この画像を大きなサイズで見る仏教の教えによると、自己は幻想だ。仏教は、本質的に自己などないという世界観を説き、欲望を捨て、自分への関心(エゴ:自我)から距離を置くよう勧める。これを実践するために世界中の人々が行っているのが、ヨガや瞑想だ。
しかし最近発表された心理学の研究結果は、そのアプローチと真っ向から対立している。瞑想やヨガによって実はエゴが膨れ上がるというのだ。
ヨガや瞑想で高まる自己高揚感
『Psychological Science』に掲載された論文では、瞑想によって自我を克服するという仏教の教えは、いかなるスキルであれ練習すると自己高揚感(self-enhancement/膨張した自愛を表す心理学用語)を育むというウィリアム・ジェームズの理論と矛盾すると論じている。
大まかに言って、ジェームズの理論を裏付ける証拠はかなりある。しかしドイツ・マンハイム大学の研究チームは、ヨガと瞑想という文脈における同理論を検証することにした。
ヨガ教室の生徒を対象に自己高揚感を測定
研究チームは、ヨガ教室の生徒93名を対象に15週間かけて自己高揚感を定期的に評価した。測定法はいくつか採用された。
一つ目は、ヨガ教室の平均的な生徒との比べてどうかと尋ねて自己高揚感レベルを測定するやり方だ。二つ目は、自己愛傾向を測定するアンケートだ。
アンケートは、例えば、「自分はこれから行う善行によって広く認知されるようになるだろう」という文が自分にどれだけ当てはまるかといった設問に答えるものだ。三つ目は自尊心スケールで、被験者に「現在、自分は高い自尊心を持っている」といった内容に同意するかどうかといった質問に答える。
ヨガのクラスを終えてから生徒を評価すると、三つ全部の測定法で、24時間前に比べて自己高揚感が有意に高まっていた。
この画像を大きなサイズで見る第二の実験は、瞑想を行なっているフェイスブックのユーザー162名を対象としたもので、瞑想にもヨガと同じような影響があることが明らかになった。
こちらの研究では、「本研究の平均的な参加者と比べて、自分は偏見が少ない」といった内容への回答を元に評価した。
研究では、人生の満足度スケールとエウダイモニック・ウェルビーイング測定という二つの測定法(自律性、環境の支配、個人的成長、他者との肯定的な関係、人生の目的、自己受容に関する幸福度を評価)を用いて、被験者を評価した。
その結果、自己高揚感とともにウェルビーイングも上昇していることが判明し、自己高揚感は瞑想によって得られる幸福感の向上と関連していることが示唆された。
この画像を大きなサイズで見る自我は静まらず、むしろ高まっている
この結果は、ヨガや瞑想といったスピリチュアルな仏教徒の実践が、彼らが主張するような効果を発揮していない可能性を示している。
「自我を静める行為は、ヨガや仏教などの中心的な要素だ。その要素と想定されている意味合いを真剣に再検討しなければならない」と論文は論じている。
「さらに、心と体の実践による幸福に対するメリットの説明として、しばしば自我が静まるためと言われることがある。対照的に、我々が観察したのは、心と体の実践が自己高揚感を増大させ、それによって幸福感が向上していることだ。」
ヨガや瞑想のやり方が間違っている可能性も
だが別の説明もできるかもしれない。被験者がヨガや瞑想のやり方を間違っているという可能性だ。
被験者は全員ドイツで募集されたが、多くの学者は西洋人の仏教徒は無我を目指す実践ができていないと考察している。
ヨガや瞑想は本来自我を静める方法をとして意図されたものだったが、非仏教徒の実践者はこうした活動を自己の向上や不安を解消する目的で行なっている。
この画像を大きなサイズで見るヨガが自我を弱めるどころか強めるという意見は、ブランド物のスポーツウェアを着込んでヨガに勤しむいかにも聖人ぶった人間に出会ったことがある人にとっては、意外でも何でもないかもしれない。
しかし今回の研究は、仏教の教え自体が自我を拡大させるかどうかまでは調べていない。
ヨガだけでは自我を解消するために十分ではないのかもしれないし、たった1本の心理学の研究で数千年におよぶ仏教の教えと実践を否定できるものでもない。
References:mentalfloss / eprints / qz/ written by hiroching / edited by parumo













現代でわざわざこういうことやるのは正にカッコつけだしな
そらエゴですわ
※1
中年になると、カッコ付けのためにわざわざアレコレしなくなるんだ。
むしろ健康にかなりの興味を惹かれる。
※1
了見が狭すぎる。
ヨガは体をのばして体に負荷をかけずインナーマッスルを鍛える良い方法の一つなんだよ。
皆が皆、自分と同じように薄っぺらい人間だと思わん方がいい。
あまりよくわからないけど
そもそも瞑想と仏教って同じものじゃないんじゃないの?
禅宗とかが座禅を組むのは単なる瞑想とは全く違うとか
何かの本で読んだ覚えがあるんだけど
※2
なんだか色んな宗教や宗派がごっちゃになってる感あるよね。
いわゆるイメージングって意味での瞑想と違って無我ってのは「今、この瞬間」に集中することだと、最近本で読んだ。あれこれ考えたり、個人的な意味づけをせずに、今起きていることをまっすぐに見つめてありのままに受け止めること。結果、行き着くのはよく言われるトランス状態とかとは真逆の「目が覚める」ような感じ。
逆に瞑想でリラックスしたいとか、生活を向上させたい、より良い人になりたいって、何かを得ることを期待してしまう時点でそれはエゴ。意味なんてない、別に得るものもないけれど、ただ、「今」をひたすら感じるってのが正しい心構えらしい。
※55 『今この瞬間しかない』『トランス状態とは違う目が覚める感じ』って、過集中してるときそういう感じになるけど、もしかするとあれ、瞑想の目指す意識だったの?!(診断済みADHD)
確かに視界は広めだし、世界が(光度的に)明るく感じるよ。普段気にしない細かい部分もよく見える。時間経過の感覚ないし、自分の感情とかもどっか行って認識されない。
脳に余力がないんだと思う。感情と時間担当の回線までこき使って目的達成しようとしてる感じがある。なお目的はとても俗っぽく、過集中が必要になったのも先延ばしのせい。
……ちょっと不安になってきたんだけど、極端な集中の間にこうなってるの、私だけだったりしないよね?診断済みの仲間のみんなはときどき、一般のひともたまにはこうなるよね?
私は任務遂行のためにエゴを強化した存在だ!
欧米人らしいね、としか。
ヨガ教室では仏教の教えも学ぶの?
GTA5のマイケル思い出したわ
逆襲のシャアのクェスパラヤかな?
この論法では禅寺はエゴイストの集団になってしまう。
※9
出家した者に逃げ場は無く、隔絶された閉鎖空間でいじめの巣窟になっていて、そういう苦と対峙し、そんなものにとらわれない心、つまりエゴのない境地を目ざすんだそうだ。エゴがないということは、いじめられる「私」もいないからいじめなど存在しないことになる。修行のためと称していじめも肯定される。兄弟子の愛のムチなのだと。自殺者をふくめ死者が出れば「悟りを開いて解脱された」という扱いになる。葬式はお手のもの。
逆に抑うつ傾向で自信が全く無くなってる人にヨガは有効ってことかね
※10
人によるかと…
自分は鬱気味の時、気分転換でやったことあるけど、
高揚するどころか「やっぱり自分は頑張ってもダメなところばかりだ…」って自己否定が加速した‥
(もしかしたら、瞑想&ヨガの方法が間違っていたのかもだけれど‥)
※51
「何も考えない。
雑念が湧いたとしても、すぐに何も考えない状態に戻して、
それを長時間持続する。」
なんて簡単に言ったもんだけど、
くよくよした精神状態のときって、次から次に悪い考えばかり思い浮かんじゃって、
これが本当に難しいのよね。
※51
俺自他ともに認めるネガティブなんだけど
あーあぁ、どうせ自分なんか何やってもだめだうまくいかねぇ、頑張るのも無意味だ
だから力抜いて楽しめることやろっ
って思ったら途端に気が楽になったよ
※10
マインドフルネスなど瞑想をすると鬱がひどくなることがあるので、医師に相談して行うようにと言われているよ。
※68
「今」に集中するから、鬱の人がやると「鬱を患っている自分」が強化されてしまうのだろう
※10
むしろそういう回復を必要としている人が門を叩くからこそ
正常な状態に回復される経過として自我が高まっているのかもね
ゼロが理想的な状態なら、ゼロからプラスへの増加は悪化だが
マイナスからゼロへ向上なら正しく変化していることになるし
エゴとは何かという定義から始めてください
※12
ほんとこれ。
解釈の仕方によっちゃ、人間が生きる上で必要な誇り、尊厳、自尊心さえもエゴ扱いされてしまう。
「人間は他人の都合だけで動くロボットになるべきだとでもいうつもりか」って反発する俺のような人が現れるぜ。
リフレッシュしてもうひと頑張りっいうあれだよね、あの「今の自分ならなんでもできそう感」をエゴが強まったと見てるわけだよね
欧米じゃ根本的な価値観の違いがあるから、仏教の教えと違うことしててもまあしょうがない
根拠なくても自分に自信を持つというのは未知へのチャレンジには必要なものだから、自己暗示として利用する分にはヨガでも座禅でも好きにすればよろしい
まさに、ひとりヨガり(ドヤァ)
※14
あー、コレはエゴが高まってますね
>>ヨガや瞑想は本来自我を静める方法をとして意図されたものだったが、非仏教徒の実践者はこうした活動を自己の向上や不安を解消する目的で行なっている
根本的な部分で間違えてますやん。包丁の持ち方を間違えて、刃を握っておきながら怪我したのは包丁のせいだ!って叫んでるようなもんです。
祖師を見たら祖師を切り、仏を見たら仏を切る。
その境地に至らずに、仏を見て満足している状態。
全ての人が解脱を目的やっているわけではないって事か
ファッションヨガってやつか?
ヨガと瞑想で解脱できると考えるのは、ボルダリングジムに通えばエベレストの氷壁を登れるようになると考えるくらいのものじゃないかな。行為者の目的が違うのだからその文脈でのテストは的が外れている。
>ブランド物の服に身を包み~ワロタ
自信を無くしている時や自己評価の低い人にはやっぱりいいんじゃないかな?
これ研究結果が間違ってるんじゃないのか?
エゴが強化されてるんじゃなくて
精神が強化されてるのを勘違いしてるとか
記事にもそれっぽいこと書いてあるけど、彼らは「神秘的なことをやってる私」に酔ってる意識高い系だから自己顕示欲ありまくりだと思うw
小乗仏教と大乗仏教の違いを知らないとね。
※23
上座部
仏教とヨガは別物だと思う。 ヨガってヒンズー教の修行の一つじゃないの?
昔、ヨガってる友人から聞いた。
宗教家が修行で行うものとはそもそも目的が違うでしょ
街のヨガ教室だのは元から自己意識高い系しか通わんでしょ
むしろスピリチュアル系が目指すところって自我の局地なんじゃ?
自分の中に想像上の神を確立させようってわけだし。
自我とか瞑想とかは極めて主観的な体験なのに、客観の物差しでは測りきれない。
自我を克服すると言うことがどういうことか、先入観で測ったところで何もわからない。
「オタクは気持ち悪い」みたいな思い込みではなく、自分が本当に体験している事を大事にしてほし。
僧になったり出家したりしないと意味ないんじゃないか
〇〇教室だと単にスポーツジムに通うのと変わりない
ヨガとか気功とか禅とか、瞑想をともなうものはちゃんとした指導者のもとでやらないといっちゃった人になる危険があるから自主練ではやっちゃいけないと武道で読んだな
本来のヨーガはヒンドゥー教の行者が解脱のために編み出した技法なわけで、肉体以上に精神の修練が重要視されること、そのための信仰や心構え・食事や生活の習慣まで勉強しないと意味がないんだけどね。
いま欧米で広まってるヨガは、ここ2、30年で新しく作られた流派ばかりで、本来のヨーガと随分かけ離れたものになってしまった。
ただ、本物ヨーガはインド人以外が学ぼうとするとかなりハードル高いよね。日本だと絶対にお巡りさん呼ばれてしまう。
禅宗の用語で言う「野狐禅」「天狗禅」「魔境」「魔道」だよな。
それこそ大昔からそういうのはいたらしい。
「天狗になる」という慣用句も、もともと変な瞑想や修行で異常な自信をつけておかしくなった行者を指しているという説もあるらしい。文字通りの意味で自我が異常に肥大して天狗になるわけだな。
※32
ヴィパッサナー瞑想でも、その境地にとどまってはいけないって
戒められているよね。
使用方法を間違っている人をアンケートしても意味がない。
人によってはビジネスのためのヨガとか瞑想とか禅とかだからな
良いのか悪いのか知らないけど…
ただ寝てるんじゃないの?
悟りを目指す仏教の瞑想と、ストレス低減なんかのために宗教性を徹底的に排除して行う瞑想やヨガは全然違うと思うし、比べるべきではないと思う
魔境ってやつだな
京極堂シリーズで読んだ
ひとりヨガりってか!
てか!?
ひとりヨガりという事か
まーなんだな。俄かじゃ効果ないってことだね。
研究者の方もよくわかってないで、研究してるみたいだしな。
ヨガクラスの生徒対象じゃなくて、ヨガマスター対象にしたら、また違う測定結果が出たかもしれないし、測定結果がこうなったからといって瞑想が自我を強めると結論づけれるわけでもない。
この現象は「魔境」と呼ばれるもので、通過点の一つであって、到達点ではない。
俺は幼少から剣道を25年間続けて、厳しい稽古や真剣勝負の中で欲を抑えて何事にも我慢強く取り組むことを学んだ。彼女はまさにヨガと瞑想をやっているが、自由だ自立だと豪語し、自己中心的で人の気持ちをまるで無視した傍若無人な態度をとる。女性誌などではインナーチャイルドとか自己肯定感とか訳の分からんことを言っているが、あれはアジア文化にはそぐわない。本来、目指している悟りの部分とはまるで逆だと思う。
※41
その女性は神っぽい何かに同一化しすぎて、自我(ぶれない自分が存在する感覚)が
崩壊してるんだよね。武道の修練は困難を通じてぶれない清明な自我を作れる可能性が
あるから、あなたがおっしゃっていることはとてもよく分かる。
この実験だけではなんとも言えんけど
アクション映画を観たあと活動的になっちゃう心理状態に近くね?
今の日本で自分が想像するところの無我を求めるとしたら
娯楽を消費し続ける世俗に塗れた人間像しか想像出来ないや
ただ自分は無我とは何か、を求め続けている訳ではないから
無我の境地を極め続ける人の意見を聞いてみたいところだね
瞑想の本来の趣旨は「漠妄想」、
要するに、「余計なこと考えるな」「人間の言葉で考えるな」なんやで。
多分瞑想の仕方が間違ってるw
記事の内容や研究自体が西洋的ニュアンスすぎて理解が出来ないぜ
世界で一番大切な自らの精神をしがらみから一時解放できて、やる気も上がる。
悩みある現代人は坐禅を是非ともしてほしい。
他者にエゴと呼ばれているからやらない、周りの目を気にしてやらないという人こそしてほしいな。
ヨガ教室に通ってるような意識高い系と
Facebookでヨガアピしてるような人にアンケしたら
情報が偏るような気がするけどひっそりヨガしてる人に
アンケ出来ないからしょうがないか・・・
だから戒律あるんだけどね。そしてそこを超えないといけない。
あと、だいたい西洋人(に限らず)一般人はエゴのために瞑想やヨガ始めてるだろ
エゴを見つめる自分を観察する自分を認識する自分を感じる自分を……(以下エンドレス
つーか、瞑想で魔境に落ちた例を出されて「エゴが強くなる」なんて言われても「やり方が間違ってる」としか言えんわな。
業界用語を使ったからウザいのではなく、業界用語を使おうとする奴がウザいのだ
…と同じ
日本の西洋魔術研究者とその信者の多くがイッちゃっているのと同じね。わかるわかる。
瞑想のエゴ云々は知らんけどリラックスできるからおすすめしとく
エゴは弱まらないかもしれないけどイライラは抑えられるよ
イライラが、自身の考えへの固執などによるもの=エゴと考えるのならば、合ってるんじゃん。
そもそも無我がどういうものかを知ったうえでそれに向かってやってる人は少ないんじゃない
誰も僧になろうとしてるわけじゃなし
そりゃ、僧侶や導師になるための修行法をただの煩悩丸出しの一般人がやってるんだから結果は違うわな
欧米の人の実践するヨガは無我を目指すというより
自己研鑽とか身体トレーニングのためと考えてる人が大半だからなのでは
自我を捨てるのではなく自己を高めてると考えるからエゴも強まる
ヨガとかゼンは、あっちじゃ意識高いかそれをこじらせた系が率先してやってるイメージがある。
門前の小僧の方が、より仏教を理解してそう。
目指すところが違うのか、そもそも始まりが間違ってるのか
あんまりわからんけど、解脱するより自己肯定をするためなのか?
間違ったものが逆輸入されなきゃいいけど
自我が高めることは自分を制するということだ。ヨガも座禅も武道も行き着くところはそこなんだと思う。しかし、我儘な自分が優位に立っているということは「イド」が高められてしまっている。これでは人間としての退化を意味する。多くの女性がスピリチュアルにハマってしまうのはフェミニズムの現れなのかもな。
あなたエゴが強いから瞑想したほうがいいわよ!っていってるアンタがエゴ丸出しだったわけだ。
言ってることはそれらしいことが多いけど、なんか鼻につくなぁと思ってた。
エゴから距離を置くって言うか・・・
うまく言えないけど、エゴから距離を置こうとする自分すらも消し去るのが目指すべき境地なんとちがうん?
半可通が半可通を使って行った半端な実験という気がする
ていうかヨガと仏教って別のものじゃね?
瞑想と坐禅はまったくの別物なんだよ
坐禅は元々自我がなかったことに気付くことだからね
インドで云十年の修行してるとかならともかく、欧米のヨガブームはファッション感覚で、やってる自分に酔ってるだけだと思ってたわ
エゴが悪いものとか逆に良いものとか考えるのが間違いじゃないだろうか。
空腹が良いとか悪いとか言うみたいに。
この研究が示すのは、ヨガや瞑想をしたあとにエゴが強くなったということだが、
おそらくそれは健全なことなのだと思う。
ヒンズー教やジャイナ教では、教義の中で自分への愛を全ての関係性の土台と位置づけてるから、何も間違っていないのでは?
研究者さんの背景の勉強不足なような気がしなくもない。
みんな正しい瞑想が出来てるのか疑問。
2ヶ月ぐらいがんばったけど未だに数分しか出来ない。どうしても自動思考に引きずられるよ。
別にそれで幸せな生活が送れてるならそれでいいと思うけど
まあ目指すところが違うなら瞑想と呼ぶのは止めた方がいいかもね
ヨガに通ってる職場のおばはん、無茶苦茶マウンティングして鬱陶しいけど
それはヨガに通う前からだったしな
むしろ逆で、ヨガの持つイメージがそういう人間を引き寄せているのでは?
結論ありきで無理やりこじつけた研究結果な気がしてならない
私は動く禅と言われる太極拳してるけど、師範はほとんど自己顕示欲の塊だよ
師範同士で争ったり批判し合ったりしている
創始者は「みんな仲良く」って教えたのにね
何かを極めると驕り高ぶりに勝てないのかと
解脱したい悟りを得たいと思う事がもう欲望でありエゴだしね
そんなのが集まってくるから教祖って意外としんどいって聞いた事ある。
エゴの種類・内容によるよね
本来は?究極的には?一切の欲求や雑念を捨てようって教えなのかもしれないけど、今こういうのやってる人って要はストレス対策でしょ
煩わしい世間や他人、あるいはそれらに対する自分の感情等のストレスから解放され、自分にとって気持ちいいことだけしたいって言うある意味自己愛の追求
他人に押し付ける類のエゴじゃない限り、そのエゴは望ましいものじゃないのかね
まぁそういう押しつけがましくウザそうな人もいるだろうけど
一人でやるか、集団でやるかの違いだけやん。
先生ならリーダーシップを取らざるを得んし、
一人で黙々やってれば、自分こそ崇高と思い込む奴も出て来るわさ。
「魔境」のことだろ。 瞑想やってる人間からしたら常識やで。
だから瞑想はネットや書籍で聞きかじった独学や我流でやってはいけない。
ちゃんとヨーガを学んだ人や、お寺の住職さんみたいな「教えることが出来る」から習得しないとダメだよ。我流の瞑想は特にこの「魔境」の状態に陥りやすい。誰からも添わってないし、指摘もしてくれないからね。自分は出来てるつもりを勘違いしてしまう。
魔境は瞑想初心者や中級者が自分はキチンと「いい感じ♪」に瞑想が出来てると勘違いして独りよがりになる現象。
瞑想における初心者あるあるというか、誰もが一度は通る道。最初の壁だね。
これは合ってるというか昔から言われていることですね。古今東西修行者は自己中心的で自身の修行ができればあとはどうでもいいというのが本音、としばしば指摘されています。たとえば仏陀はそのような修行法を非難していました。
ですが、このあたりは難しいもので、内面探索型の瞑想は常にこうした意志の混濁との戦いがあって、だからこそ宗教などで扱われているような強固な象徴を一種の命綱にするのですが、技術だけでも有用なことがあるので、これを否定するのも現代ではお門違いでもあるでしょう。必要ならそれはリスクでもネガティブな面でもないという解釈が相応しいでしょうか。
スピ界隈で言うエゴってのは自作自演で自身の行動を制限する不要な空想の事であって脳内でそこの重要度を下げる事は外界で何が起きても軸がぶれない自信を付ける事とイコールだから別に相反する事じゃない
コメントを書き込んでいる時点で自己顕示欲が強いですよね
ドイツのヨガ教室で仏教を学ぶと英語が上達するって?
瞑想というのは、手法も目的も様々なものがある。
「間違った瞑想」が無いとまでは言わないけど、「正しい瞑想とはこうあるべき」って一概に言えるものでもないと思う。
瞑想すれば現状に対する不満が解消されて、
仕事の能率が下がる、と言う研究もあったな
癒しや安寧を求めて瞑想するのはともかく、
「社会で成功するために瞑想する」ってのは
案外間違えた選択なのかもしれんな
>文字通りの意味で自我が異常に肥大して天狗になるわけだな。
鞍馬の偉いお坊さん「私は大悟した」→満足して入滅→慢心の権化、八大天狗・鞍馬山僧正坊爆誕
凄い僧侶だったんだろうけど、流れとしてはこんな感じかな……
ヨガってそういうものなのか
体操の一種だと思っていた
神秘体験して悟ったと勘違いして増上慢になるっていう危険は禅宗では「魔境」って呼ばれて昔から指摘されてるけど、やっぱり正しかったんだな。
西洋人は「ある」から始まる。「ある」を充満させることが当たり前で正しいと思っている。東洋人は「ない」から始まる。リアリティーの希薄な世界を河の流れに乗るように生きる。なので西洋人が東洋思想を理解するのは、基本的な世界観がとても異なっているので難しいだろうな。
まぁ目的違うからな
修行的観点から精神的に自分を高めたいとかだと正しいんだろうけど、今のヨガやってる人ってキレイになりたいとかファッション感覚だとか下賤な理由だし
片岡鶴太郎くらいガチればエゴ無くなるんじゃない?
ヨガやってまーすって女で腹グネグネできるやつみたことねーしなw
白隠禅師がまだ24歳と若い頃「よっしゃ!やっと境地に至ったぜぇぇぇ!」つって喜んでいたけど、それは瞑想の初段階で誰もが通る所で、師匠や同僚は誰も相手してくれない。
→「お前達は私のこの悟りがわからんのだ!」と人を人とも思わない傲慢な態度になった。
というのを、白隠禅師の本で読んだ事ある。
そして悟りの境地に辿り着いたのは、40歳すぎてから(42歳だっけ?)。
天才って言われてた白隠がこんなに時間がかかってるのに、表面だけ真似てる瞑想(マインドフルネス)や、そしてその素人の表面だけを調査して結果を出しても、正しい結果には至らないんじゃないかな・・・。
『その”素人だけ”を調査』ならわかるが。
京極夏彦って案外ちゃんと正しい事書いてたりするのね
とちょっと感心した
私の周りのヨガやってる人たちは、美容と健康目的でやってるよ。自意識高い系とかじゃなくて只の健康法として見てるよ。
エアロビ脱落者がヨガに行き着いた感じ。肩凝りが解消されるらしい。
筋トレして自信がつくのと似たようなもんじゃないかな
どんなジャンルでも自分の成長を感じられる何かをやってるならそりゃ自我も高まるわ
元々瞑想したら自我とか誘惑とかを意識するから、それを乗り越えてこその精神修行としての瞑想だったはずなんだが…
ヨガはダイエットのためにやるんでしょ?自己顕示欲の象徴じゃん
意識高い高い・・・ライジングーってことかね?
あってると思うよ。煩悩に生きる方が実は無欲なんだよ。
たぶん、「無我=エゴがない状態、自尊心が低い状態」と勘違いしてんじゃないのかな?
もうちょっと、仏教について勉強してから研究内容を設計したほうがいいと思う。無知丸出しじゃん
ヨゴだかなんだか知らんが
その後の作業が集中できるんで
瞑想はおすすめゾ
心の平安を獲得した人はヨガや瞑想なんてやらずに普通に淡々と生活してそう
スポーツクラブに行きだしたが、年配の女性たちが揃ってえげつないほどエゴ丸出し。彼女らはヨガクラスをこよなく愛している。納得。
ヨガやってるけど無我の境地とか目指してるわけじゃないし。
体動かしたら心身共にすっきりするとか出来なかったポーズができるようになると嬉しいとかその程度の成果で満足。
それはヨガではなくて単なるファッションのヨガもどきだといわれても楽しいからやってるだけなんで別にいいや。
この記事のコメント欄、全英訳して研究者に送ってやりたいわ。
「何かが…何がだ」って。
そういう自分も、インドのグルかなんかからすれば、何かがどうも違うのかも知れんけどね。
※113
ここのコメ欄を読んでわかるように、この研究はいろんな点で調査の方法や前提を間違った。
被験者が何のためにヨガ・瞑想をしているのか動機を調べていないのもひどい。輪廻から解脱するための、仏教やヒンズー教の修行として、つまり宗教上の理由から行っているなんて人は皆無で、ほとんどの人は職場や生活のストレスを軽減するためにやっているはず。
けど、批判されたたかれる研究は無駄じゃないんですよ。これほどツッコミどころ満載、ってのは、逆に言えば、問題点をはっきりさせるたたき台として機能するわけですから。
最初の研究がとんちんかんなのは当たり前。が、失敗がなければ改善はありえません。
論文読んで「それはおかしい」と感じた別の研究者が、もっと別の、もっと良い調査方法を考えるベースになるんですよ。
論文(出版前の原稿)は全文読めるから(26日現在)、興味のある人はttps://eprints.soton.ac.uk/420273/ を参照してみてください。
ナウリで検索すると手を足につけて腹直筋をグリグリする動画が出てくるけどあれが既に間違ってる
昔はナウリは手を使わずにやる物で指導者クラスだと喋りながらできたけどいつのまにか入門編の手を使った練習程度ができればマスターって言われるようになってしまった
金儲けのの手段で脚色された簡単なものが正しい情報を駆逐したせいでまともな師を見つけるのが素人じゃできなくなってる
六派哲学ヨーガ学派
仏教と一緒にするんじゃないよ。
シッダールタはやめただろ。
実際座禅してると妄想やらなんやらが溢れてくるよ、人間である以上そこは仕方ない
その状態でひたすら座ってると無心になっていく
とはいえ、普通はそんなもんちょっとやった所で出来るもんではないわな
一般人がやっているのはヨガで言えばアーサナなどの一部だけで、精神的なものはまず学ばない、人間の欲望そのままに単にパワフルになったらどうなるかわかると思うんだが。。。w
しかも、一般人は欲望をかなえるためにそれをやる、当然エゴは強くなるだろう。
ましてや、本当に仏教の実践などやっている人はほとんどいないだろうあ。
研究するならもっとまじめに研究しないとね。カルチャースクールの趣味でやっている人へのアンケートだけでは研究とは言えない。
○○の研究の結果分かったというのは、新聞などでもよく見かけるが、ちょっと内容を見るだけでおかしいことがわかる。真面目に研究している人にも失礼だし、不真面目すぎる。
罪は人が生み出したもので、自然から見れば殺人もだた一つの命が減っただけに過ぎず、
罪を認識した時点で、罪が発生するように、
エゴも瞑想により強く自我を認識することにより、更に自我を確認しエゴが強化される。
現代の一般的な瞑想は、自我の認識の強化によるエゴの増大作業である。
※119
同意
個人的な意見としては
気付き自体は必要だが
気付きを重視するあまり
気付く主体もまたエゴであるという罠に陥ってる気がする
「何か精神性を高める新手のエクササイズ」くらいの感覚で、ヨガやってる事に西洋人は酔ってんのかな、とは思ってた…ちなみに瞑想はオクスリなしでハイになる手段でもないわな?
ひょっとしてヒッピーの時代から精神的に大して進歩なしなのか…?
色んな分野で半可通だの胡散臭い人間は出るもんだろうけど、このドイツの研究も落語みたいだ
ただ、現代人は精神文化に益々飢えるよね、形而下の価値ばかり称揚されてまともな文化が死んでるから
どっちも幸福感は上昇してるし迷惑かけてないならいいんじゃないかな
ひとりヨガりと笑えない。
瞑想にも様々あるが、
確かにヨガをしている人は、我が強い印象。
エゴが強くなって 何がいけないんだよ?
はなからハリウッドのアジアみたいのを求めてるんだから
それでいいんでしょ、周りがいう事は何もないよ
もう出てるけど魔境ってやつだよね
まぁヨガ教室やスポーツジムレベルで気取ってるレベルじゃ
それとは程遠いもんだろうけど
荒んだ人に刃物や武器は危険なようにエゴを心の鎧で強化するのも良くないのです
無にならなきゃいけないのに意識高い系の人が飛び付いた結果、なんちゃって瞑想になっただけやろ
珈琲は健康に悪いよ!
珈琲は健康にいいよ!
ヨガ≠エクササイズ
瞑想(マインドフルネス)≠何も考えないこと
コレを知らない人が瞑想やヨガを始めると、鬱、糖質、凶暴な人を量産することになるよ。これは必ず絶対100%。具体的には脳の松果体付近…もっと具体的にはその付近の空洞に異常が発生する。抑える方法はチャクラなんて知らないモノの事考えないで腹式呼吸(横隔膜で呼吸)をすること。
これを日本では「触らぬ神に祟りなし」と言う。
その存在の意味や正体がわからないのなら手を出さない方が良い。
チャクラ!チャクラ!って、チャクラを科学的に説明してみろって。出来ないだろ?先人の書いた書を読んで、分かったつもりになっているだけ。チャクラとは叢。叢とは群がるって意味。何が?何が群がっているの?それが群がると何が起こるの?開くって何が?知っている先生は全部説明できるよ。そういう人の教えるヨガや瞑想は効果がある。でなきゃ百害あってなんとやらだ。
瞑想とエゴの定義が曖昧だから無駄な実験になってるけど、
正しく瞑想ができたところで、人生にプラスになる保証があるわけでも無し、
間違った瞑想で幸せになってる人が多いのなら、
禅専門家の皆さんも認識を改める必要があるんじゃないか。
俺、瞑想とかヨガとかやっちゃってるんだぜ~(ドヤアァ)じゃそりゃエゴも高まるだろうよ
瞑想は形になって見えないけど、武道と似てる気がする。海外の人は、使える技をちゃんと練習して、実用的でうまい。日本人より強くてうまいかもしれない。日本人の若い武道家の動画を見ると、技術ばっかりに固執して観念的で、一見、実践的じゃないことをずっとして、技の定義とか意味とかにこだわってる・・何の役に立つの?と素人目には映る。ここで瞑想のウンチク垂れてる人と、同じ感じだ。意外と海外の人のほうが本質をつかんでるんじゃないかな。
納得。
究極に強化した自我は無我に行き着く、途中でやめるな!
間違った方法をすると、インド(ヨガ)系の瞑想はエゴが肥大化、中国(気功)系の瞑想はエゴが濃縮してしまう。
だからこそ、戒律の遵守と、師による允可(修行で得た境地を自分で決めない)が前提。
それを魔境と呼ぶ。
その先が真の瞑想。
だそうだ、最終的に自我を空に滅する
って思想は西洋人には無理だと思う。
何か何か違う気がする
ヨガをやるとポジティブな気持ちになる
もしくは「私は今のままでOK」というような満たされた気持ちになる
が、ヨガは同時に「これを手に入れなければ!アレもコレも欲しい」といった欲も落ち着かせてくれる効果がある気がする
何が言いたいのかというと、自己を卑下する人が満たされた気持ちになるのと
欲の多い人の欲求が落ち着くのは、どちらも自分の執着から距離をおけたことになるんじゃないかと思うんだけど
>ヨガが自我を弱めるどころか強めるという意見は、ブランド物のスポーツウェアを着込んでヨガに勤しむいかにも聖人ぶった人間に出会ったことがある人にとっては、意外でも何でもないかもしれない。
ほんとコレ
単に意識高い系の人
ヨガやってる自分に酔っているだけ
本来の仏教の修行僧とは正反対の位置
生まれながらこだわりはないので、宗教とかどうでも良いです。
神社の祭りとかクリスマスとか宗教的なイベントは楽しませてもらってるけど、宗教を的な何かを意識したことは一切ないです。
他に宗教的なイベントはというと結婚式とか葬式とかですが、神道式でもキリスト式でも仏教式でもどうでも良いです
安くて質が良ければ、なんでもいいです。
わがままなお殿様が多かったのは、
「余が、余が」言ってたせいだったのか!w
しかも脳波コントロールできる
エゴが肥大するんだか何だか知らんが
心地いいのは確か。
周りに散らばった意識が
自分に向かうからある意味当たり前だしだから何って感じ。
むしろ周りに振り回されてすり減ったり周り見て決めたりするのからむしろ自分軸ができると思うが?
そもそも
基本実験なんて実験者の仮説や想いがすでにバイアスかかってんだから必ずしも「科学」は絶対じゃない。
まさに魔境っていう中間地点で完成だと勘違いしてるからじゃないの
ミャンマーだかの坊さんが書いた瞑想の本に、欧米には「3日で悟れる!」とか「◯◯ドルで悟れる!」みたいな瞑想教室があるってあったけど、そういう教室で瞑想してればエゴも高まるでしょ
仏教を知った上での禅、ヨガと
体の運動だけ真似をするZENは違うもんな
ZEN=スピリチュアルでトランス状態に導くもの、みたいな認識をされている
仏教と結びつけて考えるアジア人とやってることが違う
座禅やヨガが間違ってるという事ではなく、正しい形で覚えないと逆効果だって事ですね。
ヨガの修行者が、正しいやり方でやらないと「危険」とまで言ってた意味が解ったかも。
キリスト教圏で改悪されたフィットネスヨガやらマインドフルネスやらは、本来の目的から大きく逸脱しているし。
個人的にこれ最近の悩みだった
自分なりに出した答えは
「今そのもの」と「認知した今」は別物だということ
瞑想すると多くの人が「今を観察している自分」に気づくと思うが
それは本当は誤解なんじゃないか
今起こっている事とその認知との間には必ずタイムラグがあるから
「今を観察している自分」を認知している時点で今には存在しえない
つまり「今を観察している自分」も幻想であり
正しくは「現実で起こった事に後で理由付けしている機能」に過ぎないのではないか
ここに気づかず「観察する自分」こそ真の自己だと誤解するのなら
当然エゴの強化にしかならないんじゃないかって思う
映るとも 月も想わず 映すとも 水も想わぬ 広沢の池
鏡のように現実を写すのは想い、認知ではない
現実は必ず認知に先立つ
そして認知に先立って
何かが鏡のごとく現実を写している
その瞬間に認知は存在しえない
認知はエゴである
認知が映しているのは現実ではなく
自分に都合よく歪めた像に過ぎない
とりあえずストレッチ兼自己肯定感を得るために欧米式ヨガを行うというのは結構心身に良さそうだという事はわかった
単純にやり方が間違っているからです。
ヨガと仏教における瞑想は別だし、ましてやグーグルなどで行われているメディテーション、つまりマインドフルネスというのは単なるつまみ食い。
なのであれをやると短気になるとすでに上座部の方たちから指摘されてる。
その手の本を読んだことがあるけど、まあデタラメにもほどがある。
まずサマタとヴィパッサナーの区別すらしてない、説明しない。
またヴィパッサナーでも動的なものと静的なものがあってバランスが重要なのに、そこもすっ飛ばしてる。
そもそもゴータマは菩提樹の下で(足を組んで静的に)瞑想して悟ったわけではない、
彼は歩行瞑想で悟りを開いたんだけどね。
さらにマインドフルネスは仏教のつまみ食いしかしてないので、戒定慧(かいじょうえ)という三学がない。具足戒、八正道、40以上のサマタ瞑想、特に慈悲の瞑想すら省いているし、これでは短気になるしかない。
また仕事ができるようになる、というのも嘘です。そもそも仏教において現世利益など眼中にないのでね、それどころか4つの段階のうち在家が到達できるのは不還果(経典には在家で到達した人が二人出てくる)までで、それをすぎると現世では生きていけない。
あと当然ながら瞑想していくと、最後のあたりに”瞑想をして境地に達したいという欲”、”生存したいという欲”の鎖が切れるので、それすらも手放すことになる。
そこには有能だの、自己利益とか出世に活かせるなんて些末なないわけです。
西洋人がよくやる、ファッションとしての瞑想、ビーガンとかと同じはやりものだと思われます。
エゴが瞑想によって強化されるかどうか?について。
そもそも仏教におけるものならば、調べるまでも無くNOです。
日本人なら無常という単語を一度は聞いたことがあるでしょう。
ただし、無常という本当の意味を理解してる人、実感してる人はまずいないはずです、
だってお釈迦さんは「無常がわかれば悟れる」といってますからね、
悟るということは無常がわかったという意味だから。
だから仏教においては「人間は皆、無明」という訳です、無常がなんのことかわからない=無明だからね。
どこでエゴの話とつながるのかというと、世界(ダンマ)は無常だからこそ無我なんです。
つまりすべては去りゆく、流れているので我(エゴ)が固定できない、成り立たないという教えなんですね。
そもそも仏教は「エゴは成り立たない」という教えなんだから、エゴが強化される訳がないんです。
仏教においての瞑想の目指すところはその流れを発見するというところが主なんですね。
その延長の話、根本に輪廻の話もあり、無常だから輪廻するし、終わりも始まりに当たるところすらない、
と仏教では教える訳です。ただ人間の脳は「輪廻にはスタート地点すらない」という所で論理が成立しないので、
言葉(思考)を捨てないとその理解(体現)を得られない訳です。
ちょうど最近チェーンのヨガスタジオに通い始めたが、
教える先生によっては「チャクラ」言ってたりするな。
自分はヨガはまだるっこしくてピラティス中心になってるが。
鬱がましになって健康的になった。それをエゴの高まりと言われたら確かに。自分を見失っていたり、自意識の高まりやすいアンバランスな人にはいいかもしれないと経験者として思う
「魔境」の危険性なんて禅でもヨガでも言われてるじゃん。
何を今更。
ヨガを本格的にやってる人と知り合ったことがあるけど、
体のコントロール術は凄いのにメンタルはまさしくエゴの塊だったわ。
向上心が強いと同時に妬み嫉みも強く攻撃性が非常に高いので、
お仲間や他派?の人と交流しては人格を否定し「合う」ことを繰り返してた。
体はともかくメンタルトレーニングとヨガは無縁だな…と思ったよ。
ヨガは仏教じゃないよね。ヒンズー教?よく知らんけど。
仏教の瞑想は基本、無念無想じゃなかったっけ?
やり方間違えてんでしょ。
まあ戒律を軽視して瞑想テクニックだけ磨くとそうなる。
海外の方のその手の本を読めばすぐに気付くよね
根本から違うことに! しかし別に良いじゃない、らしくあれば!
日本語と英語、文法が逆さなのが何故なのか考えるだけで判ることだけども