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「ツタンカーメンの墓」発掘当時の写真をカラー化するプロジェクト

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(著)

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 1922年、3000年前のツタンカーメンの王墓が発見された。これは世紀の大発見と称えられ、15年に及ぶ発掘調査からは、黄金のマスクに代表される5,000点もの遺品が見つかっている。それらは3000年前のものでありがながら、ほとんど盗掘を受けていないほぼ完全なものだった。それから93周年に当たる今年、発掘当時の風景がカラーになって鮮やかに蘇った。オリジナルの撮影者はイギリスの写真家ハリー・バートンである。

 イギリスのエジプト考古学者ハワード・カーターが、王家の谷でツタンカーメンの墓に続く階段を発見したのは1922年11月4日のことだ。そして、同月26日、カーターと資金援助をしたカーナヴォン卿は奇跡的にもほぼ手付かずのまま残されていた墓の内部に足を踏み入れる。その時の2人のやり取りは有名だ。

  薄暗い通路で「何か見えるかね?」と問うカーナヴォン卿に、カーターは「ええ、見事なものが」と返したという。

 「最初は何も見えず、奥から流れてくる熱気でロウソクの炎が瞬いていた。だが、目が光に慣れるにつれて、ぼんやりとした中から部屋の詳細がゆっくりと浮かび上がり、奇妙な動物、像、金が見えた」とカーターは述懐している。

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様々な着色ガラスと金箔で装飾された棺を調査するカーターの姿

 発掘調査を記録するためにメトロポリタン美術館が派遣したのが、ハリー・バートンだ。彼はカーターの目となり、記憶となり、発見当時の様子を克明に記した2,800点のネガを残した。

 しかし、ツタンカーメンの墓の秘密はこれだけではなかった。イギリス人のエジプト学者ニコラス・リーヴズ博士の調査によって、さらに2室の隠し部屋が存在する可能性が浮上したのだ。高解像度レーダースキャンによって、玄室の石膏の下に隠し通路らしきものが発見され、同博士はこれをツタンカーメンの義母である王妃ネフェルティティの墓に続くものと推測している。

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922年12月撮影の前室。装飾が施されたアラバスター製の壺は香水を入れるためのもの

 古代エジプトの三大美女にも数えられるネフェルティティの墓は、紀元前1340年の突然の死以来、謎のままである。DNA調査によってツタンカーメンの母親は、「若い方の貴婦人」と呼ばれる第35号墓から発見されたミイラの女性であることが判明している。しかし、考古学者の中にはネフェルティティこそがツタンカーメンの実母であると主張する者もいる。

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こちらも前室の副葬品。ライオンのベッドの下に、ツタンカーメンが子供時代に使用したと考えられる収納箱、黒檀や象牙の椅子が安置されている

 リーヴズ博士の仮説によれば、ツタンカーメンの墓は本来ネフェルティティのものであり、ツタンカーメンの墓は後から増設された。部屋がエジプトの王よりは、王女に多く見られる入り口通路の右側にあることも、彼女の墓であることを示唆しているという。

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壁際には数台の馬車が置かれる

 また、当時のツタンカーメンの地位にしては玄室が小さく、急いで副葬品が詰め込まれているように見えることも長年謎とされてたが、リーヴズ博士の仮説ならば、その理由も説明できるかもしれない。

 大半のエジプト学者はこうした状況を額面通り受け取っているが、リーヴズ博士は、副葬品は前王から受け継いだもので、ネフェルティティはツタンカーメンの摂政役だったのではないかと主張している。

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金箔が貼られた巨大な雌牛で表される空の女神メヘト・ウェレトと収納箱。

 宝物室ではアヌビスの像も発見された。ジャッカルの頭を持つアヌビスは死後の世界と関連しており、死者の心臓の重さを測りあの世へ行く資格があるか見定めるとされる。

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 船の模型。王墓からは約35隻の船が発見されている。あの世へ行き、復活する王の旅路を象徴する。

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 玄室の外でポーズをとる発掘資金を提供したカーナヴォン卿(右)とカーター(左)。王墓が発見される少し前、カーナヴォン卿は資金提供の停止を宣告している。

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 発掘された像を輸送するために包装を施すカーター(左)、同僚のアーサー・カレンダー(中央)、エジプト人労働者(右)。

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 セティ2世の墓の「研究室」で、前室から発見された像を清掃する保存管理担当者のアーサー・メイスとアルフレッド・ルーカス。

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 セティ2世の墓の「研究室」の外で、ツタンカーメンの墓から発掘された黄金の馬車に取り掛かるアーサー・メイス(左)とアルフレッド・ルーカス(右)。

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 玄室で聖廟を慎重に分解するカーター、カレンダー、エジプト人労働者2名。

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 玄室の最外部では、聖廟に被せられた巨大な麻の覆いが発見された。覆いには夜空を模した金の飾りが施されている。北側の壁に描かれた壁画には、オシリスの姿をしたツタンカーメンと、開口の儀を執り行う新ファラオのアイが描かれる。西側に当たる左の壁には、ホルスとマアトなどのエジプトの神々が描かれる。

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 扉を開け、ツタンカーメンの棺を発見した瞬間。

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 発見直後の玄室の様子。発掘者が第二の聖廟に被せられた麻の覆いを慎重に巻き上げる。

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 ツタンカーメン棺を調査するカーター。ミイラの発見により、ツタンカーメンの推定死亡年齢は19歳で、7、8歳の時に戴冠したことが判明した。

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 王家の谷付近にあったカーターの自宅で読書をするカーナヴォン卿。1923年3月19日、カーナヴォン卿は蚊による頬の腫れをカミソリで傷つけてしまい、これが元で数ヶ月後逝去した。

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 玄室の北壁のスキャンから、石膏の装飾の下に隠し扉らしきものがあることが判明した。ツタンカーメンの義母である王女ネフェルティティの玄室だと推測されている。

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 ニコラス・リーヴズ博士によれば、ツタンカーメンの墓にはさらに2つの部屋が隠されているという。

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 リーヴズ博士の発見は、高解像度レーダースキャンによってなされた。

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via:mashabledailymail・written hiroching / edited by parumo

ツタンカーメンの墓を3Dスキャン

3D Scanning the tomb of Tutankhamun
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この記事へのコメント 32件

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  1. すごい。一緒に発見された家具とかが普通に現代にあったようなデザインと精巧さ

    • +15
  2. なんとかの呪いとやらも色鮮やかに蘇るんだってさ
    さて
    何人・・・
    おや、こんな季節に蚊が・・・

    • +6
  3. あの目の縁取り、アイラインというか隈取というか
    オシャレじゃなくて実用的な意味があったんだってね

    • +5
    1. ※4
      虫除けみたいですね。ラピスラズリの粉末に虫除け効果が有るとされていたとか。

      • +7
  4. カラーで見ると調度品の精巧さがよく分かるなあ
    紀元前すでにこんな技術があったんだな

    • +11
  5. やっぱりあの世は資本主義
    ってまぁ、乾燥してる地域で外気から遮断された地下ってコトもあって2千年も前の品とは思えない綺麗さだな
    カラーにすると尚更、しばらく掃除してないオレの部屋よりホコリもかぶってないw

    • +7
  6. 当たり前なのかも知れないけど、発掘当初は思ってたよりも綺麗じゃないね。

    • 評価
  7. もしラムセス2世の墓が未盗掘状態で発掘されたら
    現在のエジプト考古学博物館が足りず歴史も
    ガラリ変わったと言われてるし人類史における
    汚点でしかないな

    • +9
  8. 山岸凉子先生の漫画『ツタンカーメン』オススメです。ハワード・カーターが如何にして発掘まで漕ぎ着けたのかがよく分かります。
    それにしても、カラーになると印象がまるで変わりますね!

    • +5
  9. 宝物庫という割には、かなり乱雑に置かれて物置小屋みたいになっているのは、移動させる前からなのか後なのかが気になります。
    配置方法に何かしらの法則や意味合いが有ったのでは無いか?とニワカ過ぎる考古的中二病が発症してしまった

    • -2
    1. ※11
      >当時のツタンカーメンの地位にしては玄室が小さく、急いで副葬品が詰め込まれているように見えることも長年謎とされてたが、
      って書いてあるから、たぶん発掘当初からなんじゃないかな。
      戦車も車輪を外して分解して納めてるようだし、整然と並べるにはスペースが足りない感じがある。
      王家の谷の墓には、もともと別の場所に葬られてたのが盗掘対策のために後になってそこに移されて、おかげで現代まで副葬品が残ってる、ってケースがあると聞いたことがあるので、
      ツタンカーメンもそんな事情だったりするのかも。

      • +6
  10. 意地でもスーツで仕事してるあたりに
    当時のイギリス紳士を感じる

    • +12
  11. 想像していたのより遥かに綺麗な墓だった
    数千年前というより、入口を密閉してから
    まるで30年くらいしか経ってないようだ

    • +5
  12. すごい!!こんな綺麗に残ってたのか。綺麗すぎてどこかの骨董屋みたいにも見える

    • 評価
  13. これ発見したときの興奮てすごかっただろうな

    • +3
  14. 資金停止を宣告されていた……と聞くとロマンのない些か不穏な考えを持ってしまうな
    資金を出させ続けるためには「発見」できればいいわけだから
    しかし本文中にもある通り随分詰め込んでるな

    • 評価
  15. うーむ、良い写真が多いね。カラーになる事で良さが引き立つと思う。3Dスキャンで色々な事が判る事も凄いと思うけど、日本のレーダー技術を使えば壁の奥がどうなっているのか、掘る前からある程度判るのに…とは思った。通路が有るにしても、壁画等を壊すしかないとしたら、別ルートからの発掘なども考えないとマズイかも知れないと思う(本来は無かった部分を掘る方がマズいかな?)考古学は、昔を知るために重要だと思うけれど、掘ったら堀ったで発掘品の保存にも気を使わなきゃいけなくなって大変だと思う。日本でも保存状態が良く出て来た壁画が、発掘後にカビと湿気で崩壊寸前とか有ったし。

    • +4
    1. 割りと気がついてない人が多いけど、保存状態が良い=密閉されていたということだから中に虫やカビの繁殖はないんだよね。
      インディ・ジョーンズでも間違っていたけど、蜘蛛の巣に覆われた埋葬品っての触れないくらいボロボロになっていると思っていい。
      ※18
      高松塚古墳とキトラ古墳だよね。
      確か、キトラ古墳は地元の考古学マニア(あえてこう表記するけど)が勝手に掘って処置をしせず本格的な発掘保存作業が後手に回ったとか…

      • +9
  16. 時間が止まっていたかのように副葬品の状態が良くて驚いた、。

    • +1
  17. やっぱり色が着くと臨場感があるなぁ…
    小学校の図書館にツタンカーメンの発掘を描いた本があって、それが好きで何回も何回も借りて読んだ
    今からでも欲しいけどタイトル覚えてないんだなぁ…

    • +6
  18. ピラミッドも外装剥がされずに残ってたらなぁとかいろいろ妄想するね。でもそれもまた歴史の儚さ、味わいなのかもしれない。

    • +7
  19. ロマンの香りが匂いたつような写真!!
    調度品が割りと雑然と納められてて(それだけ量が多かった、て事だろうけど)、旧家の倉庫と言われても信じちゃうかも。

    • +6
  20. あんなくそ暑い国でジャケット着てるのは、ウキウキで写真におさまるためかな?
    ちょっと可愛く見えるな。

    • +3
  21. こんなに今でも通用するような服を着てるのに、ほっぺた傷つけただけで死んじゃうんだなぁ……

    • 評価
  22. 王妃が捧げたという花束が写ってる写真があればなーと思いましたが、アレって王の棺を開けた瞬間にふわーって儚く散ってしまったんでしたっけ?ツタンカーメンという名を聞く度にサイボーグ009と花束のことを思い出します。

    • +1
    1. ※28
      その話は聞いた事があるけど、どんな状態だったんだろ。ボロボロで埃が固まったみたいな感じだったのかな。

      • +1
  23. 3000年前とは思えないな。まるで前日に安置されたかのような綺麗さ。

    • 評価
  24. 今後、ツタンカーメン級の未盗掘のお墓が発見されたら、8Kとかで見られるんだろうな(*^^*)

    • 評価

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