この画像を大きなサイズで見るプラトンの洞窟(洞窟の比喩)は、古代ギリシアの哲学者であるプラトンがイデア論(本当に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚している対象や世界というのはあくまでイデアの《似像》にすぎない)を説明するため用いた比喩で、この話はプラトンが弟子であるアリストテレスに対して、「哲学とは何か?」ということを教えるための寓話。
この寓話をクレイアニメーションで再現したショートフィルムが秀逸であるとして世界中から数々の賞を受賞し、高い評価を得ているという。
洞窟の比喩はプラトンの著書『国家』第7巻に記述されている。(wikipedia)
(514A-515A) ……地下の洞窟に住んでいる人々を想像してみよう。明かりに向かって洞窟の幅いっぱいの通路が入口まで達している。人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない。入口のはるか上方に火が燃えていて、人々をうしろから照らしている。火と人々のあいだに道があり、道に沿って低い壁が作られている。……壁に沿って、いろんな種類の道具、木や石などで作られた人間や動物の像が、壁の上に差し上げられながら運ばれていく。運んでいく人々のなかには、声を出すものもいれば、黙っているものもいる。……
洞窟に住む縛められた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考えていたのだ。
そしてプラトンは、アリストテレスにこう言った。「私たちは何も知らなさすぎる。私たちは、その洞窟を抜け出して太陽を見なければならない。太陽というものは真実なのだ。そして、太陽を見ようをもがき、考えることを”哲学する”というのだ」と。
実際に体験したことですら真実でない場合がある。人間は容易に記憶のすり替えができる生き物である。最近では情報を集めるツールが多様化し、たくさんの情報を知ることができるようになったわけだが、果たしてそこに真実はあるのか?自動的に自分に都合のよい真実のみを抽出していないか?なかなか哲学って奥が深いよね。
















イデアは不動点だよ。
生成消滅する事物に対し、イデアは不変な点を見る。
物理空間と情報(精神)空間は別だけどインタラクティブなんだ
不完全性定理とか不確定性原理とかの発見で結局科学的根拠も真実とは言えないことが証明されてじゃあ残るのは完全なる主観で感じる真実のみ
世界は全て錯覚でみんなそれっぽい根拠があれば錯覚を真実と思い込む
思い込むための根拠を探したのがあらゆる学問なのかな
こころって不思議だね
要は洞窟とは人間が抱く『ありもしない幻想』を表しているんだな。
しかし殆どの場合、社会一般ではその幻想こそが真実や美徳とされているけどな。
外に出ろってことだな
マトリックスは非常に解りやすい映画だよね。
懐かしいけどこんな内容だったか覚束ない
哲学って言葉自体が日本になかったからな
現実ですら現実じゃないって意味だよ
物質は原子の集合体で、原子は量子の集合体で
素粒子は多次元から投影された影
よってこの世に現実などどこにも存在しない
そう・・・金や地位や職業、そして愛した人と自分さえも儚い幻のようなもの
物質の最小単位に分解すると
根源物質の存在がわかるって言う、科学的考察の話
人間は素粒子の単位までは分解出来たが
それが何が出来てるのかがサッパリわからないw
これをインターネッツで見ている俺たちって
部屋から出て・・・寝るヲおやすみ。
プラトンさんは元祖引きこもり…だったの?
真実や現実を見る事は辛く険しい。
それに立ち向かうのは更に厳しい。
見ないのは容易。
見てみぬふりしてるのは最悪。
結局日本人は最悪な民族だよ。
>>14
なんでその結論で日本人が最悪な民族になるんだよ
特定アジアの人モドキか中二病患者ってとこか
理屈では、暗い洞窟から出た囚人が外の太陽を見ると、まぶしくて目が見えなく
なる。外の太陽とは、知性を越えた魂のレベルの霊性をあらわすものだそうな。
日常で言うと、一瞬のインスピレーション、直観がこれにあたる。
長くは見続けられないが、暗い洞窟の中の弱い蝋燭の光よりはるかに多くの
情報をもたらすものであるということだね。
奇しくも、芸術というものは、外の世界で得たインスピレーションを
洞窟(日常的な知性)の壁に移し替えたものだといえる。
言葉で語れたり、実際目で見えているものを詩にしたり絵にしたりする
必要はないよね。ほんとうはもっと手の届かないところのものを手元
に引き寄せる行為だったわけだ。
参考:ブルーハーツ「歩く花」
(甲本ヒロトがプラトーの洞窟を知っていたかは不明だが)
哲学とか生きる上でなんか意味あるの?全然わからんw
※17は、まず、哲学が生きる上で何か意味があるのかを考えてみたらどうだろうか?
それもまた哲学だよ。
洞窟の外がどんな所か知りたい、出てみたい、という欲望なくしては、
どんな学問も※17の言うように無意味かもしれない。
洞窟の中を快適にするためのものが政治であり、洞窟の中の情報を整理
するのが学問であるから、どちらにしても洞窟の外は直接関係ない。
宗教に至っては、壁に影を作り出す炎を拝み、身の無事を願うばかりで
これまた意味がない。無駄に囚人を縛る結び目を固くするだけだ。
「汝自身を知れ」。
この言葉には、十徳ナイフほど多様な使い道がある。
哲学を使わなくても、欲望さえあれば道具の使い方がおのずと解る。
洞窟の外を知り、自分の位置を知ることは、サルが人に進化するほどの
違いをもたらすだろう。
例えばテセウスの船。
これはパラパラアニメで例えると分かりやすい。
変化が激しい絵は、動きが早すぎて見えない。
変化がゆっくりだと動きもゆっくりにみえる。
変化が無い絵は止まって見える。
常に同じ点に移るのが不動点。
すなわち変化の無い残像だ。
生成消滅する事物は変化が早いゆえに無名の存在となる。
鎖自分で引っ張って手広げてるだろw
もうちょっと壁に近寄れば楽だろうに
高次元幾何学の4次元立方体を回転させた時の3次元空間
への投影図がユーチューブにアップされてるね。
ttp://www.youtube.com/watch?v=cbprfcSVcyQ&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=G0iiVK0a6aI&feature=related
2次元空間に投影した時の図 (授業風)
ttp://www.youtube.com/watch?v=ccws454YiVM&feature=relmfu
これらの高次元を低次元へ投影して理解するという方法の
元イメージがプラトンの洞窟の比喩なんだね。プラトンは
3次元の世界の背後に4次元や高次元が上位の存在として
あり、それがイデア界だと考えたのかな。哲学ってすごいね。
>>23
面白いね。
同じく宗教で言う「神こそが全能でありすべてである」は
科学での時間の線に対して垂直に延びる5次元の「可能性」の線に
合致し、「神はその似姿で人をお造りになった」はフラクタルな相似性を、
「神(仏)の前では人は無に等しい」「神(仏)はいたるところに
あらせられる」は高次元が低次元に対して無限大であることに合致する。
0次元の点を無限大に並べたものが1次元の線であり、線分のどこを
取っても点で出来ていることはもうそのまんまだね。
プラトーの学校は科学も数学も政治学も、哲学や医学や体育まで含めて
総合的に教えていた。元々はすべてひとつだったんだよね。
多宇宙で考えればこの宇宙は安定的に存在する宇宙の一つになるだろう。
テグマークのプラトン的宇宙ていうのもあるよ。
長い時間で見れば、あらゆる宇宙は泡のような存在かもしれんね。
プラトンの対話篇に「クサンティッペ」が無いんだな。
一番立ち向かうべき相手だったのに。
>>26
だから彼は哲学者になったのさ
要するに、人間が知覚している事物は不純であるってことだと思うけど。