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住居と砦が一体化した中世の要塞村「グルシアのシャティリィ」

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 北コーカサス、南コーカサスを隔てるカフカス山脈の山越えルート上の高度1400メートル地点、古くは国境沿いに位置していたという、グルシアの要塞村「シャティリィ」は、中世初期の時代、侵入してくる敵を遮断する為、住宅と要塞を1つにし、守りながら住むという形に発展していった石とモルタル造りの要塞村である。ここで何百年もの間、人々は住みながらにして、敵の侵入を防いでいった。

ソース:Shatili – Medieval Fortress Village in Georgia

 この要塞村が建設されたのは8世紀から10世紀頃と言われている。6世紀頃に、この頃ラジカ王国として知られていた古代コルキス王国は東ローマ治下に、イベリア王国はペルシャ支配下となり、東西で対立関係となる。627年から629年にかけてペルシャ・イベリア王国連合軍と西突厥・東ローマ帝国・古代コルキス王国連合軍との間でトビリシ包囲戦が行なわれた。ムスリムの征服によってトビリシ首長国(736年-1080年)が誕生した。グルジア全域はアラブ支配下(853年-1120年)に入る。(wikipedia

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建物は主に4階構造となっており、それらの住宅が折り重なって城砦を形成している。1.2.3階は家畜が暮らし、最上階は人間の住居だったそうだ。高い位置から見下ろせる場所で、敵が来ると家の中から弓矢を使って撃退していたそうだ。住居の他に、墓や集会場などが設置されている。 

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 現在でも60近くの建造物がこの地に残っており、観光することができるのだそうだ。

Shatili Georgia

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この記事へのコメント 18件

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  1.  上の階に行くハシゴは上から引きあげられるようになっていて、ハシゴがあった場所は上からフタをできる。
     上の階には食糧と水が備蓄してあり長期間のろう城が可能になっていた、上から攻撃して撃退もしたかもしれないが、軍隊は移動中の物資の確保のため村に強奪にくるので長時間は一か所にはいない、そのため隠れてやりすごすための建物。

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  2. なかなかアンデス山脈やないかーーーーーーーーーーーーーーぃ

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  3. 保護色というのか何というのか…
    下の方の写真、要塞が山に溶け込んでるように見えるな

    • 評価
  4. コーカサス地方は絶対行ってみたい
    ロマンが溢れてる

    • +2
  5. 窯そっくり
    火事が起きたら煙が充満しそう

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  6. これ村が防衛のために作ったものかと思ってたが、ちがうんだな
    元は北からの敵の侵入から、国を守るための砦だった。常駐する必要があったために砦にしたんだ。
    通りでおかしいと思ったわ。村人がここに住むメリット皆無だし

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  7. 確かにカッコいいけど超住みにくそうだもんね

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