この画像を大きなサイズで見るキリスト教の創始者とされる「ナザレのイエス」という人物についての歴史上の事実は、一般的に伝承されている内容とは異なる部分も多くある。
歴史上の人物としての「史的イエス」については、聖書学者や神学者を含む学者によって、これまで様々な議論が交わされてきた。
例えば、誕生の日付については、長いこと「紀元元年の12月25日」とされてきているが、実際には、聖書を含むどこにも明確な記載はない。
現在では「紀元前4年の夏」というのが定説となりつつある。「ヘロデ王の治世に生まれた」という記述や、「誕生のときに明るい星があった」という記述を元にした研究の結果だ。
そしてまた、そのイエス・キリストという人物の存在そのものについても、一部の無神論者を中心に懐疑論を唱える人々もいる。
「キリスト教の経典である『聖書』以外に証拠がない」というのがその論拠であるようだ。
しかし、ローマ時代の歴史家タキトゥスによる年代記に書かれている記述こそが証拠であるとする意見が高まりを見せている。
その年代記には、イエスの処刑を決定したポンテオ・ピラトについても記しているのである。
歴史家、タキトゥスの年代記にあるイエス存在の証拠
ローマ時代の最高の歴史家の一人と目されるタキトゥスは、紀元54年頃の生まれだ(諸説あり)。一方、イエスが処刑されたのは紀元30~33年のこととされている。
タキトゥスによる年代記の中には、64年に起きたローマの大火について書かれている部分がある。ローマ皇帝ネロはこの大火についての責めを「クリスチャン」と呼ばれる集団に負わせた、と記載されているのだ。
年代記は14年から66年までのできごとをカバーしている。タキトゥスはその中で、「クリスチャン」の背景について少々と、イエスの処刑を決定したポンテオ・ピラトについても記しているのである。
ウィーン議会議事堂の前にあるタキトゥスの彫像
この画像を大きなサイズで見るタキトゥスは以下のように記している。
そこで、噂をもみ消すために、ネロは身代わりに罪を負わせ、最大限に工夫をこらした残酷さをもって彼らの処刑に当たった。その習慣ゆえに人々に嫌われていた、「クリスチャン」と呼ばれる人々である。
キリストは、この呼び名は彼自身が起源だが(「キリスト」とは「救い主」という意味であり、姓ではない)、ティベリウス帝の御世に、我々ローマの行政官であるポンテオ・ピラトの手で極刑に処された。現時点までに調べがついた範囲では、有害な噂が、元々の発信源であるユダヤのみならず、世界中から醜悪な、恥ずべきものが集まり広まっていく中心地であるローマに、再び広まっている。
よって、最初は罪を認めた全ての者が逮捕され、彼らの情報に基づき、多数の者が有罪の判決を受けた。放火よりは、むしろ「人間に対する憎しみ」という罪においてのことである。
この画像を大きなサイズで見るヨセフスによる記録
タキトゥスによる記述は、イエスが存在したことの証拠となる他の文献を裏付けている。
ユダヤ系ローマ人の著述家、フラウィウス・ヨセフスによる『ユダヤ戦記』は、紀元1世紀におけるユダヤについての、現存する唯一の根拠である。この著作にも、イエスについて明確に述べた部分が数ヶ所存在する。そのうちの一ヶ所にはこう書いてある。
この時期に、イエスと名付けられた賢人がいた。彼の行いは善いものであり、高潔な人として知られていた。
そして、ユダヤまたはその他の国から出た大勢の人々が彼の弟子となった。
ピラトは彼に十字架での死刑を宣告した。しかし、彼の弟子となった人々は、弟子の身分を放棄しなかったのである。
ヨセフスの肖像画
この画像を大きなサイズで見るかたやローマ人、かたやユダヤ人と、二人ともむしろキリスト教と敵対する立場であっただろうが、その二人の視点の違いもまた興味深いものである。
References: Express / Wikipedia など / written by K.Y.K. / edited by parumo
















ヨセフスの肖像画を見ると、なんだかインドのマハラジャみたい
クリスちゃんは何をしてそんなに嫌われたのか
※2
税金払わないとか皇帝拝まないとかさ。
※8 ※25 ※36
マジかよ クリスちゃん最低だな
※2 ※8
軍務につかない、とかもね。
それ以前に、ローマはもともと多神教の文化で
さらに広大な支配地の各民族の神様も容認してきたのに、
「俺らの神が唯一絶対! 他のやつは紛い物!」
「偶像崇拝とかアホ! 神像なんかただのモノ!」
とか他の宗教をこき下ろして回る
唯一神を奉じる狂信者は(ユダヤ教徒も含めて)、
帝国内の摩擦を引き起こしてウザかった。
※2
当初のキリスト教は現在のような主流宗教ではなく、弱小新興宗教だった。
その中でもキリスト教は死後の安息を約束し弱者に寄り添うって感じの教義で、「来世のために行動する弱者、貧者」が主たる信者だったようだ。
そのような者たちは死を恐れず、現世のものよりも来世を重視して、既存の価値観に従わず、自爆テロとかをやらかす極めて厄介な連中で嫌われていたらしい。
※36
イエスは弟子からの「私も神の家に住むことはできますか?」というと質問に対して「俺はいけるけどお前らは無理、ザマァwwww」と返答した。
難易度的には無傷でブラックホールを潜るようなもの。
※2
歌手のクリス・ハートさんなら、今年春から活動休止するようですね。
今調べました。
二方向からの文字記録があってもここという起源に迫れない辺りやはり「史実」という物は奥深すぎる。
後から色々伝説くっつけすぎて原型を辿れないんだろうな
※5
今は研究がすすんでキリストは実際はエジプト系の褐色肌ったてのが分かっている。
イエス!タキトゥスクリスチャン
興味無かったとはいえ「キリスト以後は記録がしっかりしてるから」っていう教師の杜撰な説明を鵜呑みにしてたわぁ恥ずかし
これじゃあ皇紀使おうぜって人達が出るのもわかるな
釘打ちより、縄で縛られていたの方が信憑性がありそう
その時代の鉄、釘のような物は高価そうだから
そう言う名前の人もいただろうけど数々の軌跡は…まあ空海伝説みたいなもんじゃないかなあと
立川でパンチパーマの人と一緒に歩いてた
※13
その人ジョニデに似てなかった?
多分カリスマ性があって、実際尊敬できる人物ではあったんだろうね。
福音書で描かれるイエスの様子は徹底した非暴力主義だし(自分が捕らえられそうになっても、抵抗しようとした弟子を止めるほど)、神の怒りを持ちだして人を脅すような言動もほぼ無いし(神を使って人を脅す奴こそ神の怒りを恐れるべきだ、的な論法でしか出してこない)現代基準でも聖人だったんだろうと思う。
なのにイエスに会ったこともない自称使徒のパウロが変な風にねじ曲げる(というか、ユダヤ教的な先祖返りをさせる)から……。
更にローマが戦勝の神として国教にするという意味不明な事をするから……。
昔は数々の奇跡を起こしたのに、最近はトーストに浮かび上がるくらいだもんな
※17
犬の尻にも出現したよ
当時の古代ローマは多神教だからね
神は敬うが運命は人自らが決めるべきものであり現代の日本人の宗教観に近い
一方、神こそ全ての一神教であるクリスチャンはそういう世界では浮いて当然だろう
ローマ皇帝および元老院以下の政治家という権力者よりも信仰を優先しているわけだからコミュニティにとっては厄介な存在でしかない
まぁ、クリスマスは冬至の祭りをやる口実でしょw
今週の土曜日がイエスの最後の晩餐で、翌日が亡くなった日にあたるよ
逆に居なかったと仮定すると、教団初期のカリスマ指導者を別に探さないとならなくなるような気がするけど、パウロあたりが「私は奇跡を起こせ無いけど師匠は凄かった」ってでっち上げたのかな?
一応言っとくと、フラヴィウス・ヨセフスはユダヤ教を棄教してる。
そうでなければローマの行政官にはなれない。
※22
裏切り者として、破門された。
のちに汚名返上として「ユダヤ古代誌」を著し、ローマ世界に紹介する。
「人々の目にそのように見えていただけで、キリストはあくまで霊的な存在であった」という説もある
現在の聖書だとイエスは独身貫いたと書かれているけれど、実際どうだったんだろう?
過去記事;ゲイの歴史家の著書の記事※欄以来、キリスト教聖職者の結婚観と実際どうだったかが気になって仕方ない。
少なくとも、キリスト教とは関係ない。
イエスは、ユダヤ教の改革者。
キリスト教を創ったのは、弟子の主にパウロ。
それは、仏教にも当てはまる。
イエスの記述は結構あると思うけど、後世に着いたイメージを壊したくないからあまり研究が進んでない、場合によっては闇に葬られてるんだよね。
※28
実在のイエス=史的イエスの研究なんて腐るほどあるがな
恐らく最初は本当に古いユダヤの宗教や体制が気に入らなくてできた新興宗教扱いだったんだと思うよ?
でもそれが気付いたらローマの象徴にすらなってる。
いろんな色眼鏡を外して見たら現代日本でもちゃんと似たようなことが起こりかけている/いた。
仏教から出てきたアレ然り日蓮宗さえ見放したアレ然り。
帝政ローマ初期の時代に神の子を僭称する人物が力をつけたら為政者は困るよね
お前らに経済学を教えに来たのに失敗して強制送還されたおっさん。
タキトゥスの記述はキリストの死後数十年前経ってからのものだから、キリスト教徒のストーリーをそのまま「史実」としている可能性が高く、イエスの実在の根拠にするには厳しいなあ。
まぁ、実はユダヤ人とローマ人のファーストコンタクトはそう険悪でも無かったんだけどな
当時ギリシアと対立していたユダヤ人達がローマに保護を求めたのが関わりの始まり
その後色々あってイスラエルはユダヤ属州になり最終的にユダヤ戦争が起きて
神殿が崩壊するわけだが
布教のためか土着の宗教の記念日と合体して12月25日が生誕祭(クリスマス)になったとか
※34
宗教の記念日というか、冬至祭だね。
最も日が短い冬至が過ぎたら新年。
大晦日の年越し祝いみたいなもん。
ちなみに、日本で建国記念の日が2月11日なのも
新暦で見たら謎の日付だけど、
神武天皇の即位日が元日(1月1日)で
それをその年の新暦の日付に換算したもの。
つまり、建国記念のお祝いは、旧正月(陰暦だと
年によって前後するが)と同じ時期にやってる形になる。
他にも文献があったとしても、それが現代まで残ってなかった可能性もあるよね。
内容が人々の知るところと違ってたとして、「あれは間違い」と正すより無かったことにしてしまう方がずっと簡単だし。
大工の息子で 30まで ニートやってたってのが意外すぎる
ヨセフスのユダヤ戦記に関してはキリストの正当性を主張するために後代に付け加えられた文だということが判明済み。
※46
判明はしていない。
後代の加筆とされる根拠は、ユダヤ教パリサイ派のヨセフスが、イエスをキリストと認めることはあり得ない、との論拠から。
だが、パリサイ派のユダヤ人がティトゥスと共にローマ軍に同行し、エルサレム攻略に助言するなどということもあり得ないのだ。
まあ、むしろ、仏教とユダヤ教のハイブリッドとしての創作かなと。
ネストリウス派とか調べていくと、そういう考えに傾かざるを得ない。
イエスが死んだあとの時代に生まれた人の記述を存在していた根拠としちゃうの?
同じ時期に生きてた人が、生きていたイエスとのやりとりとか、せめて噂とかを記述してるものじゃないと根拠にならなくないか?
イエスの死後に生まれた人たちの記述が何の証拠になるのか問いたい…