この画像を大きなサイズで見る1886年8月、 フランス・パリで発行されている新聞に 「4歳の少女の遺体発見。手にたったひとつの謎めいた傷」という記事が掲載された。
好奇心旺盛なパリ市民が、次にとった行動はなにか? 少女の遺体を一目見ようと、パリの死体安置所(モルグ)に駆けつけることだった。
ガラスの向こうには、ドレスを着せられたその少女の小さな遺体があった。当時のパリ市民は実際にその遺体を自分の目で確認したがったのだ。
少女の遺体を見にやってきたパリ市民の数は15万人以上
少女の記事が新聞に載ってから数日たった8月5日には、モルグの外の人だかりが大きくなり、通りにまで人があふれて交通が遮断されるほどになった。
人々は我先にとモルグに入ろうとして、あちこちで小競り合いが起きる始末。当時の新聞記事にはこうある。
群衆が野蛮な叫び声をあげながら、ドアに殺到し、落ちた帽子が踏みつけられ、日傘や雨傘が壊され、昨日などは、窒息状態になって具合が悪くなる女性たちが続出した
と
このとき、この少女の遺体をひと目見ようと15万人以上の人々が押しかけたという。
この画像を大きなサイズで見るパリのモルグは人気の観光名所だった
このような群衆の大騒ぎは珍しいことではなかった。この少女の場合は特に異様な盛り上がりだったが、パリのモルグは頻繁に一般庶民の遺体の見学を受けつけていた。実際、19世紀末までに、モルグはパリのもっとも人気の観光名所になっていたのだ。
この画像を大きなサイズで見るパリのモルグでガラス越しに死体を鑑賞する人々
image credit:World History Archive / Alamy
モルグは、死者の友人や家族が遺体を確認するための場所だったかもしれないが、行方不明の縁者を探すためにやってくる者はまれだった。
彼らの目的はただひとつ。死者を間近で見ることだ。その人間の死体や死因が謎めいていればいるほど、大勢の見物客が詰めかけた。
この画像を大きなサイズで見るモルグの中を運ばれる死体(1840年頃)
image credit:Public Domain
モルグは新聞報道の視覚的な補足の役割を果たしていた
南カリフォルニア大学(USC)の歴史学教授ヴァネッサ・R・シュヴァルツはこう書いている。「モルグは、新聞が活字でセンセーショナルに報道した死者を実際に見せることで、その記事について視覚的な補足をする役目を果たした」
見知らぬ人間の切断された遺体や血まみれの胴体が展示されていると新聞が報道すると、必ず何千という遺体とは無縁の人々がその実物を見にモルグに押しかけたのだ。
シュヴァルツは別の例をあげている。
1895年、フランスの日刊紙がセーヌ川から生後18ヶ月の子どもの遺体を引き上げたと報道した。翌日、その近くで今度は3歳の幼児がやはり川から発見された。新聞は”このふたりは姉妹だろうか?”と問いかけた。
それに対して、自分の目でそれを見極めようとモルグに押し寄せた人々がふくれあがり、警察が出動する騒ぎとなった。
この画像を大きなサイズで見る展示されている心中遺体を、子どもを含めた人々の集団がガラス越しに見物している。
image credit:National Library of Medicine
1885年、アメリカ人ライターがモルグ見物を次のように書いている。
男たちが互いに肘で押し合いながら群がっている。老婆たちはガラスのほうを指さし、大声でしゃべっている。美人が蒼白な顔で憐れむように見つめているが、それでもこの見世物に食い入るように見入っている。
小さな子どもたちが両腕を力強く振り上げている。彼らもこの怖ろし気なものを見るかもしれない。小さな手を振りまわして楽しそうに声を上げている
パリのモルグはノートルダム大聖堂に次ぐ人気スポットに
20世紀末までには、モルグは多くの訪問者を魅了し、パリのあらゆるガイドブックに載るほどの人気名所になった。
評論家のヒューズ・ルルーは1888年にこう書いている。「モルグがなにかを知らずにパリを訪れる者はほとんどいない」
地元の露天商たちはさっそくこの人気ぶりに乗じてひと儲けした。モルグの外の歩道はたいてい、オレンジやクッキー、ココナッツなどを売り歩く商売人であふれていた。
ほかの地域のモルグも人気だったが、パリの比ではなかった。
1864年にパリのモルグが改築されたとき、市の設計者たちはできるだけ多くの観光客がスムーズに遺体を見物できるよう、意図的に設計した。
新生モルグは町の中心のノートルダム大聖堂に続く人気の観光地であるだけでなく、当時のほかのモルグよりもずっと長く、一週間毎日、夜明けから日暮れまで解放されていた。
この画像を大きなサイズで見る19世紀、死体の見学は観光客に人気のアトラクションだった。
image credit:Wellcome Images, London
モルグの内装も人を呼び込むように考えられた。展示室には一度に50人入ることができるようになっていて、ガラス窓の向こうの石板の上に寝かされた遺体が二列で並べられていた。
窓の両側にはグリーンのカーテンがあり、小売店のウィンドウを真似たという。「土曜の夜に商品が取り除かれた大きなデパートの窓のような効果を狙った」
初期のころには、腐敗を遅らせるために天井の蛇口から遺体に冷水がしたたるようにしていた。1882年までにこれは冷蔵システムの普及にとって替わられた。
この画像を大きなサイズで見るもはやモルグは劇場ショーに
モルグの観客の入りの良さは、よく劇場と比較された。
例えば、フランスの小説家エミール・ゾラは、これを「万人が見ることができる手ごろなショー」と呼んだ。まれに遺体がないときは、「せっかく楽しみにしていたのに、その日は死が自ら休憩をとった」と怒った観衆が文句を言った。
この画像を大きなサイズで見るモルグの内部(1855年)。遺体が着ていた衣服がその頭上に吊るされている。
image credit:Brown University Library
「殺人者と犠牲者の対面効果」を上げるため、明るい電灯を設置
しかし、モルグのことを劇場と呼ぶのは、単に遺体見物のことを言っているだけではなかった。実は鑑賞者自身も、最前列の席で劇的な犯罪捜査に加わっているのかもしれない。
警察はよく殺人の容疑者をモルグに連れてきて、犠牲者と対面させた。容疑者が自分のしでかしたことを見てショックを受け、自白する引き金になるのを期待したのだ。
こうした”対面”はごく普通のことだった。1888年にはパリのモルグに、”殺人者と犠牲者の対面効果を上げるため”という意図で電灯が設置された。明るい光のもとでの対面は、より効果が期待できるとされた。
この画像を大きなサイズで見るガラスの向こうに並ぶ遺体
image credit:G.GARITAN
この明かりの戦略は実際に効果があったようだ。パリ警察は、最初は協力を拒んでいた容疑者が、モルグで遺体と対面した後、自白した例をいくつか記録している。
そうした意味で、当時のパリのモルグは現代の犯罪ドキュメンタリー番組、ポッドキャストの先駆として見ることができる。
こうした番組の視聴者と同じく、モルグの観客も死者を調べ、その死の経緯を推測したことだろう。
References:Cinema and the Invention of Modern Life / messynessychic/ written by konohazuku / edited by parumo














今より死が身近だったからこそだね。
イギリスの絞首刑でも一番人気あったのが子供受刑者であり
8.9才の子供でもつるされるのが当たり前だったようです
また死刑見物は病人や赤ん坊を除けば2人のうち1人は
見に来て、特に上流階級や貴族クラスだと連日女性と連れて
遊び(?)に行くのが日課だった
※3
更にその遺体を三日間街頭に吊るしたりしてた、
という鬼畜っぷり。
きがくるっとる・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
遺体見た後よく露天で食う気になるなw
※5
人は慣れる生きもの。
情報化された死体として、現代のニュース・ワイドショーにこの大衆心理は受け継がれている
フランス人のこういう所やっぱり理解できないわ。人間も死んでしまえばただの物というのは分かるが、それをショーケースに並ぶ趣向を凝らしたケーキか何かの様に眺めて喜ぶというのは、魂の尊厳もへったくれもない。
※7
「フランス人の」という発言からして思い上がりが過ぎるとは思わんか。
なにせこの時代の人間は、何処の文化圏の、いずれの社会的階層の人間にしろ、『そういうこと』すらもアトラクションとして消費していたのだからな。
しかし、君は恥ずかしく愚かしくも自国の歴史ら知らずに、日本だけは例外と思っていたのかね?それともフランスだけが特別と思い込みたいのかね?
※10
日本でもまるで同じだな。
処刑された子供の死体を三日どころか完全に腐るまで放置し続けてその過程を娯楽にする文化が明治時代まで存在していたことを考えれば、私たち日本人が、他国の歴史を残酷だの鬼畜だのと騒ぎ立てる権利は一切無いことに気付くはずだ。
無論、アメリカでも中国でも朝鮮半島でも東南アジアでもインドでもドイツでもオーストリアでもポーランドでも北アフリカ諸国や中東諸国でも例外はない。
その時代においては皆一様に、子供の処刑や罪のない人々の死すらも娯楽として消費する文化があった。
……つまりどの国がダメ、なのではないのだよ。どの国『も』ダメなのだし、どの民族も駄目な連中であるのだ。現在進行形でな。
※17
地獄部隊「おっ、そうだな」
アントワーヌ・シモン「そうだよ(便乗)」
※17
実に正しい。
人類はまだまだ進行形である。
進歩発展の余地がありすぎる。
何十年もしたら動物園も「なんて野蛮な見世物施設なんだ!」と言われるんだろうな。
当時は現在の様な、しっかりとした戸籍が確立していなかったから早期に身元を確認する為にも、こうするしか無かった側面も有ったんでしょうね。
昔の事情を考えずに否定する事はしたくは無いけど、それを観光客にまで見せる必要は無かったのでは?と考えてしまいます。
常識が違えば同じもの見ても感覚がちがうっていうことのいい例だろうね。
自分もこの時代のフランスに生まれてれば普通に見に行っただろうし。
コロッセウムもギロチンも時代の価値観と倫理観の変化によって廃れたわけだが、その変化についていけずに市民の自由な娯楽が奪われたと怒る人々のさぞ多かったことだろう 社会通念ってそんなものだな
※12
シチューひきまわし
ホカホカなのかな? とか思っちゃったじゃねえか。
だって、ギロチンの国やし。
フランス革命の頃は「今日の処刑」みたいな瓦版があり、皆んな朝から着飾って詰め掛けて見物に行ってたんだよ。
日本もシチュー曳き回し、河原で処刑、晒し首はイベントだったんだからね。
刺激の無い生活していた昔の人にとっては、人の死は凄い刺激的な娯楽の一つだったんだ。
※13
死刑執行が一種見世物としての扱いだったのは、フランス革命よりも以前からの伝統だけどね
宗教的に背徳行為だとか何とかいう心理は皆無だったのかね
不思議な時代だな
だからフランス人は死刑には異常な拒否反応を示して、
逮捕する前に処分する方を選ぶのか
自分たちは昔と違って、今は常識がある人間ですってw
娯楽が少ない時代だものね。
日本も同じようなことしてたもん
犯罪者からしたら、自分が殺した相手が群衆にデータ付きで晒され、
しかもその群衆が推理みたいな会話までしてるとなればたまったもんじゃない。
ある意味犯罪の抑止にも繋がるだろうな
※20
縁故殺人ならそうかもしれないけど、愉快犯は楽しくてたまらないだろう
冷やすっても、下水垂れ流しで不衛生ですなぁ。ペスト流行った時代も重なるのかな。今の生活がとても清潔だから身の毛もよだつよ
たぶん死体をこんな風に扱うのはおかしい!って言う人も居ただろうけど
変人扱いされてたんだろうね 今は真逆になってるから面白い
時代変われば人変わる
日本でも心中者の遺体を裸でさらしたところ「姉ちゃんの裸が見れるってよ!」って人々が押し掛けたそうですし(見せしめ効果がなく以後晒しは無くなったそうですが
グリム童話では性的表現は徹底的に削られましたが暴力表現は問題なしでしたしね
指紋もDNAも採取されることなく、誰か分からない死体が
人知れず埋葬されるよりはいいかもしれない。
また、人の死を見たいと思うのは人の本能としても自然だと思う。
他人の死を知ることで、自分も同じ死に方をしないよう
学ぶ事はあるだろうから。
14
すごい芝居がかった口調!
悪趣味すぎる
死刑廃絶とか、その辺に過敏な処は特にこう言う後ろ暗い歴史持ってたりするもんだよね
不味い習慣だったと思うのは勝手だが、余所に向かって非難し始めるのだけは勘弁して欲しいわ
日本だって刑場は観光名所まで行かんでも割とそう言う好奇の目で行く人が多かったと思うんだが。
人間って人の死ってものに興味があるんだよ。
自分がどうなる、死んだあとどうなるってのから、昔の人はどうだった、昔の人はどうしてたって興味の対象なんだよ。
かく言う私も古墳や墓地巡りが趣味でね・・・
日本でも処刑場は娯楽場みたいになっており
処刑があるとなりゃ人が集まり出店がでてお祭りと何も変わらない状態だったそうですよ
映画の「生きる」の様に
自分の死に直面したことで
真の生きるって事もあると思うんだよね
メメントモリというのもあるし
死に触れ死を意識するってのはそんなに悪い事では無いと思うよ
そして究極の興味の対象ではあると思う
モルグー、あなた憑かれてるのよ。
※34
こんなので、クスッときてしまった///
昔だからというけど、現代人だって法的に問題ないと言われればこぞって見に行くと思うよ。
樹海に入って自殺者の遺体の動画をアップしたような奴も居るし、それをわざわざ見に行く奴らも大勢居る。
昔も今も大して変わんないよ。法的にアウトだからやらないだけ。
日本でも維新後少しの間までは斬首死体の晒し者が当たり前で庶民がそれ見てたわけで
幕末に日本に来た外国人が晒し首や磔の写真撮ってるけど首の無い子供の死体が磔られてたりと現代の倫理観で見ると信じられない光景が当たり前だった
欧州が特別おかしいというわけではないね
フランスは、王妃の出産も衆人環視の中でやる国だからなぁ
所変われば、時代変われば倫理観や衛生観念に価値観だとかの常識は変わる。そういう時代でそういう文化があった。こういう物事は現代人からしたらとんでもないって感じたりするけど、それを思考停止した状態でただ否定しちゃいけないよね。
日本でも、昔は処刑の進行具合を一般大衆に公開していた時代も有ったから、現代の基準で物を考えるのは良くないとは思う。しかしそれでも、凄まじい習慣が有ったものだね。映画等はまだ一般的ではなかった時代だろうから、市民の娯楽の一部として『今日の死体は何時にも増して凄かったな』『俺はこうだと推理したんだが・・・』なんて会話が飛び交っていたのかも知れない。
今も行旅死亡人や身元不明者については官報や警察発見場所や体の状態・持ち物等が公開されてて、その人が何者なのかネットで推理されてたりするんだけど、
ひょっとするとそれが現代のモルグかもしれないなって思った
日本でも鈴ヶ森とか呼ばれてる場所があってだな
※44
七福神巡りしてたら急に気持ち悪くなって吐きそうになりながら歩いていたら刑場跡にたどり着いてしまい「呼ばれたのか!?」と本気でビビった事がある
怖くて中に入れず外から手を合わせてその場を離れたら気持ち悪いのも収まった
あれは気楽に観光で行っていいような場所じゃない気がする
処刑場に人が詰めかけるのはかつての日本でもそうだったね
分娩も臨終も自宅で行われて、疫病も飢饉もあった時代の死生観は
死をごく身近なものとして感じていたんだろうなあ
率直にいって悪趣味すぎる。信じられない感性だ。
アニメのプリンセス・プリンシパルでもロンドンのモルグが出てきたなあ
あっちはしっかりと死体安置所然としたモルグだったけど
これは気持ちが分かるなあ。電車に乗ってて人身事故があったら、遺体を見に行くしなあ。
まあ、公開処刑とかがあったら、真っ先に見に行くだろうなあ。
処刑が見世物として人気なのは、ちょっと
理解できるが、死体そんなに面白いかね?
不謹慎だが赤の他人なら興味のあるし見てみたい気も分かる。近親者なら不快だし自分が死んでから見世物になるのも絶対に嫌だ
この時代は、テレビだのニュースだの電話だのは無かったろうから、『この人を知っている人は居ませんか?』『どこかで、この人を見掛けませんでしたか?』なんて時には情報収集の為にも、こういう事をする必要が有ったんだろうと思う。現代程は、警察的な操作手法も確立されていなかったと思うし。つまり、巡り巡って市民生活の安全を守る役目もしていたんだろうと思った。単なる観光資源目当てだけではないと思うよ。
気持ち悪いっていう感覚はないのかな?
本能的に避けて通りたいと思うものだろうけど。
他人の死に興味を抱くのは今でも変わらず、小説の導入部分もとりあえず人を死なせとけ言われるほど。
人がどう死んだかを知り自分に生かす本能なのだろうね。
上野の人体の不思議展を軽い気持ちで見に行ったら老若男女が長蛇の列で、なんか怖くなって見ないで帰ったの思い出しました。
最近までギロチン使ってた国だからなぁ。
そういや王宮も正装さえすれば市民は出入りできたらしい。国王夫妻が食事する様子を見たりできたそうな。
酷い酷い言いながら600万回数再生されたらしい、どこぞのユーチューバーの死体アップと変わらん気がするなあ
フランスの教会って、いまでもガラスケースに遺体を置いて公開してますよ。
奇跡のメダイ教会には、カタリナ何とかさんの遺骸が安置されてます。
現物見たことあるけど蝋人形ぽかった。
非常に興味深い
廃止までの経緯も知りたかったなあ
ゾラの小説「テレーズ・ラカン」に出てくる描写ですね。
趣味悪いな~
フランス人にも紆余曲折あったのですね
事件や事故現場でスマホで写真とりまくってる現代も大差ないな
日本じゃ死は穢れだとかいう文化があったけどそういうものが薄かったという事なのかな?
死体を見てみたい好奇心は、昔の自分には
あったよ。
20数年前学生時代に、某大手出版社の
死体の写真ばかり載っている雑誌を
少し読んだ事があったな。
その雑誌の数ページに、タイ人の溺死体の
写真がデカデカとあって、吐き気がしたよ。読んで後悔したわ。
その雑誌には、妖怪マンガで有名な先生の
インタビュー記事も載っていたよ。
5~60年くらい前の日本であった殺人
事件現場(被害者)の写真を持っていて、
その写真が紹介されていて、頭を鈍器で
殺害された感じの遺体だった。
正直不謹慎だな…と思ったよ。
今は動物の死体でも見たくないわ。
専門家でもないのに「フランスは」「日本は」などの主語がでかいコメントいらん
下衆は万国共通
※77
不快な表現ですのでマイナスさせて頂きました
発言権差別に関しては出過ぎと思います、訂正を要求いたします
さて
フランスは何か過去を消したがってる節があるよね
闇がどこよりも深い、クラスの中でも危うい生徒ってカンジがする