この画像を大きなサイズで見る2026年6月、SNSで話題となったのが、「巨大な迷路のような汚いトイレをさまよう夢、実はみんな見てる」。
「汚いトイレに入る夢」「大量の便器が並んだ空間をさまよう夢」「仕切りのない公共トイレで困る夢」。
こうした夢を見たことがあるという声が広がり、「自分だけではなかったのか」と驚く人が相次いでいる。
中には、ユング心理学でいう「集合的無意識」と結びつける見方もある。
では、私たちは本当に同じ夢を共有しているのだろうか。
それとも似た夢を見たように感じること自体は記憶の変容、身体感覚、偶然などで説明でき、後からの意味づけがなされているだけなのだろうか。
SNSで広がる「共通する夢」の不思議
夢はきわめて個人的な体験である。
目が覚めた瞬間には強烈な印象を残していても、数分後には輪郭が崩れ、言葉にしようとすると別のものに変わってしまうことも多い。
それにもかかわらず、他人が語った夢に「それ、自分も見たことがある」と感じる瞬間がある。
特に汚れたトイレ、数が多すぎる便器、落ち着かない公共空間、出口のない建物などは、多くの人が反応しやすい夢のモチーフである。
こうした共通性を見ると、「人類に共通する深層心理の影響があるのではないか」と考えたくなるのも無理はない。
そこでしばしば持ち出されるのが、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングが提唱した「集合的無意識」である。
これは、個人の経験を越えて人間に共有されている心の深層構造を想定する考え方であり、神話、宗教、物語、そして夢に現れる普遍的イメージを説明する枠組みとして大きな文化的影響力を持ってきた。
ただし、これを科学的な説明として用いるとなると、慎重な姿勢が求められる。
たとえ集合的無意識が魅力的な概念のように思えたとしても、それは現代の実験心理学や神経科学で実証された機構ではない。
「同じような夢を見る人が多い」という現象があったとしても、それだけで集合的無意識が働いたとは言えないのである。
まず調べるべきなのは、なぜ人が夢と夢、あるいは夢と現実の間に「意味ある一致」を見いだすのか、という点である。
この画像を大きなサイズで見る予知夢研究は夢の不思議をどう調べたか
この問題を考えるうえで参考になるのが、エディンバラ大学Koestler Parapsychology Unitの心理学者Caroline Wattによる予知夢研究である。
Wattは2015年の最終報告書『In the Eye of the Beholder? An Investigation into Precognitive Dreaming』で、2010年から2014年にかけて行った一連の研究をまとめている。
テーマは、夢が未来の出来事を予測できるのか、また「予知夢を見た」と感じる体験がどのような心理過程から生まれるのかである。
この研究プログラムでは、夢が後で提示される映像を予測するかどうかを調べる統制実験が行われた。
オンライン研究では、参加者が自宅で眠り、夢の内容を報告した後、ランダムに選ばれた映像を見る。
独立した評価者が夢と映像の対応をブラインドで判定したところ、事前に設定された指標では偶然を上回る結果が得られた。
一方、Richard Wiseman、Laurène Vuillaumeとの睡眠実験室研究では、予知夢を支持する証拠は得られなかった。つまり、結果は単純に「予知夢はある」とも「ない」とも言い切れるものではなかったのである。
その後も研究は続けられているが、このテーマに決着がつけられたわけではない。
2024年にはDavid Vernon、Elizabeth Roxburgh、およびMalcolm Schofieldが、自宅で夢を記録する「home-dream paradigm」を用いた研究を発表している。
実験の流れは少し変わっている。
参加者はまず、自宅で見た夢を記録する。
次に四枚の画像を見て、それぞれが自分の夢にどれくらい似ているかを評価する。
ただしその時点では、どれが本命の画像なのかはまだ決まっていない。
評価が終わった後で、四枚のうち一枚がランダムに「ターゲット画像」として選ばれる。
残り三枚は、偶然の一致と比べるための「デコイ画像」である。
もし夢が未来のターゲット画像と何らかの関係を持つなら、参加者は後からターゲットに選ばれる画像を、デコイ画像よりも「夢に似ている」と評価するはずだ。
実験の結果、ターゲット画像の類似度評定はデコイ画像より高かったと報告されている。ただし、著者らもこれを決定的証拠ではなく、さらなる追試が必要な「示唆的」結果として扱っている。
予知夢と言う、現代科学で通常想定される時間因果を超える異例の主張については、統計的有意差が得られた研究が一本あるだけでは結論を出せないこと、先行研究の結果が一貫していないことなどが理由である。
ここが重要だ。
予知夢研究では、このように肯定的に見える結果が出ることはある。
しかし、それをもってすぐに「未来を見た」と結論してよいわけではない。
Wattらの研究の意義は、予知夢を超常現象として断定するのではなく、心理学的な要因からも検討した点にある。
たとえば、夢とその後の出来事が一致した場合、人はそれをよく覚えている。
しかし、一致しなかった夢は忘れやすいものだ。
これは「当たった夢」だけが記憶に残るという選択的想起である。
また、超常現象や予知夢を信じる人ほど、ランダムに組み合わされた夢の報告とニュース記事の間に対応関係を見つけやすい、という結果も報告されている。
この視点は、SNSで広がる「自分も同じ夢を見る」という現象にも関係する。
誰かが印象的な夢を語ると、それに似た記憶が呼び起こされる。
夢はもともと曖昧で断片的なため、後から似ている部分を強調しやすい。
さらにSNSでは、「自分もそれを見る」という反応が集まることで、あたかも大規模な共通夢が発見されたかのような印象が生まれる。
確かにここに不思議さはあるかもしれないが、それは必ずしも超常的機構の存在を意味しない。
この画像を大きなサイズで見る汚いトイレの夢はなぜ多いのか
では改めて、汚いトイレや大量の便器が出てくる夢は、なぜ多くの人に共有されているように見えるのだろうか。
ここで参考になるのが、ドイツの夢研究者Michael Schredlによるトイレの夢の研究である。
Schredlは2011年の論文で、トイレの夢は古くから一般的な夢テーマとして報告されてきたと指摘している。
典型夢質問票(Typical Dream Questionnaire)では、「トイレを見つけられない、あるいは使うのが恥ずかしい夢」を見たことがある人の割合が、カナダの学生サンプルで19.2%、ドイツで30.0%、中国で59.2%と報告されている。
Schredl自身は、一人の人物が16年にわたって夢の内容を書き溜めた6991件に及ぶ記録を分析し、そのうち175件、すなわち2.52%にトイレに関する活動が含まれていたと報告している。
興味深いのは、トイレの夢の舞台が自宅よりも、見知らぬ家、レストラン、ホテル、公共施設、学校、劇場、駅やバスなどに多かった点である。
また奇妙に改変されたトイレ、汚いトイレ、プライバシーを妨げられる場面も見られた。
これは、SNSで語られる「大量の便器がある」「仕切りがない」「汚くて使えない」といった夢の印象とも重なる。
もちろん、この研究だけで汚いトイレの夢の原因が完全にわかるわけではない。
Schredlも、尿意のような身体刺激だけで説明するのは難しく、目覚めている時の記憶や思考、とくに「どこにトイレがあるか」「人目を避けられるか」といった公共空間での経験が夢に反映されている可能性を指摘している。
つまり、トイレの夢は、単なる生理現象の夢ではなく、身体感覚、清潔と不潔、羞恥、プライバシー、公共空間での不安が絡み合った夢なのである。
トイレは誰にとっても身体と社会が交差する場所である。
排泄はきわめて私的な行為だが、公共トイレではそれを半ば公共空間の中で行わなければならない。
だからこそ、仕切りがない、汚れている、使えない、他人に見られる、出口がわからないといった夢は、多くの人にとって強い不快感を伴う。
人間に共通する身体と社会生活がある以上、似た夢のモチーフが多くの人に現れること自体は、それほど不自然ではない。
この画像を大きなサイズで見る夢の不思議は科学で扱えないものではない
予知夢をめぐる実験研究は現在も続いている。
さらに異常体験や超常信念についてはtransliminality、boundary-thinnessといった個人差との関係を調べる研究も進んでいる。
transliminalityとは、夢、感情、無意識的なイメージなどが意識に浮かび上がりやすい傾向、boundary-thinnessとは夢と現実、自分と他人、想像と記憶といった心の境界が比較的ゆるい傾向である。
こうした研究は、夢や異常体験を「ある/ない」の二分法ではなく、体験のされ方、記憶のされ方、意味づけのされ方として調べようとするものである。
予知夢、共通夢、集合的無意識といった言葉が人を引きつけるのは、夢が私たちの記憶、感情、身体、偶然、そして物語化する力と深く結びついているからだろう。
だからといって、すぐに超常現象だと断定する必要はない。
逆に、すべてを錯覚として笑い飛ばす必要もない。
科学的に扱うとは、不思議を消すことではなく、不思議を分解して、どこまでが記憶の働きで、どこからが身体感覚で、どこに偶然があり、どこに本人の意味づけが入っているのかを切り分けていくことである。
汚いトイレの夢が多くの人に共有されているように見えるのは集合的無意識の証拠、と言いたくなる気持ちはよくわかる。
だが、より慎重に言えば、それは人間の身体、社会生活、不安、記憶、そしてSNS上の共感が交差する場所に現れた、現代的な「夢の都市伝説」なのかもしれない。
確実に言えるのは、夢の不思議は信じるか否かの二択ではなく、科学で問い直すことができる領域だということだ。
References: Watt, C. (2015). In the Eye of the Beholder? An Investigation into Precognitive Dreaming: Final Report, January 2015. Koestler Parapsychology Unit, University of Edinburgh. / Vernon, D., Roxburgh, E. C., & Schofield, M. B. (2024). Testing home dream precognition and exploring links to psychological factors. International Journal of Dream Research, 17(2), 148–156. / Schredl, M. (2011). Toilet dreams: Incorporation of waking-life memories? International Journal of Dream Research, 4(1), 41–44.
















汚いトイレの夢なんて見たことないなぁ。日本人も沢山の人が見てるの?
オレも見たことない
公衆トイレが整備された国と、そうでない国とでは人々の見る夢は違って来るのかな
公衆トイレが全く存在せず、見たこともない人は汚い公衆トイレの夢は見ないのか、それとも想像だけで作り出した知らない人々が集うトイレを夢でみるのか
トイレが見つからない夢と、見つかったけどエキセントリックな建築で困る夢なら見たことあるな~
汚いトイレの夢って自分以外にも見てる人いたのか!
下品だから今まで話題にもしなかったけど…
自分も月に数回は構造に違和感を感じたり汚くて入りたくないトイレの夢を幼少期から見てますね
食事時に思い出しては食欲を失くすなんてこともあったので、学校や外出時に汚いトイレに遭遇した記憶のトラウマ的なモノもあるのかも