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10.オクラホマの犬

Facebookに投稿されていたスージーの写真 スージーは飼い主がその瓦礫の下敷きになってしまったと思い、その場から離れることができなかったのだ。幸いなことに、スージーの飼い主は生きていただけでなく、彼はボロボロになった街の清掃作業をしながら、自分の愛犬を必死に探していた。彼の妹がFacebookでたまたまスージーの写真を発見し、警察に通報したおかげで、彼らは感動的な再会を果たすことになった。
9.強制収容所で生き抜いた恋人達

そして2004年、Mokrynaのことが忘れられないPedutto は、最後の望みをかけて行動を起こした。ロシアのリアリティTV番組に手紙を書いたのだ。するとその番組はMokrynaの行方を探し、2人は60年ぶりに再会することができたのだ。人生で一番過酷なときを共に生きた2人は、再開後、再び交際が始まった。それは今も続いている。イタリアとウクライナをお互いに行き来する遠距離恋愛だ。

8.北朝鮮の隠れたロマンス

バーバラ・デミックが北朝鮮の普通の人の暮らしを書いた本、'Nothing to Envy: Real Lives in North Korea'によると、どんなに国家が厳しい監視体制をひいても、若者の恋愛を止めることはできないことが明かされている。北朝鮮にいる十代の若者達も、暗闇を利用して彼らの恋人達と世界中のティーンエイジャーたちがするように、共に時を過ごす。どんなに厳しく管理された環境下でも恋愛の抜け道はちゃんとあるということだ。
7.勇敢なUボート

ところが予想外のことが起きた。Uボートの艦長は浮上命令を下し、28人のギリシャ兵を乗船させ、彼らを中立国であるアイルランドまで運んでいったのだ。ギリシャの水兵らを浜辺に降ろしたUボートは、そのまま戦地へと戻っていった。史上最も残酷な戦争のさなかにあったナチスの将校は、静かに28人の命を救ったのだ。
6.エジプトの宗教を超えた革命的団結

5.過激派をやっつけたソマリアのミュージシャン

2004年、Shiine Akhyaar Ali はソマリ族のバンド、"Waayaha Cusub" を結成した。そのバンド名には反聖戦の歌をうたい、地域の指揮官をあざ笑うという意味が込められていた。どんな犠牲を払おうとも平和のメッセージを発信すると心に決めた彼らは、2007年に過激派にShiineが5度も撃たれる出来事があった後ですら曲を作り続けた。その先はどうなったのか?彼らは勝利した、2年前に過激派は首都モガディシオから追い出され、Waayaha Cusub はミュージックフェスティバルの計画に追われた。現在彼らは自分達の音楽を利用して、暴力の絶えない環境に暮らす子供たちのために、平和につながるようなワークショップを開き、過激派の残した爪跡を拭い去るための活動をしている。
4.兄の愛が弟を救う(シリア)

どうしても弟を助けたかったOmarは、弟を背負ってトルコまでの長い道のりを歩いた。ところが、トルコにもその武力衝突は飛び火しており、国境は事実上無法地帯となっていた。そこを通過するのは手榴弾でお手玉するレベルの危険さだ。だがOmarはあきらめなかった。弟を助けたい想いは弾丸をも潜り抜けた。奇跡的に2人は危険地帯を通り抜けることに成功。11歳のAbdulrahmanは今も生きていて、思いやりにあふれた兄に感謝しているという。
3.大量殺戮に"No"を突きつけたカップル

まず始めに、彼らは暴力に関わることを断った。それは穏健派のフツ族が、ツチ族と同じぐらい一気に殺された時だった。次にEnochは負傷したツチ族を自宅に招き入れた。地元のフツ族の強硬派勢力軍が命を奪うと脅迫したにも関わらず、彼らに隠れ家を与えた。三番目に彼は自宅が手狭になると、ツチ族が身を隠すためだけの家屋を自分の土地にもう一つ建てた。彼は"なぜ家族を危険にさらすのか?"と聞かれた時、"キリスト教徒の仲間を見放すわけにはいかなかった"、と答えた。Enochは信用やお金、ほとんどすべてを失いながらも大勢の命を救ったのだ。
2.サラエボの過去を救う

Imamovic は国立博物館の館長だった。その中で最も価値のある本は、660年前に出エジプト記に関するユダヤ人の物語が記された中世の本、"ハッガーダー"だった。この本には10億ドルの保険がかけられていたが、殺戮のさなかにあってはそれもあまり意味をなさないのは明らかだった。Imamovicは、ボスニアで暮らしていたユダヤ人文化をたどった最古の有形資産をユーゴスラビア人民軍が消してしまうことを恐れ、本を守るために本当に命をかけた。彼の話には警官への賄賂や銃弾の回避、そして迫撃砲であわや抹殺というエピソードが含まれる。だが彼はそれを何とかやり遂げた。彼の努力により、ボスニアの"過去のかけら"は現代史に残る"最も長く続いた包囲"を乗り越えた。この話の凄いところは、Imamovic はユダヤ人ではなく、ムスリム人だったことだ。そう、彼の国は全土に渡って民族の境界に沿って分割されたようなものなのに、Imamovic はなおも彼らが共有した遺産の象徴のために命をかけたのだ。
1.アウシュビッツの犠牲

だがこの地獄の場所にさえ、温かい人の心は確かにあったのだ。1941年、3人の囚人が収容所からの脱出を試みた結果、副司令官は報復としてが10人の囚人を餓死させる命令を下した。無作為に選ばれたある男は、残される妻と子供達を思い泣き叫び始めた。その時、Maximilian Kolbe という名の別の囚人が前に進み出てきて、自分が身代わりになることを申し出た。
Kolbeは選ばれた男とは何の関係もないのに、代わって死ぬことを志願したのだ。ナチスがそれを黙認し、他の9人と共に彼をバンカーの中に送り込んだ時も彼の魂は揺るがなかった。彼は人生の最後の2週間、そのカトリック信仰心をもって他の人々を心安らかすることと、威厳を持って自身の最期を受け入れたという。そして彼の行いは決して無駄にはならなかった。彼がこの時救った男、Franciszek Gajowniczekは、無事に生き延び、53年間の余命を得ることができたのだから。
via:10 Heart-Warming Tales from the Worst Places on Earth 原文翻訳:R
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コメント
1. 匿名処理班
ホテル・ルワンダも実話だけど、同じように自分の危険を顧みず人命を救った人は他にもいるんだねえ
2. 匿名処理班
4.こんな小さい弟が、こんな小さな体と心に受けた痛みを考えるともう・・・
何より兄ちゃんGJすぎる。
おまけに弟は将来有望なイケメンだ。この先の人生幸多からんことを。
3. おまえら
ザイーガのニュル動画みてからカラパイアの動物ほっこり動画
4. 匿名処理班
9のルイージさんは主役なんやな
5. 匿名処理班
言葉も出んくらいの話ばっかりだ…
6. 匿名処理班
命がけって、想像するよりすごいんだろうけど、いまいち想像しきれない。
でもなんか胸が押しつぶされそうなくらいの迫力のあるエピソードばかりだと思った。
7. t
宗教や民族の違いを超えて命や書物を守る人たちに感動した
自分の命を危険に晒されても勇気を持って立ち向かう人たちは本当に凄い
死ぬ時は誰かの役に立てたらいいと思うけど自分にはできないだろうな
8. 匿名処理班
そんな事をして良く大丈夫だったな。イーノック。
9. 匿名処理班
Kolbe神父は長崎で不況活動していた人だな。
10. 匿名処理班
7は国防軍の将校だから救助したんだろ
11. 匿名処理班
私たちの周りには、本当は素晴らしいニュースがたくさんあるはず。
なぜ暗いニュースを率先してマスコミの人は報道するのだろう。
12. はぶ
命にさえ取って代わる価値、守るべきものがあると言うのをしみじみと感じます。ヒトのヒトたる所以はそこにこそあるのかも知れません。
13. 匿名処理班
あの犬ってコリーなの?
14. 匿名処理班
※13
みんなが聞きたくなきゃ暗いニュースなんて売れない
人間は人の不幸や失敗が大好きなのよ 残念ながら
15. 匿名処理班
宗教で戦争がおきるけど、宗教は命も救う。
16. 匿名処理班
ナチス軍人というだけで悪とする風潮だが、どこの国の軍人にも人格者はいるし逆に悪い奴もいる。我々は先入観にとらわれず曇りのない眼で歴史を見極める必要がある。
17. 匿名処理班
てか北朝鮮は別に自由恋愛禁止って訳じゃないでしょ
18. 匿名処理班
駆逐艦雷「いかづち」もよろしく
19. 匿名処理班
完全に自分の無知のせいなんだけど、正直、ぴんと来ないものばかりだ。
ユーゴもシリアもソマリアも、どういう状況の中で生まれた出来事なのか一つもちゃんとイメージできない。イメージできないと、共感も感情移入も難しいんだなって思い知ったわ。
20. 匿名処理班
10以外は戦争がらみだな。もっと世界が平和ならいいのにね。
21. 匿名処理班
そろそろ戦争がなければ、誰かが誰かの代わりに死ぬこともない…と
22. 匿名処理班
最後のコルベ神父の話は最近の高校の教科書に載ってるよ