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ドイツ・ベルリンの壁にまつわる10の悲劇的ストーリー

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(著)

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 ベルリンの壁とは、冷戦の真っ只中にあった1961年8月13日に東ドイツ政府によって建設された東ベルリンと西ベルリンを隔てる全長160キロ弱のコンクリートのぶ厚い壁である。

 1989年11月10日に破壊されたものの、1990年10月3日に東西ドイツが統一されるまで、「反ファシスト保護城壁」と呼ばれたこの壁には、監視塔があちこちに点在し、有刺鉄線やはりめぐらされ、数え切れないほどの罠が仕掛けられていた。30年あまりの間、ここはもっとも近寄り難い場所で、多くの人々がここを越えようとして死んだ。これからあげるのは、ベルリンの壁にまつわる10の悲劇的ストーリーだ。

10.大勢の目の前で死んだ若者

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 18歳のピーター・フェクターは、ただ西ドイツの新鮮な空気が吸いたかっただけだった。計画は単純だった。友人と共にチャンスを待ち、“死の罠”を全力で駆け抜け、壁を飛び越えて自由になるというものだ。しかし、友人は成功したが、ピーターはあともう少しというところで見張りに腰を撃たれて倒れた。

 壁の西側から兵士やジャーナリストなど大勢がこの脱出劇を見ていた。ピーターは横たわったまま、一時間以上も苦しみ、傍観者たちはほんの数メートルのところで、気の毒に思いながらも、彼が死んでいくのをただ見ているしかなかった。ついにピーターがこと切れた時、東ドイツの兵士が遺体を抱いて、東ベルリンに運んだ。その後には虚しい、抗議のブーイングがあがった。

9.死のトンネル

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 ベルリンの壁があった時代、トンネルで東ベルリンから西側に出るというのが普通で、西側から東ベルリンに入るというのはほとんど聞いたことがない。しかし、ある日、ふたりの男が実際にそれをやってみせた。東側にいる妻と子どもたちを逃がそうと必死だったのだ。

 だが、ふたりが東ドイツに戻ると、トンネルの先に武器を持った見張りが待ち受けていた。妻の家族のひとりが裏切ったのだ。ひとりは待ち受けていた見張りに銃で撃たれて死に、もうひとりは10年牢獄に入った。さらに傷口に塩を塗るように、その間、妻に離婚された。

8.溺れた子どもたち

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 6歳のアンドレアス・ゼンクは、ふざけていて友だちに水の中に突き落とされた。落ちた場所は、巡視船や監視塔で多くの兵士に厳重に警戒されている場所だった。東ドイツ側の兵士は、子供たちを救おうとしなかった。西側の救助を手伝おうともしなかったばかりか、捜索している消防隊員に銃を向けたのだ。同じような 状況でさらに4人の子供が死んでからやっと、しかるべき安全措置をとるよう取り決めがまとまった。

7.模範的な国境警備に与えられるメダル

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 ベルリンの壁の詰め所にいるのは、本物の軍人で、彼らは輝くメダルをもらえるを楽しみにしていた。もっとも悪名高いもののひとつが、模範的な国境警備に対するメダルだ。このメダルは、丸腰の市民をうまいこと始末した警備兵に与えられる恥知らずなものだ。40歳のエルンスト・ミュンストを撃った兵士は、“巧みに武器を扱い見事に仕事を成し遂げた”として、メダルを授与された。つまり、彼は武器を持たないミュンストの頭を射抜いたのだ。

 壁で起こった死に関して、逮捕された警備兵はほとんどいないといっていい。比較的厳しい判決は、ヴァルター・キテルを撃った兵士に与えられたもので、ベルリンの壁崩壊後、不当な殺人に対して二年の執行猶予つきの判決が下された。

6.ベルリンのウサギ

YOUTUBE動画

 壁の間のいわゆる“死の罠”で、ウサギが繁殖していた。実際、人間に邪魔されることなく、ウサギは自由に生き、子育てしていた。しかし、壁の崩壊は、ドイツの人たちにとってすばらしい出来事だったが、ウサギたちにとっては死刑宣告に等しかった。離れ離れになっていた愛する者を抱きしめようと狂喜乱舞したドイツ人たちに踏みつけられて、多くは死に、なんとか逃げ出して近くの藪に逃れたウサギも、飢えて死んだ。

5.勤勉な学生

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 ベルント・レンサーは、ベルリン大学に通う22歳の学生だった。壁が建った時、彼は取り残されて、大学のある場所に行かれなくなってしまった。学業を続けたかった彼は、壁によじ上って物干しロープを使って、西ドイツ側へ降りる計画をたてた。しかし、ベルントの計画は警備に阻まれ、西側に向かって助けてくれと叫びながら、抵抗

した。すぐに西側は間に合わせのネットを作って、彼に飛び降りるよう促したが、悲劇は起きた。もみ合った末、ジャンプに失敗して、彼は亡くなった。

4.寂しい葬式

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 ベルリンの壁は多くの家族を引き裂いた。だから、みんな壁を越えようとしたのだ。彼らはみんなただ家に帰りたかっただけだ。たとえ、家族が壁を越えようとして死んでも、その葬式に出ることすら許されないという厳しい国境規制があった。死者はたいてい身元不明者として埋葬される。クラウス・ブリュスケもそうだった。彼の母親と7人の兄弟たちは、彼が死んでもなお、会うことができなかった。

3.親しげに振舞おうとした兵士たち

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 西側からは、悪魔のような人非人のように言われているが、国境警備の兵士たちは、邪悪だとはいえ、自分の職務を果たした本質的にごく普通の人たちだ。子供たちのグループが、国境兵士に持っている武器を見せてくれと頼んだ。兵士は優しく説明してやったが、思いがけずに銃が作動して、近くにいた13歳のウォルフガング・グレ

ーデを撃ってしまった。当の兵士Kの運命については、誰も知らない。

2.名もなき犠牲者

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 ベルリンの壁で死んだ人たちの生涯については、ほとんどが調べられ、碑にもなっているので、今日では彼らの歩みをたどることができる。しかし、ひとりだけ身元がわからない人がいる。この男性は、大勢が見ている前で溺れ死んだことだけはわかっているが、西側からも東側からも遺体の引き取り手がなかった。

 数十年に渡って学術的調査が行なわれたが、この男性については何もわかっていない。死が人に起こる最悪のことならば、誰も気にかけてくれる人がおらず、完全に無縁仏になることは、新たな意味での不幸かもしれない。

1.偶然に自分の子供を窒息させてしまった母親

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via:10 Depressing Stories From the Berlin Wall

原文翻訳:konohazuku

 クラウスが、トラックの荷台に隠れている間、ふたりの幼い子供ホルガーがむずかり始めた。見張りに声を聞きつけられるのを恐れたイングリッドは、手で子供の口を押さえた。しかし、イングリットは、子供が気管支炎にかかっていて、鼻で息ができないことに気づかなかった。トラックはなんとか無事西ドイツに着き、イングリッドとクラウスは晴れて自由になった。だが、息子はもうこの世からいなくなってしまった。

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この記事へのコメント 31件

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  1. 1987年に西ベルリンに行ったとき、ブランデンブルグ門の上から東ドイツの国境警備隊が双眼鏡をのぞきながら西側のこっちを見下ろしながら監視していて、しかし観光客なんか監視してなんになるのかと思っていました。

    • +2
  2. 二十年も経ったのか
    あと3番ウォルフガングじゃなくてヴォルフガングだと思ふ

    • 評価
  3. >1.偶然に自分の子供を窒息させてしまった母親
    このエピソード、全く同じシチュエーションでドラマ『西遊記』(日テレ系・夏目雅子主演)の『鬼子母神』の回で見たわ
    村の子は気管支炎とかじゃなかったけど、隠れてると鬼子母神(和田アキ子)に見付かりそうになって、怖くなって泣き出した我が子の口を、母親が必死になって塞ぐの
    で、鬼子母神が立ち去った後でほっとしたけど、我が子が死んでしまってたって言う悲劇
    子供心ながらに、この回は切なかった

    • +8
    1. ※4
      日本兵と民間人が逃げ込んだ沖縄のガマ(洞窟)の中でも、赤ん坊が泣いたら、兵隊が殺したらしいな。

      • -6
      1. ※21
        どれだけ時間稼ぎできるかが目的だったからね。
        本来自国民を守るはずの軍隊は沖縄住民からすれば恐怖の対象でしかなかった。

        • +2
  4. 戦争で得られる事なんて死と金と悲しみだけだろうに

    • +1
  5. 言葉にならんな
    でも、壁崩壊時に戦闘状態にならなくてほんと良かったと思う
    直前の大規模デモでも警察から発砲無しだし、そのへんは民度なんだろうなあ

    • +2
  6. しかももっと悲しいのは、別に壁を決死の思いで突破せずとも、西ベルリンへの
    国境検問所へ行って「西ベルリンへ行かせろ!」と押し問答して逮捕されれば、
    西ドイツ政府が身代金払って東ドイツ政府から『買い取ってくれた』そうでさ・・・

    • +6
  7. ゲシュタポと異なり、シュタージが公に語り継がれない理由は
    語った奴は一族揃って全員死んでいるからである
    過去に遡り、謝罪と賠償を求めようものなら
    翌日には家族揃って川に浮いている

    • -2
    1. イギリス人が書いた文章なんですね。東ドイツ人が書いたらもう少し違っていたかもしれません。
      この記事には書かれていないけれど、元国境警備隊員の裁判は他にも幾つかありました。旧東ドイツ人達の間には「ただの生贄」「茶番劇」という冷ややかな見方が少なくなかった様です。「非道な圧政者の手先と哀れな殉教者」という単純化で済む話ではない事は、イギリス人より東ドイツ人の方が良く知っている筈なので。
      >>14
      沢山語られていますよ。別にシュタージは大粛清時代のソ連NKVDみたいな組織じゃありませんから。荒っぽい事をやったのは恐らくその歴史の中で2回だけでしょう。
      東ドイツ国民の約190人に1人がシュタージ関連職員、残りの国民の約6人に1人が協力員という社会で、口封じに一族皆殺ししていたらシュタージ自身もろとも全国民が絶滅してしまいます。
      あの国の監視と抑圧の手口はもっと柔らかく静かで、根深く洗練されていたんです。放送局や出版社や公社も多くはシュタージと密接に繋がっていました。社会のあらゆる部分にシュタージの神経が通っていました。ホーネッカーでさえその全貌を知らなかった位に。
      他国の人間が想像する政治サスペンス小説の様な秘密警察や諜報機関の姿とは全く異なっています。家族や友達や同僚や隣人の誰かが必ずシュタージだったんです。もはや誰を責めたらいいのかも分かりません。そこに東ドイツのトラウマがあります。

      • +14
  8. 国境警備隊もお仕事ですからねえ。スパイや犯罪者に逃げられても困るし。
    厳しいこと言うと無断で国境を越えようとする人間は殺されても文句は言えないでしょう。
    いきなりな分断で混乱はあったでしょうし、言いたいこともあるでしょうがちゃんと手続き踏めよと。

    • -12
  9. 最後の、たしか沖縄戦でも同じようなエピソードがあったな。
    ガマの中で民間人と軍人が一緒に隠れていたんだけれど、赤ん坊がぐずりだして軍人に黙らせろと言われた母親が必死に口を押さえていたら死んでしまったやつ。
    きっと極限状態で起こりやすいことの一つなんだろうが、同じような話が今でも色々な奮戦地帯で起こっているのかと思うとやるせない。

    • +6
  10. 東西ドイツと言われると、004の悲劇を思い出してしまう。

    • +2
  11. 逆にこれだけの悲劇を乗り越えたドイツはやっぱパネェな

    • +2
  12. 1みたいな話は戦場のピアニストでもあったな。
    親の気持ちを思うとやりきれんわ。

    • 評価
  13. そのデマ話を信じちゃってるヴァカって多いよなぁ

    • -7
  14. うさぎがかわいそう
    何も悪いことしてないのにひどいよ

    • +1
  15. ひとりだけ身元がわからないってすげー意外だわ。
    ひとり以外の全員の身元を調べきったってドイツ人真面目すぎだろ
    あと、「俺はそんな人知りません」ってことがないから、家族の絆もすごいってことだよな

    • +4
  16. 壁沿いにある東ドイツ側のアパートのベランダから飼い犬が落ちた話があったけど、落ちた先が二重になってる壁の間だった。
    落ちて怪我した犬がいるのは分かっていても、どちらの警備兵も助けに行けなかったが、西と東の偉い人がお互い了承した上で、3日後に東側の警備兵が救助して犬は無事に助かったそうな。
    確か壁が崩壊する少し前の話だったと思う。

    • 評価
  17. 「証言」と「本に書いてあった」をソースにするなよ。

    • +4
  18. 「証言」と「本に書いてあった」がソースにならなければ
    何がソースになるのでしょうか?
    信憑性のある話であれば「証言」と「本」も十分ソースになりますよ。

    • +2
  19. 2.名もなき犠牲者ってどっち側かは分からないけどスパイじゃないのかなと。

    • -9
    1. ※32
      ソースの意味が分からないで、ソースソース騒いでたのか。

      • 評価

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