この画像を大きなサイズで見るオランダのアムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館が、ゴッホの作品のテーマ、スタイル、手法、素材、これまでの来歴を徹底的に調査した。
その結果、ファン・ヴィッシンゲン芸術文化財団のコレクションの中に未知の絵があることを確認したという。
この絵の発見により、これまでゴッホの作品ではないと言われていたもうひとつの作品もゴッホのものである可能性が高くなった。
表に出ることがなかったゴッホの作品
それがこの絵、「石切り場の見えるモンマルトルの丘」だ。
この画像を大きなサイズで見る石切り場の見えるモンマルトルの丘 1886年3月
image credit:COLLECTION VAN VLISSINGEN ART FOUNDATION
調査によって、「石切り場の見えるモンマルトルの丘」はかつて、ヴィンセント&テオ・ファン・ゴッホ・コレクションの一部だったこともわかった。
弟テオの未亡人ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲルが、1911年にハールレムの美術ディーラー、ド・ボワにこの作品を委ねた。ド・ボワは1917年ごろにこの絵を売り、その後、表に出ることはなかった。
それから11年後の1928年、ゴッホの全作品のカタログがド・ラ・ファイユによって初めて編纂・出版された。だが、この絵はそれまで展示されることも、出版物の中に掲載されることもなかった。
この発見でもう一枚の作品もゴッホのものである可能性が浮上
この発見の結果、今までゴッホの作品ではないと言われていたもうひとつの作品も、彼の作である可能性が出てきた。
「モンマルトルの丘」(1886年)と名づけられたこの作品は、ゴッホ美術館に所蔵されているが、テーマ、サイズ、スタイル、手法、素材の点で、「石切り場の見えるモンマルトルの丘」の絵と紛れもない関連がある。
この画像を大きなサイズで見るモンマルトルの丘 1886年
image credit:COLLECTION VAN VLISSINGEN ART FOUNDATION
ゴッホ美術館の館長、アクセル・ルーガーは、ふたつの絵がファン・ゴッホの作品の中に加わる可能性が確実であると語る。
この画像を大きなサイズで見る自分のスタイルを探し求めたフィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホ美術館の上級研究員テイオ・メーデンドロップは語る。
「このふたつの作品は、明らかに同じ人物の手によるものだ。スタイルもゴッホが最初にアントワープで創作を始め、続いてパリのコルモン画塾に通った1886年初期の作風を思わせる。」
「使われている素材もまったく同じで、春と初夏にゴッホが描いたモンマルトルをテーマにした絵と関連していると思われる。ゴッホの全作品の中でもこの印象的な2作品は、1886年の冬と春に彼が自分のスタイルを懸命に模索していたことを的確に示している。」
「両方とも、ゴッホがパリで学んでいたプロセスがはっきり表われていて、彼はここで自分を再発見したが、それでも伝統的な芸術の道もまだ踏襲している。」
「”モンマルトルの丘”はこれまでは、比べる材料がなかったこともあってゴッホではないと否定され、コルモン画塾で学んだこととの関連性はないとされた。これはゴッホは1886年の秋まではコルモン画塾を訪れていないと、一般的に思われていたためだ。」
2作品とも、オランダのシンガーラーレン博物館での企画展「すばらしき旅」の中の「印象派を越えて」のコーナーで出品される予定だ。
この企画展は、ファン・ヴィッシンゲン芸術文化財団コレクションから、フランスの印象派、後期印象派の作品をピックアップしたものだ。
References:vangoghmuseum/ written by konohazuku / edited by parumo














でも全ては彼の死後。
生きてる時に報われたかっただろうな。
なんか贋作の詐偽のプロローグみたいだけど、チャンとした研究者の発表だから信用してもいいよね?
何年か前にフジテレビでダヴィンチの作品見つかったかもしれないとか言っていたけど、どうなったのよさ
何の変哲もない凡庸なデッサンですけど、「ゴッホが描いた」というのが「価値」になるんでしょうね。
全てが傑作な訳がない
生前に報われなかったゴッホの人生には
感動するのにフランダースの犬の主人公を
負け犬の貧乏人がブザマに野垂れ死んだ
笑い話として読む西洋人の不思議。
ゴッホは滅びの美学やワビサビが理解できたから
日本の絵に惹かれたんだと思うんだけどな。
言われてみれば、ゴッホ的なヌメッとした感じはあるね。
歴史ほど胡散臭いものはないな、所詮は伝聞やアナログなデータしかないわけでそれが真実かどうかなんて解釈次第でなんとでもなる。本物か偽物かより芸術的価値があるかないかが肝心だろ
ネームバリューだけで物の価値を決めてる今って本当つまらんわ。まるでブランド品だからとありがたがってそのものの機能性や耐久性は完全無視してる感覚だ
ゴッホっぽい色ならなおよかったのに
ゼロの作品とみた
後はカニ好き偽画廊の店主に判断任せよう
ゴッホだと言われて見てみれば確かにどこか、違う気がする・・・。
って言われる前に想ってよ。byゴッホン
ゴッホはデッサンと完成作品ではガラッと変わるよ
主役になるものをよく目立つ配置に、余分なものを排除へが徹底してる
色もよく練られていて、特に補色の効果を狙っていた
構図と配色を考えてるワクワク感をよく手紙にしたためて
弟や妹に送っていたのが残っている
ん~、わかんね。
絵は専門家って言う人の「言ったもん勝ち」みたいな所あるからなー。
何十年もみんなが騙されてたって言うはなしを聞いたことがあるよ。
ゴッホさん、右利きだったのね。
なんか一枚目を見てポール・セザンヌを連想した
いつだったか記事にもあった、AIが模倣じゃない贋作作れる時代がくると
こういうのにも神経尖らせないといけなくなるんだろうな
ゴッホはずっと自分は絵が下手だと思ってたけど
あの黄色いベッドルームの絵はかなり上手く描けたと自信があったようで
母親と妹に「自分はうまくやってるよ、ほらいい感じっしょ」と見せるため
同じ絵をもう一枚描いて送ったりしてるのかわいいよね
最終的にベッドの絵は3枚もある
※17
実際ゴッホは絵が下手だと思う。
めちゃくちゃ絵が上手くて何でも描けるピカソタイプとは大違い。
しかしゴッホは自分のスタイルを確立して素晴らしい絵をいくつも描いた。
私はローヌ川の聖月夜ほど美しい絵を他に知らない。
それでも絵が上手いかって言ったら上手いわけではない。
ボーシャンなんかもやっぱり下手。下手だけど味があるある凄いある。
美大生には描けない絵だね。基本学んでないから描けたんだな。
つまり何が言いたいかというと、自分は下手だとか基礎を学んでないとか思ってないで、描きたいと思ったら描くべきって事よ。
絵以外の分野もそうね。
※18
さすがのゴッホも基礎は学校で学んだらしいですよ
あらゆる絵画から型を吸収したそうです
※20
ごめん基礎学んでないのはボーシャンの話ね。
※19
アルルの跳ね橋とかローヌ川の聖月夜なんか、誰が描いたか知らなくても素晴らしいって感激すると思うけどなあ。
ピカソも有名どころだけど3人の音楽家とか、めっちゃ構図といいデザイン性といいお洒落で面白いと思うけど。
まあ後は好みだけどねえ。逆に今となっては彼らは評価が高すぎて買えやしない。
日本の無名画家の個人展なんか行って、気に入ったのを買うと良い。
※21
絵画で感激する人って脳の構造が違うのかなと思ったり
今まで通ぶって賞賛したり無理して鑑賞してたけど耐えられない
正直に言うと絵を見て感動したことなんて人生で一度もないです
※22
脳の構造は人それぞれ違うと思う。
数学の美しい数式や数列に感激する人もいるし、しない人もいる。
ショパンを聴いて感激する人も何も感じない人もいる。
野球見て感動する人もしない人もいる。
それで良いと思う。自分が好きで素直に感激できるものだけ感激するのが良い。
通ぶるとか、知識として知っとくべきとか、馬鹿馬鹿しいよ。
ピカソやゴッホにせよ何がいいのか全く分からない
知識がなかったらまず間違いなく処分するだろうなって思う
みんな本当に心の底からいいと思ってるのかなぁ~
カンバスの上でいつまでも絵の具コネコネしていて、お友達のゴーギャンからキモいって言われたらしい
デッサンじゃ ゴッホである必要は感じないなぁ
あの写真的かつ幻想的な色感が素晴らしいんだから
あと絵画の良さが分からないって人は美術史について一度 本格的に勉強してみてくれ
現代における美的要因がどのような歴史で構築されていったかを知るだけでも見方がかなり変わってくると思うから