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死は誰にでも必ず訪れる。メメント・モリを継承し、死のイメージとともに生を謳歌する生き方を描いた美術作品

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 「メメント・モリ」は”人間誰もが必ず死ぬということを忘れるな” という意味のラテン語である。医療技術が発達し、寿命が延びた現在、健康に暮らしている人にとっては「死」を意識する機会などあまりないだろう。

 まさに死が日常生活の一部であった古代ローマの時代にはこの言葉は「今を楽しめ」という意味でつかわれていた。その後キリスト教の文化の中に入り込み、「死を常に意識する」という意味合いになり、芸術的な形で表わされてきた。

 それは墓地のシンボル、宝石など、あらゆるタイプのアートに吹き込まれていた。

様々なものに記されたメメント・モリ

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20世紀初頭のトリックアートポストカード

image credit:Richard Harris Collection
 「命が儚い(はかない)」という現実を表した言葉はいろいろある。聖書「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」(マタイによる福音書25章13節)から、「あなたが思っているよりも時間がない」とか、「多くにとっての最後の時間、とくにあなたにとっての」(日時計の碑文)に至るまで、さまざまな場所で認識されていた。

 死は決して忌み嫌うものではなく、命が限りあるものであることを心に刻むことで、与えられた人生を懸命に生きようという気持ちにさせられた。

現代における死の定義

 だが今日では、死は無視するか、あるいはなんとか修正されるべきものになってしまっているのが現実だ。

 もはや死を思うことは、より良い人生を送るツールとして見られることはなくなった。その代わり、死は解決すべきひとつの問題になったのだ。

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「生と死」の油絵より。半分女性で半分鎌を持つ骸骨の絵(18世紀)

image credit:WELLCOME LIBRARY, LONDON

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生と死」銅板に描かれた油絵(17世紀)

image credit:Wellcome Library

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ドクター・セバスチアン・エグベルツの骨学教室」Nicolaes Eliaszoon Pickenoy(1619年)

image credit:Amsterdam Museum

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:”罪の報いは死なり”と記された台座の前の貴族と彼の骸骨のエッチング(18世紀)

image credit:Wellcome Library

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18世紀の蝋人形。その顔の半分はエリザベス一世に似ている。半分の頭蓋骨には昆虫が這っている。下の文章は旧約聖書の伝道の書1章2節より「虚栄心の虚栄心はすべて虚栄心」

image credit:Wellcome Library

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ミズーリ州セントルイスのAntikamnia Chemical Company が発行した骸骨カレンダーより(1898年)

image credit:Richard Harris Collection
追記(2017/12/25): 本文の一部を修正して再送します

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この記事へのコメント 34件

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  1. いつかはどんなに良くも悪くもやがて
    みんな死んでしまう。
    今を楽しむのが一番ですよね
    先のことは分からないから。

    • +15
  2. 映画ファイトクラブ
    「いつかてめーが死ぬってことを心に刻め」
    生きる意味を喪失した主人公の手を、薬品で焼き「痛みを受け入れろ人生最高の瞬間だ」
    生きていることを思い出させるシーン

    • 評価
  3. 現代においても死はふいに驚くほどあっけなくやってくる。
    事故に限ったことでもなく医療が進んだとは言ってもまだまだ気休め程度。
    例えば脳溢血やくも膜下出血など、気を付けてもどうにもならないことは突発的に起こるし、その可能性はどんな健康優良児にもある。そして運び込まれた病院の医師の能力やガンマナイフなどの設備の有無によってその後の運命も左右されることは日常的に起こってる。また毎年がん検診受けて問題が見つからなかったとしても検診後半年以内にステージ4のがんが発見されることもザラにある。

    だからこそメメントメモリの概念は現代人においても大切なことだと思う。

    • +21
  4. 現実の一例は、病院の末期患者病棟にあるもんな

    • +1
  5. ミズーリ州セントルイスのAntikamnia Chemical Company が発行した骸骨カレンダーより(1989年)<-- 1889の間違いなのでは?

    • 評価
  6. 年齢に相応しい人間になる事を普段から目指した方が、老いも死も其の時が来た時に受け入れ易いと思うんだよな
    まぁ要するにアンチエイジング商法にウンザリしてるんですが

    • +3
  7. 人間様のことだから
    そのうち永遠に死なない方法を
    発見しちゃう可能性もなくはないがな

    • +3
  8. memento mori 死を思いながら生きる
    大富豪にも大貧民にも絶対に訪れる肉体の使用限界。
    メチャ平等で分かりやすいし、な~んかスカッとするわ(笑)

    • +3
  9. これ、ペストが大流行してた頃は骸骨(死神)が様々な職業・階層の人を死に連れ去ってしまう版画が出ていたけれどちょっとコミカルな表現で好きなんだよ
    ボッカッチョのデカメロンでも疫病で表に大量の人の死骸がある中を歩いている婦人達の1人が、どうせ死ぬのなら美しい郊外に行ってからにしたいわって言っている間に死体に群がっていた虫の一匹が婦人の口に入ってきて大騒ぎして、もう本当に嫌になっちゃうって憤慨している様がまたユーモラスチックなんだよね。死が平等に身近だったからなのか

    • +7
  10. 死の覚悟、死の意識はこんなに積極的なのに
    志半ばに非業の死を遂げたものを思いやる
    「滅びの美学」の概念がないことに驚き。
    フランダースの犬がブザマにのたれ死んだ
    負け犬野郎の笑い話扱いだったという衝撃。

    • -7
  11. いつ死ぬかわからないから丁寧に生きろって感じの考え方なのに
    好き勝手に生きればいいと捉えるやつが多いのは哀しいねぇ

    • +3
    1. ※14
      でも、ローマ時代だとそのフレーズは
      「命短し、恋せよ乙女」みたいな感じというか、
      「あっという間に年老いて死ぬんだから、今のうちに
      飲んで歌って踊って、陽気に生を謳歌しようぜぇ~」
      という享楽的なニュアンスだったという話も聞くが。

      ここの絵画にあるような近世~近代のヨーロッパになると、
      逆に、仏教の九相図やいろは歌に似た
      「イチャイチャ恋愛に酔い痴れる若い男女も、栄華を誇る権力者も
      所詮は死と隣合せ。浮ついた一時の快楽や虚飾に心を惑わされず、
      死に際して悔いぬよう、常に心掛け人間としてあるべき道を修めよ」
      という啓発的な説教くさい趣旨が色濃くなってくる。

      なんとなく、「転石、苔生さず」が
      正反対の2つの解釈があるみたいなもんで、面白い。

      • +2
  12. 地味に昨晩劇場版銀河鉄道999を見てた。
    問えば問うほど禅問答のようになって行く。
    なぜなら生きているから。

    • +1
  13. 死は未知の物だから怖いのは当たり前だけど
    死と無縁になるとかそんな拷問じみたことはご遠慮願いたいな

    • +7
  14. どれだけ技術が発展しようとも、この世に規定路線がない限り、人は死から逃れられない
    だから、遠い未来であっても、むしろそんな世界でこそ、「今を楽しめ」は強い意味を持つ

    • +3
  15. 18世紀に書かれたスウィフトのガリヴァー旅行記に、主人公ガリヴァーの不死願望に存在そのもので水を差す不死人間(現地語でストラルドブルグ)というのが出てきて面白かったよ。数百、数千年を生きたストラルドブルグたちは、意欲も感情も枯渇していて、死に憧れ、他人に訪れる死をグジグジと妬んでるというオチ。私も不死人間だったらそうなる自信あるなぁと思った

    • +6
  16. 日本でも九相図が有名だね。古今東西死から逃れないため
    多くの絵があったし、だからこそ毎日を大事に暮らした

    • +7
  17. いつか必ず死ぬと思うと怖いけど
    今日死ぬかもしれないと思うと不思議とそこまで怖くない

    • +2
  18. だが待ってほしい。最近こそ「不死こそ忌むべきもの」みたいな風潮が出来上がっている感じがする。果たして本当にそうだろうか、と思う

    • +4
  19. 今後のテクノロジーの発達で死という概念は過去の遺物になるよ
    楽しみで仕方ない

    • 評価
  20. 不老じゃない不死には興味ないし、寿命がないだけというのもいやだけど、本当にガチの不老不死ならなってみたい

    • +3
    1. ※24
      ただの不死より不老じゃない不死という状態を作り出す方が難しくないかw

      • 評価
    2. ※24 宇宙の水素の核融合の恒星も、ブラックホールも原子の構成要素の陽子すら、途方もない年月の果てに枯渇したり崩壊するとされてるぞ
      東方同人の漫画にもそれをテーマにした、不老不死が永遠の暗黒空間を彷徨うだけの、呪いでしかない運命のがあるぞ

      • +2
  21. どんな美男美女も金持ちも一皮むけば骨だし死ぬのは同じ
    たしかにそう考えると我々が悩んでることも些細に思えてくる
    だからそれぞれがそれぞれの今を満喫して生きようよってことなんだろうな

    • +2
  22. 一休宗純がお正月に髑髏を持って家々を回った話にちょっと通じるものがありますね。

    • +6
  23. 日本にも「 人生いたるところに青山あり 」って言葉があるものね。その日その日をガンバレよ、ということだね、 確かに。

    • -1
    1. ※28
      ん~… ※26の一休さんあたりはまさにメメント・モリだけど、
      その詩はちょっと違う気がするなぁ…。

      その詩の主眼は、
      「学もし成らずんば死すとも還らず」という、ある種 背水の陣で
      成学のための不退転の決意を高らかに力強く謳い上げることと、
      その背水の陣でさえ、見方を変えれば
      「べつに生まれ育った今の狭いコミュニティーに
      こだわる必要はないんだよ、
      外にはこんなに広い世界が広がっているんだよ」という
      幕末の志士たちへの応援歌なんだよな。
      むしろ、「死ぬ時の事なんかゴチャゴチャ考えんな!
      なるようになるさ!」というブン投げ感は、
      常に死を意識して身を正すというメメント・モリとは対極の気も。

      ちなみに、人生じゃなくて「人間(じんかん=世の中)」ね。

      • 評価
  24. 安心があるからこそ物事を楽しめるのにいくら事実だとしてもいつか自分は死ぬ、もしかしたら今日かもしれないなんて四六時中意識して行動していたら恐怖で何も楽しめず飯も喉を通らなくなってしまうしものすごく生き急ぐようになる

    • +1
  25. 「植物は花咲く運命から逃れられない それが死を意味するものであっても・・・」そんな詩を思い出した・

    • +5
  26. 悪趣味だけど惹かれてしまう美しさ!
    骸骨って不吉なイメージだけど考え直させられた!すごく美しいね。

    • 評価
  27. 死は誰もが平等に訪れるものけど、それと同時に死はあらゆる規範・信仰・欲望から解放され自由になるって意味でもある。
    ただそれと同時に死は全てを失う事にもなるから、良い意味で取るか悪い意味で取るかは人各々ではあるけど。

    • +1

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