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バイキングの傭兵地区がイスタンブールの近くで発見される(トルコ)

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バイキングの傭兵地区をイスタンブールで発見/iStock
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 トルコの考古学者が、イスタンブール近くでバイキングの傭兵が住んでいたと思われる地域を発見した。

 このエリアは、イスタンブールがビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルという名で知られていた中世にさかのぼる。

 この発見から、ビザンティン帝国におけるバイキングの傭兵たちの立場がはっきりわかり、金のための戦いを請け負っていた古代スカンジナビア人たちの物語が、変わることにもなるかもしれない。

バイキングの船と傭兵はどこへでも行った

 バイキング傭兵地区が発見されたのは2014年のこと。かつてはバトネアという名だったこの地は、イスタンブールからおよそ20キロ、マルマラ海のヨーロッパ側の海岸沿いにある。

 傭兵地区の発掘中に、バイキングのものと思われるたくさんの遺物が見つかった。マッコウクジラの胆管にできる結石である、希少なアンバーグリース(竜涎香)から作られた十字架もそのひとつ。

 もっとも重要な発見物は、ヘビを表わしたネックレスだろう。北欧神話における終末の日、ラグナレクの最初の兆候をもたらすという、ヨルムンガンド(ミズガルズの大蛇としても知られる)を表わしている。

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バトネアから発見されたバイキングの遺物。琥珀で作られたネックレスのようなもの(複製)

image credit:Viking Dragon
 バイキングは、ビザンティン帝国やエーゲ海周辺との長い歴史をもつ。バイキングとその血縁のヴァリャーギ人(キエフに王朝を創設)は、ビザンティン帝国と広く交易し、相互に関係していた。帝国を2度攻撃したが撃退され、9世紀に条約を交わした後は、平和的な関係が確立された。

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中世の年代記に描かれたヴァリャーギ親衛隊

image credit:public domain/wikimedia

ヴァリャーギ親衛隊の精鋭バイキングが皇帝に仕えた

 平和条約が結ばれた後、キエフやスカンジナビア出身のバイキングの多くが、ビザンティン帝国のために働く傭兵となった。

 バイキングは、忠誠を重んじる戦士の文化を誇り、多くの戦闘で決定的な武器となった巨大な斧で有名になった。こうした傭兵たちは、地元の貴族や党派の連中ではなく、ビザンティン帝国の皇帝だけに忠誠を誓った。

 988年、バイキングの傭兵たちは、ビザンティン帝国皇帝バシレイオス二世によって、正式にヴァリャーギ親衛隊に組み込まれた。この部隊は、軍の精鋭として皇帝の身辺警護をした。

 親衛隊には、スカンディナヴィア出身のノルウェー人も含まれ、その後100年以上にわたって、主要な母体を確立した。

 のちにノルウェー王となったハーラル三世はもっともよく知られた人物だろう。バイキングの傭兵がルーン文字で書いたとされるメッセージが、聖堂ハギア・ソフィアで見つかっていて、”ハーフダンがこれらのルーン文字を刻んだ”、あるいは”ハーフダン、ここにあり”と読める。

 バイキングは11世紀までヴァリャーギ親衛隊として仕えたが、イングランドでのノルマン人の支配から逃れてきたアングロサクソンの亡命者たちにとって替わられた。

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イスタンブールにあるハギア・ソフィアの2階の床に刻まれた、バイキングの傭兵によるものとされるルーン文字。

image credit:public domain/wikimedia

ビザンティン帝国はバイキングの傭兵を信用してはいなかった

 バイキングは傭兵として優秀だったが、完全に信用されていたわけではなく、代々の皇帝から怖れられていた。

 傭兵たちは、コンスタンティノープルの町の中には住めなかった。任務が終わると毎晩コンスタンティノープルを出なくてはならず、入るときも限られた人数しか許されなかったのは、皇帝が傭兵たちに町を乗っ取られるのを怖れたためだ。

 とはいえ、呼び出せばすぐに駆けつけることができるくらい近い位置ということで、当時の国際港だったバトネアが、バイキングたちの定住地となったのだ。

 バトネアの発掘によって、バイキング傭兵の本拠地があったのではという仮説が、事実だったことを示す具体的な証拠が出た。発掘を進めた教授のひとりは言う。

「この発掘から、確かにバイキングの傭兵たちは、9世紀から11世紀にかけてここに住んでいたことわかったのです」当時のビザンティンの都市では、さまざまな宗教や民族のための特定居住地があるのは一般的だった。

 バイキングの傭兵地区バトネアは、怖れられた北欧の戦士たちがどのようにビザンティン帝国に使われていたのか、新たな洞察をもたらしてくれる。

 これまで発見された証拠からは、ビザンティン帝国は、自分の軍隊を強くするためにバイキングを雇ったが、彼らを脅威とみなしてその行動を制限し、十分に警戒していた様子がうかがえる。

 これは、ゲルマン人の傭兵たちに攻撃され、それが最終的に476年の帝国の滅亡につながった西ローマ帝国のことを考えると、大きな違いといえよう。

追記(2020/09/11)本文を一部修正して再送します。

References:ancient-origins/ written by konohazuku / edited by parumo

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この記事へのコメント 11件

コメントを書く

  1. >中世時代にさかのぼる。
    時代は余計ではありませんか?(重複表現)
    古代時代、現代時代とは言いませんよね。ならば中世や近世にも時代はつかない筈です。
    >古代スカンジナビア人たちの物語
    中世って言っておいて古代はおかしいでしょう。この場合のancientは「昔の」くらいの意味と取るべきです。意訳して「中世」にするか、気取った書き方をするなら「往古の」とかそんなところでは。

    • -8
    1. ※1
      英語のことはよくわからんが、

      西洋史において11世紀の東ローマ帝国は紛れもなく中世だが、
      ヴァイキング時代のスカンジナビアは「通常ヴァイキング時代と称される古代」だ。
      スカンジナビアの中世はキリスト教化された後のこととされるのが一般的。
      つまり間違ってはいないと思うぞ。
      隣接地域だからといって同じ時代区分が適用できるとは限らんよ。

      • +5
  2. ハーフダンと聞くと鎖の人しかイメージできない

    • +1
  3. そういえばロシア人は斧が好きだな
    ヴァイキングに源流があるのかな

    • 評価
  4. フン族の傭兵もカタフラクトをやっていたりする。常在戦場の心意気を持ってる連中はそりゃ強かっただろう。

    • 評価
  5. >>バイキングは11世紀までヴァリャーギ親衛隊として仕えたが、イングランドでのノルマン人の支配から逃れてきたアングロサクソンの亡命者たちにとって替わられた

    これはあの有名なノルマン上陸の余波と考えてよいのかな…

    この記事の話を9世紀から11世紀の西ローマやイスラム世界の歴史とも突き合わせてみると、壮大な物語感があって胸が熱くなるよ

    • +3
  6. 「ローマ人の物語」は全編読んだが、バイキングの傭兵なんて記憶が無い(俺だけ?)。
    書籍化されるのは何時頃かなぁ?

    • 評価
    1. ※8
      塩野さんが知らなかったり想像できなかったものは史実でも出てこないんじゃないかな

      • +1
    2. ※8
      「ローマ人の物語」に限定するなら、確かユスティニアヌスの時代までだったから、ノルマン人傭兵が活躍する時代・・・10世紀頃は書かれていなかったのではあるまいか
      塩野さんが知らなかったとは考えにくいが、あの人、ビザンティンをローマ人の後継国家としては認めていないような感じだから、詳しく書く気なかったかも

      • +2
  7. 塩野さんはギリシア人がローマ帝国を名乗ってただけくらいに思ってるのかもしれないけど
    コンスタンティノープルの陥落が一番面白かったです

    • 評価

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