メインコンテンツにスキップ

米国核兵器開発計画「マンハッタン・プロジェクト」の研究施設

記事の本文にスキップ

24件のコメントを見る

(著)

公開:

この画像を大きなサイズで見る
Advertisement

 「マンハッタン・プロジェクト」とは、第二次世界大戦中、アメリカが行った原子核分裂反応をエネルギー源とする強力な兵器を開発する計画のことで、計画の名は、当初の本部がニューヨーク・マンハッタンに置かれていたため、一般に軍が工区名をつける際のやり方に倣って「マンハッタン・プロジェクト」とした。この計画により、最終的には1945年7月に今日トリニティ実験場と呼ばれる場所で行なわれた人類初の核実験と、その数週間後の広島・長崎への原子爆弾投下へとつながった。

 当時核爆弾の研究、開発をしていたテネシー州のウラニウム分離施設とワシントン州のプルトニウム抽出施設の画像が公開されていた。

ソース:Industrial remnants of the Manhattan project | Crack Two

 1941年にイギリスからユダヤ系科学者オットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスの記した核エネルギーの兵器応用のアイディアを伝えられ、核兵器実現の可能性が高まると、1942年6月、時の大統領、ルーズベルトは国家プロジェクトとしての研究着手を決意する。

 マンハッタン計画の開発は秘密主義で行われ、情報の隔離が徹底された。ウラン濃縮には電磁濃縮法が使用された。当時、電磁石に用いる銅の使用が制限されていたので国立銀行から銀を借りて使用した。銀線の方が電気抵抗が少なく多少たりとも消費電力削減に貢献した。

 テネシー州のウラニウム分離施設

この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る

ワシントン州のプルトニウム抽出施設

この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る
この画像を大きなサイズで見る

 1945年3月、連合国によりドイツが原爆を開発していない確証が得られると、ジェイムス・フランクやシラードらは、フランクレポートの提出など、対日戦での無思慮な原爆使用に反対する活動を行った。

 しかし、アメリカは世界で初めての原子爆弾を開発し、7月16日にトリニティ実験を行い爆発に成功した。開発された原子爆弾は、8月6日に日本の広島に投下され(リトルボーイ)、さらに8月9日に長崎に投下された(ファットマン)。

アメリカからみた【対日ロシア参戦&マンハッタン計画】第二次世界大戦

マンハッタンプロジェクトの全貌

関連記事:

原子爆弾の威力がわかる実験映像

アメリカ核実験の歴史

1945年から1988年、核爆発実験が行われた場所と行った国の回数が動的にわかる地図映像「Map of Nuclear Explosions on the Earth 」

📌 広告の下にスタッフ厳選「あわせて読みたい」を掲載中

この記事へのコメント 24件

コメントを書く

  1. 銀線コイルの電磁石・・・何か凄そうだね
    当時は放射線浴びまくりだったんだろうけど・・
    南無阿弥陀仏

    • 評価
  2. Dr.マンハッタンが生まれた場所?

    • 評価
  3. たしか未だに放射線が高い場所で、工場部分が取り壊される予定だったような

    • 評価
  4. オークリッジ国立研究所
    Oak Ridge National Laboratory (ORNL)
    ttp://wikimapia.org/597756/Oak-Ridge-National-Laboratory
    Y-12 National Security Complex
    ttp://wikimapia.org/91550/Y-12-National-Security-Complex
    電磁気的分離が行われた場所。

    • 評価
  5. 18枚目の写真みてエヴァのヤシマ作戦
    思い出したわ。

    • 評価
  6. ハンフォード・サイト
    the Hanford Site
    ttp://wikimapia.org/6007295/DOE-Hanford-Site-Hanford-Nuclear-Reservation
    「米国ワシントン州東南部にある場所で、原子爆弾作成のマンハッタン計画でプルトニウムの精製が行われた所。その後の冷戦期間にも精製作業は続けられ、現在はこの作業は行われていないが、米国で最大級の核廃棄物の問題を残しており、その処理が継続されている。」

    • 評価
  7. ここから「世界の終り」が始まった、と言っても過言ではないわな

    • 評価
  8. 鉤括弧までつけて世界の終りとかやめてくれよ、ラノベじゃないんだから(赤面)

    • 評価
  9. 日本も第二次世界大戦当時は、原子爆弾を研究してたそうな。昭和天皇がこれを知って激怒されたような・・・・昭和天皇は「人類滅亡の原因が我ら大和民族であってはならない」と。

    • 評価
  10. 囚人とかに放射性物質を注射してたのがバレて問題になってたよな
    自国民に対して人体実験してたんだから他国なら知れている

    • 評価
  11. 世界は疑心暗鬼の中だった。シラードにしても最初はナチスの原爆開発を怖れてアメリカの核開発を自ら推進したわけだし、やがて日本やドイツに原爆実用化の力が無いと知ってもソビエトの影に対抗するには、なけなしの原爆で一刻も早く虚勢を張るしかなかった。その犠牲になったのが日本。唯一の敵国だから大義もたった。うん・・

    • 評価
  12. 実に、時代が悪かった。核反応のアイデア、つまり一つの核分裂がエネルギーとともに連鎖するアイデアが直ちに兵器を連想させ、それを実現させた。その間、数年だったかと思う。

    • 評価
  13. もちろんシラードがアメリカに進言したのは世界の破滅を怖れていたから。ナチスよりはマシだろうと思ったから。彼は実直だった。最初は特許で抑えようとしたがそんなの意味なかった。科学は常にオープンで明確である。ある日、全科学者の前、白日の下、突如として悪魔が放り出された。つまり核反応は「倍々に」連鎖しうるという実験結果が。それがどれほどの恐怖であったか・・

    • 評価
  14. 誰も核兵器の脅威を実感として持っていなかった。アメリカにとってマンハッタン計画は単に勝つための画期的強化爆弾の計画であり、シラードの苦しみもそこにあった。まあシラードにしても核反応が及ぼす医学的ダメージまでは考えに無かったかもしれない。しかしそういう「想定外な」危険をも引き起こしうるという潜在的な恐怖はあったのだろう。とにかく、今やこれは世に出してはいけないと。あいにくそれが分からない偉い人、或いは偉くない多くの人には、ジャップだったりソ連への恐怖の方が強かったと。
    それはそれで、しかたないね 時代が幼かったと、そう思いたい。

    • 評価
  15. 銅がないから銀じゃないだろ
    銀のほうがより使いやすいんだけど銀の価値が高いから、大半は沢山取れる銅で代用してるだけ
    資金があるならケチらず銀線にする

    • 評価
  16. 銅が沢山取れても、薬莢みたいなものに沢山使う必要があったからじゃないかな?

    • 評価
  17. しかし、爆弾1個作るの為に、砂漠にでっかい研究都市を拵えたのか!
    目標が巨大な時、アメリカ人のパワーはすごいね。
    もし同じ資源があったとしても、わしら日本人にはやれんな。
    せい々、貴重な鉄を集めて役に立たん巨大戦艦こさえただけか。
    おまけに、真珠湾で広島の口実を相手に渡しちまった。

    • -2

コメントを書く

0/400文字

書き込む前にコメントポリシーをご一読ください。

リニューアルについてのご意見はこちらのページで募集中!

画像

画像についての記事をすべて見る

  1. 記事一覧を読込中です。

歴史・文化

歴史・文化についての記事をすべて見る

  1. 記事一覧を読込中です。

最新記事

最新記事をすべて見る

  1. 記事一覧を読込中です。