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太陽神ラーに捧げた「谷の神殿」発見、4500年前の古代エジプト

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(著)

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Image credit:Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities
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 4500年の時を経て太陽神ラーの聖域が姿を現した。カイロ南西のアブ・グラブで、第5王朝のファラオ、ニウセルラー王が建設した「谷の神殿」が発掘されたのだ。

 かつてナイル川の泥に埋もれていたこの場所は、高台にある太陽神殿への玄関口だった。

 エジプト観光考古省の発表によると、今回の調査では、一般の人々も使用していたとされる世界最古級の「公共のカレンダー」や、天体観測の痕跡も確認されたという。

太陽神ラーに捧げられた巨大神殿

 エジプト観光考古省の発表によると、今回発掘されたのは古代エジプト第5王朝の第6代ファラオ、ニウセルラー王が建設した太陽神殿の一部である。

 場所はカイロの南西約 16 km、ピラミッドで有名なアブシール遺跡の近くにあるアブ・グラブ遺跡だ。

 太陽神殿は単独の建物ではなく、高台にあるメインの「上の神殿」と、ナイル川沿いにある「谷の神殿」という2つの施設から構成されている。これらは長い参道でつながっており、全体で巨大な複合施設を形成していた。

 今回泥の中から発見されたのは「谷の神殿」だ。

 谷の神殿はナイル川やその支流に面しており、船で訪れる参拝者を迎える玄関口としての役割を果たしていた。

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上空から見た谷の寺院の一部 Image credit:Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities

 実はこの場所、1901年にドイツの考古学者ルートヴィヒ・ボルヒャルトによって一部が発見されていたが、当時は地下水位が高く、発掘を断念せざるを得なかった。

 それから約1世紀を経て、イタリアのマッシミリアーノ・ヌッツォーロ氏らのチームが再調査に挑み、ついに神殿の正体を明らかにした。

 アブ・グラブ遺跡では2022年にも、ニウセルラー王の神殿の地下から、さらに古い時代の「泥レンガ造りの太陽神殿」の跡が発見されている。

 歴史書には太陽神殿は6つか7つあるとされるが発見例は少ない。その理由は、ニウセルラー王のように、先代の神殿を解体し、その上に自分の神殿を「上書き保存」して建設したためだと考えられている。

 この地は、古い聖域の上に新しい聖域が重ねられた、太陽信仰の歴史が凝縮した場所だったのである。 

【太陽神ラーと第5王朝】 古代エジプトにおいて、ハヤブサの頭を持つ太陽神ラーは万物の創造主として崇められた。

特に第5王朝(紀元前2498年頃 – 紀元前2345年頃)は、太陽神ラーを祀る太陽神殿が熱心に建造された時期でもある。

 ファラオたちは自らを「ラーの息子」と名乗り、ピラミッドとは別に、生きている間に神を祀るための「太陽神殿」を競って建設していた。

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太陽神ラー Image by Istock

世界最古級の「公共のカレンダー」の発見と天体観測の痕跡

 今回の発掘で特に注目されているのが、神殿の入り口付近で見つかった装飾ブロックだ。ここには宗教行事の日程や内容が刻まれていた。

 ブロックには古王国時代の首都メンフィスゆかりの神ソカルの祭りや、豊穣の神ミンの祭り、そして太陽神ラーの行進などが記されている。

 ヌッツォーロ氏は、これらが神殿内部ではなく入り口エリアで見つかった点に着目している。

 神殿の奥深くに入ることが許されなかった一般の人々も、外壁に刻まれたこのカレンダーを見ることで、祭りの時期を知ることができた可能性がある。

 これは現在知られている中で、最古の公共カレンダーの一つと言える発見だ。

 また、神殿には屋根へと続く階段の遺構も残されていた。

 古代エジプトの神官たちは、この屋根の上から空を見上げ、星や太陽の動きを観測していたと考えられている。

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象形文字が刻まれた石板の一部 mage credit:Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities

神聖な場所から人々の生活の場へ

 ニウセルラー王が情熱を注いだこの神殿も、永遠ではなかった。発掘調査からは、時代の移り変わりとともに神殿が「庶民の団地」のように変わっていった様子が見て取れる。

 王の権威が落ちた第1中間期と呼ばれる時代になると、神殿は宗教施設としての役目を終え、人々の住居として再利用された。

 遺跡からは、古代エジプトの人々が遊んでいたボードゲーム「セネト」の木製の駒などが発見されている。

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発見されたボードゲーム「セネト」の木製の駒 上空から見た谷の寺院の一部 Image credit:Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities

 かつてファラオが太陽神を崇め、そのさらに下には古い神殿が眠る場所で、後世の人々は盤上のゲームに興じていたのだ。

 幾重にも積み重なった歴史の層からは、古代エジプトの栄光と日常の両方が見えてくる。

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References: Facebook / Long-Lost Sun Temple of King Nyuserre Emerges at Abusir

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この記事へのコメント 7件

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  1. ラー、アメン、アテン・・・古代エジプトの太陽神多すぎ問題

    • -3
    1. アメンって祈りの最後に言うアーメンや阿弥陀のルーツになったアモン王のことですよね、たしか

      • 評価

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