿名処理班
でも、長い人類史の中で子供が働かなくてもいいってなったのは今の時代だけの話だしな
狩猟採集で生活していた時代からずっと、子供は出来る範囲での労働をしていた
近世に行われた幼年労働者への低賃金酷使が尾を引いて、現代の風潮があるんだろうけど
そもそも子供を労働から完全に切り離すのは不自然な行為だよ
44. 匿名処理班
まだまだ過去の話じゃないな。
45. 匿名処理班
全く嫌な感じは受けないねこの写真。
子供達も家族や将来のためにしっかりとした意志を持って働いているからどの子供も誇らしげに見える
時折はにかむ笑顔はやはり子供っぽく可愛らしく思う
46. 匿名処理班
写真を見る限りとくに虐げていた感じをうけるものではないな。
今では子供に労働をさせるのはどうかという考えだが、過去はこういったことは日本でも普通であったんだよ。現在の価値感で過去を否定してはいけない、過去を論ずるときはその時の価値感で論ずなければいけない、だが過去の誤った価値感を現代に持ち越すことは許されない、と私は思います。
これは慰安婦も同じことだな。
47. 匿名処理班
今は子供が何もしなくてもいい社会を大人が作ってるわけだから単純比較はできない。
当時は大人だって自分が生きていくのだけで大変だったし、そもそも寿命が短いから幼いうちから大人扱いされるのも仕方ない。
48. 匿名処理班
産業革命ん時のイギリスの少年少女よりはマシってレベル
貧困と不衛生から抜け出して学校行きたかったろうなぁ
49. 匿名処理班
この時代の頃なら児童労働は批判されつつあった。大人より安価で扱いやすいために正当な報酬を得られず搾取されていたのだから。
過去の価値観を現代の視点から批判するなって言うけど、我々は現代の価値観を元に比較検証して判断することしかできないって認識は必要。膨大な記録や史料を見ても、当時の人々の幸せや不幸せは解らない。可哀想だと思ったならそう思えばいいんだよ。
50. 匿名処理班
過去の話ではない
海外いけば今でも10才かそこらの物乞いや物売りなんて普通にいる
51. 匿名処理班
この時代はどこもこんなんだよ
日本でも自分の下の子をおんぶしながら農作業してたし
52. 匿名処理班
会社側の金の卵
53. 匿名処理班
子どもにも人権があって、きちんと育てなきゃ
いけないって考え方じゃなくて、半端な大人、
生まれたら家庭のために使える労働力って
見られてたんだよね。
54. 匿名処理班
今の日本だとこの子供がやってた仕事はほとんど全滅してるな。
新聞配達がかろうじてちょっと残ってるぐらいか。
2016年になるまでに機械化とIT技術で様々な仕事が無くなって
非正規4割社会になったけど
これから人工知能とロボティクスでさらに50〜80%の仕事がなくなる。
ベーシックインカムがないと生きていけない人間がさらに大量に出る。
(日本は既に格差社会であって今現在でもそういう人間がかなり出ていると思う)
55. 匿名処理班
※43
その時代とこの工業化社会の弊害は違うから問題になったんだよ
家業を手伝うのは家族が一緒の環境で行うし(木の実・貝の採取、畑の手入れ、下の子のお守り)時間の決め方も自分達で決められる
狩猟採取や初期農耕民(いわゆる国というものをもたない人々)は、みんなでそういう家族労働をしていたから全然違うんだよ。この写真の子ども達は年齢に見合わない労働をしなければならないのがまず問題。今現在の子ども達が危険な鉱山や、有毒ガスやガラスの破片が落ちているゴミ捨て場で働かなければならなくなったのは、家族の模倣をしながらお手伝い→本格的な技能の習得として経てきた過程とは全然違う
労働と教育が一体化していたのにそれらが乖離してしまったことも本当に問題
56. 匿名処理班
身の丈に合う仕事なら今の子供も働くべきだと思うがねえ お家でYouTuber見て白痴化するよりよっぽど有意義だろう
57. tt
企業がいいかげんなんだよ
58. wq
せめてまともな賃金払えばいいことを
59. 匿名処理班
煙草を一服してる子供らの表情、いっぱしの大人と変わらんな。
幼い頃からの労働は、子供を早く大人にしてしまう。そして早く年老いてゆく。