この画像を大きなサイズで見る修行者が瞑想を続けて絶命し、原型を保ったまま亡骸の状態になることを即身仏という。現在日本には17体の即身仏があると言われているが、こういった仏教文化に関しての西洋の人々の興味は尽きない。
即身仏は海外のミイラとは根本的に異なる。エジプトのファラオやツタンカーメン、カタコンベに安置された亡骸など、ミイラは歴史を通して世界のいたるところで作られてきた。ただしそれらがミイラ化されるのは常に死後である。
それに対し即身仏は、厳しい修行を積み悟りを開き、衆生救済のために自力で即身成仏してこの姿になったのだ。偶然にミイラとなったものとは本質が異なるのだ。
アメリカ系海外サイトにて、即身仏に関する10の事実がまとめられていた。
10. 即身仏となる理由
この画像を大きなサイズで見る即身仏となった最初の人物は諸説あるが空海と言われている。空海は1,000年以上前に生きた日本の仏僧であり、真言宗の開祖でもある。
空海とその弟子は自己を滅却し、禁欲的な生活を行うことで、法力を高め、悟りを開くことができると考えた。真言宗の僧たちは、冷たい滝に打たれながら何時間も座禅を組み、体の欲求を捨て、瞑想を続けたという。
中国密教の影響を受けた空海は、その禁欲生活を極限にまで高めようとした。その狙いは即身仏となり、物理世界の制約から解き放たれることである。これを実現するために、彼は生きていうちから、自身の体がミイラ化するよう準備を進めたという。
9. 最初の1,000日間は過酷
この画像を大きなサイズで見る即身仏となるための道筋は長く過酷だ。そこに至るには1,000日でなる3つの段階を経なければならない。
即身仏になるための第一段階では、完全に食生活を変えなければならない。五穀断ちとして、木の実、種、果物などカロリーの低いものだけを口にする。これと同時に、山ごもりして修行にも励まなければならない。
この1,000日で、僧の体からは急激に脂肪が落ちていく。ミイラ化には湿気が大敵で、乾燥していればいるほど都合がいい。脂肪は水分を多く含むので、死後に腐敗の原因となってしまう。また脂肪を多く含む遺体は、熱を逃がしにくい。すると細菌が繁殖しやすくなり、やはり腐敗の原因となる。
僧がまず体脂肪を落とすのは、死後に遺体が腐敗することを防ぐ最初のステップなのだ。
8. 次の1,000日間はさらに過酷
この画像を大きなサイズで見る次の段階で待つのはさらに過酷なダイエットである。第二段階の1,000日間、僧は木の皮と根だけを口にして命をつなぐ。しかもそれすら徐々に量を減らしていく。これを木食行という。この間、僧はもっぱら瞑想に時間を費やし、脂肪と筋肉はさらに削ぎ落とされていく。
その目的はすでに述べた通り、細胞や内臓を腐らせる細菌の繁殖を防ぐことだ。またハエなどが遺体に産卵することを防ぐ意味もある。ウジ虫がわけば、脂肪を含んだ肉を食べてしまうからだ。
この段階が終わる頃には、僧は文字通り骨と皮だけの姿となる。小さな生物が餌とするようなものは一切残されていない。
7. 体内の物を絞り出す
この画像を大きなサイズで見るこれまでの過酷な減量と長時間の瞑想によって、体脂肪と筋肉はほとんど残されていない。しかし、僧はそれに満足せず、己を極限まで絞り尽くさなければならない。
そのために彼らは漆を飲むこともあった。漆は食器などを美しく見せる天然の塗料であるが、非常に毒性が高い。嘔吐、発汗、利尿といった作用があり、入定前にこれを飲めば、体の水分をさらに絞り出し、ミイラ化へ向けた理想のコンディションが作られる。さらに漆の成分によって、遺体を傷つけるウジ虫や昆虫などを防ぐ効果もある。
6. 生き埋め
この画像を大きなサイズで見る過酷な過程を経てついに物質界を去る準備が整った僧は、鉦を手に地下3mほどの土の中に作られた小さな石室に入る。これが土中入定だ。ここは座禅を組むしかできないほどの狭さで、立つことも、体の向きを変えることもできない。僧が石室で座禅を組み終わると、外にいる者がこれを埋めてしまう。石室には竹筒で空気穴が作られている。
僧は何も見えない狭い暗闇の中で、鉦を打ち鳴らしながらお経を唱え続ける。これが鳴っていれば生きている証拠だ。やがて鐘の音が聞こえなくなると、竹筒も取り外され、石室は完全に塞がる。文字通りの僧の墓になるのだ。
5. さらに1,000日
この画像を大きなサイズで見る最後の1,000日は、石室の中に密閉された遺体がミイラ化する期間だ。脂肪や筋肉がほとんどない遺体は通常通りには腐敗しない。これこそが徹底した食事制限の効果であり、遺体は乾燥し、ミイラ化が進む。
1,000日後、石室から即身仏が掘り起こされる。その後寺に祀られ、生き仏である即身仏として崇拝の対象となる。死んでいるとはいえ周りの者からきちんと世話をされ、数年ごとに衣服の着替えが行われることもある。
こうして無事即身仏となった僧であるが、高次元へ精神を解き放ったのか、あるいはただ死んでいるのかどうかにかかわらず、彼自身が自らの成功を認識することはない。
追記:コメントによると、この画像はワット・クナラム寺院の高僧ルアン・ポー・デーン氏で、瞑想姿勢で亡くなり、自然にミイラ化したのだそうだ。
4. ほとんどが失敗
この画像を大きなサイズで見る空海の入定以降、数多くの仏僧が即身仏を志したと言われている。しかし成功したのは知られているだけでも20数件程度であり、成功率が非常に低かったことがうかがい知れる。
即身仏になるには、長年ほとんど何も食べず、体を動かすこともなく、長時間の座禅を行わければならない。それほどまで意志の強い人間など滅多にいないだろう。恐らくは多くの僧が途中で諦めたと思われる。
さらに仮に最後まで意志を貫き通せたとしても、遺体がミイラ化しない可能性も非常に高い。日本の湿度の高い気候はミイラを作るには不向きなのである。
これほどまでに過酷な行を経てもなお、石室の遺体が腐敗することはある。その場合、遺体が即身仏として回収されることはなく、そのまま埋葬されてしまう。もちろん、その意志の強さが広く尊敬されることは間違いない。
3. 法律によって禁止
この画像を大きなサイズで見る日本において、即身仏は11世紀から19世紀にかけて実践されてきた。しかし1877年に明治天皇はこの一種の自殺を禁じることにした。新しい法律が施行され、即身仏になろうとした者の石室の開封が違法となった。
知られている限りでは、最後の即身仏は鉄竜海上人である。長い間過酷な修行を積んできた上人であったが、新法によってその行為が違法になってしまった。それでもなお彼は自らの意志を貫き、1878年、ついに入定を果たす。
それから1,000日後、困ったのは周囲の者たちである。鉄竜海上人が無事即身仏になれたかどうか石室を開けて確認したくても、それを行えば刑務所行きになる危険があった。そこで真夜中にこっそり鉄竜海上人を掘り起こし、無事即身仏となっていることを確認した。
さらにこれを寺に祀るため、鉄竜海上人の命日を新法施行前の1862年と偽ってもいる。鉄竜海上人の即身仏は今でも山形県の南岳寺に祀られている。
2. 代表的な即身仏
この画像を大きなサイズで見る数多くの僧が挑戦したにもかかわらず、現存する即身仏は全国で17体ほどだ。それは日本の寺に祀られ、今日でも大切に扱われている。
最も有名なのは、湯殿山大日坊の真如海上人だろう。真如海上人は20代のときに即身仏になろうと決意したそうで、以来食事の制限を始めたという。しかし、その願いが実現したのは1784年のことで、すでに96歳になっていた。当時、本州では江戸四大飢饉に数えられる天明の大飢饉が猛威を振るっており、無数の人々が飢えや病気で亡くなっていた。
この状況を憂い、仏の慈悲が必要だと感じた真如海上人は、寺付近の丘に穴を掘り、入定を果たした。3年後、石室が開かれると、見事に即身仏となった上人の姿がそこにあった。これが功を奏したのかどうかは定かではないが、飢饉は1788年に終わった。
日本全国の即身仏」一覧マップ(地図リスト)
1. 最新の即身仏
この画像を大きなサイズで見る2015年1月、新しい即身仏がモンゴルで発見された。これを発掘し、売却しようとしていた男から警察が押収したことで明らかとなった。
日本の即身仏と同じく、蓮華座を組んで座った状態で、今でも生きたまま深い瞑想状態に入っているかのようだ。実際、高僧の中には、即身仏がまだ生きおり、瞑想状態で仏に変わる途上にあるのだと信じる者もいる。
しかし科学的な調査からは200年前にすでに死んでいることが確認されている。いずれにせよ、このモンゴルの僧は即身仏になることに関して、日本の僧よりは有利だったようだ。モンゴルの乾燥し、寒い気候が自然のミイラ化を促進してくれるからである。
via:listverse・written hiroching / edited by parumo
注:以上の文章は、海外サイトに掲載されていた英文を抄訳したものです。言語も文化も違う海外に伝わった情報は、間違った認識のまま広まったり、どこかで歪められたり、誇張されている場合があります。もし誤りを発見した場合には、コメント欄で指摘していただければ幸いです。確認次第、記事の追記・補足・修正をいたします。
















研究者ではないものから見ると、興味本位でも侮蔑的でもないと思う。識者のご教授を乞う。
現代に倫理における即身仏という存在の是非はともかくとして、尊敬に値する人だと俺は思う
凄まじい忍耐力と精神力、そして揺るがぬ信仰心があったからこそこういう事ができたんだろう
あんまり関係ないけど、俺が即身仏というものを知ったのは火の鳥の鳳凰編だわ
その過程でなんか見えたりするんだろうなぁ仏さまやら極楽浄土やら
脳内物質のバランスかなんかで
※3
そういうトリップ状態で陥る幻覚や妄想を振り切るのが修行なんだよ
正直全くどういう精神状態なのか分からん…
今時「フジヤマ・芸者・ハラキリ」はありえまいし、「さて、いかがなものか」と思いつつ覗いたらなかなかに正確といってしかるべき内容だな。
確認のために石棺を開けるのも違法か…なろうとしてる上人自身だけでなく、弟子たちが「開ける」のも「違法行為に加担」、という訳か・・まあ納得できないわけではないが…
なんか、金儲け(宗教イベント詐欺)の犠牲者だった方も居られる様で
弱い立場や病の僧・修験者が入定、周囲は其れまでの寄進やら何やかんやで儲ける
其の後はホッタラカシそもそも納める寺が無い(寺建立のカネだけは集める、持ち逃げ)
何時の間にやら皆居なくなった結果、塚だけ残り今日に至る
行者塚とかの物件はそれだそうで…
TOP画の即身仏を子供の頃に見に行った。小さくてちょこんと鎮座していた。怖いとは思わなかったな。
耳嚢にも即身仏になるのに失敗した僧の石室を発見した話があった。掘り出した時は人が胡坐を組んだ形の塊があって、空気に触れると崩れてしまったそうな。
小学生のころ某公園へ遠足に行った時に、近くの寺にミイラがあるという話を聞いて「なにそれ怖い」とビビってしまい、以来ちょっと苦手。
※7
むしろ開けることをピンポイントで禁じてるように読み取れるが。
即身仏になるのを止めさせよう、って言っても、
要は究極のダイエットの果ての餓死だし。
死んだら罰しますよ!って言ったって抑止力にはならないでしょ。
掘り起こす行為は通常の自害には無い特殊なステップなので、
それを禁じることで止めさせようとしたんではないだろうか。
※7
即身仏になろうとする生前の行為を法律で直接的に禁止するのは難しいけど(「自殺じゃなくてダイエット」と言い張られたらどうにもならない、抜け道も考慮して完全に禁止しようとすれば多方面で個人の自由侵害しまくりで現実的じゃない)、棺を開けることを禁止してしまえば、なろうとする意思を挫くことが出来るからな
「即身仏になりたい」人間は止められないけれど「即身仏になって崇められたい」人間には効果的
即身仏という言葉は聞いたことがあったけどこんなにも過酷なものだとは知らなかった。
何が見えて、何を感じ、何を思うんだろう。
即身仏になるのは、遠い未来に弥勒菩薩が顕現するさいに同じ場所にいて復活するため、じゃなかったっけ?
メガテンのだいそうじょうのグラフィックそのもの・・
三日くらいでなれるもんだと思ってました
舐めてました
即身仏の最終段階で大雨大洪水で失敗したお坊さんが
その恨みで悪霊になってしまった、という悲しい霊視の話をきいたことがあるが
これほどの人たちは失敗しても恨んだりしないよね。
高温多湿の日本だとより過酷な過程ですね。身動きの出来ない真っ暗な地中に入るって想像するだけで発狂しそうになる。
※13
まんまモチーフだしね
金子一馬画集にも書いてある
東北に多いのは気候の問題で残りやすいんだろうか
積雪量や夏の暑さを考えるとむしろ向いていないようにも思えるが
※74
衆生を救うのが第一義にあって、そのために自分は悟りを求めるのだなんていうのは一見かっこよく聞こえるけど、それは空海の「ヒーローになりたい」という煩悩だと思う。
空海が究極の偶像とも言える即身仏になったのは、いかにその煩悩が強烈なものだったかの証明。
仏陀「なんかごめん」
これに対しての 仏教、仙人思想が根付いていない人々の反応が知りたい。
昔、TVで即身仏について紹介した番組を見たことあるんですが、この記事を読みながら[そうそう、そうだった」って思い出しました。
とにかく体が腐らないように木を食べ山野を駆け回りニカワを飲み…って感じで、とても興味深い内容だったのに、番組名を思い出せない。orz
それが正しい方法であるかどうかはともかく
飢餓と貧困に苦しみ、救いを必要としていた当時の人々が
これほどの精神力で道を貫き通した僧侶がいたという事実に接し
これほどの聖人なのだからきっと仏になったに違いない
そして我々を救ってくれるに違いないと信じるに至り
心理的に救われただろうことは事実だと思う
※19 ※25
人が入ってる箱の上から土をかけて埋めたら
(たとえ空気穴はあっても自力で出られない状態なら)、
それ自体で自殺幇助罪か同意殺人罪になりそうなもんだけど、
明治の一番最初の刑法ってその規定なかったんだろうか?
それとも、この元記事を書いた人が
その点に触れていないだけ?
※7
違法行為に「加担」というか、
土中に埋葬状態の遺体を掘り起こすのは
ふつうに墳墓発掘罪。
安置用に遺体に何らかの加工が加えられたりすれば
死体損壊罪もつくかも。
3の鉄竜海上人の章だけどwikiでは病没となっているけど真偽のほどは?
1881年(明治14年)10月28日 – 病没。ただし、1878年(明治11年)説もある。
ミイラは鉄龍海上人の埋葬後、土中入定により脳・内臓を摘出して石灰をつめて作られた。1868年(明治元年)に出された墳墓発掘禁止令により墓地の発掘が禁じられたため、鉄龍海上人の没年は1868年と偽られ、さらに時効となる大正年間までミイラの存在は秘密とされていた。
>18
歴史秘話ヒストリアだと思う。
面白かった。
常人の域を超えないとここまでの事は出来ないだろうな
イタリア旅行の際、見に行ったDome(大聖堂)の中にミイラがあった。 宗教は違えど、ミイラに対しての畏敬の念は古今東西大差ないらしい。 思えばエジプト、アステカもそうだ。
日本のこの即身仏はミイラになるまで拷問とも呼べるほどの日々を過ごさないといけないだけ辛い。 辛いだけ立派だと個人的には思う。
※23
イタリアでミイラって言うとカプチン修道会のが有名ですよね。特に世界一美しいミイラと言われるロザリア・
ロンバルドさんのミイラがまるで眠っているかのようで。遺体は小さな女の子だけど100年近く前に亡くなってる人だから、ちゃんづけでは呼べないw
この前、即身仏が納められているお寺に行ってきたけど
『ミイラこちら』のカンバンには脱力したなあ。
俯き加減に座っていらっしゃるお姿に
失礼とは思っても、お疲れ様でしたねと思わず声をかけてしまったよ。
漆を飲む行が全身の痒みで壮絶らしい。
こんなに精神力あるなら
死ぬ気で勉強してその成果を無料で人々に提供した方が、
人々が救われる気がする。
「5. さらに1,000日」で使われている画像は、タイのワット・クナラム寺院の高僧ルアン・ポー・デーン氏で、瞑想姿勢のまま亡くなったのは確かですが、自然にミイラ化したものです。日本の即身仏のように修行の末に自らミイラ化したというわけではないですね。
ttp://bqspot.com/oversea/thailand/612
はじめまして。最後の即身佛は恐らく新潟県村上市、観音寺の佛海上人様かと思います。
※28
それはひどいw
即身仏を祭ってる寺をレポートしたブログ記事をいくつか読んだことあるけど
御本尊として大切にしてるとこや地元の人たちが親しみを持って参拝してるお寺もあるようだよ
このレベルの坊さんってその時代じゃ最先端のエリートだからな。
考えた結果の結論だよ。
意味がないとか言われても敬意は払うわ。
ここまで人の為に出来るであろう事を完遂できた聖人って…
神仏に祈る事でしか救いの無い時代だったとはいえ、その信念の深さに敬服します…五穀断ちの段階で既に過酷だったに違いないのに、更に十穀断ち、木食、漆…想像も付きません。
空海は即身仏になどなっていません。
彼の唱えたのは真言密教の根幹「即身成仏」です。
全ての人間がもともと仏と同じように悟りの境地に達する資質を内に秘めており、 修行によって本来の姿にたち返るなら、肉身のまま即時に成仏することができるということだそうですよ。
地図に示された点が、ほとんど東北あたりにあるという事が、この地方が当時から最近まで貧困に苦しんでいた状況を物語っているのだろう。
そもそも「即身仏になる」というのは目的ではなくて修行の結果そうなってしまうものだと思っているんだけどそれは建て前なのか自分の勉強不足なのか気になる
人の力ではどうにもならない事を
どーにかして衆生を救おうと考えたんや
有難や(-人-)
写真5
「あ、髪切った?」
今から見ると、「手の込んだ自殺」に見えてならないなぁ。
そうする事に深い意味はあるんだろうけど、ちょっと悲しいね。
※36
即身仏が集中してるのは庄内だけど飢饉で苦しんだ場所じゃない
真っ先に「湯殿山麓呪い村」を思い出してしまうオイラは罰当たり
グレートジャーニーでやってたな
即身仏なんて初めて見たよ
即身仏というのは、仏様と同じ能力(力)を得るために修行した集大成として、即身仏になることにより仏様と同じ能力を得ることができると信じて行う修行なんじゃないの?
記事の説明だと、マゾ趣味が昂じて即身仏になるという書き方にも取れるので、なんかいやな感じ。
ミイラになるべくして自らの身体を壮絶な修行によって作り替えるというのも凄まじいんだけど、そこまでやっても即身成仏できるのがほんのひと握り…
あと入定した後に災害等のアクシデントでマーキングが失われて、回収できなくなった即身仏が結構あるというのは有名だけど、それ以外にも、無事即身成仏を遂げたのに、後代で保管に失敗して泣く泣く放棄された仏様も多いんだろうなぁ
ちなみにキリスト教圏でも、聖人の遺体を改葬した時に、全身または身体の一部のミイラが発見された場合、これを聖遺物として教会が保管することがよくある
例えば日本でも、ロシアから来て日本で亡くなったロシア正教会の司教の遺体の一部が、現在までロマノフ堂で丁重に保管されている
最近ずっと気になっている記憶
私がほんの子供の頃の30年近く前の話なんですが
静岡県の法多山もしくはその周辺で即身仏を見た記憶が在ります
でも大人になって調べたら法多山には無いそうです(´・ω・`)
記憶間違いなのか解りませんが外のお堂に2体
本殿に3体くらい在ったような記憶です
どなたか知っている人が居たら教えて下さい
狂信の果て、って感じだな。
何だってそうだけど、何か一つを極めるには狂気的な部分が必要なのだろうね。
これはこれで信仰心のカタチだよね、立派な人たちだと思う。
人が最後にすがる物は何かを求め貫き即身仏になる、真似は出来ないし
「法律」もそれを許さないけれど、中世~近世に至るまでは
死生観がまるで違う世界だったのだと判るよね、信心に殉じ命をもそぎ落とすなんて。
最期の瞬間はきっと、暗い石棺の中が光で満たされるのだろう
最新の即身仏の破壊力
即身仏って死して世の救済を願う祈りだったんだろうと思います。今よりずっと人が若くして死んでしまう時代だったろうから。
即身仏となった方からは今の世はどう見えてるんでしょうね。
不思議と見て怖くないと感じるのはどうしてだろう。
※47
静岡じゃないけど自分も子供の頃に即身仏を見た覚えがある
群馬の山奥で確か赤城山とかが近いあたりだと思うんだけど、単線の線路が走っている脇にあるお寺だった
ググると群馬の即身仏が出てきたけど場所も違うし記憶にある即身仏とも違うんだよなあ…
仏教の教えは精神的、哲学的な側面が強い
仏陀は苦行は苦しいだけで望むものは得られ無いと説いているんだけど、日本に伝わる過程でストイックな修行も伝わってしまったのだろうね
あらゆる欲を捨てて、2,000日間も食を切り詰めて行くとは
私にはできそうもないと思った。
それ程良い暮らしをしようとも思わないけれど、
自分で自分の命を縮める様な事は、したくないもんなぁ。
金儲けの為にたらい回しになる即身仏は皮肉過ぎる。
もし当時、即身仏なんてまったく意味ないと主張して
今でいう農学や工学に打ち込んでる人がいたとしたら、
当時の村人や寺の僧たちに罰当たりといわれ、今となっては名前も残っていないとしても、
こういう~聖人よりはそんな人のことを俺は尊敬する。
まあ、こういう~聖人っていうのは、
空海をはじめとして農学や工学でも天才だったりするからつらいとこだけどw
サングラスかけてる写真がシュールw
これしか方法が無かったからの強固な意志の行動なんだと思う。
そこには敬意しかありません。
けどブッダはこれを良しとするのだろうか…。
補陀落渡海なんか知れ渡ったらどうなるんだろうな
岐阜の横蔵寺の即身仏を拝観したけど
気味悪かったり怖い感じは一切なかったな
仏そのものだと信じられるからだろう
究極の苦行と言えるね。
凄い精神力がないと絶対に無理だよ。
それに遺体が腐敗していたらダメだし、難し過ぎる。
成功すること自体、奇跡と言えるわ。
ブッダなら「自らを死に至らしめる苦行をしてはいけない。この世は諸行無常なのだから死してまで自分の肉体を残すことに執着してはならない。正しく修行して涅槃に入れ」というに決まってるよ。
空海とか中国語、とかすぐ覚えたエリートやんけ。
頭がよく自己犠牲とかすごすぎるわ、つめのあかがあれば
せんじてのみたい。
なんかのテレビ番組でやってたけど、空海って公式には今も生きて修行中の設定だとか。だから修行しているというところに毎日食事が届けられ続けているとか。
※61
それ完璧に新手の高齢者所在不明問題やん!!!
即身仏になる僧侶の意思の強さは凄すぎる。途中で気が変わって逃げ出す僧侶もいたにせよ、成功すれば、まさに”仏”になる究極の修行な訳で、現代も残るその姿は、僧侶の生涯の努力の痕跡。
弘法大師空海が残した言葉の一部。
「虚空が尽き、衆生が尽き、涅槃が尽きれば、我が願も尽きる」
「悟りを求め、涅槃に行くより、悟りを求め、衆生を救わん」
何が悲惨って、ブッダもブッダの直弟子もそんな修行してないし、
そんな教えを説いてないという。
即身仏といえば、発掘の様子をテレビ中継してたの子供の頃見たなぁ
水曜スペシャルだった記憶があるぞ
と思ったのでぐぐったら、記事出てきたよ!
個人様のブログだったのでアドレス貼らないけど
「観海上人」様というお方だったもよう。
変な人だな
この人たちが何を求めてここまでしたのか、彼らが求める悟りとはいったい何だったのか
読みながらふと思ったんだ
色々な欲やしがらみ、感情や生存本能といったものを削ぎ落としていって、純粋な知識と思考だけの存在になれたら…俺達が漠然と思い浮かべる「生体コンピュータ」のようなものになれたなら、沢山の人々を救う智慧が見つかるんじゃないか、と考えたのかもな、って
日本湿気多いし大変だろうな
即身仏ときくと真っ先に思い出すのが「湯殿山麓呪い村」
>>76
だんさんと同じ番組見てまっせ。
地下水が流れ込んでてそれで遺体が腐っちゃってましたね、確か。
これを意識的に行うのは大変な精神力が必要と思われる
バカバカしい、意味がない
の一言では済ませられないことだと思う
※81
それを聞いて安心したよ。
ある意味親しまれてはいるのだけれど
きっと即身仏様も苦笑いだよなあ。。。
※70
空海が生きていた当時は、「中華人民共和国」は成立していないので、「中国語」なる言語は存在していないのですが、ご存じないようですね。
空海が留学した先は、中華人民共和国ではなく、唐と名乗っていましたから、今の感覚で言えば「唐語」とでもいうのがいいかもしれませんね。
もしくは、漢語でしょうか。
※70 35番を見よう。
自分は本物の即身仏を拝見させてもらった事が有ります。 小学生でしたが、怖かったけれども…何故か落ち着いた気分になった不思議な経験でした。
今は、人の為に心から入定を望まれた方を心から尊敬しています。
自分の母親が山形県出身だったこともあり昔即身仏を見に行ったことがあるけど※82さんの言うとおり恐怖も感じたけど不思議と落ち着いた雰囲気だった。今思えば畏敬の念ってああいう感情を指すのかなと・・・。本当すごいよね、
昔の人の信仰心って・・・。
少なくとも衆生を救おうと身を捧げた精神は尊敬する。
リード文にある「他力」は削除すべき
「他力」とは「阿弥陀如来の働き」を指す仏教用語だ
みんなのハッピーいつでも祈ってるよ!
辛い時はミイラ見て思い出してね!
という尊い意志を感じて、やっぱり尊いね・・・。
入定する当人からすれば気がついたら死んでたって感じだろうな
苦痛すら感じないんだろう