この画像を大きなサイズで見る偽りの記憶に関する最新の研究は、虚偽の記憶と現実の記憶を区別することがいかに難しいか明らかにしている。
第三者からありもしない、だが本人はあったと思い込んでいる過去の出来事についての記憶を聞かされたとき、人はそれが偽りであると見抜くことができないのだそうだ。
ありもしない出来事を自分の記憶として思い出す
2015年、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(イギリス)の心理学者グループによって、ある偽りの記憶に関する研究が発表された。
その研究では、面接の中で、かなりの数の被験者が、実際には起きていない子供時代の記憶を”思い出している”。恐ろしいことに、7割もの被験者が、子供の頃に犯罪を犯したという作り話を自分の体験として信じ込んでしまったのだ。
この記憶のトリックは、被験者の両親からの協力を得て行われた。研究グループは、両親から子供時代に実際に起きた印象に残る経験を教えてもらい、それを被験者に思い出してもらった。
その上で、誘導尋問や連想などを通じて、今度は架空の出来事(犯罪行為など)を思い出してもらうように仕向けた。すると、被験者はそれがありもしない出来事であることに気がつかず、万引きや暴行を行った過去を自分の経験として詳細に語ったのだ。
この画像を大きなサイズで見る偽りの記憶を語る人物を見抜けない
じつはこのときの面接は撮影されていた。今回、ジュリア・ショー氏らが『Frontiers in Psychology』(4月8日付)で発表したのは、このときの映像と音声から、その体験が偽りであるか見抜けるかどうかを調べる実験だ。
この実験では、被験者(約200名)に、2015年の研究で過去の出来事を語る人たちの映像を8本視聴してもらった。8本の証言には、本当にあった話と偽りの記憶が混ざっている。
たとえば、子供の頃、大切に飼っていた犬が死んでしまったという本当の話が語られる一方、また別の映像では、その犬の死因が動物に襲われたことだという偽りの記憶が語られている。
この結果、被験者はその記憶が本物であるかどうか、57パーセントしか見抜くことができなかった。さらに、犯罪を犯したという内容に限れば、正解率は55パーセントだった。
これは統計学上、コイントスで回答を決めたのと変わらない結果だ。つまり被験者は語られる内容の真偽を区別できておらず、正解できたとしてもただの偶然でしかないということだ。
Do False Memories Look Real? Evidence That People Struggle to Identify Rich False Memories of Committing Crime and Other Emotional Events
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2020.00650/full
この画像を大きなサイズで見る内容を知らない方が偽りを見抜きやすいという衝撃
第二の実験では、被験者を3つのグループに分けて、前回同様に思い出を語る人の映像を視聴する人たちのほか、音声が流れてこない無音の映像のみ、あるいは映像は見せられず、その音声のみで真偽を判断できるかどうかも確かめてみた。
映像と音声で判断したグループの正解率は53パーセントで、前回とほぼ変化なし。正解できたとしてもただの偶然であることが再確認された。
だがショー氏が「ショッキング」と述べているのは、映像のみグループが45パーセントだった一方、音声のみだと32パーセントしか虚偽を見破ることができなかったという事実だ。
つまり話している内容を知らない人たちの方が、その真偽をずっと上手に見破れたということだ。
これについてショー氏は、「正直なところ理由は分からない」と述べている。音声には聞く者を誤解させる合図があり、私たちはそれに大いに乗せられてしまうようだが、一体何がその合図なのかははっきりしないとのことだ。
この画像を大きなサイズで見る証言の真実を見破る難しさ
今回の研究は、誰かが語る出来事の真実を見抜くのがいかに難しいことであるかを証明している。
ショー氏によると、印象的な出来事や犯罪行為に関する記憶を語られたとき、他人の耳にはそれが真に迫って聞こえるのだそうだ。これは目撃証言に頼って仕事を行う警察や裁判官などにとっては、重大なことであるという。
警察や裁判の関係者たちは、人の証言を基にしてある出来事の真実を明らかにしようとする。だが、人間はいともたやすくありもしない記憶を植え付けられるし、そのような植え付けられた偽りの記憶と本物の記憶とを区別することすら容易ではないのだ。
そのようにして導かれた判決とは、本当に信頼できるものなのだろうか? ショー氏は次のように述べている。
記憶を尋ねる面接では、記憶が汚染されたり、偽りの記憶が形成されないよう、必ず証拠に基づいて行わねばなりません――記憶を振り返るというプロセスが、誘導尋問や何かを連想させるようなやり方、あるいは強制するようなものであれば、その証拠としての信頼性は乏しいものになってしまいます。
記憶が本物であるか偽りものであるか見分ける唯一の方法は、一番最初にそれが思い出されたとき、どのようなときに思い出されたのか注意することです。それでも、真偽や嘘をはっきり判断できないことがあるでしょうが、直感に頼るよりはずっとマシでしょう。
References:irishnews / ucl./ written by hiroching / edited by parumo















その日のうちに日記つけてるし
恐怖の連続だろ・・それが奴隷の一生だ
国家規模でそうなってる事例を知ってます
マンデラ効果が起きるのもこういうのが原因かな?
藍染「つまり・・・錯覚!」
※8
ワテ乾癬患ろうてます、錯覚であって欲しい
やってもいない犯罪を本人もやったと思い込まされて裁かれた人が世界にはたくさんいるんだろうね
噂の発信元の書いた文章を読んで事実に疑いを持ちはじめ
発信者が現れて第三者を演じ嘘を定着させる
そもそもの話、偽りじゃなくても「今そこにある現実」をそのまま認識出来ている訳じゃないしね。人は言ってみれば、現実をコピーして作った自分の中だけにある現実の中に生きている。
だから、それを見た、聞いた、更に記憶したとしても、厳密に言えばそれが「今そこにある現実」と同一であるかどうかは分からないし、確かめる方法も無い。
仮に、自分と同じ認識を持った人達が居たとしても、似たような認識を持った人達が居るというだけで、それが「今そこにある現実」と同一であるかどうは、これまた分からないし確かめようもない。更に言えば、その自分と同じ認識を持った人達が本当に居るのか、本当に同じ認識を持っているかどうかを確かめる方法も無い。
メンタリストのパトリックジェーンがやるやつ
千と千尋の都市伝説。 俺も一番最初に劇場で見たときにあったような気がする。
時々、夢で見た事を現実と錯覚するようになったら、と不安に成る時がある
取り調べでの話でも、「お前がやったと言われ続けると実際にやった気になってくる」は延々と言われ続けているよね
※19
免罪は取調官が「こいつがやったに違いない」と信じ込むのも問題な気がする。有罪だと確信してるから脅して自白を導くことも正しいと思っている。
※23
まずは疑わないと取り調べ全部できないからね
「絡新婦の理」に出てきた
半分思い出のマーニーだろ
だれかに吹き込まれた思い出が記憶に作用してとっちらかる
近代史で一番厄介なのがこれ。
戦後の報道見て、存在しない記憶を作り出すという。
※26
嘘や誤りも普遍的な事実となればそれが真実であり
証拠などいらないのです。
と、盛大に皮肉ってやるのです。
それを利用して洗脳するんですけどね
研究機関による論理的検証もお構い無し
一旦洗脳された人には事実は受け付けられず、ただ自分の思い込みに従う事象を選択してより洗脳を強める
偽りを見破れた人の割合が55%だとして、
>> これは統計学上、コイントスで回答を決めたのと変わらない結果だ。つまり被験者は語られる内容の真偽を区別できておらず、正解できたとしてもただの偶然でしかないということだ。
これは論理の飛躍だね、自分に都合のよいように解釈している。
55%の人間は強固な記憶力と理性を持ち合わせていると解釈するほうが普通だと思う。
・ハードルが高い=敷居が高い
(前者は技術や技量の問題、後者は本人の働いた不義理による問題。全く違います)
・ふいんき (ふんいきですよねぇ?)
。的を得る (射ないでどうするんですか) などなど
つまり。嘘や誤りも普遍的な事実となればそれが真実となるのです。
どれだけ証拠があったとしてもね。
これ
(1)被験者に子ども時代の記憶を思い出させる
(2)実験者は両親の協力を得ている
っていうのが曲者だと思う
子ども時代の記憶なんて曖昧な人は多いから
見ていたであろう両親が証言するのなら
「そうだったっけ…?」てなるんじゃないかな
50歳の人に30歳の頃のことを思い出してもらう
って実験にしたら結果が変わったかもしれない
ラピュタの「幻のエンディング」みたいなものか。
存在しないのに「確かに俺は見た!」と言う人が何故か多くいるような。
ラピュタの地上波初放映時って、ラストの辺りで緊急速報が入って番組が中断したんだよね。(少し前に発生した幼児誘拐事件で、被害者が無事保護されたというニュースだった)
こっちを語る人が少ないのは何故なんだろう?
嘘と虚構と虚無な自分自身
自分という人格は存在しない
感覚も出鱈目な造り物
生きた証も無い
自分も3歳くらいのと期に自宅の前の水たまりに突っ込んでバシャバシャやっている記憶がある。ただ、このときの写真があって自分はそれを見ているんだよね。
今となっては本当の記憶なのか、写真を見て形作られたニセの記憶なのか自分でも判断がつかない。