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古代メソポタミア最大の都市「ニネヴェ」は2度陥落する(イラク)

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ニネヴェの陥落 image by:Osama Shukir Muhammed Amin / CC BY-SA 4.0
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 今から2632年前、古代メソポタミア最大の都市ニネヴェが陥落した。バビロニアの天文学者が粘土板に記した「バビロニアクロニクル(ABC3)」には、紀元前612年8月10日に、この劇的な事件が起きたことが記録されている。

 アッシリアの首都だったニネヴェは、当時、世界最大の都市だったが、バビロニアのカルデア人王ナボポラッサルとスキタイの襲撃を受けて滅んだ。

 この後、ナボポラッサルは、新バビロニアの初代王となった。これは、古代史の中でももっともショッキングな出来事のひとつと言われている。ニネヴェは、このとき滅んだが、2015年にもISISによってその遺跡が破壊された。

ニネヴェ遺跡の発見:唯一無二の考古学発見

 古代メソポタミアは、西アジアの肥沃な三日月地帯北部の文明発祥地だった。現在のイラク、クウェート、シリア東部、トルコ東南部などにあたり、トルコ─シリアとイラン─イラクの国境あたりをさす。

 1839年、フランスの考古学者ポール=エミール・ボッタがイラクの砂漠に点在する一連のマウンドを発掘し、それがニネヴェの発見につながった。ニネヴェは、現在のイラク北部モスル郊外にあり、上メソポタミアの巨大な古代アッシリア都市だった。

 19世紀半ばのこの発見は、まさに驚きそのものだった。聖書に出てくる古代都市と文明が少なくともひとつは実在したわけだからだ。

 これは、科学者たちが超自然の力といったものを経験則で立証しようとしていた当時、聖書を再評価する機会を与え、使い古された伝説を論理と理性に置き換えたことになった。古代ニネヴェの発見は、すべてを変えたのだ。

古代ニネヴェ:羨望の的だった王の町

 紀元前631年、アシュールバニパル王が亡くなり、バビロニアが独立を果たしたのち、アッシリア帝国は不安定になっていた。

 紀元前627年頃、バビロン近くの戦いでアッシリアを破ったナボポラッサルが王になって、バビロニア帝国を統治し始めた。バビロニア帝国は紀元539年10月にペルシャのキュロス大王によってニネヴェが占領されるまで続いた。

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紀元前640~620年、南メソポタミアを進軍するアッシリア軍。ニネヴェのサウス・イースト・パレスにあるアラバスターの浅浮彫りより

image credit:Osama Shukir Muhammed Amin / CC BY-SA 4.0
 ナボポラッサルは、バビロニアを解放したとき、同時に宗教の中心地であるアッシュールや、行政地ニネヴェなどおもだった都市を破壊しようとした。

 近東の勢力図が大きく変わってしまうため、これを阻止しようと、エジプトがアッシリアを支援する軍を派遣した。

 ニネヴェ陥落の年代史によると、紀元616年の7月25日、ナボポラッサルがユーフラテス川の岸辺に駐留していたアッシリア軍を負かしてハランの南へと追いやったが、すぐにエジプト軍が近づいてきたため、退却した。

 翌年の終わりまでには、現在のイランにいた部族連合のメディアが、この混乱に乗じてニネヴェを支配してしまった。

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2017年4月にUNESCOのニネヴェ遺跡調査の際に撮られた写真。ISISによって、ひどく破壊されてしまっている。ニネヴェの二度目の陥落と言われている

image credit:UNESCO / CC BY-SA 3.0
 ナボポラッサルは、メディアのキュアクサレス王と如才なく条約を交し、バビロニアの皇太子ネブカドネザルは、キュアクサレスの娘アミュティスと政略結婚した。アミュティスは実はキュアクサレスの息子アステュアゲスの娘だったという説も根強い。

 メディア=バビロニア同盟軍は、紀元612年5月、ニネヴェに侵攻し、7月に陥落させた。アッシリア王シン・シャル・イシュクンの自害後、ニネヴェの略奪は続けられ、8月10日についにメディアは引き上げた。

 ニネヴェの陥落は古代世界に大きなショックを与え、遠く離れたギリシャでも、ミレトスの詩人フォシリデスがこの古代都市の崩壊を伝えている。

Siege of Nineveh and Ancient Secrets of Mesopotamia Documentary

2015年のISISによるニネヴェの二度目の破壊

 ニネヴェが最初に崩壊してから2500年たった2015年、再びこの古代都市は滅亡の憂き目にあった。この貴重なアッシリアの遺跡が、またしても破壊されてしまったのだ。

 イスラム過激派組織ISISによるこうした文化遺産の破壊行為は、戦争犯罪そのものだ。同時に、このテロリスト組織は、シンパを洗脳して新たな戦闘員を募り、西側を挑発している。

 衛星テレビ局アルジャジーラは、2015年2月26日にISISが、モスル博物館でニネヴェの7世紀の遺物をいくつも大っぴらに破壊している場面を報道した。破壊を免れたものは盗まれて、海外のマーケットに売りに出された。

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モスル博物館でニネヴェの遺物をハンマーで破壊するISISの兵士(2015年)

image credit:youtube
 しかし、2019年の報道では、イラクの部隊が2017年にモスルを奪還し、モスル博物館の一部が再建され、のちに現代アートの展示会が開かれたという。

 しかし、残りは保護のために非公開のままだという。ニネヴェの最初の陥落も劇的だったが、二度目の破壊は、許すことのできない痛ましい行為なのは確かだ。

References:ancient-origins/ written by konohazuku / edited by parumo

追記:(2020/08/23)本文、タイトルを一部訂正して再送します。

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この記事へのコメント 13件

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  1. 西アジアはいろいろな意味で火種が転がりまくってるな

    • -1
  2. うまくやっていた中東に火種を撒き散らしてイスラム国を作ったのは誰か。戦争犯罪などと糾弾する前にすることがあるだろう。
    と思ったがガーディアン紙か。それならまあ文句言う権利はあるだろうか

    • +2
  3. 本当にこういう遺物破壊行為には怒りしか覚えない。
    過去の人々の営みを消し去って、一体何が晴らされるというのか。異教だから何をしてもいい、なんて正当化は本当に野蛮だ。

    • +11
  4. 動かせない遺跡はともかくあんな国で重要文化財置いておくなよ
    どうせまた破壊されるだけなんだからさ

    • -5
  5. ISって中国の文化大革命まんまだよな。
    共産主義の暴力革命でイスラム教関係ないじゃん。

    • +9
  6. 歴史(特に古代史)の何がめんどくせぇって、この「紀元前(BC)」よ。
    すげえややこしい。もっと感覚的に時間の雰囲気が掴めるわかりやすい表記ってないもんかなぁ…

    • 評価
    1. ※12
      ややこしいかな?
      紀元前〇〇年(世紀)を現在の年数に足すだけだから、却って時間の距離が分かりやすいと思うけれど。

      • +1
      1. ※13
        BCの出来事と思って読んでいたら、脱字だろうけど「ニネヴェ陥落の年代史によると、紀元616年」とあったりするから、西暦じゃなくてニネヴェの暦なのかとか、分かりにくい点はありました。

        • 評価
    2. ※12
      紀元を0とすると
      紀元前世紀=-(マイナス)世紀と覚えるとわかりやすい

      • +1
    3. 各国がてんでバラバラに付けていた、王が替わったり不吉なことがあったり何となく気分とかでコロコロ改められる年号に比べれば遙かに分かりやすいと思うよ。

      古代史ではっきり何年前かまで判る最古の出来事の年を起点にしたところで、新たにそれ以前の歴史が判明したら紀元前的な表記にするしかないし。

      • 評価
  7. ISISは思想も理想も何もない。
    遺跡だけでなく、人間に対する残虐な仕打ちをみても、ただ破壊と殺戮を楽しんでいるだけ。現世の最底辺の輩ども。
    彼らが拠り所(イスラム教だといえばイスラム教の神と信者に申し訳ない)とする「神」によって、彼らの神の地獄へ連れていきますように。

    • +2

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