この画像を大きなサイズで見る権威者からの命令がありさえすれば、共感力が薄れ、他人が苦しむことになってもそれをやってのける。そんな闇が人間の心には潜んでいるようだ。
1963年に行われた「ミルグラム実験」は、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したもので、50年以上に渡り何度も再現できた社会心理学を代表する模範的なものだが、オランダで行われた最新研究では、そんな私たちの心の闇が脳レベルで確認されている。
脳領域の活動をMRIで分析
オランダ神経科学研究所のエミリー・キャスパー氏らは、ごく普通の人であっても命令されると他人を傷つけてしまうのは、他人の苦痛を認識している脳領域の活動が低下するからではないかと考えた。
そこで40名の参加者(平均25歳)にペアを組んでもらい、それぞれに「実行者」と「犠牲者」の役を割り当てるという実験を行った。
ミルグラム実験と同じく、実行者は別室にいる犠牲者に軽い痛みを感じる(と伝えられている)電気ショックを与える。そして、これを行うたびに、実行者には報酬として0.05ユーロ(6円)が支払われる。
重要なのは、実行者が「強制グループ」と「自由グループ」の2グループに分けられていたことだ。
「強制グループ」では研究者が同席しており、電気ショックを与えるかタイミングが指示される。もう一方の「自由グループ」では、開始前に電気ショックを与えるかどうか自分で決めていいと指示するだけで、研究者は同席しない。
そしてこの実験の間、実行者の脳活動がMRIで記録された。
この画像を大きなサイズで見る他者に命令されると責任をあまり感じなくなる
事前の予測どおり、研究者が同席した「強制グループ」の実行者は「自由グループ」よりもたくさん電気ショックを与えたという。
実験は計60回繰り返されたが、「強制グループ」の実行者はそのうちの半分で電気ショックを与えていた。一方「自由グループ」では平均23回だった。
また自分の行為をどう思うか質問してみたところ、自由グループの実行者の方が、より強く「ひどい」「申し訳ない」「責任を感じる」といった心情を報告していた。
さらに興味深いのは、命令を受けた「強制グループ」は、自分が他人に与えた痛みを過小評価していたらしいことだ。
じつは実験中、実行者が電気ショックを与えるたびに、犠牲者役の人の筋肉がこわばる様子を映像で確認することができた。
それを見て、一体どれほどの痛みだったと思うか実行者に質問したしてみたところ、「強制グループ」ではそれを軽く見積もる傾向にあったとのことだ。
この画像を大きなサイズで見る他人の痛みを認識する脳の領域の活動が低下
また、MRIでも命令が共感反応を変えてしまうことが確かめられている。
脳の中で他人の苦痛を認識しているのは「前帯状皮質」「線条体」「中側頭回」「側頭頭頂接合部」「島皮質」などだが、MRIの結果によれば、強制グループのそれらは活動が低下していたのだ。
キャスパー氏らは、こうした結果を踏まえて、命令は他人が感じる苦痛を認識する能力に強く影響すると述べている。
その痛みが完全に自分自身の行為によって引き起こされたものであっても、自分で責任を負わないで済む場合は、脳の活動が変えられてしまうのだそうだ。
なお過去には、誰かの痛みについて非難する人たちの脳では、前帯状皮質と島皮質が活性化しているらしいことが示唆されているという。
それとは反対に、それら領域における活動が低下している人が、自分が与えた痛みにあまり責任を感じないという今回の結果は、そうした研究と整合的であるとのことだ。
この研究は『NeuroImage』に掲載された。
References:NeuroImage / psypost/ written by hiroching / edited by parumo














兵士とかブラック企業の社員とかこの典型だよね
だけど、命令がなかったら都市爆撃なんて誰もやらないし、仮に個人でやりたかったとしても、できないわけだからなぁ・・・
個人の責任ではないよなぁ
うん、だからこそ人がやりたくないような仕事もこなせるというわけですね。
人は利己的な生き物だから、社会全体には必要な事も他人がやればいいと思いがちだし。
暴徒を鎮圧するとか、ホームレスを移動させるとか、ゴミ屋敷を撤去するとか…
これの本当に気持ちの悪いところは、自分たちが気づいていないだけで幼小期からそういった例に加担しているところ。
創作になるけれど、「ミスター・インクレディブル」という作品での主人公は保険会社に勤めていて、上司から会社の損失になるから保険金を客に渡すなというかなり冷たい指示にもこっそり反抗しているんだよね。そのせいもあって、上司にうだつは上がらないし会社にとってお荷物という扱いになる。
でも自分ならどうするかと考えると、やっぱりミルグラム実験の加害者のようになると思う。
そう考えるとやっぱりあの主人公はヒーローだったんだなって。とてもじゃないけれど真似できない。
コロナ予防の為の指示には従わないのに、拡散した責任を取らないし、自覚もないのはコレいかに?
※6
ハナっから他人事にしか思ってないからじゃない?
※6
普段、指示や命令される間柄にないかじゃないかな
悪事がバレたら即入院する人たちの行動原理が分かったような気がします
実際にするかどうかは別にして、最終的に責任を問われるのは命令を出した人間だもん。
だからこそ”ノブレス・オブリージュ”や指揮官先頭ということががあるぐらい、責任を取らない命令を出した連中が多かったんだろうし今でも多いだろう。
命令という形で意思が伝達されると、
された側は効率的にその意思を実現する様に判断力が抑制される
って言う社会的動物の生理的機能なのかもしれない
つまり「何か」に呪縛されてる人程無責任で共感性の鈍感化により共感ができない人になると
その「何か」とは無意識下のものか意識されてるものかの差くらいの違いだろうが
それに無自覚であることは論外だが、あまりネガティブな面
ばかりに目を向けるのもまた短絡的なニヒリズムだと思う。
人間社会は互いが自由を担保にして、責任を分散することで
成立してると言える。そこ生じるなんやかやは、本質的には
特定の個人・集団の正悪には単純に回収、還元しきれない。
人は大義名分があれば罪悪感など感じない
命令されたからやった。とかね
私は上官に命令されたからやっただけだ
アドルフ・アイヒマン
※18
ドイツ国民のやったこともまたアイヒマンを始めとするNSDAP
に罪を押し付けユダヤに差し出した責任回避に過ぎないけどね。
ヴァイツゼッガー大統領の「荒れ野の40年」 がその集大成。
あの演説における「罪」という言葉の使い分けの巧妙・狡猾さは
本当にお見事としか言いようがない。
>>18
私も真っ先にその男連想した
凡庸な悪は科学的に正しかった
※21
ミルグラム実験は別名「アイヒマン実験」とも呼ばれてるからね。
※18
アイヒマン裁判を丹念に傍聴し被告の為人を分析した政治哲学者アーレント曰く、人間は考えることをやめたときいとも簡単に残虐な行為を行う
「思考をやめた人間は人間であることを拒絶した者だ」
自粛警察やマスク儲のことやん
>>19
自分で考えてやってるのかな?
憲法保証されてるから拒否できるものを、「皆がやってるから」「それが正義だと(テレビなどで)言われているから」
実際は政府等からの経済的・心理的・生活への「攻撃」なのに、争いあって、非常にもったいないと思う
その結果無表情、無感情、酸素不足からIQ低下、健康も損ない子供たちにも良い影響与えないのに
危険じゃないものを危険だと思い込むのは「思考停止」だ
デカい組織の中で忠実に上に従う事で成り上がった人間がサイコパスみたいになるってのも当然なのかもしれんな。
正義の定義と似てるんだけど
こっちの場合社会の大きさに関わらないのでよりたちの悪い部分がある。
どのみち、上のせいばかりにしてられない。
「目標をセンターに入れて…スイッチ。目標をセンターに入れて…スイッチ。目標をセンターに入れて…スイッチ。目標をセンターに入れて…スイッチ」
だって言われたからやっただけだし~
俺わるくないし~
人を口説くとき逃げ道を開けておくのと似たようなことかな
社会のせいとか政治家の責任とか言っている人がいるのは
自分自身の責任の重さに耐えられないからかも知れない
>>28
それだと、命令する人がいなければやる人が少なくなる説明にならないよ
それが「命令」になってしまう原因として権力者である政治家や、命令に従わない者を排除する社会の仕組みがある
だから、その「命令」が政治家や社会のせいだと気づける人が多い方が「命令」の間違いに気づける社会だと思う
※39
3回読み直したけど何を言ってるのか全然わからん
かまいたちのネタかと思った
個人主義的な時代なんだから、管理者や監督者などを責めるのではなく、個人に帰責させるのが妥当かもね
従うと決めたのは、信じると決めたのは、選んだのは、自分の意思だ
都合の良いことにばかり個人の自由とか権利とか尊重・保護させるけど
>>29
命令が存在するということは命令をする人がいるということだよ
その命令の元を改めず個人の責任として個人を責めるのは問題を矮小化している
まぁ、貧困や犯罪や暴力などの問題を見て「俺には関係ない」「個人の責任だ」と思うこともまた痛みを感じないことと同義だけど
かといって虐めるなとか配慮しろと指示命令しても
そういう方向には優しくなれないからなぁ…
> 心の闇が脳レベルで確認されている。
それは多分心の闇ではなくて生存における合理性。
原始生活時代の、他部族との闘争において自分が所属する部族を勝利させるためのやつ。
限られた食料しか無い中で敵対者を速やかに始末できなければ、敵も味方も十分な食料が得られず全員が飢えて死ぬだけ。
当然、職業軍人なんているわけもない時代。
戦争は全員参加で、部族の指導者が「戦え」と言った時、共感性もろ出しで「かわいそうだから嫌だ!」なんて言う奴が居た部族は皆死んで、淘汰された結果だろう。
指導者の号令一下、グダグダ言わずに速やかに敵を倒し、食料を確保できた部族だけが、今生きている人類の祖先になっている。
いうても大義は兵士に教え込まないと持たないよ
福祉課を希望するほど優しかった女性が
政令指定都市のケースワーカーになってから
相手の身になって考えることをやめて冷酷になった
>>34 不正受給とか、生保ビジネスとか、労働意欲なくした受給者とか、生活保護の実態を色々知っちゃったんだろうな。
老人を虐待する介護士、ネグレクトする母親、異様にやる気のない教師、いろいろだな
「知ってた」というに尽きるね
それよりも知りたいのは、利用者のアカウント削除の場合などネット関連の場合がどうなのかだよね
なぜ倫理は失われる傾向にあるのか?
命令を出す側も自分で直接手を下すわけじゃないから責任を感じないんだろうな
実験は計60回繰り返されたが、「強制グループ」の実行者はそのうちの半分で電気ショックを与えていた。一方「自由グループ」では平均23回だった。
半分は電気ショック与えなかったんだね。
逆に命令されなくても1/3は電気ショックを与えた?
現実では、これにさらに「命令に従わなかった場合の罰」も加わるから、そうなると命令されても電気ショックを与えない人は相当減るだろうな。そして、多くの犠牲が出た後で、誰も責任を取りたがらない。
本当に誰も望んでいないことが行われたのだろうか?この結末を喜んでいる者はだれなのだろうか?
また別の視点だけど、
「ほかの生き物を食べる」という行為について、罪悪感が伴うのか原始的な命題がある。
「遺伝子・DNAからの命令」だから仕方がないと解釈すれば良いのか、
それとも、倫理的規範を人間が勝手につくりだし、独りよがりに罪悪感を感じるようになっているのか。
集団組織を継続するために「秩序」は必要になるから、事案によっては、善・悪を切り分けるのは難しい。
これ分かるわw
仕事って割り切ると相手を騙す事に全く抵抗が無くなるし罪悪感が皆無で記憶にも大して残らない。
仕事じゃ無い場合物凄い抵抗を感じて後々になっても思いだすんだよな、夢に見る事もあるし・・・