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新たな発見によりイースター島のモアイ像についての理解が大きく変わる

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(著) (編集)

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Lindrik/iStock
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 チリ領のイースター島(ラパ・ヌイ)には、人面を模した石造彫刻が海に面した高台に並んでいる。これらはモアイと呼ばれており、建造中に放置されたものも含めると約900体もある。

 何百年もの間、島の風景を見つめ続けてきたモアイ像は、これらを作ったポリネシア社会の習慣や崩壊を含め、長い間、研究者たちの関心を惹きつけてきた。

 これほど大量のモアイ像はいったい何のために作られたのか?像が象徴しているものは何か?様々な説が提唱されるも、その謎は完全に解明されていない。

 だが、今回の新たなる発見は、モアイ像に関する理解を大きく変えることになるかもしれない。 

モアイ像の採石場の土壌を分析

 モアイ像の90%以上は、ラノ・ララクとにある採石場で作られた。ここは島全体の1%にも満たない凝灰岩でできた火山の噴火口だが、巨大なモアイ像を作るための大量の石はすべてここからのみ採られている。

 ここの土壌を分析したテネシー州サウス大学の地質考古学者、サラ・シャーウッドは、ラノ・ララクにあるのは、石だけでないと言う。

ここの土は、意外にもカルシウムやリンがかなり豊富であることがわかりました。つまり、ここの土壌には、植物の成長やその収穫量を高めるために、化学成分的に重要な要素がそろっていることということなのです

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abriendomundo/iStock

モアイ像の採石場そのものが神聖な場所だった

 これまでは、この採石場一帯は、モアイ像の生産現場であり、それを島のあちらこちらに運ぶための一時的な置き場だったというのが定説だった。

 しかし、この採石場に残された400体近いモアイ像のいくつかは土に埋められ、砦のようながっしりした岩の構造物で支えられている。

 これらのモアイ像はもともとここに設置されていたものなのだ。採石場自体が島民にとって神聖な場所であったということを示しているという。

島のほかの場所の土は、急速に疲弊・衰退して、植物に必要な栄養素がなくなってしまっていました。

でも、この採石場では、採石作業の過程で出る基岩の小さなかけらが常に入り込むため、水分や自然の肥料、栄養素がフィードバックされるシステムができあがっているのです

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Easter Island Statue Project

豊かな土壌を持つ採石場は農業の聖地

 土壌の豊かさもさることながら、採取サンプルの中にバナナ、タロイモ、サツマイモ、カジノキなどの古代の作物の痕跡が見つかった。

 これらの証拠はすべて、ラノ・ララクの採石場がモアイの生産地だっただけでなく、当時のラパ・ヌイ社会が必要な食物を育てるためにここの豊かな土壌を活用した、少ない労働力で生産性の高い耕作地だったことを示している。

こうしたデータや、ラノ・ララクの儀式性、巨石の一大原料地であることを考えると、大胆な新説が出てきます。

ここの土壌・堆積物自体が、守らなくてはならない貴重な必需品で、生産性の向上を必要とする土地を豊かにするために、ラノ・ララクからが土が運ばれていた可能性があるということです

モアイ像は採石場を見守っていた

 それでは、なぜ、モアイも作られた場所である砦の穴に建てられたのだろう?

 モアイ像は、祭祀目的で立てられ、豊穣の儀式と関係していているという説があるが、今回の研究者たちの現地調査が、科学に基づいた証拠を提供しているという。

 砦のような穴が掘られていたのは言うまでもなく、モアイ像がこの緑豊かな楽園を見守るために建てられた可能性が高いことを示している。

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abriendomundo/iStock

 「今回の研究結果は、ラノ・ララクにある像がすべて、石切り場から運び出されるのを待っていたという説を劇的に変えます」UCLAの考古学者ジョー・アンネ・ファン・ティルブルフは言う。

ラノ・ララクに置かれているモアイ像は、採石場そのものの神聖な性質を確実なものにするために、ここにそのまま置かれたのでしょう。

モアイは豊穣という考えの中心になるもので、ラパ・ヌイでは、モアイがここにあれば農作物の生産にいい影響があると信じられていたのです

 この研究論文は、『Journal of Archaeological Science』に発表された。

References:foxnews / sciencealert.など/ written by konohazuku / edited by parumo

追記:(2020/1/20)本文を一部訂正して再送します。

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この記事へのコメント 35件

コメントを書く

  1. 結局の所、何故モアイの形になったのか、始まりは一体何であったのかは不明なんだね
    文化的理由が解明される時は来るのだろうか

    • +13
    1. ※3
      もう、ほぼ解明してるよ

      イースター島に住んでた人達の祖先は、台湾南部のランユー島のタオ族だって事が分かってる。その一部がタヒチ方面に渡ってイースター島にたどり着く。DNA調査で判明したのよ。DNA調査って凄いね。
      途中のタヒチにはティキという石造があって、モアイ像の初期の形のトゥクトゥリの元になった。ティキは足のある正座した石造で、トゥクトゥリにも足がある。モアイは13世紀に足のある石造から始まって、14世紀には顔と上半身だけになって、その後巨大化していく。

      まぁ、全て受け売りです。
      その他の情報も詳しく調べて解説してるので、ご興味があれば「超常現象の謎解き」というサイトのイースター島のモアイ像の項を一読を。

      • +12
      1. ※12
        それも仮説の一つで、ほぼ解明は言い過ぎなんじゃないか?
        判明したのは、ある時期に南太平洋系の民族が入植していたらしいって事だけだもの。
        彼等が最初の入植者であった証明にはならないし、南米や中東地域により類似した石像がある事や例の解読不能な文字の由来についても言及されていないから。

        • +16
      2. ※12関して

        誤解が生じるとアレなので注釈を
        受け売りなのはコメントを書いた私で、案内したサイトの管理者さんは細かく資料に当たって調べて解説されてるきちんとされた方です。

        • 評価
      3. ※12
        それ結局どういう理由で作られ、何故人型なのかの説明にはなってない……

        • +9
        1. ※20
          ティキと同じなんじゃないの?
          要するに、村の守り神的な物であり、同時に共同体が結束を固める為のシンボル。
          人型なのは神様を模ったから。

          • 評価
  2. 無機肥料という大発見もモアイの神秘に帰せられてポリネシアに農業革命を起こすことなくモアイと共に歴史の影に埋もれていったんだな

    • +10
  3. よくわからない。
    「モアイが自ら歩いた」との伝承から、立位で移動させた実験が成功したこと
    「海のほうを向いて立つ」理由、おそらく見張りであったこと
    あるいは本体とは違う石で帽子や目が作られている目的
    これらについて説明なしじゃないか。

    • +3
    1. ※6
      男性だと思われる
      全身の写真見ると体つきもそうだし
      さらによく見ると股間のところに”何か”が着いてるものもある
      守護する役目を担ってるというのなら戦士像だろうしなおさらだと思う

      • +3
    2. >>6
      宮崎県の日南市にあるモアイを観に行った事があるが、股間のところにアレがしっかりと備わってましたよ

      • +2
  4. 採石場の石をよーく調べてごらん、「500万の貸しがある」っていう腕利きの医者の書き残した碑文がきっとあるよ。

    • +2
  5. 農業に関わり有るのか
    じゃあ野生動物に対する案山子的な意味合いとか…ないか
    流石に人には見えんよなw

    • -2
  6. マリオとかパロディウスとか
    攻撃してくるモアイも
    昔は結構いたけど最近のモアイは
    攻撃してこないな。

    • +10
  7. 関係ないけど、お台場ガンダム見るとこれを思い出す。

    • +6
  8. モアイの運搬のための丸太作りで森林がなくなって自然破壊が進んだなんて説もあったけど逆ってことでFA?

    • +4
  9. モアイというと、バンダイエモーションの
    ビデオ作品の最初に出て来るモアイ画像が思い出される

    不思議大好きって気持ちは、何時だって持ちたいものだ

    • +7
  10. 多くのモアイ像は、像を作ってから動かしたんじゃなくて
    石を動かして設置してから像を作ったんじゃないかな

    • 評価
    1. ※19
      そうかなぁ?全てではないのかも知れんが、
      石切り場の中に、寝かせた状態で半完成状態まで作られて、
      現在に至るまで放置され続けているモアイ像も有るのだが?
      この例を見る限りでは、…完成させてから設置する場所に運んだ…
      なのだけどね?(例外は有るのかも知れんが)

      • +2
  11. かなり興味深い仮説だと思った。

    過去、多くの研究報告から、モアイの建設がかなりの長期に渡ったことはほぼ間違いなさそうだし、当初の目的を見失ってから建造・設置されたモアイもあるだろう。
    今回の仮説は、その最初期の目的や機能の推察として、大いに考証の余地がありそうだ。

    • +5
    1. ※22
      最初期?
      モアイ作ってみた。→モアイ作ると作物がよく育つ。→よしモアイ作り続けよう。
      むしろ後期じゃ?

      日本でも雷が鳴ると米がよく育つことを知っていたのであの光を稲妻と呼んでいたそうだ。
      どこの国でも作物が育つことには敏感なようで。

      • +3
  12. なんとかダイアモンドの本だとすごい痩せ細った土地で芋くらいしか育てられんかったって書いてたからそう思ってたけどやっぱいろいろ読まないとだめだな

    • +3
  13. モアイの運び方は実証実験が行われているぞ
    縄を括り付けて交互にずらしてまるで歩かせるようにして運ぶ

    • +1
    1. ※26
      それ割と有名な実験だけど、
      イースター島で昔に実際にどうやって居たかは不明なんだよね
      ただ『モアイ像は自ら歩いた』という伝承が島に残っていて、
      それを元にして考えられた検証実験だった訳で

      • +3
  14. 神聖な場所ねぇ…イースター島のことよくわからんけどまぁあの巨大なモアイ作りまくってたのはすごいと思う。
    ポリネシアで思い出したけどモアナと伝説の海、めちゃ面白いで。

    • +2
  15. てっきりモアイに無機肥料が豊富に含まれてて農業したいところに立てることで肥料を周囲に拡散する役割を担ってた、ということかと思っちゃったよ。
    モアイ自身はただの石か、やっぱり。

    • +3
  16. 日本にも猿石というモアイと同根と思われる石像があるのだったっけ?

    • +1
  17. 途中までは、モアイ像は、実は農業用の肥料(無機肥料)だったとかいう結論かなぁと期待してたんだけど、なんだか最後は、宗教で決着るけちゃったね

    • +2
  18. (º﹃º )儀式的な感じで畑に埋め込んで豊作を祈願する為のモノ?
    とか想像してたけど結局何が言いたいのか、よくわからん。

    風土記では豊作を願って生命エネルギーの象徴とされる動物の血を畑に撒く
    儀式があった云々の話を読んだことがあってその類ならあるだろうな、と思った。

    見守ってたってそれ昔っからの見解と全然変わってないんじゃ・・・。

    • +3
  19. モアイは歩いた…
    倒れたモアイは石切場から海辺へ転がる…
    ゴロンゴロンゴロンゴロンゴ…

    これが古代文字ロンゴロンゴのはじまりである…!

    • 評価
    1. >>35
      古代文字の呼称の語感めっちゃ好き。

      • 評価
  20. 海の風が土地を枯らしていく、と考えていたんじゃないの?
    それを防ぐ目的で豊穣の地の石切場から「豊穣の守り神」としてモアイを各地に派遣していたのかもしれない。
    その石像は海風で削られリンを撒き散らし、後方地域の植生を支えていた時期もあったのかもしれないな。
    ただ、彼らはそれが「なぜそうなるのか」がわからず神の恩恵と捉え、モアイを立てれば穀物が育つ、と信じてとにかく作り続けた、ということかも。

    • 評価

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