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地震で水没したシルクロードの失われた都市が湖で発見される

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(著)

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イシク・クル湖 Image by Istock chaoss
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シルクロードは、紀元前2世紀ごろから15世紀半ばにかけて使用されていた、ユーラシア大陸の東西を結ぶ、全長約6,400kmの交易路だ。西洋と東洋の商人や冒険家が行き交い活気に満ち溢れていた。

 そのルート上にある、中央アジアの山岳地帯、現在のキルギスから新たな発見があった。イシク・クル湖の浅瀬から、中世に栄えた都市の遺跡が発見されたのだ。

この都市は15世紀初頭の大地震によって地盤が沈下し、湖に沈んだとされる。

 湖の底には、当時の人々が暮らした家や、生活に使った道具が、時を止めたまま眠っていた。水没した「失われた都市」はどのようなものだったのか?

 この研究成果は『Russian Geographical Society』(2025年10月19日)に発表された。

イシク・クル湖の底に眠る中世の重要な中継都市

 ロシア地理学会を中心に、キルギス科学アカデミーとロシア科学アカデミー考古学研究所が合同で調査を行ったのは、キルギス北東部に位置するイシク・クル湖である。

 この湖の名はキルギス語で「熱い湖」を意味する。標高約1,600mという高地にありながら塩分を含むため、冬でも凍ることがなく、水は驚くほど透明だ。

 長さ182km、幅60km、面積6,236平方kmと琵琶湖の約9倍を誇る。世界で2番目に大きい高山湖であり、約100万年以上存続している「古代湖」の一つでもある。

 調査チームは湖の北西岸、水深1〜4mの浅瀬で、かつて存在した集落の痕跡を発見した。ここは中世に「トル・アイギル(Toru-Aygyr)」と呼ばれた都市の一部だと考えられている。

 トル・アイギルはシルクロードを往来する商人たちの重要な中継地で、多くの富と人が集まる商業都市として栄えた。

 しかし15世紀初頭、巨大な地震が発生し、地盤が沈下。都市そのものが湖に飲み込まれたとされる。

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イシク・クル湖に面するトル・アイギルがあった場所 (赤いピン)Image credit:google map

水中に残された暮らしの痕跡

 合同研究チームの一員であるキルギス科学アカデミーの考古学者ヴァレリー・コルチェンコ氏たちが水中を調査したところ、当時の人々の暮らしがわかる遺物が次々と見つかった。

 焼成レンガ造りの建物跡や崩壊した石造の壁、穀物を挽くための石臼などが確認され、ここに製粉所があったことが分かっている。

 さらに外壁に装飾が残る大きな建物も発見された。構造や装飾から判断して、イスラム教の礼拝堂であるモスクか、あるいはマドラサと呼ばれるイスラム教の神学校だった可能性が高い。

 また中世のイスラム陶器や、保存状態の良い大型の水がめ「クム(khum)」も見つかっており、今後の調査で引き上げが予定されている。 

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イシク・クル湖で発見された大型の水がめ「クム(khum)」の一部 Image Credit : Russian Academy of Sciences

モンゴル帝国の影響とイスラム教の広まり

 遺跡の中で特に注目すべき発見は、広大な墓地だ。研究チームは、およそ6ヘクタール(サッカー場11個分)に相当するエリアから、埋葬された人々の痕跡を発見した。

 研究チームが2体の遺骨を確認したところ、顔がサウジアラビアにある聖地メッカの方角に向けられていた。これはイスラム教徒の伝統的な埋葬方法だ。

 考古学者たちは、この墓地が13世紀頃のものだと推測している。この時期、中央アジアの広大な地域は「ジョチ・ウルス」によって支配されていた。

 ジョチ・ウルスは、モンゴル帝国の創始者チンギス・カンの長男、ジョチが受け継いだ国で、別名をキプチャク・ハン国ともいう。彼らの統治によって、中央アジアではイスラム教が急速に浸透した。

 それ以前の10世紀には、テュルク系王朝のカラハン朝がこの地を支配していた。

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シルクロード Image by Istock Maxiphoto

多文化が共存したシルクロードの拠点

 ロシア科学アカデミーのマクシム・メンシコフ氏によると、トル・アイギルはもともと多文化が共存する場所だったという。

 イスラム教が定着する前、人々はさまざまな宗教を信じていた。中央アジアの遊牧民たちの間で信仰されていた、テングリと呼ばれる天の神を崇めるシャーマニズムや、仏教、そしてキリスト教の一派であるネストリウス派などが混在していたという。

 しかしイスラム教が導入されると、街のあり方は変わっていった。

 人々は同じムスリム(イスラム教徒)同士での交易を好むようになり、徐々にイスラム色が強まっていったようだ。

 研究チームは今後も調査を続け、水底の堆積物を掘削して分析することで、この都市がどのように発展し、そしてどのように歴史の表舞台から消えていったのか、その全貌を解明する予定だ。

References: RGO / Heritagedaily

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この記事へのコメント 12件

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  1.  かなり以前から遺跡が湖底にあることは知られていたようで、古代湖(百万年以上存在する湖)らしいので、多分ヒト種がホモサピエンスでない時代からあるもよう。 ってことで残っていれば人類史書換みたいな発見もあるかも? 
     地図を見ると東西に大陸のしわのようにある山脈の間だから、地震で陥没したのかななどと想像します

    • +6
    1. 地盤沈下で湖上の街が湖に沈んだのか?それとも
      地盤沈下で放棄された街の跡に湖が出来たのか?
      製粉所が水力によるものだと、窪地になった跡の土地に水が流れ込んで湖になったのかな?

      • +1
  2. 水中は水中活動のきつさと調査の短さ、そして地上と違う費用の高さ
    これらがあるのでわかっても調査は容易でないそうだ

    • +6
  3. 500年以上 塩湖に沈んでいたわりに、結晶も付着せず綺麗に残ってるな。興味深い

    • +3
    1. 塩湖といっても濃度0.6%程度らしいから、淡めの汽水湖レベルだね。
      人間の体液よりも塩分は薄い。
      宍道湖よりちょっと濃いめぐらい。

      • +2
      1. 話は聞かせてもらった!ここを第二のアラル海とする!

        • -5
  4. 神坂智子のシルクロードシリーズ読み返したくなってきた

    • +4

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