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 パルモも小学校時代、女子的いじめを経験したことがある。ある日突然クラス中の女子から無視されたり、誕生会に自分だけ呼ばれないという類のものなのだが、おとなしくいじめに甘んじるタイプではなかったので、そんな時は男子や下級生と遊んでやり過ごしていた。しばらくすると、何事もなかったようにまた元に戻るといったことが何回か繰り返されたが、今思うとあの頃はピュアだった。今なら普通に「やめてよ。」と言うことができたのに、誰にも相談することなく、なぜこんな目にあうのか、自省と自己分析に必死だった。

 とまあ私のことは置いておくことにして、日本のみならず人のいるところにいじめは存在する。戦争といじめは人類が滅亡しない限りはなくならないんじゃないかと言うほど人類のDNAに組み込まれているチックなところがあるわけだが、今回紹介するのは、海外で子どもの頃、いじめを経験したという パウリさんが、いじめから学んだ5つのことである。


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 以下はパウリさんがまとめたものを抄訳したものだ。パウリさんは子供時代、ひどいいじめにあっていたという。今それを信じる者は誰もいないそうだが、中学生の頃から始まったいじめのおかげで、学校では当たり前のように精神的な苦痛を味わう日々を送ったという。

 いじめにあっていた数年間で、パウリ氏は、いじめに精を出す馬鹿げた連中をやり過ごす方法をたくさん学んだ。おかげでその後の人生は楽勝になったそうだ。

5.いじめられにくくなる方法はない。

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 言っておくがここで暗い話をするつもりはない。私は太ってなかったし、人種や女性関係でいじめられたわけじゃない。その理由ははっきり言って私がとんでもなく変な子供だったからだ。私は本やマンガ、そしてロールプレイングゲームにどっぷりハマるという1990年代の典型的ないじめられっ子の必須条件をきっちり備えていたのだ。それだけじゃない。さらに成長も遅くガリガリで、口を開けばいつも余計な失言ばかり。おまけに髪型や服装には全く無関心だった。状況が改善しなかったのはいつも同じシャツを着てたせいかもしれない。

 ここまで読んだ人は良いアドバイスをするつもりで、「じゃあそのおかしな態度を1週間ぐらいやめて、ちょっと様子をみればいい。」なんて思うだろう。でもそれはいじめっ子の「ターゲット選択」システムに規則性があると考えてるからだ。

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 そんなものは無い。むろん私はターゲットになりやすい立場だったが、なんらかの形でいじめの対象になる人間を予測するのはほとんど不可能だったのだ。いけにえを特定する理由は本当になんでもいい。私が知るターゲットは「醜すぎ」、「可愛すぎ」、「バカすぎ」、「利口すぎ」、もしくは単に「イカれすぎて理解不能」などだ。そのせいで、悪知恵が働くタチの悪い奴らのいじめ心を刺激してしまっていた。

 もちろん、誰がどういうわけでいじめを行うのかを予測する科学的なシステムはある。とはいっても、放課後に犬のフンが入った袋の中に張り切って君の頭を押し込もうとするガキ共の群れと格闘していたら、君がそれを止めることはもちろん、この現象の背後にある理由を突きとめるため、行動科学の先生達に相談する、なんてことはムリだろう。
 
 実際にそんな目にあっている時、そこには理由もクソもない。君は単にくだらない連中の標的に入ってしまった社畜か、途方に暮れた子供のどっちかに過ぎないのだ。


4.神と悪魔の戦いではない

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 感情的に脅迫されている状況下では、人間の行動を測る正確な物差しなど無い。プレッシャーに弱い奴もいるし、強い奴もいる。しかし、絶望的な状況で、いじめられている人間の欲求不満が溜まりまくった時、自分をいじめている奴は悪魔だ、といった考えが生まれるケースが良くある。そう考えるのは簡単だが、他の人間に害を及ぼすものが全員悪魔なわけがない。

 現実には、イジメの背後にある理由はほとんどはっきりしないことが多い。いじめっ子は、その当人が別のところでいじめられていることがよくある。その原因は過程にあるのかもしれないが、もし君が八つ当たり的にいじめられてるなら、そのうち君も誰かに当たるようになるだろう。

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 意外なことかもしれないが根っからの悪魔みたいにひどい奴は世の中には滅多にいない。だからおそらく、学校で、君を殴るようなやつでも、生まれながらの悪魔ではなかったはずだ。彼はとにかく馬鹿げたことをしでかすただの頭の悪いガキだ。とはいっても君のリュックに小便をかけ続けているそのクソ野郎のことを、理解するのは難しいだろう。


3.いじめてるヤツより傍観者の方がもっとタチが悪い

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 映画の中のいじめの構図は簡単だ。主人公 VS いじめ(災難)という2極に集約されているからだ。だが映画とは違い、実際には、いじめっ子が1番の悪とは限らない。その責任は傍観者の方にあることが多い。つまりただその辺に座り、休憩時間に繰り広げられるイジメのショーを見て見ぬフリを装う奴らだ。

 残念ながらいじめは人間性の一部なのだ。進化を語る学者たちは、”いじめはかつて社会のヒエラルキーを築いた類人猿時代の名残りだ”、という。その学者たちはさらに、”我々がそういった行動を踏み潰すことで次世代の子供たちがいじめを企てるのを阻止することが可能になるし、また阻止すべきだ”、と言い続ける。しかしコミュニティの中にそれを実践しようと思う人間が一人もいない場合はどうなる?

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 愚かでムカつく奴の1人や2人なら誰でも我慢できる。私達は毎日その練習を山ほどやっている。本当に問題なのは、君の周囲でその状況をただ眺めて肩をすくめ、自分たちの日常を送る人間全員だ。この事実は髪にガムくっつけたまま家に帰ることよりダメージが大きい。なぜならこちらから助けを求めることを不可能にするからだ。気にかける人がほとんど皆無の状況で一体誰に頼ればいい?

 傍観者の多くはただ怖がっているだけで、いじめに立ち向かわずに精神的な痛みの分け前を受け取っているらしい。でも、見てるだけの君、いじめられてる本人に「君と一緒に苦しんでいるんだよ。」なんてことを言えるのか?君達には心から失望させられる。

 幸いにも冷たき傍観者(受け身の野次馬)に関する問題は、いずれは改善されるかもしれない。心理学者らはその問題に気がつき、いじめっ子の代わりに傍観者の意識に焦点を合わせ、いじめに対抗する手段に取り組んでいるそうだ。しかしその状況が変わらない限り、いじめっ子と受け身の野次馬のタックにより、”いじめられる運命にある奴”の烙印を押され、なかなか消し去ることはできないだろう。


2.復讐したいと思う気持ちを抑えきれなくなる

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 暗闇の中を長いこと旅し続ければ、やがてそこに巣食う悪魔に歯向かいたくなる。心の中で「自分をいじめた相手に何らかの仕返しをしたい」という欲求が高まる可能性は十分にあるのだ。彼らをぶん殴り、車を傷だらけにしたり、自然発火ガスを奴らのパンツに入れて、慌て脱ぎ出す姿を大勢に晒して恥をかかせてやりたいと思うかもしれない。

 だがその考え方は、大勢のいじめ犠牲者にとっての真の落とし穴なのだ。

 そもそも「ただ復讐する」という考え方自体に問題がある。伝統的ないじめは「力の不均衡」に頼る傾向がある。例えば大勢の子供対1人の子供や、身体の大きな子供がひ弱な子供を恐怖で圧倒するのもそれに当てはまる。そして反撃に失敗した場合、君の自尊心はひどく傷ついてズタズタになることもある。

 たとえ仕返しに成功したとしても、君がそれまでに抱いていたであろう欲求不満の日々と、複雑な報復を心の中で好きなように思い描いているせいで、報復をやめる時期をわかりにくくさせてしまう場合もありうる。その巨大な殺人ロボットを解放した時、どこまでやったらそのスイッチを切るべきなんだろう?

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 大勢のいじめの被害者達は抑えきれないほどの怒りと不満の感情を味わう。ある記事によると、いじめを受けた生徒の1/3がそれぞれに暴力的な考えを心に抱いていて、やがてそのうちの何人かは必ずその衝動に屈してしまうそうだ。だが大抵の場合、それは災難の元だ。

 十代の頃の私の話に戻ろう。ある日、なぜか私の被っていた帽子を盗もうとした同い年のグループともめた時、私の我慢もついに限界に達した。私は泣きながらその場を去り、気がつくと家にあった野球のバットを手に持ち歩いていた。

 私はその時の彼らの顔を忘れることはない。彼らの顔には当時の私が鏡に向かうたびによく目にした表情が浮かんでいたのだ。

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 バットを振り回した瞬間、私は、その激しい力にものすごくビビって我に返った。そして回れ右をして家に帰り、その危険極まりないバットを物置の隅の奥深くに葬った。しかし私はそれを握った時に湧き上がる力の感覚を今でも覚えているし、「そっち側」に揺れてしまう子供達がいる事実を経験として知っている。

 1990年代に起きた銃乱射事件の15件中12件は、ひどく長い間いじめられていた学生がついにブチ切れたせいで起こった、ということを思い出して欲しい。

 だから、もし君がいじめに遭っているなら、私が考えるアドバイスはこうだ。「この世から消えるな。誰かと心を通わせろ。メチャクチャな怒りをぶちまけるな。そしていじめる側にまわるのは絶対にやめることだ。」


1.なんとか生き抜いて脱出しよう

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 私が遭っていたいじめはその全てがあっけない形で終わった。実はこれにはあるきっかけがあった。それは、”私が格闘技を習い始めた”、という噂だった。私はその勘違いを正そうなんて気はさらさらなかった。そしてハッピーな結末を迎えた私はその噂を好きなように使うことにした。私としては目立ったことをしたのではないし、意識して努力もせず、その状況から脱出することに成功した。これは余談だが、その後私は本当に格闘技を習った。

 最近私はいじめられていた過去を持つ大勢の人達と知り合う機会が増えたが、彼らの中には頭の良い人、興味深い人もいて、たいていそれぞれが素晴らしい魅力を持っている。

 私の脳みそは空っぽに等しいが、もしそういった体験がなかったら、その中身は現在の半分にも満たなかったかもしれない。昔いじめっ子だった人々とも面識はあるが、彼らは…まぁ、明らかに彼らも元気にやっている。だが、彼らの中にはかつての勢いを失っている者もいるようだ。

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 こんな風に、いじめというのはある日突然脱却する機会がくる。もちろんいじめられた人にとって、これほど理不尽でムカつくことはないし、精神衛生上問題をきたす場合もある。でもそいつらに、頭の中まで侵食されないようにしていれば、私と同じようにそのいじめはいつか終わりが来る。

 結局の所、その暗いトンネルを抜けた君は前よりもさらに強くなり、もっと良いヤツになる。最悪ないじめを受けても、それをちゃんと受け流して成功した人は大勢いる。もし今君がいじめられてるなら、2、3年先の自分自身が君にどんな言葉をかけるか想像してみよう。きっと「ここでもっと強くならないと悪魔達と戦うことはできないぞ。」という答えが返ってくるだろう。

 大事なのは君自身が ”悪魔” にならないようにすることなのだ。

via:cracked・原文翻訳:R

 最近「引き寄せの法則」というのが話題となっている。これは、ロンダ・バーン著の自己啓発書「ザ・シークレット」で提唱されているもので、例えば自らの考える幸せの姿を明確にイメージし(幸せになるシナリオを詳細に作り上げる)、その幸せについてのみ考え続けることで、幸せを引き寄せることができるというものだ。

 これは逆の作用も働く。常に不快で、不幸な気持ちを抱いたままでいると、同じような思考が延々と続いてしまい、不幸を引き寄せてしまうそうだ。負のルーチンから抜け出せなくなる感じだね。

 自分の考えや気持ちだけは何者にも侵略されることはない。自分だけのものだ。その思考をプラスに働くように使うか、マイナスに働くように使うかは全部自分で決められる。いくつかの選択肢があって、自分の選択の結果で今の自分がいる。

 思えば私は、昔から悪運が強い(かといって運がいいわけでは決してない)と思い込んでいて、実際にピンチになると誰かが必ず助けてくれたのだが、もしかしたらこれは引き寄せの法則が働いているのかも。と最近思うようになってきた。そしてやたらトラブルに巻き込まれやすいのも、自分がそう思い込んでいるから引き寄せられやっているのかもしれないな。

 ポジティブ思考は訓練できる。そのイメージはハッピーエンドに終わる少年漫画だったり映画だったりを見ることでどんどん具現化されていく。あとはそう、松岡修造先輩のありがたい言葉でも聞いてみるかのう。

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