この画像を大きなサイズで見るオーストラリア最高齢の科学者が今月初め、自らの人生に幕を降ろすためにスイスへ行くと発表。国内で安楽死に関する議論を再燃させている。
104歳のデビッド・グッドール(David Goodall)氏は末期の病魔に侵されているわけではない。しかしクオリティ・オブ・ライフは大きく低下しており、スイス、バーゼルで死の幇助を受ける予約をしたそうだ。
「こんな歳になってしまったことが残念でなりません」と今月初めに誕生日を控えた生態学者はABCで語った。「幸せではないです。死にたい。特に悲しいことではありませんよ。悲しいとすれば、それを誰かに邪魔されることですね」
「私の心情としては、自分のような高齢者は幇助自殺を受ける権利を含めた市民権を認められるべきだと感じています」
オーストラリアの積極的安楽死に対するスタンス
他人が幇助する積極的安楽死は多くの国々で禁止されているが、昨年、オーストラリア・ビクトリア州は同国で初めてそれを認める州となった。
しかし法の施行は2019年6月のことで、しかも健全な心を持つ余命6ヶ月未満の末期患者にしか適用されない。
・安楽死の合法化発表を受け、1分で苦痛なく安らかな死につけるハイテク自殺幇助マシンが発表される(オーストラリア) : カラパイア
これまでオーストラリアでは他の州でも積極的安楽死について議論がされてきたが、その法案はいずれも否決されてきた。1995年にはノーザンテリトリー準州で可決されたこともあったが、結局、1997年に連邦政府によって覆されている。
スイスで安楽死を予定するデビッド・グッドール
一方スイスでは、患者が自分の意志で服薬するのであれば、医師が患者に致死量の薬を処方することは合法である。しかも患者が実際に致死量の薬を服用する場合、医師はその場に立ち会う必要がないという。
その為、外国の末期患者がスイスに渡り医師に薬を処方してもらい自らの命を絶つという「自殺ツーリズム」が多く行われているという。
グッドール氏の旅を手配するエクジット・インターナショナルは、「最高齢かつ最も著名な市民が尊厳死を迎えるためにオーストラリアの反対側のスイスまで行かざるを得ない」状況は不当であると語っている。
「穏やかで尊厳ある死は、それを望む者なら誰もが持つべき権利です。人がそれを受けるために我が家を離れねばならないなどということがあってはなりません」と同団体はコメントしている。
同団体はグッドール氏の航空券を手配するために、「ゴーファンドミー」キャンペーンを展開。これまで140万円程の出資があった。
グッドール氏はエディスコーワン大学に所属していた著名な研究者である。これまで数多くの論文を発表し、最近までいくつかの生態学系ジャーナルのレビューや編集に携わってきた。
References:abc / / written by hiroching / edited by parumo
















この素敵な笑顔の写真を見たら、逝って欲しくないなと思ってしまうけど、それは身勝手な考えだし、そればかりは本人に権利がある事なんだよなあと色々考えました
>私の心情としては、自分のような高齢者は幇助自殺を受ける権利を含めた市民権を認められるべきだと感じています
生きる権利があるなら死ぬ権利もあるかもしれないな。生死はなかなか難しい問題だし、一概にこれがいい!とは言い切れないが「世の中に貢献した」なら主張しても?
全ての生物には、前向きに幸せに生きる権利がある。なら前向きに幸せに死ぬ権利もあると思う。彼の4分の1しか生きていない自分はどうしても少し「悲しいニュース」に感じてしまったけど。
いくら法は合法でも本人の意思を無理曲げてまで
押し付けるのってなんか変な気もする
安楽死自体は本人が選べても良いと思う
しかし「本人が本当に選んだのか」が問題になってくるんだよな
家庭内や職場、ありとあらゆる場所から「死んでくれ」と圧をかけられて本当は生きたかった命が終わらされるパターンが絶対に出てくる
幾らカウンセリングや幾重なる面談として万全の安楽死にみえても、あとから本音を書いた遺書とか発見されてニュースになるんだよ
本来の理想や目的は理解できるのに、一部の人にとっては殺人と紙一重のシステムになってしまう
※5
ほんとそれ。この記事の老人は、自分で選んだのかもしれないが、制度として敷居が低くなると、「周りの無言の圧力」「社会的圧力」などが絶対に出てくる。
※25
完全に寝たきりの状況になったら、自力でスイスに行ったり自分の意思をはっきり残したりするのは難しいと思う
だから本人にとって早すぎるってことはないんじゃないのかな
※5
ほんこれ。
安楽死の話が上がるたびに思ってた。
安楽死制度がなくてもはよ逝けと思われながら介護を受けている人はいっぱいいるのに、その圧力が合法になるだけだ。
でも安楽死には賛成、難しいね。
植物状態で本人の確認が取れない場合はどうするのかなど問題は多い
だが最初は厳しい条件でかまわないので、ぜひ日本でも安楽死の制度を導入して欲しい
現状では、本当に死にたければ自死を選ぶしかないが
病気や怪我で動けず自分で死ねない人もいる
自死するにしても方法や場所を選ぶ必要があるし、誰かがいれば基本的には止められてしまうため
必ず一人孤独にやり遂げるしかない
それに、後の遺体処理も発見が遅ければ酷い迷惑がかかる
※5
人を追い込んで死に至らしめるような奴は
安楽死の制度が無くても他の方法でやるし、現状でも様々な方法でやっているだろう
もちろん悪用されないために議論は尽くされないといけないし
悪い奴が安易に使えないシステムにするのは重要だが
その意見が、いま苦しんでいる人をさらに苦しめることになるかもしれない
※72
本人がしっかりしているうちに安楽死を選択できるようにするんだよ
植物状態や痴呆が入る前に
遺言書と同じように来るべき時に備えて
今の日本じゃ本人が死にたくても生かされてしまう
食事も取れず、意思の疎通もままならず
回復の見込みもないのにひたすら酷い痛みに耐えるだけとか
家族もたまったもんじゃないし、倫理観からというより
ビジネスの餌食のようにも思える
やっぱり人間としての尊厳を失うような醜態を晒したくない
※5
何が何でも生かしておかないと医者が犯罪者扱いされてしまう現状のほうが、よほど問題だと思うけど?安楽死の制度を整えたうえで取り組んでいくべき
安楽死でも年齢制限とか、元気なうちに意思表示の書類を義務付けるとか敷居を設ける方法はいくらでもある
スイスの自殺幇助の条件は、
(1)末期症状にある
(2)判断能力があり、外部からの圧力がなく、患者の意思による
(3)熟慮のうえでの選択である
身近に声も出すことができず管につながれたまま生きている人を見ると、誰がその人の命を扱っているのか分からなくなる
人間の身勝手に振り回され足を折った
競争馬は紳士協定で安楽死させるのに
その注射を打つ人間が怪我や病苦で安楽死を
望んでも許されない矛盾した世の中。
人の命には「紳士協定」ってないんだね。
その境地に達するまで100年必要
※8 この人の人生なら冒涜してもいいなんて決めた生きたかった奴って誰だよ
そんな奴は他人の精神を見下して自分以外を冒涜しているクズだ
確かに自らの死の選択は自由かもしれない、だけど生きたくても生きれなかった人からすれば命の冒涜以外の何物でもない。
※9
この人のように100歳過ぎになり、しかも世の中に貢献して来たとすれば、十分に『もっと生きたかった人の分』まで生きただろう
その当人が、今後の生は苦痛でしかないと言っているのに、なぜ『生きたかった人の分』まで『苦しまねばならない』のかね?
『生きたかった人の気持ち』は『呪い』ではない
少なくともこの話に対して持ちだすものとしては、適切ではないよ
※9
流石にそういう言い回しを使って
他人を殴るのはクズだな
※9
視点を変えた貴方の意見は貴重であり
非常に有益であり
正論である
※9
~したくてもできない人らは本人の抱える感情の問題であって
そうでない人へ押しつける正当な理由にならない
ましてや死んだわけでもない第三者が想像で語るなど論外
自死する生物は他にもいるが死なない生物はない、どんなに長生きでも細胞分には
裂限界がある
無理な延命の方がよっぽど自然の摂理にはない命への冒涜ってこともわからないのか
104歳まで頑張って生きてきた人に俺のような若僧が言えることは、残念だけど何も見つからないよ
反対というか反対するほかない
だって自分が90歳とかになって「ひ孫みたいからもっと生きたい」と思ったとしても世話する人間や遺産絡みで安楽死っていう選択もあるよって勧められるんだ
それを断ったらみんなに迷惑かけながら生にすがる悪者になるんだ
広く浅く見れば権利だけどリアルはもっと闇深いことになる
※12
その理屈でいえば合法であろうが有るまいが周りの者には内心では死ねと望まれ
悪者になっている事に違いはないが?
※12
>みんなに迷惑かけながら生にすがる
家族もまわりも自分のために介護に消耗し、疲弊し、施設で虐待まがいの介護をされ、自分の糞尿の始末すらまともにできないような自分の意思ではどうにもならなくなった身体、日々何かを忘れ苛立ち悲しみ壊れていくと認識できる脳、そんなことになりたくないから笑顔でいられるうちに「死にたい」と思う
家族はきちんと介護をし看取った立場から切に思う
弱者が余計に弱者になるね
もし自分が事故で寝たきりになって周りに安楽死してくれと言われたら拒めるかな
もし虐待を受けて育った人格だったら親に命令されて拒絶できる勇気があるかな
もし日頃からDVを受け洗脳された人がその相手に指示されたら?
安楽死に同意しないと子供を○○、会社を○○、と脅されたら?
※16
冤罪の可能性があるから法律をなくそうと言っているかのよう
※47
16じゃないけど、洗脳について少し調べたほうがいいよ
地獄の沙汰も金次第
金を持ってないなら生きるのも死ぬのも大変だわ
彼は恵まれているね
幸せでは無くなったから死にたい、という観点にはあまり賛成出来ないんだけど
高齢が理由で幸せでいることが困難である、という立場に無いからなんだろうけどね
物が見えづらくなり、耳が聞こえづらくなり、理解できたことに理解が及ばなくなったりすればわかるのか
わかる前にわからなくなるのか
俺は日々壊れていく脳味噌抱えるよりも楽しむだけ楽しんで爺になったらさっさと逝きたいわ
日本だと団塊の大半が要介護者になってもグダグダ討論するだけで、安楽死なんて制定されないんだろうな。
いや、認可されれば万事解決、という問題ではないけれど。
目を背けるだけで何もしない感ありあり。
※22
俺は年寄りになったら自分で死ねるよう法整備したい
みたいな内容を語った大臣が「年よりは死ねと言った」と報道されるくらいなので
先進各国みんな安楽死法可決したのに日本はまだなの?と外圧を掛けられる状況にでもならない限り無理っぽいと思いました
爺さんが好む曲と言われるが、マイウェイが聞こえる気がする。
自分の親父が熱中症が原因の脳梗塞で認知症になってゆくのを見てるから、自分だったらある程度の段階で思い切りたい。
(熱中症自体昔の行動でとにかく水分取らない人だったから自業自得だし)
それと、知人に神経障害性疼痛を患う人がいて、治らない痛みを抱える人の権利にもなって欲しい。
苦しい思いまでしても生きたい人もいるだろうが
地獄のような苦しみの中で生きるのはとてもとても辛いことだ
それが治る、終わるという希望があるならまだ死にたいとは思わないけど
もうこれからずっと続く、終わりがないのなら
死にたいという気持ちは凄く分かる
苦しんでる人に命を粗末にするなっていうのは
さらに苦しめる一言だと思う
単純に死ぬなら「痛くなく・苦しくなく」がいいよね。
どう考えても寿命を迎えて自然に息を引き取るなんて確率低いし、この年になれば事故でなければ病死は確実。
死ぬまでの時間を苦しんで過ごすより、晴れやかな気持ちで大切な人達へ感謝を込めて最後の別れを言いたいですよね。
人生でやるべきことをやり尽くしたらこんな素敵な笑顔になれるのかな?
もう介護の現場で国家資格を取って五年以上働いているけど自死を望む人がけして少なくないことは身を以て知っています。要介護5がどんな状態になるのかなんて大抵の日本人は知らないだらうけど世界で一番長生きなこの国の高齢者や介護現場の実情をもっと知って欲しいと本気で思う。動物のような状態や(認知症含め)意識だけあって全く身動きとれなくて他人に自分の動作の全てを依存してまで生きていたくないと思っている人は大勢いる
…と、夜勤明けで寝る前にマジレスしてみたり。。
寝たきりならともかく、まだまだ元気そうに見えるけど……
終末期の療養型病院で働いている身としては、ちょっと贅沢な悩みに感じてしまう。
勿論本人の自由なんだけど、完全に寝たきりになってからでも遅くはないと思う。
自分の子に見守られながら死ぬのではなく
自分の子を見送り生きるというのは辛いだろう
子も孫も亡くなってなお生きるのは…
自殺だと責められるのに
病院で薬もらって安楽死……自殺とかわらないのに認められる
人の違いなのが時代が変わってきたのか
クオリティ・オブ・ライフ(QOL)が低下してるとあるし
年をとったことによる、体の不調の苦痛や
元科学者であるが故に、脳のトラブルによる物忘れ等のストレスは相当なものだろうね。
彼にとって現状生き続ける事は、苦痛に塗れたものと受け取れる。
恵まれなかった命と比べる人が居るけど、
こういうのは、当人が生きてきた中で、現在を相対的にどう感じているかが重要。
最悪を体験した人だと、
『あの頃の状況からしたら、これぐらいは何ともない』と感じるし、ストレスどころか活力にもなると思うけど、その逆の場合だと受けるストレスは果てしないでしょう。
そういった個人毎の認識がその人の全てになるのだから、
他人がとやかく言う問題でもないと思う。
この人の場合、オーバーキルならぬオーバーリブだと感じてるんだろうな
まだ若い人だったらあってはならない願いだけど、この人は齢100を超え、一般的な人間の寿命より遥かに長く生きてきたのだから死ぬ権利はあっていいのではと感じる自分はおかしいのかな。
自分も長生き願望ないから、生きるだけ生きたと感じられたら人生そこまででいいやって思ってしまう(自殺はしないけどね)ので、彼の気持ちは分かるのよ
自分が糞尿を漏らし汚物の中で自意識もなく息してるだけの物体になる前にスイスの尊厳死法が変わってしまわないことを願っています。
日本で安楽死は到底無理そうなのでスイスに頼ろうと言うのです。
痴呆患者の介護を経験した人の内の何%かは尊厳死法のお世話になりたいと思ったことがあるんじゃないかな
自分が正気だと思っている人には想像も付かないことだが、世の中には案外、「いつでも向こうに行ける」ことを支えに、いくらか前向きさを取り戻した人がいる。その可能性を実現しようとしている彼らの役割も、社会全体にとって大きなものだと思う。なぜなら、コミュニティがあまりに強く引き留めると、救いそのものが絵に描いた餅になってしまうから。
良い旅路を。
自分だけの意思なら安楽死は合法化してほしい
けど安楽殺する側のことを考えると簡単にいえない
本当の意思を確認するのも難しい
生きろよ
その人の命はその人のもの、それをどうしようとその人の自由だろ。
特に「生きてることが苦痛」なんて状況になった104歳のじーちゃんなら尚更自由にさせてあげるべき。
「お疲れ様でした」と見送りたい。
制度化するとしたらやはり重病患者か年齢下限100歳とかかなぁ
制度化されたとしても、恐らく自殺扱いだから保険金は下りないのでは?下りたとしても、満額じゃなくて6割とかに特約がつくと思う
それによって国力にも関わる問題なのに
日本こそ前向きに検討すべきなのに
目を背けてばかり
若者や国は疲弊するばかり
自分で死を選ぶってそんなに「悪」なの?
自分だったら自分でごはんも食べられず、管に繋がれどこにも行けず
ウ○コも他人の手を借りないと始末できないようになったら
もう回復の見込みも無いのなら安楽死したい
介護してみれば分る
家族の苦しみを知っているからこそ
病気の人を見てると、死ぬ権利があってもいいと思ったりするよね。
例えばだけど余命1年で痛み止めなんか使えば普通に生活出来る。2年生きるために、その2年を苦痛で満たすと言われたら「1年でいいです」って思うよね。自分が高齢で、家族に金銭的負担がかかるとか思うと尚更かも知れない。
ピンピンコロリが理想というのはそうでない場合が多いゆえのことだしなあ
人間というか、生き物は自分で物食えなくなったら死ぬもんだ
赤子以外はそれでいいじゃないかと思う
うちの婆ちゃんは寝たきりになったときは誰にも迷惑かけたくないって毎日周りに謝ってたっけな
寝たきりになって一週間もしないうちに逝ってしまったのは最後の気遣いだったのかなぁ
この先病気になって苦しい思いしたり、認知症になって分からなくなるかもしれない。充分生きたし、しっかり意志があるうちに逝くのは理想だ。
すべての人が安らかに尊厳のある死を迎えられればいいのに
頑張って生きてきたんだからな
わっかんねぇなぁ〜〜〜〜〜〜
って思ったけど、自分の周りの家族や友人が全員死んでしまって
周りには未来ある若者しかいなくなってしまったら、考えは変わるかもしれない…
まえにかなりのご年配の方と話した時、
「歳はいくらとっても、幼少期の思い出や親のことは鮮明に思い出せる。
母といわれる年齢になっても母が恋しいし、おばあちゃんといわれても母に甘えたい。
だから自分の中身は変わってないのに周りや外見だけが変わっていくのが辛い。母に会いたい。でも死ねない。」と言っていた
何とも言えない気持ちになって、長生きしてくださいよーとしか言えなかったわ…
他人の死生観にケチを付けるもんじゃない!
自分も安楽死賛成派だけど、自分と反対意見を叩く気にはなれない
人生や生死については決して一通りではなく本当にたくさんの考え方があるのだろうけど
画一的な答えしか許されないのはちょっと窮屈すぎるように感じる
ケースバイケースを認めてあげて欲しい
人は死が怖いのではない、忘れ去られるのが怖いのだ。
歳をとると、若いころとは全く異なる感慨が老化した身体から滲み出てくる。
若い人の無邪気な意見を見ると断絶を感じる。
引き際が綺麗な人は恰好良いな
元気そうじゃねえか
まぁ元気なうちにってことなのかな
尊厳ある死を求める声が高まる中だからこそ尊厳ある生き方というものを考えなければならない
本人が嫌になっちゃったなら仕方ないね
自分はもっと生きてほしかった人に病気であっさり逝かれてしまったから人生はままならないもんだと思う
100年以上生きてれば後半戦は別れが多かっただろうな…想像すると辛い
介護の現場や終末の身内の姿を見た人ならば尊厳死ってほぼほぼ同意出来る事だと思う。ピンピンコロリで楽に死ねる人なんて何割いるか。
多分今分からない人はそういう経験をしたことがないある意味幸せな人だが、いつかは絶体分かる。高齢者自身も辛いし支える若者も負担。綺麗事じゃ済まない。一日でも介護してみりゃ分かるよ。超高齢社会の日本でいまだにこういう話題タブー視される意味が分からない
うちの両親も安楽死したいとは言わないが、寝たきりで意識もなく管に繋がれた状態で生かされたままになるのはイヤだから延命処置は絶対にしないでくれって言われてるな
なんのために死ぬんだろうと
科学者なら100後に復活したいとかやらないかなー
人間の寿命って、子供が生まれてその子供が一人前になるくらいで死ぬのがベストなんじゃないかと思う。
俺らには判らない事だが、100年も生きていれば筋力の低下や視力低下等の衰えを感じるんだろう
本来なら寿命による自然死が望まれるんだろうが、このケースのように自ら幕を引くってのもアリなんじゃないかなぁ
日本も高齢化社会になってきてる訳だしね
生活の質を維持できなければ認めるべきだな
安楽死を議論する前に、治療行為に関する希望・意思表示「事前要望書」の法整備が必要
自分の家族の「事前要望書」の内容すら知らない人が、それよりも難題な安楽死について語る資格なし
末期がんの家族を介護したけど、本人の意思は日々揺れるんだ。辛いときはもう死にたいというし、穏やかなときはもっと生きてみようかなというし。本人の意思確認をどこで線引きするかとても難しい。
自分の他に大事な人がいると揺れるのかも知れない。私はもし最期にひとりだったら迷わず自死を選びそう。
誰にも見つからず死のうと思ったら結構難しいな。樹海に行く人がいるのもわかる気がする。キリスト教徒が多い欧米では自殺しない主義の人が多いのかな?だから他人の手で安楽死したいと。
若い子にはわからないかもしれないけど
ある程度年齢が行くと、死について考えることが多くなる
自分の死に方や、家族の死についても
未来に不安しかない人間はもっと常に死のことを考えてるのではなかろうか
この人は私のような高齢者と言ってるけど
100歳過ぎてもまだまだ幸せそうで元気な人もいれば
若くても死にたいひともいるし
どんな方法だとしても、幸せな死を迎えたい
ベーシックインカムと、安楽死はこの先絶対に必要な制度になっていくはず
「万物に生きる意志あり 生きる権利あり 死を選ぶ自由あり」を思い出した。
安楽死の問題は、時代が解決できない末期的症状による問題もあるだろうけど、この科学者の例は少し冷静に考えてみるいい事例だと思う
苦痛から解放されたい
と
自分の思い通りにならない人生に意味がない
は全く違う
安楽死が必要だっていうことしか考えられないのは、
苦痛を取り除くための医療や科学やシステムの実現可能性を感じられなかったり、なぜ生きるのかっていう理性的な哲学や思想や宗教観について意識を向けていなかったから(知らないから)分からないだけなのかもしれない。
—
天命を全うし、自然に帰っていく。年老いてやせこけた一頭のオスライオンが最期を迎える時
こういう記事が今週のトップ記事なんだよなぁ
と思うと、やっぱり少し悲しいんだよ
命は譲渡できるものではないのに「生きたくても生きられなかった人の気持」だけ尊重されどんなに地獄でも生きろという危険な考え
100歳超えてるとか息するだけで辛そうだ
100万回いきたネコを思い出した
自分の周りの人がどんどん亡くなっていって
「自分は十分長生きした」という気持ちになったのかもな
本人の望む形が苦しむことなく今の状態で召されることなんだろうね
植物学者のデビッド・グッドール博士は5月4日には家族に別れを告げてスイスへ旅立ったらしい。100万円以上の旅行費用は旅行会社などがネットなどで集めたとも・・
無給で大学の研究室に勤めていて、大学側も定年退職を勧めるのをやめていたとか。つまり、ボケてなーい!
自分の頭で考えて自分の生を終わりにしようと決めた訳だ。
植物は不要になった部分は自ら枯らして切り捨てたりする。動物も年老いたものが死ぬべき場所へ向かったりする。
生物は個であり全でもある。個は滅びても全は残る。
宗教や法律などに縛られた人間とは違う見方を持つ人間もいる。迷惑にならない老朽化した肉体という乗り物を自らの意思で消滅させる方法を人間世界で求めることは、自己の意識と存在の尊厳を守るということが目的であって、自殺とは違う。
仏教世界では入滅という方法がある。自己の意思による悟りを求めたコントロールされた死だ。
思想的、哲学的な自己の肉体の滅却も権力が許さないのであれば、それは人間の精神の徹底的な管理であり、人権の侵害だ。
デビッド・グッドール博士は死の質を人類に問う一つの手本になるかもしれない。
※98
死の質って言葉にはっとした。
あと入滅のことも思い出した。高齢化社会とか関係なく、昔から考えられてきたことではあるんだよな。
人類が、長い歴史の中で民主主義や基本的人権という概念を得たように、死の質、生の質についてのブレイクスルーが起きた時、その副産物として安楽死が自然なことになるのかもしれないと思った。
うちの祖父母も「他人様に迷惑掛けてまで生きたくない」って言ってるわ。
そのうち本当に心中しないか不安。
心中なんて結末を迎えさせるよりも安楽死の方が余程人としての尊厳があると思うわ。
羨ましいなあ
自分で意思決定できるかどうかが一番悩ましいところだ。
意思決定に瑕疵が無いかどうかの判断でも、大問題となるケースは当然出てくる。
この方は問題ないかも知れないけれどね。
また、もう意思決定する能力も失った人は、安楽死を選択することは出来ない。
調整しなければならない事情は数限りなくあると言える。
自分の生と死は、他人に与えられず、他人からもらえず、自分の命は最後まで自分のもの。他者の命の冒涜、他者の感情はいっさい関係ない。これに気がつくと甘美な蜜に向かうごとく、種が滅びに向かう。それほどに生とは報われることのない苦難が多い。故に、個人が原始的な生と闘う気持ちを持てなくなった時。
「老人がプレッシャーをかけられるからダメ」←「まわりの人間が安楽死をすすめる」ことを違法にすればいいだけ。というか、いまでも「自サツしろ」は犯罪じゃん。「もしかして無言のプレッシャーをかけられて嫌なキモチになる人がいるかもしれない」みたいなことを心配してるなら話にもならない。
「人ゴロしの道具に使うやつがいるかもしれないから禁止しろ」←車もハサミも包丁もそうですね
昨日より悪くなって
明日良くなることはない
ご飯はゼリーと点滴で体がむくんで痛い
便も出ないが出ないといけないので誰かに尻に手を入れてもらうしかない
家族が忙しいのはわかるのに一人じゃ起き上がることも寝返りも出来ないから1時間や15分ごとに誰かを呼んで疲れさせる
夜も眠れないから恐怖で曖昧になったら誰かを呼ぶためにコールボタンを押すしかない
音はあまり聞こえないし目はすぐ疲れてしまうから家族の苦笑いしかわからない
申し訳ない申し訳ないでも体が動かないし心は恐怖する
心が疲れきれば呆けて拘束具がつくが気付くと家族が泣いているし記憶のない自分が怖くて怖くて
これをワガママだと言うのかね